【もう少し、眠ったままで。】/れいん
(アタシって、お節介?)
ドーナツを口にくわえて、そんなことを考える。
世話焼きと言うよりは、やはりお節介なのではないかと思う。
それは、ずっと頼られることが多かったためかもしれない。
けれど、それを嫌だと思うことは無かったし、むしろ人に必要とされているようで嬉しかった。
だから最近、美希はちょっと手持無沙汰。
(まあ、ママはね……)
母はあんな人だけれど一応自立している女性なので、元々そんなに頼られっぱなしなわけではない。
離婚後からは特に、対等の女友達の様に助け合って生きている。
問題は、手のかかりっぱなしだった弟。
彼は受験で忙しくなってしまったのか、月に一度父との面会で一緒に会うくらい。
けれど、体の調子は良いらしいし、学校も楽しく通っているようなので、特に問題はない。
何かと手のかかる親友その一のラブ。
彼女もまた、高校に進学したと同時にプロを目指すため、更にダンス漬けの生活となり、以前の様に頻繁に会うことができなくなった。
(まあ、毎日会えなくなっただけで、週に2~3度は会うけどね)
そんなわけで、美希に残されたのは、何かと手のかかる親友その二の祈里だけ。
(ちなみに親友その三のせつなは、元々そんなに手がかからないので除く……)
だから、最近彼女の事が……。祈里の事が特別に気になってしまうのは、仕方がないことだと思っていた。
「美希ちゃ~ん」
ドーナツカフェで美希が宿題をしていると、祈里が情けない声を出しながらやってきた。
学校でなにかあったのだろうか。
表情からして、切ないと言うよりは困っているみたいだ。
「どうしたの、困りごと?」
美希の顔を見ただけで、少し安心してしまったのか、祈里はホウっと笑顔でため息をついた。
「ウン。あのね……」
祈里は対面の席に腰を下ろし、大きめ鞄を隣の椅子に置く。
そして、学校で起こった“困りごと”の相談を始めた。
「へぇ、ブッキーがお姫様役ね……。ピッタリじゃない」
今度の学園祭のクラスの出し物。
くじ引きで、“体育館のステージで、一般客のための劇をする”が、当たってしまったらしい。
“眠り姫”を公演することが、毎年の恒例になっているらしい。
そして、祈里はその栄えある“眠り姫役”に大抜擢された様なのだ。
「身長が一番低いからって理由、納得できないよ」
祈里の通う高校は私立白詰草女子学院高等部。
女の子だらけの劇で、男役、女役を分かりやすくするためには、身長の一番低い子がお姫様。一番高い子が王子様。
そんな感じでクラスメートたちに言い包められてしまったようだ。
「大丈夫よ! 前半だけ頑張れば、後は眠っていれば良いだけじゃない」
「でも私、自信ないよぉ……」
励ましてみたけれど、祈里の気分は全く上向きにはならない。
少し不貞腐れているけれど彼女の性格上多分、断ることはできないだろう。
「ダンス大会でたくさんの人の前で踊ったじゃない」
あの時の度胸があれば、今更劇の一つや二つ、恥ずかしがることではないように思える。
「だって、あの時はみんな一緒だったし……。でも、今回はセリフとかもあるし……」
祈里は自信なさ気に下を向く。
髪と同じ栗色のまつ毛が日に透けて金色に輝いた。
「セリフは完璧にマスターできるように、アタシが練習付き合ってあげるから!」
美希はそんな祈里についウットリ見惚れながら、そう励ます。すると、
「本当?」
ぱあっ、と祈里の表情が輝いた。
(あ、あれ?)
その顔を見て、何故だか鼓動が速くなる。
(……何でドキドキするのかしら?)
