The Last Nut(後編)/一六◆6/pMjwqUTk




「ちょっとあなた、どうしたの!? 大丈夫?」
 由美が、店の前でうずくまっている女の子に駆け寄る。女の子――千香は喘ぎながら身体を起こすと、助け起こしてくれた由美の手を掴んだ。
「ラ……ラブおねえちゃんと、せ、せつなおねえちゃんが……」
「え……ラブと東さん!? 二人がどうかしたのっ?」
 由美が驚いて、千香に問いただす。
「わ、わ、わたしのニセモノが、ふ、二人に、会いに……」
 ハァハァと荒い息を吐きながら、それでも何とか事の重大さを伝えようとする千香。
「それってひょっとして……さっきテレビでやってた……?」
 由美が呆然と呟くのと、二人を遠巻きにしていた人々が騒ぎ始めるのが、ほぼ同時だった。
「えっ!? じゃあ、今度はこの子のドッペルゲンガーがっ?」
「やっぱりそうか! さっき、この子と服装も背格好もそっくりの女の子が、向こうに走って行くのを見たんだ!」
 ざわめきは次第に大きくなり、人波が四つ葉町公園の方へ動き始める。中には携帯で誰かに連絡し始める人までいた。

 由美は、千香を抱えるようにして立ち上がらせると、すぐ近くのベンチに座らせた。しばらくすると、苦しそうだった千香の呼吸も、だいぶん楽になってきたようだ。ずっとそばに付いていた由美は、その様子を見て、安心したように小さく息をついた。
「ねえ、おうちの人に連絡して、迎えに来てもらおう? 携帯、持ってる?」
「それより、早く二人に知らせて! わたしは大丈夫だから」
 千香の必死の口調に、由美は急いで携帯を取り出す。だが。
「どうしよう。二人とも、何度かけても繋がらない……!」
「そんな! なら、お願い。四つ葉町公園に、知らせに行って。早く! おねえちゃんたちが、危ないよ!」
 再び由美の腕にすがる千香。その必死の表情を、由美は困り切った顔で見つめる。
「でも……あなたを一人置いて行けないよ」
「心配しないで、早く行きな」

 ふいに後ろから、しわがれた声が聞こえた。見ると、分厚いコートを着てマフラーを首にぐるぐる巻きにした駄菓子屋のおばあちゃんが、いつもの不機嫌そうな顔で、そこに立っている。
「この子のことは引き受けたよ。だから早く、友達のところに行ってやりな」
「おばあちゃん、ありがとう!」
 由美がホッとした表情で立ち上がる。そして千香に小さく頷いてから、人波を縫うようにして走り出した。

「さて、と。こんなところに座ってたら、風邪引いちまうよ。お母さんに連絡するから、とりあえずはうちに来な」
 おばあちゃんに肩を叩かれて、千香の顔が下を向く。
「千香……お母さんに黙って出掛けちゃったから、叱られちゃう」
「ふん。心配かけたと思うんなら、ちゃんと謝って、ちゃんと叱られな」
 おばあちゃんは、相変わらずつっけんどんな口調でそう言うと、通りの向こう側を眺めて、さっと手を挙げた。
「ちょっとあんた! 力を貸しとくれ」
「おうっ、どうしたい? ばあさん」
 魚屋のおじさんが、店の前から走って来る。そして事情を聞くと、くるりと背中を差し出して、千香をおんぶしてくれた。三人は、そのまま町の喧騒から逃れるように、そっと駄菓子屋の中へと入って行った。



   The Last Nut(後編)



「ここに居たんだ……。探したんだよ」
 とぎれとぎれにそう言いながら、近付いてくる人影。それを見て、強張っていたラブの顔が笑顔になる。
「なぁんだ、千香ちゃんかぁ! どうしたの?」
 そう言いながら千香に駆け寄ると、その肩に手を置いた。その瞬間、千香の小さな肩がビクリと震える。それには気付かず、ラブは千香の背中を押して、みんなが居るドーナツ・カフェのベンチまで連れて来た。

