四つ葉になるとき ~第3章:癒せ!祈りのハーモニー~ Episode13:幸せのカチャーシー




「ありがとうございました!」
 いつもよりも、なお一層張り切ったラブの声に、飛行機の出口で見送る乗務員さんが、ニコリと笑う。
「行ってらっしゃいませ。」
 穏やかな声で丁寧なお辞儀をされ、私も慌てて頭を下げて、ラブの後を追った。

 飛行機から降りた私たちを、驚くほど暖かな空気が包む。
 四つ葉町から遠く離れた南の島に、高速で運ばれた――その実感に、初めてこの世界に降り立ったときの情景がよみがえった。
(異空間ゲートから外に出たら、辺りが眩しくて驚いたっけ。それに空気にも微かに、何だか不思議な匂いを感じた・・・。)
 その匂いの正体が、生命力溢れる春の草花の匂いだと知ったのは、しばらく経ってからのこと。「春」も「草花」も、そして溢れんばかりの光も、生まれ故郷のラビリンスには無いものだった。
(あのときあんなに驚いた光景にも、いつの間にか、もうすっかり慣れてしまったけど。)
 心の中でそう呟いて、無機質だけど明るい、空港の廊下を進む。

 沖縄――日本列島の南に位置する島々。古くは琉球王国という国家があった場所。そして七十年ほど前の戦争では、日本で唯一戦場になって、多くの犠牲者を出した場所――。修学旅行の事前学習で勉強したことだ。
 何度も多くの不幸に見舞われながら、独自の文化を築き、現在は旅行者にとても人気のある場所だと言う。それを聞いたときは、何だかホッとしたような、でもまるでイメージが湧かないような、不思議な感じがした。
(この旅の間に、この場所の幸せの形を、ほんの少しでも見ることが出来るかしら・・・。)
 そう思ったとき、どん、とラブが私の肩にぶつかって来た。

「どうしよう。ホントに来ちゃったよ、せつな!」
 ラブの大きな目は、キラキラを通り越してウルウルと潤み、頬は赤く上気している。
 ラブは、とにかくこの旅行が楽しみで楽しみで、昨日は興奮のあまり、まだ夕ご飯も食べないうちから、今夜は眠れないよ~!と叫んで、おば様に呆れられていた。
 あのときのラブの顔が、今の顔に重なって見えて、思わずクスリと笑みがこぼれる。
「落ち着いて、ラブ。」
「落ち着いてなんかいられないよ。だってここは、沖縄なんだから~!」
 どうしてそこで、くるくると回るんだろう。おまけに片膝立ちでポーズまで決めたりして・・・。
 この調子では、落ちつけ、と言う方が無理みたい。それどころか、こんなに嬉しそうなラブを見ていると、私の方までドキドキワクワクしてくるから不思議だ。

「早くしないと、置いてかれちゃうわよ。」
 私は、頬がニヤけるのを我慢して澄ました顔を作ると、放り置かれたラブのスーツケースの後ろを、わざと足早に通り過ぎた。



   四つ葉になるとき ~第3章:癒せ!祈りのハーモニー~
   Episode13:幸せのカチャーシー



 三線(さんしん)の音色が、のんびりと響く。せつなは、識名園の建物の縁に腰掛けて、じっとその音に耳を傾けていた。
 普段聞き慣れている音楽とは、まるで違う旋律。何だか物悲しいようでいて、明るく飄々としているような、不思議な印象を受ける。
 この識名園は、二百年ほど前に造られた、琉球王家の別邸だという。王家の人々が別荘として使ったり、外国の使者の接待に使われたりしたらしい。