確かに今ちょっと「ブッキー、綺麗になったな」とは思ったけれど、ドキドキするのはちょっと違うような気がする。
ちょっと「あの柔らかそうな髪に触れてみたいな」とか「薄桃に染まる頬をぷにぷにしたいな」とか……。
(なんか……違う気がする)
まるでこれでは――――。
「美希ちゃん?」
いつの間にか一人で悶々と考え込んでいた美希の事を、祈里が不思議そうに見る。
「あ! あぁ、ゴメン。何でもないの。それが台本なの?」
美希は慌てて、祈里の持っている綴られた紙を指差した。
「ウン。じゃあ、ここのページから始めてもらっていい?」
少しやる気が出てきたらしい祈里が、マーカーで印の付けられている前の行を指差す。美希は気を取り直し、
「ええ。じゃあ読むわね」
と言って、台本をゆっくりと読み始めた。
突然鳴りだすベルで目を覚ます。
(……朝)
祈里の劇の練習に付き合いだして二週間。
何やら胸の奥底にモヤモヤとした、認めることのできない気持ちが渦巻いていて、ここの所よく眠ることができない。
いつもは目覚ましが鳴りだす前に起きることができるのに、今日はジリジリとしつこく鳴り響く音に、やっとのことで起こされた。
カーテンの隙間の向こうは、まだ真っ暗。
美希はパジャマからトレーニングウエアに着替える。
洗顔を済まし、キリリと気を引き締めるように髪の毛を後ろで束ねた。
毎朝欠かさないランニング。
走ると考え事がグルグル頭の中を巡る。
もちろんそれは勉強のことだったり、仕事の事だったり。
走りながら考えることで、自分の中で整理がつき、解決することがほとんどだ。
美希があまり人に頼らないのは、こうやって、自分の事をきちんと良く考えて、自分で解決することができるからだろう。
吐く息は白く、寒さで身も引き締まる。
筋肉をほぐすため、まずはゆっくりと走った。
(どうしよう。アタシおかしくなっちゃったかも……)
最近走りながら考えることは“その事”ばかり。
得意なはずの自己解決も、“その事”についてはなぜか結論を出すことができなかった。
油断していると、ふわっとした栗色の髪の毛が、思考の奥で揺れる。
(気の迷いなんだから!)
そう、いくら自分に言い聞かせても、彼女の笑顔が頭の中から追い出すことができなかった。
(……女の子を好きになっちゃうなんて、絶対におかしいんだから!)
強く頭を振り、美希はランニングのスピードをクンっと上げる。
空が白みだし、クローバータウンストリートの街並みが、くっきりと見え始めた頃、美希の最近の悩みの種が視界の中に飛び込んできた。
「美希ちゃん、おはよー!」
祈里は待ち構えていたように、その場所に立っている。
手には子犬のリード。
もうじき退院する、患者(患犬?)の散歩をしていたのだろう。
「……おはようブッキー」
そう答えると、祈里は心配そうな顔をした。
「……元気ないね。悩み事? 最近……何か悩んでいるみたいで気になって」
祈里は近くに寄ってきて美希の背中を軽く撫でた。
「な、なに?」
「あのね、手当って言葉があるでしょう?」
美希は祈里が何を言いたいのか分からずに困惑の表情を浮かべる。
「けがや病気の処置の事なんだけどね。元々は手のひらをあてて、さするところから始まっているの」
「ブッキー……」
「私、いつも自分の事ばっかりで、頼ってばっかりで……。美希ちゃんみたいに理解力とかないから」
だから、せめて少しでも「癒せるかな?」と思ってと、祈里はエヘヘと笑う。
「ごめん。心配かけちゃって。ありがとう、すごく癒されたわ!」
美希は情けない気持ちでいっぱいになった。
自分の事ばかりになっていたのはこちらのほうだ。悶々と悩んでいて、知らず知らずのうち祈里に心配をかけてしまっていたのだろう。
祈里はそんな美希の様子に気づいて心配してくれていたのだ。
今朝だって、気になって散歩の途中で、美希に会うために待ってくれていたに違いない。
(……もうだめだ)
――――――――好きだって認めよう。
(アタシは女の子だけど)
祈里も女の子なのだけど……。
彼女が可愛らしくて、健気で、愛おしく思えてしまうこの感情は、口に出してしまわなければ、誰にも迷惑は掛からない。
美希は持ち前のモデルの演技力で力強い笑顔を作り、祈里の頭を優しくお姉さんの様に撫でた。そして、