「ちょっと、シフォンちゃんに、会いたくなって……。今、居る?」
 座ってもなお、ハァハァと苦しげに息をしながら問いかける千香に、ラブはあっさりと首を縦に振って見せる。
「うん。すぐそこに……」
「ちょっと待って、ラブ!」
 せつなは慌ててラブを制すると、千香の方に向き直った。
「ねぇ、千香ちゃん。さっき、お母さんと一緒におうちに帰ったんじゃなかったの?」
 努めて柔らかく問いかけるせつなに、千香は弱々しい笑顔を浮かべて、コクンと頷く。
「うん。でも……やっぱりシフォンちゃんに、会いたくなって」
「わざわざ、シフォンに?」
 シフォンは、千香にとってはただのぬいぐるみであるはずだ。それを突いたつもりのせつなに、ラブはあろうことか、真面目な顔で耳打ちした。
「あのね、せつな。千香ちゃんは、シフォンのこと、とっても気に入ってたの。病院でもね……」
「ちょっと、ラブ! 今は、そういう話じゃ無いでしょう?」
 半ば呆れながら、せつなは小声でラブをたしなめる。

 ここに居るのが本物の千香なのか、あるいは千香に姿を借りたソレワターセなのか、それはまだ判らない。しかし、ラブは少なくとも、何か決定的な違和感を感じない限り、彼女を本物の千香と思って接したいのだろう。
(あの頃は、それを愚かだと思っていたけれど……)
 苦い記憶がせつなの胸の中に広がったとき、再び千香の声が聞こえてきた。

「わたし、あんまり具合良くないから、シフォンちゃんにも、またいつ会えるかわからないし」
「まだ検査の結果が出たわけじゃないんでしょ? 弱気になっちゃダメだって!」
 俯く千香を、力強く励ますラブ。その様子を見て、祈里もせつなとそっと目を合わせて、小さく溜息をつく。
「うん。シフォンちゃんの顔を見たら、きっと元気が出ると思うんだ」
 千香がそう言いながら立ち上がり、ゆっくりと辺りを見回す。そして、その目がぴたりと、ラブ一人を見つめて止まった。

「ねぇ、ラブおねえちゃん。シフォンちゃんはどこ?」
「千香ちゃん……」
「わたし、どうしても、シフォンちゃんに会いたい」
「ダメよ、ラブ」
 せつなが、ラブの耳元で鋭く囁く。
「千香ちゃん、あのね、そのことなんだけどぉ……」
 祈里が何とか気を引こうと話しかけるが、千香はラブから目を離さない。ラブの方も、じっと千香を見つめたままだ。
「お願い」
「……」
「お願い!ラブおねえちゃん!!」
 ラブの顔が、苦しそうに歪んだ。そのとき。
「お待たせ~。千香ちゃん、ほら見て。前に千香ちゃんがシフォンに会ったときと、同じお洋服よ。ね?」
 物陰からシフォンを抱いて現れたのは、美希だった。

 千香の顔が、パッと輝く。
「ホントだ。美希おねえちゃん、ありがとう! シフォンちゃん、やっと会えた~!」
 そう言って駆け寄ろうとする彼女から、美希がさっと身を引くと、シフォンを連れてテーブルの後ろに回り込む。せつな、祈里、そしてラブが、二人を守るようにその前に立ちはだかった。
「……おねえちゃん?」
「あなた、千香ちゃんじゃないわね。千香ちゃんなら……って言うかまだ誰も、こんな格好のシフォン、見たこと無いはずよ!」
 美希が力強く言い放つ。その腕の中でキョトンとしているシフォンは、真っ赤な服に真っ赤な帽子、どこからどう見ても、サンタクロースの格好だった。
「ありがとう、美希たん」
 ラブは、美希に小さく微笑みかけると、強い眼差しで、目の前の千香――いや、千香の姿をしたモノと向き合った。

「ゴメンね。でも、あなたにシフォンは渡せない!」
 千香の顔から、表情が消える。そしてソレは――ソレワターセの実は、まだ千香の姿をしたままで、ユラリと一歩、ラブに近付いた。二歩、三歩と近付きながら、拳をギュッと握って自分の胸を叩く。
「そんなにこの子が、大切か」
「……え?」
「大事なインフィニティを渡そうかと迷うほど、大切なのか?」
「……千香ちゃんは、シフォンととっても仲良しだったし、それに……」
「それに……何だ」
「心の底から、シフォンに会いたいように見えたから……」
「……心? ふん、他のヤツらは揃って警戒していたぞ。それなのに……お前には、プリキュアだという自覚が無いのか!」
「ラブ、下がって!」