「なぁ、健人。ひょっとしたら、俺が座ってるこの場所に琉球王が座って、庭を眺めてたかもしれないな。」
 縁側で足をぶらぶらさせながら、何故か得意げな裕喜に、健人が穏やかに頷く。
「そうですね。王と王妃が、ここでお茶を飲んでいたり、庭で王子が駆け回っていたり・・・。少なくとも、僕らみたいな庶民がおいそれと出入りできるような場所じゃなかったんですよね。」
「とか言って、健人。お前ん家のご先祖様なら、出入り自由だったりしたんじゃねえの?」
「まさか。裕喜君、ここ沖縄ですよ?」

 笑い合う二人の会話を聞きながら、せつなは、なるほど、と太くてゴツゴツした柱を見上げる。
 琉球王家という、今はもう消えてしまった権力者。そんな一族のお屋敷が、二百年もの間保存され、修復されて、人気の観光地になっているという事実は、せつなにとってはとても大きな驚きだった。
 建物とは、そこに人が住んでいるから訪れるものではないのか。今は誰が住んでいるわけでもない古い建物に、なぜそんなに人が集まるのか――。いくら考えても分からなかった答えが、この場所に立ち、二人の会話を聞いて、ほんの少し見えてきたような気がする。

 琉球文化と中国文化の融合だと言われる幾つもの建物と、広大な庭園。その姿形は、ただの古い建物と言うには、余りにも美しかった。ひとつひとつの建築には、確かに昔のものだと思える素朴さがあるが、何だかそれがこの場所の、豪華でいながらのどかな雰囲気を形作っているようだ。
(それに、ここにこうしていると、まるで・・・)

「せーつなっ!」
 不意に、ラブが隣に座って来て、せつなの物想いを破る。三線を弾いていた老人は、いつの間にか居なくなっていた。
「広い庭だよね~。お母さんが見たら、掃除が大変!って言いそうだよ。」
 変な感心の仕方をするラブに、せつながクスクス笑う。
「そうね。でも王家の庭なんだから、お掃除をする人も、きっとたくさん居たんじゃないの?」
「そうだよね。お掃除をする人や、池の魚の世話をする人や、植木屋さんなんかもいたよね、きっと。
あと、大工さんに左官屋さんに、それから、お料理する人もいーっぱい居てさぁ。それに、王様に、お妃様に、子供たちに・・・家来がたくさん!」
「クスッ・・・ラブったら、王様がそんなに後ろの方なの?」
 悪戯っぽい目を向けるせつなに、ラブは、アハハ~と頭を掻いてから、庭の方に向き直った。

「そんなたっくさんの人たちがさ。遠い昔、ここで生きてたんだなぁって思ったら、何だか凄いね。」
「・・・凄い?」
「うん。きっと毎日どこかで、誰かの嬉しいことや、別の誰かの哀しいことがあってさ。それを、池や木や、この柱がずーっと見て来たのかなぁって思ったら、今ここにこうしてあたしたちが座ってるのが、何だか不思議で、凄いなぁって思わない?」

 ねっ!とせつなの顔を覗き込んだラブは、そこに、きょとんとこちらを見つめる赤い瞳を見つけて、目をパチクリさせた。
「なんか・・・あたし、ヘンなこと言った?」
「ううん。その・・・私も今、ラブと同じこと考えてたから・・・。」
 言い終わる前から赤くなった頬を隠すように、せつなはラブの真似をして、緑豊かで広大な庭に目をやる。

「私ね、ラブ。ここに来るまで、文化遺産って、よく分からなかったの。そんな昔の建物を見て、何が楽しいのかなぁって。でも、少しだけ分かった気がする。
昔の人たちはもう居ないけど、その人たちが生きて来た場所へ来て、その人たちの生活を思い浮かべることで、その時代が少しだけ、心の中に蘇るのね・・・「時」を感じるって言ったらいいのかしら。
そしてこの場所が、今こんなにのどかで、こんなにきれいに保存されているから、蘇るのは、何だか幸せな「時」ばかりのような気がするわ。」