「今日は仕事がお休みだから、放課後ドーナツカフェで、みっちり劇のセリフの練習に付き合うわね!」
そう言うと、祈里は嬉しそうに微笑み返して来た。
眠り姫役は、さほど難しいセリフはない。
しかも物語の後半は、むしろ王子役の方が活躍するような台本になっていた。
祈里は思っていた以上にスムーズにセリフを覚えてしまい、それに付き合っていた美希もまた、眠り姫役以外のセリフや立ちまわりも完璧にマスターしてしまった。それほど二人は時間があるときに頻繁に会い、練習に没頭した。だから、明日に迫った学園祭も、最早一縷の不安もない様に思われた。
「……キス?」
「そうなの~!」
美希が裏かえった声で問うと、祈里はドーナツの乗ったテーブルに泣きながら突っ伏した。
どうやら劇中、クライマックスの王子とのキスシーン。
伝統で、必ず本当にキスをしなくてはならないらしい。
一般客である他校の生徒もそれを目当てにやってくる者がいるくらい、ある方面には有名な伝統らしい。
体育館で行われる劇は、一般のお客をメインにしているため、その実状を知る学園の生徒は少ない。
祈里も例外ではなく、その事実を前日になってやっと知ることになったのだ。
「それってだまし討ちってやつじゃないの?」
美希はあきれた様にそう言う。すると、
「でも、実行委員のコしか知らなかったみたい……。王子様役の子も怒っていたから、私だけが被害者ってわけでも……」
と、どこまでお人好しなのか、祈里は泣きながらもクラスメイト達をかばう発言をする。
「ブッキー……、キスしたことあるの?」
「あ、あるわけないよー! どうしよう、ファーストキスなのにぃ!!」
美希の質問に、祈里は再び狼狽えた表情で泣き出す。
「好きな人とかがいるんなら、この際奪ってもらうとか……」
そう言って、少し後悔をした。
祈里が誰か知らない男のコとキスをする所など、想像もしたくない。
「好きな男の子なんかいないよぅ!!」
祈里は更にわぁわぁと泣く。
美希はホッとするけれど、それもつかの間。
明日の本番になったら、祈里は王子役の子と本当のキスをしてしまうのだ。
お芝居だからと言って、そんなシーンは観たくなどない。
「この際、誰かいないの? お父さんとか、お母さんとか、友達とか……」
美希の提案に祈里はきょとんとした顔になり、しばし考えてから美希を指差す。
「……じゃあ、美希ちゃん」
「あ、アタシ??」
潤んだ瞳で近寄ってくる祈里の顔に、美希はゴクリと唾を飲み込んだ。
嬉しいような気もするけれど、一線を越えたらもう退きかえせなくなりそうで、後退りをする。
「だ、だめだめだめだめっ!!!!!」
祈里の唇に手のひらを押し当てて、猛烈な勢いでストップをかける。
美希の制止に、祈里も我に返ったような顔つきになり、そして、真っ赤になった。
「ご、ゴメンね。私何言っているんだろうね……」
先に謝られ、美希は頭を横に振る。
「ううん、アタシこそ、変なこと言ってゴメン。ブッキーは真剣に悩んでいるのに……」
「……」
「……」
二人の間には重い空気が流れ、暫らく沈黙が続いた。
「今まで、練習に付き合ってくれてありがとう。明日、頑張るね」
そう言って祈里は立ち上がる。
「……うん。応援してる。頑張ってね!」
美希がそう答えると、祈里は大きなカバンを揺らしながら、家の方に向かって走り出した。
その様子を、美希はどうすることもできず、ただ見送ることしかできなかった。
学園祭当日。
この日のためにダンスの練習を休んだラブと、ラビリンスでの仕事を休んでやって来たせつなと連れ立って、美希は重たい足取りで祈里の通う、白詰草女子学院の校門をくぐった。
体育館のプログラムの時間をみると、“眠り姫”の公演まで、まだしばらく時間がある。
「美希たん! あれ食べよーよ」
ラブが校庭に出ている屋台を回りたいと言うので、ついて行くと、思いっきり指差したのはたこ焼き屋……。
青くなって固まる横で、せつながクスクスと笑っている。
「ラブ、私、その隣のクレープって言うのが食べてみたいんだけど……」
さりげなくせつなにフォローされ、ホッと胸をなで下ろしたのもつかの間、美希の携帯がけたたましく鳴りだす。
「あ、ゴメンっ」
液晶を見ると、画面には“ブッキー”と表示されていて、美希は慌てて通話ボタンを押した。
