この手を離さない/そらまめ




担任に帰りの挨拶をして職員室からでたラブは、待たせてしまっているせつなの元へ急いでいた。思いのほか時間が掛かってしまったから、せつなは待ちくたびれているだろうか。
…少し息を切らせながら教室に戻ると、窓を背もたれに、視線を手元の開かれた本に下げている彼女がいた。文庫本サイズの本を片手で持ち、もう片方の手は窓の淵に置いて、少し開いた窓から入る風が彼女の髪をなびかせる。
放課後の教室に影が差し始める中、ひとり日の光を受けて照らされるその光景はなんだか本当に様になっていた。
頭脳明晰で他人を気遣える彼女は、転校してきてからまだ日が浅いと言うのにすでに人気者になっていた。せつなは自分の事をあまり話さない。そのせいか謎めいた部分があると周りからは見えるらしく、加えて哀愁が見え隠れすることに守ってあげたくなる気がしてくるらしい。

中学生にしては落ち着いて物事を見ることができるせつな。
落ち着きもなく勉強も運動もそれほどできない自分とは正反対な彼女が、他の誰でもない自分を待っていてくれているかと思うと、なんとも言えない不思議な気持ちになる。
……本来なら友人にすらなれなかったかもしれない。
ラビリンスでも幹部という地位にいたのだから、あちらの世界ではそれなりに偉い立場の人間だったのだろう。同じ年齢なのに。
一体どれほどの苦労をしてきたのか。想像すらも出来ないような過酷な日々を送っていたのかもしれない。
せつなは、あたしにとっての日常に慣れる事に時間が掛かった。たくさんの同い年の子と一緒に日々を過ごしていく事や、何かを協力してやるという事、それら全てに驚きを感じながらも早く慣れようと精一杯努力していた。
そんなせつなを見て、一度、聞いた事がある。こういう風に同い年の子と勉強したり、学校にあたるものには通っていなかったのかと。

「ねぇせつな、ラビリンスには学校とかなかったの?」
「あったわ。大人数に勉学を教える施設なら。もっとも、すぐに個別のプログラムが組まれるから集団というだけでクラスなんかの概念はなかったけど」
「へー、個別のプログラムってどんなことしてたの?」
「他の人の事は解らないけど、私の場合は政治、情報、経済なんかの国に関わる知識を多く教えられたかしら。でもオールジャンルだったわね。後は訓練が多かったわ」
「訓練?」

訓練という言葉に学校との繋がりを感じなかったラブは首をひねった。

「ええ、メビウス直属の部下になってからは特に多くて、反抗心がある人や、他の世界でメビウスに都合が悪い事をしている人を討伐するためには荒事が絶えなかったから」

なんてことないようにそう言うから一瞬言葉に詰まった。訓練とは戦闘の事だったのか。

それは、自分が思いつかない程非日常的な事が、せつなにとっては日常だったという事で、戦いについて学ぶことは当たり前だと認識していたという事だ。こんなのって…
そんな考えを感じとったせつなは、困ったように笑いながら、「ごめんなさい」とあたしに言った。それに慌てて「こっちこそごめんっ!」なんてそれ以上は深く考えずにフォローに徹したから暗い雰囲気にはならずに済んだ。
でも、今改めて冷静に考えると、この「ごめんなさい」にはどれだけの意味が込められていたんだろう。
せつなの気持ちになったつもりで考えれば、いつまでも慣れずに迷惑かけてごめんとか討伐なんてやってたことに対してのごめんとか、そんな私がここにいてごめんとか、あまつさえ友人として一緒にいてごめんとか思ってそうで少し悲しくなる。
せつなは自分の事ならどこまででも暗く考えてしまえる。その、いつまでも暗い部分が抜けないことを、何も知らない人たちはミステリアスと感じているのかもしれない。影のある方が素敵だなんてよく言うけど、影の部分を少し知っているあたしからすれば、そんな事口が裂けても言えるわけない。
せつなは命を他人に預けることが普通だと思っている。実際メビウスの為ならなんだってやっていた。年端もいかない女の子が戦闘に明け暮れるなんて一体どこの戦争地帯なんだろう。
自分が日本でのほほんと暮らしていた時、せつなはどこか別の世界で部下を引き連れ戦っていた。自分が友人と街に行き買い物をしていた時、せつなは戦闘に必要な武器を吟味していた。
悲しくなるほどの違い。でもあたしはそれを悲しんではいけないと思う。同情めいた感情で見てしまえば、せつなにとってのその過去は間違っていたものだと思わせてしまうから。
何をしてきて、それが正しかったのかその判断さえままならない所にいて、それでもその時のせつなはただ一生懸命に生きていた。生きることに必死だった人を、あたしはその人に向かって、「あなたのしてきた事は間違っている」と言えるほど人生経験をしてきた訳ではないし、そんなことを平気で言える人間ではいたくない。
あたしがせつなのためにできることは、過去を思って同情する事じゃなく、これからの、未来にたくさんの思い出を作っていける様に手助けする事だと思う。