 美希がいたら、「それが歴史のロマンよ」なんて言うのかしら・・・そんなことを思いながら、フッと小さく微笑むせつな。その顔を、ラブは一瞬、この上なく愛おしそうに眺めてから、大きく明るい歓声を上げた。
「やったー!せつなにそう言われると、あたし、何だかすっごく良いこと言った!って気がするよ。」
 必要以上に胸を張り、エヘン、とふんぞり返ったラブが、そのままバランスを崩して、板の間にあおむけに倒れる。
 だいじょぶ?と言いながら楽しそうに笑うせつなの黒髪を、暖かな南風が、優しく撫でた。

 ☆

 その日は那覇で一泊し、次の日は朝から自由行動となった。三時に再びホテルの前で集合するまで、事前に計画したコースを、グループごとに廻るのだ。
 グループの構成は五人一組。ラブとせつなは、大輔、裕喜、健人の男子三人と一緒だった。

 沖縄では唯一の電車である、まだ出来て日の浅い「ゆいレール」に乗って、首里駅へ向かう。ここからバスに乗り換えて、まずは琉球王国の都として栄えた首里城を目指すのだ。
 しかし、首里駅で降りてみると、そこは観光地らしからぬ、あまりにも普通の街並みだった。
「おい、大輔。バス停って、どこにあるんだよ。」
「うーん、バスで首里城に行ったことなんか、ねえからなぁ。」
 ガイドは任せろ、と言っていた大輔も、困った顔でキョロキョロと辺りを見回す。と、そのとき。
「あ~れ、あんたたち。首里城に行くなら、このバス停だよぉ。」
 少し語尾を伸ばし気味の、のんびりとした声が、五人の後ろから聞こえた。
 振り返ると、大きな荷物を足元に置いた小柄なおばあさんが、ニコニコと人懐っこそうな笑顔を見せている。その場所が、首里城公園へ行くバスが走る、小さなバス停らしかった。

「ありがとう、おばあちゃん!」
「ありがとうございます!」
 ラブとせつなが、真っ先におばあさんに駆け寄る。男子三人も、口々に礼を言いながら、二人の後に続いた。
「おばあちゃんも、首里城に行くの?」
 ラブの問いに、おばあさんは笑顔のまま首を横に振る。
「いやぁ、わたしはこれから息子の家に行くんだよ~。」
 おばあさんは五人の様子を眺めてから、せつなにニコリと笑いかけて、修学旅行かねぇ?と尋ねた。

 ええ、と頷いて、せつなは改めておばあさんの顔を見つめる。額や目尻に数多くの皺があるものの、色艶の良い丸顔。少しウェーブのかかった髪は、白髪を染めたばかりのようで、黒々として若々しい。
 顔は全然似ていないけど、おば様が歳を取ったらこんな雰囲気になるのかも・・・そんなことを考えていたせつなの眉が、ぴくりと上がった。後ろに並んだ男子三人から、何やら緊張しているらしい気配が伝わってきたのだ。続いて、バス停に近付いてくる複数の足音。
 そっと後方を窺うと、そこに立っていたのは、ガイドブックを覗き込んで首を捻っている、二人の外国人だった。ブロンズの髪に青い目の長身の男と、縮れた黒い髪に褐色の肌の、がっしりとした体躯の男。そのブロンズの方が、男子たちを見回して、エクスキューズ・ミー、と声をかけた。

 うへっ、と叫んで、こそこそと健人の後ろに隠れる裕喜。健人は爽やかな笑みを顔に貼り付かせながら、その目は男を通り越して、遥か彼方を見つめている。
「ハ、ハーイ!」
 大輔が仕方なく、おっかなびっくりといった様子で、男に向き直った。

“首里城に行くバスは、このバス停に停まるかい?”
 おそらく精一杯ゆっくりと発音された英語。残念ながら、三人とも全部は聞き取れなかったようだが、必死の表情で彼の口元を見ていた大輔の顔が、ある単語を聞いて、ぱっとほころんだ。
「首里城!イエース!ディス・・・ディス・・・おい裕喜、バス停って英語で何て言うんだ?」
「えーっ、俺~!?」
「バ、バス・ストップですよ、大輔君!」