 せつながラブをかばって、前へ出ようとする。だが、ラブはせつなをやんわりと押しとどめると、千香の姿のソレワターセの実の前に立った。
「千香ちゃんだったら、今、凄くシフォンに会いたいだろうと思ったからだよ。千香ちゃん、病院で検査を受けたばっかりで、凄く不安な気持ちで、結果が出るのを待ってるの。だから……」
「そんなこと、お前には関係ないだろうっ!」
 ソレが、叫ぶようにラブの言葉を遮る。
「キュア~~~!!」
 大きな声に驚いたのか、シフォンが急に泣き出した。タルトが慌てて美希からシフォンを受け取り、あやし始める。

「この町の人間どもは、皆そうだ。なぜ自分と関係の無い、他の人間を気にする! なぜ道を歩いているだけで声をかけ、笑顔を向けてくる! 独りぼっちで店を覗いていたこの子の姿を借りても、このザマだ。一体……一体この町の人間は、どうなっているんだ!」
 既に千香のものとは言えない低い声で、堰を切ったように言い募るソレワターセの実。その姿を、ラブはじっと見つめる。
「関係なくなんかない! この町の人たちは、独りじゃないの。みんなで手を取り合って、助け合って、一緒に生きてる。だから、みんなのことが気になるの。みんなで笑い合えるの。みーんな関係なくなんか、ないんだよ!」
「うわぁぁ~!」
 ラブの言葉を聞いて、ソレは突然、頭を抱えてうずくまった。
「笑い合うだと? そうだ。あの笑顔。あの笑い声。あれが私を狂わせるのだ。あの眩しい光景が――明るい声音が――どうして――どうして、こんな!」

「えっ、ちょっと……」
「どうしちゃったの?」
 美希と祈里が、当惑したように顔を見合わせる。
「あなた……もしかして……」
 じっと一部始終を見つめていたせつなが、低い声で呟いたとき、ラブは目の前でうずくまっているモノに駆け寄って、その細い肩を抱いた。

「大丈夫だよ! あなただって、関係なくなんかない。これから友達になろうよ。千香ちゃんのフリじゃない、本当のあなたと」
 驚いたように上げられた顔に、ラブはニコリと笑いかける。まるで魅入られたように、そのモノはラブの笑顔をじっと見つめる。そのとき。

「そこまでだ、ソレワターセ」
 突然聞こえた新しい声に、四人とソレワターセの実は、驚いて辺りを見回した。
 公園の、円形舞台の横に立てられたポールの上に立ち、冷たい微笑を浮かべているのは、ラビリンスの幹部の一人、サウラーだった。

「既にインフィニティを目の前にしているとは、大したものだ。だが、我々の計画の中に、キミは含まれていない。とっととラビリンスに戻るんだな」
 淡々とそう言ってのけるサウラーに、まだ千香の姿のままのソレワターセの実が、怒りに震える。
「あと少しでインフィニティが手に入るんだ。邪魔をするな!」
「そんなに簡単にインフィニティが奪えるのなら、僕たちがとっくに手に入れているよ」
 まだ泣いているシフォンの方をちらりと見てから、サウラーが、ふん、と鼻で笑った。
「うるさい! 私に命令できるのは、ノーザ様だけだっ!」
「そのノーザさんが、逆らうならキミを始末してもいいと言ったんだよ」
「な……何!?」
 ソレワターセの実が、掠れた声で呟く。姿が千香であるだけに、その姿はとても頼りなげに見えた。
「嘘だ……。ノーザ様が、そんなこと……!」
「さぁ、判ったらさっさと元の実に戻って、僕と一緒に来るんだ」

 サウラーがポールから飛び降り、ソレワターセの実に、ゆっくりと近付く。それを見て、千香の身体の震えが止まった。サウラーをぐっと睨みつけ、ギリリ・・・と奥歯を鳴らす。
「お前の命令は、聞かないと言っただろう! こうなったら、何が何でもインフィニティを手に入れてやる。それ以外に、ノーザ様に認めて頂くすべは無いっ!」
「お願い、やめて!」