せつなを教室の入り口からずっと見ていても、こちらに気付く様子はない。読んでいる本が余程面白くてその世界にのめり込んでいるんだろうか。
そういえば前に、「今まではあまり本を読んだことがなかったから新鮮だわ。」と言って分厚い辞書のようなものを図書館から借りて読んでいた時は、あたしはきっとせつなが生涯読む本の十分の一も読まないんだろうと悟った。
読むジャンルは特に決めていないようで、興味のあるものはなんでも読んでいた。それこそ普通の小説から料理本、正しい言葉の使い方という本やビジネスで役立つ手紙の書き方、果てはなんでそんなものがあるのか解らないが黒魔術の本なんて読んでいた時は、一体どこに向かっているのか謎だったし、いつか、キャンプに行く時はギターを持って、御供と言えば町娘の格好で! みたいに変な知識を言い出さないか心配ではある。









光がだんだんと細くなっていく。最初は教室の半分程度が照らされていたのに、今ではせつなのいる窓辺の一部分しかオレンジになっていない。
それを眺めていたら、唐突に、この暗い教室の入り口にいる自分と、光を浴びるせつなとが切り離されてしまったように感じた。
あのまま光が消えてしまったら、同じように彼女も消えてしまいそうで、思わず震える自分を抱き締める。それくらい、彼女の存在は希薄に感じた。
あたしが怖いのは、せつながいなくなってしまう事。自分の手の届かない遠くへ行ってしまう事。
元々こちらの世界の住人ではない事に、彼女をここに留めておく理由を見つけられない。いつでも、すぐにでも飛んでいなくなりそうな気がしてならないから、そんな不安をどうにかしたくて、気軽に飛んで行かないように、自由に消えてしまわないように、あたしはせつなに重りをのせた。
せつなのまわりに大事なものを増やして、守らなきゃいけないものを増やして。
そして、桃園ラブというとても重い荷物を彼女に背負わせている。
せつなが自分を大切にしてくれている事は知っている。解かる。だからあたしはそんなせつなの心を利用して、罪悪感で押しつぶされそうな彼女の心の支えになる事で、さらに離れられないようにしている。一緒にいるのはせつなのためではなく、自分のため。

こんな打算的な考えをしていると、せつなには気づいてほしくない。彼女はとてもまっさらだと思うから。特にあたしに対しては疑おうともしない。
ずっと一緒にいたい。いつまでもあたしの傍にいて欲しい。
独占欲が増していく。
教室も黒く塗りつぶされた。まるで、自分の心のようだと思った。

ハッとしてせつなの居た場所を見る。太陽は隠れてしまったが、彼女はまだそこに居てくれているだろうか。
目を凝らすと、視線の先の黒いシルエットがかすかに動いたのが解った。さすがに文字が読みづらくなったのか、本にしおりを挟んで閉じようとしている。

ゆっくりと顔が上がる。

目が合った。

と思う。暗くて表情がよくわからないから感覚だけで判断したが、視線が交わった瞬間そこだけ光がさしたように、花が咲いたように微笑んだせつなは、綺麗とかではなくとてもかわいいと思った。年相応というか、子供っぽいような表情。こういう顔は他の人にはあまり見せない。気を許している相手、それもごく限られた人にしか見せない。少し嬉しくてつられて笑った。
こんな黒い空間でも、せつながいてくれるだけであたしはこうして笑顔になれた。
せつながいるからあたしは笑っていられる。
だから、離さないようにしなきゃ。幸せは自分でゲットしないと。

「ラブ、帰ってきてたなら声掛けてくれればいいのに」
「ごめんごめん! 今来たとこなんだ。先生の話長くてさー」
「もう暗くなるわ。急いで帰りましょう」
「うん! あ、せつなー、暗いし危ないから手繋いでかえろー」
「ふふっ、そうね。はい」
「やったー 幸せゲットだよ!!」
「わわっ!そんなに引っ張らないでラブっ!!」


離さないようにぎゅっと力を入れた手に、握り返してくれるせつなの手の暖かさがなんだかとても心地よかった。
最終更新:2014年04月03日 22:38