 慌てふためく三人を尻目に、ラブが満面の笑みで、男の前に飛び出す。
「ハロー!アイ・アム・首里城!レッツゴー!」
「ちょっと、ラブ!それじゃ『私は首里城です』って言ってるわよ!」
 今度はせつなが慌てて二人の間に割って入る。

 何だかあたふたと浮き足立っている五人の中学生に向かって、ブロンズの男は、芝居がかった様子で両手を広げた。
“オーケー、ありがとう。ここでバスを待って、君たちに付いていけばいいんだね?”
 そう言うと、せつなに向かってパチリとウィンクする男。黙って成り行きを見守っていた縮れ毛の男も、ニッと白い歯を見せる。
 おばあさんが楽しそうに、クク・・・と笑い声を漏らした時、最高のタイミングで、一台のバスがやって来た。

「おばあちゃん、荷物持つよ。」
 よっこらしょ、と大荷物を持ち上げようとしているおばあさんの手を、ラブが優しく押さえる。
「ラブ、こっちは私が持つわ。」
 ラブとせつなの二人で、バスの中におばあさんの荷物を運び込んだ。
「ありがとね~。ほれ、あんたたちも、乗った乗った~。」
 ゆったりとした動作でがま口を取り出しながら、おばあさんは後ろに居る男たちを、先に行けと促す。
「じゃ、お先っす!」
 裕喜を先頭に男子三人組が乗り込んで、ラブとせつなの後ろに陣取った。ホッと一息ついたラブたちだったが、後の三人が入り口でもたもたしているのを見て、腰を浮かせた。
 どうやら外国人二人が、バスの運賃が分からずに立ち往生しているらしい。

「あたし、行ってくる!」
 真っ先に飛び出したラブに、せつなが急いで続く。その時。
“百五十円だよ。”
 大きくてハッキリとした、でも何となく語尾を伸ばし気味の英語が、バスの入り口から聞こえて、ラブもせつなも、思わず立ち止まった。
“そうそう。この硬貨と、あと・・・ああ、これね。”
 二人の男の手元を覗き込んで、小銭を選んでやっているのは、さっきのおばあさんだった。

 ブロンズの男が、ホッとしたように小銭を払い、席に着く。同じく小銭を払った縮れ毛の男は、バスに乗り込もうとするおばあさんに、さっと右手を差し出した。
「てんきゅー。」
 優雅に微笑んで、ゆっくりとその手を取るおばあさん。男はそのまま彼女をエスコートして、ラブとせつなのちょうど前の席に、彼女を座らせた。

「おばあちゃん、英語凄いね!発音も完璧っ!」
 早速身を乗り出すラブに、おばあさんは顔の前で手をひらひらと振った。
「なぁに、若い頃に覚えただけさ~。」
 そう言って、おばあさんはせつなに視線を移し、何とも無邪気に笑ってみせる。その顔を、せつなはまるで引き付けられるように、まじまじと見つめた。

 ここ沖縄は、長い間アメリカに統治されていたという歴史も持っている。そして今でも、アメリカ軍の基地が、広大な敷地を占めている。
 お年寄りの中には、様々な理由から、場合によっては死に物狂いで英語を身に付けた――身に付けなければならなかった人々がいることを、せつなは本で読んだことがあった。
 彼女がその一人だったかどうかは分からない。だが、さっきの英語は、ラブたちのような学校で習った発音や文法ではなくて、いかにも耳で覚えた英語らしかった。

(もしかしたら生きていくために必死で身に付けたのかも知れないものを、この人は軽やかに、人の幸せのために使っている・・・。)
 その顔から目が離せないでいるせつなに、おばあさんは一瞬だけ不思議そうに瞬きをしてから、もう一度、今度はさっきより優しい眼差しで微笑んでみせた。