「もしもしブッキー? どうしたの」
そう問いかけると、携帯の向こうから祈里が情けない声で言う。
『美希ちゃん、助けてぇ~!!』
「落ち着いて。どうしたの?」
『大変なことが起こったの! もう美希ちゃんしかいないの!』
祈里は慌てた様子で、捲し立てるように言う。
『とにかく、今すぐに教室の方へ来てほしいの!』
「?」
祈里からの電話は一方的に切られた。「どうかしたの?」と言う顔をしているラブとせつなの顔を、美希は困惑した表情で見る。
「ブッキー、困っているみたい」
「え? 大変ジャン! 劇のことかな?」
「早くいった方がいいんじゃない?」
「あ……、ええ。そうね」
ラブとせつなに促され、祈里の待機している教室へと急ぐ。
劇の控室になっている教室の扉をノックすると、祈里ではなく劇に出演するらしいほかの生徒たちが二人飛び出して来た。
美希を取り囲んで、メジャーであちらこちらを勝手に計測する。
「え? え?? 何???」
その様子を、ラブとせつなはポカンと口を開けてみていた。
「ウン、ウン!! 大丈夫!!」
「山吹さん! 大丈夫そうよ!!」
教室からオズオズと出てきた祈里は、既にお姫様の姿。
黄色のサテンのドレス、フワフワのレースがスカート全体を覆い、いかにも“お姫様!”という王道スタイル。
美希は自分の置かれる状況に戸惑いながらも、ついウットリと見惚れた。
(か、かわいい……)
「美希ちゃん、ゴメン……。たすけてぇ……」
祈里は大きな目を潤ませて、心底困った顔をしている。
「ブッキー、どぉしたの? なんかあったの?」
傍らでラブが、いつの間にか購入していたらしいクレープを頬張りながら、どこかノンキにそう問いかけた。
「ごめんね、山吹さんは我慢してお姫様引き受けてくれたのに、肝心の王子様役の子が逃げたのよ!」
黒い魔女の装いで、美希をメジャーで熱心に計測していた子の一人が、少し怒ったような顔で答える。
どうやら王子役の子は、彼が劇を観に来るらしく「女の子とキスシーンはできない」と逃げ出したようだ。
「山吹さんに聞いたら、お友達が練習に付き合ってくれて、王子様役のセリフ言えるって言っていたから……」
黒い魔女の隣にいた、白い魔女の姿をした女の子が付け足す様にそう言う。
「……つまり、逃げた子の代わりに、美希が王子様をやれと言うのね?」
ラブの横で納得をしたようにせつなが言った。
「ゴメンね、美希ちゃん……」
祈里は今すぐにでも泣き出しそうだ。
美希にしてみたら、他の女の子に祈里を奪われるくらいなら……。そんな気持ちがないとも言えないので、むしろ渡りに船。
「あ、アタシで良いなら、協力するけど……」
そう答えると、教室の中からドキドキした様子で覗いていた他のクラスメートたちの表情も、パァァっと一斉に明るくなった。
「ありがとう、美希ちゃん!」
祈里は半べそ状態で、くしゃっと笑う。
たとえ恋心なんかなくても、そんな状態の祈里を見捨てることなんてできない。
美希は「当然よ!」と力強く笑ってみせる。
「わぁ~! ブッキー、美希たん頑張ってねぇ!!」
「私たちは客席で観ているわね!」
席取りのために体育館に行くと言うラブとせつなを見送って、美希は準備のために教室に入った。
「じゃあ、これと、これと、これを着てください」
王子役の衣装を渡されて、美希は迷うことなく自分の着ている服を脱ぎ始める。
「「「きゃ!」」」
何故か周りの子たちが色めき立った。
美希はモデルなので、女の子たちだけの中では割と大胆に、何も隠さずに洋服を脱ぐけれど、お嬢様の多い祈里の学校は少し事情が違ったらしい。
時間もなさそうなので、美希は構わずに王子の衣装に身を包む。それらはクラスで一番背の高い子に合わせて作られているだけあり、美希の体に驚くほどピタリとフィットした。
「「「……素敵!!!」」」
教室のあちこちから異常な視線と、感嘆とため息が聞こえてくる。
鏡の中の自分を見た。
我ながら完璧なのではないかと思うほど凛々しい王子姿だ。
「美希ちゃん、カッコイイ!!」
愛らしいこの姫のために王子になれたことに喜びを感じながら、同時に美希には一抹の不安もあった。
(アタシが王子ってことは、ブッキーとキスするってことなのよね?)