 ソレワターセの実に取り縋ろうとするラブを、せつなが羽交い絞めにして、テーブルの後ろに下がる。
 千香の姿の、ちょうど首の後ろ辺りから、怪しい緑色の光が放たれ、千香の全身を包む。両足を、両腕を、そして一切の表情を無くした顔を、暗緑色の蔓が絡め取り、覆い隠す。
 やがて、それが高速で天に向かって伸びたかと思うと、胴体にパックリと裂け目が開き、中から赤いひとつ目が覗いた。
「ソレワターセ!!」
 それは、今まで見たものよりも小さめではあるものの、まごうことなきソレワターセの姿だった。

 ラブが、ギュッとリンクルンを握りしめる。
「みんな、行くよっ!」
「オーケー!」
「うんっ!」
「わかった!」

「チェインジ! プリキュア!ビートアーップ!!」

 桃色、青色、黄色、赤色。
 小春日和の四つ葉町公園に、まばゆい四色の光の柱が立ち上る。一瞬の後、そこに現れたのは、華麗な姿の四人の戦士。

「ピンクのハートは愛ある印! もぎたてフレッシュ、キュアピーチ!」
「ブルーのハートは希望の印! つみたてフレッシュ、キュアベリー!」
「イエローハートは祈りの印! とれたてフレッシュ、キュアパイン!」
「真っ赤なハートは幸せの証! うれたてフレッシュ、キュアパッション!」

「Let’s プリキュア!」

「シフォン、こっちや!」
 タルトが、まだ泣いているシフォンの腕を掴んで、林の奥に逃げ込む。
「ソ~レワタ~セ~!」
 二人を狙って、一直線に伸びる触手。
「ダブル・プリキュア・パーンチ!!」
 ピーチとパッションの拳が、それを撥ね上げる。
「ねぇ、お願い。シフォンはあたしたちにとって、大切な友達なの。奪うなんて言わないで!」
「ソレワターセ!」

「ダブル・プリキュア・キーック!!」
 ベリーとパインの蹴りが、上空から炸裂する。
「無理よ、ピーチ。話し合いが通じる相手じゃないわ!」
 ベリーが華麗に宙返りを決めて着地する。
「せめて、会話が出来ればいいんだけど」
 パインが注意深く、ソレワターセの動きを目で追う。
 もんどりうって転がったソレワターセ。が、すぐさま跳ね起き、ドーナツ・カフェのテーブルに、シュルシュルと触手を巻きつける。吸収して、力にしようというのだろう。

「そうはさせない!」
 走るパッション。が、頭の上から突然何かが覆い被さって来て、慌てて跳び退った。
 ガシャンとテーブルが倒れる音。その後から、地響きを立てて倒れたのは、さっき跳ね起きたはずのソレワターセだ。その上に、涼しい顔で仁王立ちしているのは……。

「サウラー! どうしてあなたが……!」
「やれやれ、困ったヤツだ。キミがプリキュアに倒されるのは勝手だが、我々の邪魔をされては困るんでね」
 サウラーは、パッションを無視して、ソレワターセに鋭い視線を送る。
「我々の、邪魔って……?」
「ソ……レワタ……セ……!」
 パッションの言葉をかき消すように、ソレワターセが呻き声を上げる。再びテーブルに伸びる、暗緑色の触手。それを軽く拳で払って、サウラーは再びソレワターセに蹴りを放った。

「さぁ、とどめを刺されたくなければ、大人しく一緒に来るんだ」
 サウラーが木の幹に右手を翳すと、そこに次元の扉が現れる。だが、ソレワターセはそのまま後ずさると、大きく迂回して、再びシフォンを追おうとした。
「聞き分けのないヤツだ。ならば、仕方が無い」
 上空高く飛び上がるサウラー。一蹴りで、仰向けに倒れるソレワターセ。その赤いひとつ目に迫る、サウラーの突き――。

「とどめだ!」
「やめて~!!」
 ピーチが思わず叫ぶ。

――ゴン!