「ところでおばあちゃん。ずいぶん大きな荷物だけど、息子さんへのお土産?」
 ラブの問いに、せつながやっと我に返る。おばあさんの方は、それを聞いて今までで一番嬉しそうな顔をした。
「ただのお土産じゃないよ~。実はねぇ、今日は孫の結婚式でね~。」
「へぇ~、おめでとう!おばあちゃん。」
「おめでとうございます!」
 ラブとせつなに口々に祝福されて、おばあさんの目が糸のように細くなる。

「そうだ。ねえ、おばあちゃん。沖縄の結婚式ってどんなの?」
 再び身を乗り出すラブの隣で、せつなが小首を傾げる。
「ラブ。結婚式って、場所によって違いがあるの?」
「うーん、あたしもよくは知らないんだけど・・・結婚式って、昔っからの幸せイベントだからさ。
その土地に伝わるお祝いの仕方とか、幸せアイテムとか、色々ありそうな気がして。ほら、沖縄って、音楽とか食べ物とかも、色々違うじゃない?」

 ラブの言葉を聞いて、おばあさんがちょっと考え込む。
「別に~、大して珍しいことはしないよぉ。今は若い人たちが、自分たちの好きなやり方で式を挙げるしねぇ。ああ、でも・・・」
 おばあさんはふと思いついたようにそこで言葉を切ると、茶目っ気のある顔つきで、ラブとせつなを見つめた。
「幸せイベントって意味では、最後は大抵、カチャーシーになるねぇ。」
「・・・かちゃーしー?」
「何ですか?それ。」
 揃って不思議そうな顔をする二人に、彼女は満足そうにニヤリと笑う。

「沖縄の踊りさ~。カチャーシーって言うのは、“かき混ぜる”って意味の言葉でねぇ。」
 そう言って、おもむろに両手を頭の上にあげたおばあさんは、その手をリズミカルにゆらゆらと動かし始めた。
「こうやって、今の幸せをかき混ぜるのさぁ。」
「幸せを・・・かき混ぜる?」
「そうさ~。
若い人たちの幸せや、それを祝う親たちの幸せをかき混ぜて、みぃんなで分け合ってね~。
初めて顔を合わせた新郎の親族も、新婦の親族も、みぃんなで仲良くかき混ぜ合ってね~。
嬉しい気持ちも、お祝いの気持ちも、みぃんなの気持ちをかき混ぜて、大きな大きな幸せにするのさぁ。」

 バスの座席に座ったまま、実に軽やかにリズムを取ってみせるおばあさんの姿に、ラブが「わはっ!」と小さく歓声を上げ、せつなも目をキラキラさせて身を乗り出した。
「そっかぁ。沖縄の結婚式には、そんな素敵な踊りがあるんだねっ!」
 ラブの言葉に、おばあさんがゆっくりと首を横に振る。
「結婚式だけじゃないんだよ~。みんなでお祝いしたいとき。みんなで盛り上がりたいとき。それから、苦しくても、みんなで元気を出そうってとき。沖縄では、いろ~んなときに、カチャーシーを踊るのさ~。」
「じゃあ、楽しいときにだけ踊るんじゃないってことですか?」
 せつなが問いかけると、おばあさんはまた、優しく微笑んだ。
「そうさ~。私はまだ小さかったけど、戦争で負けて、何もかも失くしてしまったときにもね。指笛に合わせて、みんなで踊ったんだよ。生きてて良かった、一緒に居られて良かった、ってね。
今思うと、大人の人たちも、そうやってみんなで幸せを繋げて、元気に変えていたのかもしれないね~。悲しいことも辛いこともあるけど、小さな幸せをかき混ぜて、大きくして、明日の喜びに繋げていこうってね~。」

「幸せを、繋げて・・・。」
 小さな声でせつなが呟いたそのとき、車内に停車のアナウンスが聞こえてきた。
 おばあさんは、ひらりと右手の甲を返すと、踊るような手つきのまま、バスのブザーを押した。