祈里はどう思っているのだろう。今は無事に劇を行えるようになった喜びで、多分そのことは彼女の頭の中から 消え去ってしまっているのだろう。祈里は何の憂いもない穏やかな表情をしている。
自分の抑えている気持ちが、起きてしまいそうで不安だ。けれど、祈里を見捨てるわけにもいかなかった。
美希の不安をよそに、劇の幕は上がる。
聞くところによると、毎年公演されているこの“眠り姫”は、近隣の高校(特に男子)には有名らしい。
体育館は一般の観客で超満員で、遠慮して公演を観ることのできない学園の生徒だけが、この伝統を知らないと言う事が何だか間抜けで、おっとりとした祈里と印象がかぶって愛らしく思える。
後半まで出番のない美希は、舞台の裾でそっと祈里を見守った。
一生懸命練習しただけあり、セリフは完璧だし、これ以上ないほどの可愛らしいお姫様っぷりだった。
そうなると気になってくるのは、観客の反応。
案の定、他校の男子生徒たちが、美希の可愛い姫に頬を染めて見入っている。
独占欲がお腹の底でメラメラと燃えるのを感じた。
(こうなったら、ブッキーに手を出せないように完璧な王子様になってやるんだから……)
いくつものショーをこなしてきている美希にとって、観客が観ている舞台に立つことはさほど怖い物ではなかった。それに、女優ではないけれど、モデルにだって演技力が必要だ。自分にはそれなりの演技力があると自負がある。
出番が来て、舞台に立ち、美希は自分の才能を余すところなく発揮した。
自分で言うのもおかしいが、完璧な王子っぷり……。
観ていた女の子達のハートをガッチリキャッチした感触があった。
眠る城に潜入する。
魔法のかかった城の奥、美希の可愛い姫は本当に眠っているように見える。
触れてみたかった栗色の髪をそっと指ですく。
感じてみたかった頬の感触を、手のひらを軽く当てて味わった。
(本当に王子様だったら良かったのに……)
そうだったらキスをして、姫が目覚めて、結婚をして。
二人は幸せにくらしましたとさ。めでたし、めでたし。となるのに……。
けれども実際はキスをしたら祈里は目を覚まし、劇は終了して、二人は元の親友に戻るのだ。
そっと顔を近づける。ふわりと祈里の甘い香りが鼻をくすぐる。
(アタシのあげたコロンだ……)
鼻頭が祈里の頬に触れ、その次に柔らかい唇同士がかさなった。
(ああ、終わってしまう……)
ゆっくりと顔を離すと、祈里の頬がピンクに染まっているのが見えた。
瞳を開いた祈里が、美希にだけ聞こえるように、
「ありがとう、美希ちゃん」
と言って、そして、小さく微笑んだ。
「凄く良かったよ~!!」
「本当! 凄く素敵だったわ!」
控室になっている教室に戻るとラブとせつなが、美希たちが戻ってくるのを待ち構えていた。
「ブッキーは超可愛かったし、美希たんは超かっこよかったーー!!」
ラブのコメントは単純だったけれど、お世辞ではないと言う事が分かりやすい。
多分、他の観客たちも満足のできる公演ができたのだろう。
「美希ちゃ~ん、本当にありがとぉ~」
後ろから歩いてきた祈里が、ぺたんと床にへたり込んで泣き出した。
主役だというだけでも緊張しただろうに、トラブルが起こって、更に気を張り詰めてしまっていたのだろう。
(……多分、気づいていないわよね?)
演技中、美希は自分の感情が漏れてしまって、祈里に気づかれたらどうしようと心配していたけれど、良く考えてみたら彼女にそんな余裕なんてなかったのだろう。
それならば好都合。
美希は、自分の胸だけに、こっそりと気持ちを仕舞い込む。
(今のままでいたい)
お節介な、お世話焼きの美希ちゃんの方が、祈里の傍に長くいられる気がするから。
美希は祈里のために、そして、自分のために決意する。
(今はまだ、気持ちを眠らせておこう……)
いつか我慢できなくなる、その日まで――――。
最終更新:2013年02月17日 02:06