 その声に答えたのは、何か固くて重いものがぶつかったような音と、ドサリと誰かが倒れる音。
「……へ?」
「あ、悪い悪い! テーブルが倒れてたからさぁ。直そうと思ったら、代わりにこっちのおにいちゃん、倒しちゃった」
 うつ伏せに倒れているサウラーの隣りで、丸テーブルを両手で抱え、グハッ!と天に向かって大口を開けているのは、ドーナツ・カフェの主、カオルちゃんだった。
 どうやら倒れたテーブルの陰に身を隠していたらしいのだが……常人ならいざ知らず、サウラーやプリキュアにすら気配を感じさせないのは、やはり只者ではない。
「カオルちゃん! いつ戻って……むぐぐ……」
 思わず叫んだピーチの口を、ベリーが慌てて塞ぐ。
「ん? 割とさっき。そんなことより、プリキュア。おじさんには、今が絶好のチャンスに見えるんだけど?」

 カオルちゃんの言葉に、ピーチの顔が再び、苦しげに歪む。ここでグランド・フィナーレを発動すれば、サウラーはともかく、ソレワターセを倒すことは出来るだろう。でも……。
 そのとき、ピーチの肩が、ポンと優しく叩かれた。
「ピーチ、お願い。私にやらせてほしいの」
「パッション……」
 パッションは穏やかな眼差しで、ピーチに頷いて見せる。そんなパッションの顔を、ベリーが心配そうに覗き込んだ。
「でも、どうするつもり?」
「さっきパインが言ってたでしょ? せめて会話が出来れば、って。だから、あいつと話してみる」
「あいつって、ソレワターセと?」
 パインが驚きに目を見開く。
「ええ。だからみんなは、サウラーをお願い。このままだと、きっと邪魔されるから」
「わかった!」

「ん……。何がどうなったんだ?」
 ようやく立ち上がったサウラーの前に、ベリーが立ちはだかって、不敵に笑う。
「ふん、ラビリンスの幹部が、聞いて呆れるわ。よくあんな無様な倒れ方が出来たものね」
「貴様……いい度胸じゃないか。今日はキミたちとのお遊びは止めておこうと思ったが、どうしても痛い目に遭いたいらしいね」
「オーッホッホッホ。痛い目に遭うのは、どっちかしら?」
「なんだと!」
 ベリーがさっと上空に飛び上がると、石造りのステージの上に着地する。サウラーも負けじと、その後を追った。
「ベリーったら……。何もあそこまで、露骨に挑発しなくてもいいのに……」
 パインは、ハァ~っと溜息をつくと、ベリーとパッションのちょうど中間辺りで、両方の様子を窺うことにした。

 サウラーが居なくなったのを見届けて、パッションはソレワターセの前に躍り出る。そのリンクルンから、無邪気な笑顔をたたえた相棒・アカルンが飛び出して、くるくると踊るように秘密の鍵へと姿を変えた。
 その鍵でリンクルンを開き、ホイールを回す。
 光とともに現れるアイテム。胸の四つ葉から取り出した、最後にして要のピース、赤いハートを先端部に取り付ける。

「歌え! 幸せのラプソディ。パッション・ハープ!」

 目を閉じて四本の弦を弾き、その豊かな音色に耳を傾ける。

「吹き荒れよ! 幸せの嵐!」

 高く掲げられたハープの周りに、真っ白な羽が出現する。

「プリキュア・ハピネス・ハリケーン!」

 ハープを手に、パッションが回転する。疾(はや)く、鋭く、美しく。巻き起こす赤い旋風に、その心を、その想いを乗せて。
 白い羽と赤いハートの光弾が、旋風に乗って舞い踊る。やがて大きなハートのエネルギー弾がソレワターセを包み込んだとき、パッションは、あたたかな赤い光に彩られた世界で、ソレワターセと二人だけで向かい合っていた。

 ☆

――私を倒すのか。

 ソレワターセの心が、パッションの心に流れ込んでくる。

「倒すんじゃない。浄化するのよ」

――同じことだ。私はインフィニティを奪うために、ノーザ様に作られた存在。浄化された後に残るものなど、ありはしない。

「そうかもしれない。でも、それなら私だって、似たようなものよ」

――お前はラビリンスの幹部、イースだったな。なぜ、裏切った。

「幸せって何なのか、考えさせてくれる人が居たから」

――幸せ? ふん。不幸の塊のような私には、縁のない話だ。

「いいえ、あなたは感じたはずよ。この町の人々の中にある、幸せの姿を。笑顔のあたたかさを。その仲間に入りたいと、思ったんでしょう?」

 ラブと向かい合ったときの、ソレワターセの叫びが耳に蘇った。あの叫びは、まさにあの頃のイースの心の叫び、そのものだったのだ。

――何を愚かな。お前だって、心の中では思っているんだろう?
この町で不幸を集めていた自分が、幸せになっていいものかと。この町の人間たちの、本当の仲間になれるものかと。