 バスの出口まで、ラブとせつなが荷物を運ぶ。すると、一人の若者がバスに乗って来て、二人にぺこりとお辞儀をした。
「ああ、私の孫さ。今日結婚する子の、弟だよ~。」
 おばあさんに紹介されて、若者が人懐っこい笑顔を見せる。笑った顔が、おばあさんに実によく似ていた。
「さよなら、おばあちゃん。結婚式、楽しんで来てね!」
 明るく声をかけるラブと、その隣でニコニコと見送るせつな。バスから降りたおばあさんは、二人に丁寧に頭を下げると、また目を糸のように細くして、晴れやかな笑顔を見せた。
「ありがとうね~。あんたたちも、沖縄をたぁっぷり楽しんでよ~。」
 大荷物を抱えた孫を見上げて何事か話しかけながら、ゆっくりと去って行く後ろ姿。その少し丸い背中が、せつなにはとても大きく、力強く感じられた。

 ☆

 修学旅行三日目は、シーサーに色を付けて自分だけのお土産を作るという、体験学習から始まった。
 やって来たのは琉球村という、古い民家がたくさん移築されたテーマパーク。その一角で、生徒たちはグループごとに長机に座り、漆喰でできたシーサーに、思い思いの色を付けていく。
 作業が終わると、琉球村の散策の時間。ここには様々な古い民家があるだけでなく、実際にヤギが飼われていたり、家の中で機織りをする人が居たりと、より「村」の雰囲気が味わえる演出がなされていた。

 ヤギに餌をあげているラブの隣で、せつなが一心に機織りの様子を見ていると、機の前に座っているおばさんが声を掛けて来た。
「お嬢さんたち、もう少ししたら、中央広場で「道ジュネー」が始まるよ。」
「道ジュネー?」
「沖縄の伝統芸能の、パレードのことよ。沖縄ならではの色々な踊りやショーがあってね。そして最後は、お客さんも一緒になってカチャーシーを踊るの。」
「カチャーシー!?」

 ラブとせつなの声が揃う。おばさんは面白そうに、二人の顔を見比べた。
「踊れるのっ?カチャーシーが。」
「ああ、お客さんも自由参加だよ。お嬢さんたち、よく知ってるねぇ。前にも沖縄に来たことがあるの?」
 おばさんの問いかけに、二人は顔を見合わせて、ウフフ・・・と笑う。
「昨日、首里城へ行くバス停で会ったおばあちゃんが教えてくれたの。沖縄の結婚式では、最後は必ずカチャーシーを踊るんでしょ?」
 得意げに尋ねるラブに、おばさんは笑顔で頷く。
「そうだねぇ。あたしのときも、みんなが一緒に踊ってくれたっけ。」
 懐かしそうにそう言ってから、おばさんはちらりと腕時計に目を落とした。
「ほら、良い場所で見たければ、そろそろ行った方がいいよ。中央広場は、真っ直ぐ行って左だからね~。」

 ラブとせつなが広場に着いたときには、二人の級友たちも、もう半分くらいがそこに集まっていた。
 やがて太鼓の音と共に、道ジュネーが始まる。あでやかな衣装を身にまとった女性の舞いや、勇ましいエイサーという踊り、大きくて派手な獅子がどこかユーモラスに踊る沖縄風の獅子舞など、色鮮やかでバラエティに富んだ演目が、人々の目を楽しませる。
 やがて、真っ白に白粉を塗った道化役が観客に向かって手招きし、三線と指笛が、軽快な音楽を奏で始めた。いよいよカチャーシーの始まりだ。