「それは……」

――ましてや、不幸のエネルギーで作られている私など、言うまでもないことだ。

 パッションの顔が下を向く。が、ふいに右手をあたたかな手で掴まれたのを感じて、顔を上げた。

「それは違うよ」

 赤色の世界に、より明るい、桃色の光が加わる。
 パッションの手を握り締めたまま、そう言ってじっとソレワターセを見つめているのは、ピーチ・ロッドを高く掲げた、キュアピーチだった。

「せつなはもう、独りじゃない。あなたにだって、もうあたしたちが居るんだよ? あなただって、みんなで笑い合える、仲間の一人なんだよ」

 ピーチはそう言って、ちらりとパッションに目をやってから、ソレワターセにニッコリと笑って見せた。

――仲間、か……。私は元々、お前たちのような人間ではない。だから、仲間に入りたいなどとは思わない。ただ……。

 そう言って、ソレワターセは少しの間、沈黙する。

――お前の笑顔も一緒だ。楽しそうで、明るくて、あたたかい。
あの町の人間たちの笑顔を、ずっと眺めていたい。あの楽しそうな笑い声を、ずっと聞いていたい。なぜそんな風に思ってしまうのか、判らないが……。

「それが、あなたの幸せなのね」
「あなたは、植物さんだもんね。みんなを見守っていたいっていう気持ちは、もしかしたら、木や草が感じている、幸せなのかも」

 明るく澄んだ青色と、穏やかであたたかな黄色が、さらに世界を彩る。
 まさに剣のようにベリー・ソードを構えるキュアベリーと、大事そうにパイン・フルートを抱きしめるキュアパインが、ソレワターセと向かい合った。

――私の、幸せか……。そんなこと、考えたことが無かったな。

 ソレワターセの赤いひとつ目が、穏やかな緑色に変わる。そして四人に見守られながら、その目が静かに閉じられた。

 ☆

 四つのハート型のエネルギー弾が、ゆっくりとその光を失う。いつもの、パン!パン!パン!という弾けるような音は聞こえぬまま、ソレワターセの姿は消え失せていた。
「ふん。結局プリキュアに倒されたか。余計な手間を!」
 ベリーがベリー・ソードを取り出した時点で離脱していたサウラーは、そう言って、次元の扉の向こうへと消えた。
「みんな~。無事やったかぁ?」
 シフォンを背負ったタルトが駆けて来る。キョトンとおぶわれているシフォンは、まだ涙の滴を目の端に残したままだ。
「あ……」
 パッションが、ソレワターセが消えた場所に何かを見つけて、拾い上げる。その顔が、何だか泣き笑いのような笑顔になった。
「せちゅな~!」
 シフォンは、ふわりとタルトの背中から浮かび上がると、そんなパッションの腕の中へ、笑顔で飛び込んでいった。


 ☆


 その翌日。
「間違いないわ。これは、ヒイラギの実よ」
 掌の上の小さな実を、慎重に眺めていた花屋のおねえさんが、顔を上げる。
「ヒイラギかぁ。節分のとき、メザシを突き刺す木だよね~」
 カオルちゃんがそう言うのを聞いて、おねえさんはクスリと笑った。
「それもそうだけど……でも、カオルちゃん。今の時期なら、クリスマスの飾りに使う木、って言った方が、ぴったりじゃない?」
「あ、それもそっか。グハッ!」
 相変わらずの能天気な雄叫びに、クローバーの四人も笑顔になる。

 カオルちゃんの手の中にあるのは、昨日のソレワターセの実。いや、正確に言うと、ソレワターセが浄化された後、地面にコロンと転がっていた、木の実だった。
 何の実か判らないその実を、カオルちゃんが育ててみたいと言い出したのだ。
「ドーナツ・カフェに置いておけば、いつでも水がやれるしさ。少し育てば飾りにもなるし、お客さんが一人も来ないときの、いい話相手にもなるし。あ、ひょっとしたら、店番だってしてくれるかもよ?」
 ただ、いくら能天気なカオルちゃんでも、何の実だか全く判らないのでは、育てるのは難しい。そこで、せめて「似ている実」だけでも教えてもらおうと、植物に詳しい花屋のおねえさんに、聞いてみることにしたのだった。
 ヒイラギの木は、ちゃんと育てばかなり大きな木になるらしい。もしもとてつもなく大きくなったら、役場に言って、公園に植えてもらえるように頼んでみると、カオルちゃんは言った。
 人々の笑顔を眺め、笑い声を聞いていたいと言っていた実だ。公園に植えられたら、さぞかし喜ぶだろう。

「じゃあ、また後でね」
 ラブとせつながそう言って、美希と祈里に手を振る。今日も午後からダンス・レッスンがあるのだが、その前に、二人には、大事な用事があった。これから由美と待ち合わせて、千香ちゃんのお見舞いに行くのだ。美希と祈里も一緒に、という話も出たのだが、あまり大人数では迷惑だろうと、今回は、二人は遠慮していた。

 昨日、変身を解いてホッとしたところへ、由美が息せき切って現れた。そこで四人は初めて、四つ葉町でドッペルゲンガー騒ぎが起こっていることを知ったのだ。
 では、どうしてマスコミや野次馬が、四つ葉町公園に一人も現れなかったのか?
 由美の話では、どうやら公園の入り口で、説得力のある絶妙のトークで人々を説き伏せた、マスコミ関係者が居たらしい。
「ほら、お昼の番組の……ペットスクープ、だっけ?あれの局長をやってる、アニマル吉田って人。その人が、公園でプリキュアが戦ってるのを見たんだって! 危ないし、邪魔になるから絶対に入っちゃダメだって、みんなの前に立ち塞がって、一人も中に入れなかったの。
小さいおじさんだけど、なんかカッコ良かったなぁ。でも、ガセネタだったんだね。だってラブたち、プリキュアもドッペルゲンガーも、見てないんでしょ?」
 そう少し興奮気味に話す由美の言葉に、四人は顔を見合わせて、由美に気付かれないように、ニコリと笑い合った。

「ねえ、ラブ」
 花屋のおねえさんが、お見舞い用の可愛らしい花束を包んでくれるのを見ながら、せつなは隣りの親友に目をやる。
「昨日の話だけど……サンタさんって、きっとサンタクロースを信じない子供にも、プレゼントをくれるのね。その子がいつか、サンタさんを信じられる日が来るように」

 昨日、商店街を歩きながら、ラブに言いかけた言葉を思い出す。

――もしも小さい頃に、サンタさんの伝説があるような世界に居たとしても、私はプレゼントは貰えなかったわ。

 悪い子だから。あの頃信じていたものは、メビウス様のお役に立つこと、ただそれだけだったから。あの頃、サンタクロースの話なんて聞かされても、下らない、と鼻で笑っていただろう。
 でも、不幸のエネルギーで作られたソレワターセの実だって、この町の幸せに触れて、笑顔に触れて、何かを呼び覚まされた。
 ちょうど、イースがラブと出会って、幸せって何なのか、考えるようになったように。ラブのことを、羨ましいと思ったように。
 それが、本来の実が持っているべき、幸せの形だったのなら――それに向かって、あの実が芽吹こうとしているのなら――。
 ラブと出会って、ラブを羨ましいと思ったイースの想いもまた、イースが――私が本来持っていた、幸せの形なのかもしれない。
 必死で「馬鹿馬鹿しい」と思い込み、「愚かだ」と切り捨てようとしていた、ラブの明るさ、あたたかさ。それを、もしかしたら自分もこれから、芽吹かせていけるのかもしれない。
 せつなはそう思いながら、ラブの顔を見つめて、照れ臭そうに笑った。

「うんっ! 絶対にそうだよ。」
 ラブがニコリと笑って、力強く頷く。ちょうどそこへ、おねえさんが花束を抱えてやって来た。
「はい、お待たせ。お見舞い用だけど、クリスマス・カラーでまとめてみたわ。千香ちゃんがリースを作るときの、参考になるかもしれないから」
「ありがとう!」
 金のリボンで結ばれた、赤を基調とした花束を、せつなは大事そうに胸に抱く。そして、そっと顔を出したヒイラギの葉を、愛おしそうに、指でちょんとつついた。

「東さーん! ラブー!」
 商店街の向こうで、由美が手を振っている。せつなはラブとそっと笑みを交わすと、もう一度しっかりと花束を抱えて、商店街を駆け出した。

~完~
最終更新:2013年02月16日 23:05