「せつなっ、あたしたちも行こう!」
「ええ、もちろんよ!」
 満面の笑みで振り向くラブに、せつなも笑顔で頷く。男子三人組も他の級友たちも、三々五々、踊りの輪の中に入って来た。
 みんな見よう見まねで両手を上げて、ひらひらと動かす。
「あれぇ、なんか違う・・・。」
「ラブ、それじゃ盆踊りじゃねえかよぉ。」
 相変わらず小競り合いをしている二人をそのままにして、せつなは軽快に踊りの輪の中を練り歩く。

「お嬢さん、上手だねえ。やっぱり前にも踊ったことあったんじゃないの?」
 綺麗な紫色の着物の人が、せつなに声を掛ける。驚いて顔を見ると、それはさっき機織りをしていたおばさんだった。
「いいえ、初めてです。でもきっと、最初に教えてくれた先生が良かったんだわ。」
 昨日のおばあさんの笑顔を思い浮かべながら、嬉しそうに答えるせつなに、おばさんもニコリと笑う。
「そう、そりゃ良かった。その幸せ、しっかりかき混ぜてね~。」
「・・・はい!」

 おばさんと別れ、また踊りの輪の中を歩きながら、せつなはこの旅で出会った様々なことを思い出す。
 幸せを繋げる、と昨日のおばあさんは言っていた。それを聞いて思い出すのは、一日目に行った、識名園の風景だ。今はもう居ない昔の人たちの暮らしが、その幸せが、確かに今に繋がっているような、そんな気がする場所だった。
 昔の人の想いは今に繋がって、今の沖縄を作っている。全てを失った戦後の沖縄で、大人たちが踊ったカチャーシーが、当時子供だったおばあさんに繋がっているように。そして今のおばあさんの幸せは、祝福の気持ちは、おばあさんの息子さんやお孫さんたちに、伝わっていくのだろう。

 不幸の先に幸せを探し、悲しみの中に喜びのカケラを見つける。それをみんなでかき混ぜて、大きくして、みんなで立ち上がる。幸せの波を、隣から隣へ、今から未来へと繋げていく。
 その象徴だから、この踊りはこんなに楽しくて、人を惹きつけるんだろう。
 そうやって生きて来たから、この世界の人間は、こんなに力強く輝いて見えるんだろう。

 自分もまた、ラブに幸せを繋げてもらった、とせつなは思う。ラブが幸せをかき混ぜる、その力の強さに引き込まれた。幸せは美希や祈里からも、桃園家のおじ様とおば様からも、クローバータウンの人々や、学校の先生やクラスメートからも届いて、せつなを巻き込む、大きな渦になっていった。
 私も――私からも、幸せを繋げていけるだろうか。みんなから貰ったこの幸せの渦に、巻き込まれるだけでなく、誰かを巻き込むことができるだろうか。
(そのためには、私はこれからどんな幸せを、どうやってかき混ぜていけばいいんだろう。私が繋げられる幸せって、一体何だろう・・・。)

「せーつなっ!」
 いつの間にか隣にやって来たラブが、上気した顔で、楽しそうに笑いかける。
「カチャーシーって楽しいねぇ!帰ったらさ、美希たんとブッキーと、あとミユキさんにも教えてあげてさ、みんなでやろうよ。ここはひとつ、せつなとあたしが先生、ってことで!」
 得意げに胸を張るラブの顔を、せつなは上目遣いでちらりと眺め、耐え切れず、プッと吹き出した。
「ラブ、あなた肝心なことを忘れてるわよ。」
「へ?」
「大輔君が言ってたじゃない、俺は沖縄出身だ、って。ということは・・・」
「そっかぁ!ミユキさんも沖縄出身なんだ。ってことは・・・うわぁ!せつな、今の無し!あたしが言ったこと、忘れて~!」
 大慌てで腕を振り回すラブに、せつなはいつものように口元に拳を当てて、クスクスと楽しそうに笑い出した。

 青い空に、沖縄特有の赤い瓦屋根が映える。せつなの初めての修学旅行は、残すところ、あと一日だ。


~終~



最終更新:2013年03月14日 20:59