The Last Nut(中編)/一六◆6/pMjwqUTk




「あらぁ?」
 部屋の奥から姿を現したノーザは、そこにある植木を見て、首を傾げた。
「サウラー君。この木にもうひとつ、小さなソレワターセの実が残っていたはずなんだけど、あなた知らないかしら?」
「いいえ、僕は見ていませんが」
 ちょうどソファに座って本を開いたところだったサウラーが、本のページから目を離さずに、山となった角砂糖の隙間から紅茶をひと口啜る。
「そう。おかしいわね……」

 ノーザは右の掌を、問題の実がついていた枝の先端に翳した。そして、少し驚いたような表情をしてから、今度は楽しそうにほくそ笑んだ。
「あら。あの子ったら、あの町に行ったのね? 仕事熱心なのは結構だけど、命令も無しに自分で考えるのは感心しないわぁ」
「ソレワターセの実が、自分で? それで、あの町というのは四つ葉町のことですか?」
 サウラーが初めて顔を上げる。ノーザは、そうよ、と頷いて、サウラーの方に向き直った。
「どうやらあの子一人で、インフィニティを手に入れるつもりのようねぇ。悪いけど、ちょっと行って来てくれる?」
「わかりました。プリキュアに倒される前に、持ち帰ればいいんですね?」
 そう言ってソファから立ち上がるサウラーに、ノーザは含み笑いを返す。
「ウフフフ……。ただ倒されるだけなら、別に構わないわ」
「何ですって?」

 驚くサウラーから目を離し、ノーザは机の上に置かれた広口瓶の中を覗きこんだ。何だか愛おしそうにも見える眼差しで、黒々とした葉の下にある、小さな光を見つめる。
「万にひとつ、あの子のせいで、インフィニティがまたあの光を発するようなことがあったら……そうしたら、せっかくの計画が台無しになる。まぁあんなおチビさんに、そこまでの仕事が出来るとは思えないけど」
「それで、僕に何をしろと?」
「そうなる前に、始末なさい。心配の種は、どんな小さなものであっても、取り除いておくべきよ」
 サウラーが再び驚きに目を見開く中、甲高いノーザの哄笑が、薄暗い部屋の中に響き渡った。



   The Last Nut(中編)



 その実は、まるで突き動かされるように、クローバータウン・ストリートまでやって来た。

(インフィニティ――絶対に手に入れてみせる。ノーザ様のために!)

 暗く静まり返ったノーザの部屋とは違う、あまりにも明るくて、きらびやかで、ガヤガヤと騒がしい異世界。その様子に驚きながらも、考えるのはただひたすらに、インフィニティのこと。
 ソレワターセの素体は植物だが、実の段階から、強い欲求を植え付けられている。それは、主人であるノーザの求めるものを、手に入れたいという欲求。ソレワターセの名が示す通り、どこまでも獲物を追い続ける、旺盛な獲得欲だ。そしてそのためなら、力任せのがむしゃらな攻撃も、敵の懐に入り込むような知的な攻撃も、どちらもやってのけるだけの力を兼ね備えてもいた。
 さらに、親木が持っている情報は、そのまま実にも引き継がれるという特徴も持っている。だからその実は、インフィニティについてもプリキュアについても、ある程度のことは知っていた。

(インフィニティを手に入れるためには、まずヤツの居所を突き止めなくては――)

 小さな姿の利点を生かし、誰にも気付かれずに賑やかな通りまでやってきて、そのまま道の片隅に身を潜める。が、小さな姿の難点として、やみくもに探し回るには、四つ葉町と呼ばれるこの町は、あまりにも広すぎた。
 ある店の前まで転がってきて、動きを止める。そこは、店先にたくさんの植物が並べられている店だった。ノーザの部屋にあったものと似た植物も店の隅に置かれているが、多くは見たことが無いような、色鮮やかな花や葉を持った植物たちだ。
 その店先の、女性の後ろ姿が映っているガラス窓に、その実はポンと飛び込んだ。そして、折よくかかってきた電話を取ろうと女性が店の奥に駆け込んだ隙に、その女性の姿となって、窓の中から抜け出した。

 ソレワターセの実が得意とする、映像からその姿を借りる技。何より人間の姿になれば、言葉を発することができる。この町の人間の姿に成り済ませば、インフィニティの居場所を尋ねるにも好都合だ。
 誰か情報を持った人間が通りかからないかと、まずは通りに出てみる。するといきなり、目の前にトレイに載った何かが突き出された。

 目の前に立っていたのは、白い服に白い帽子をかぶった一人の男。どうやら向かいの店の主人らしい。トレイに載っているのは、人間の食べ物のようだ。
「昨日の改良版を作ってみたんだよ。キミのアドバイスを参考に、もっと表面をカリカリに焼いて、クリームと粉砂糖を多めにしてね。どうぞ、試食してみて!」
「あ……ええ。」
 勢いに押されて、トレイの上のものを手に取ってみる。白と茶色に彩られ、小さな木のような可愛らしい形をしたそれは、持ってみるとほんのりと熱を持っていて、香ばしい匂いを漂わせていた。
「どうかしたの? 食べて感想聞かせてよ! クリスマスまでに、みんなに喜んでもらえる新作、作りたいんだ」
 そう言われて、手に持ったものを齧ってみる。その途端、親木も知らない不思議な感覚に襲われて、その実――彼女は絶句した。

 人間の姿を写し取れば、その間だけは人間の感覚を享受できる。もっとも、目的を達成するための手段として、姿を借りているだけのソレワターセの実だ。人間の感覚なんて、潜入のための単なる道具に過ぎない。
 それなのに――その人間の感覚に、自分が揺り動かされているような気がする。こんな小さな食べ物に、五感の全てが刺激されているのだ。
 この食べ物が発しているものは、一体何なのだろう。視覚も嗅覚も触覚も、当然ながら味覚も、そして聴覚さえも、得も言われぬ「あたたかさ」を感じ取る。
 一口齧ると、サクッという軽やかな音が耳をくすぐり、軽やかな食感と、口の中に広がる優しい甘さを感じる。この心地良さは、一体何なのか。

「……美味しい」
 思わず呟いた彼女の一言に、少し不安そうな顔でこちらを見ていた男の顔が、パッと輝いた。
「良かった! キミのお陰で、今年もクリスマスの新作が出来たよ。ありがとう! 商品名は“ホワイト・ツリー・デニッシュ”、これで決まりだな」
 男は弾んだ声でお礼を言って、パチリと片目をつぶる。そして、思わずまじまじとその顔を見つめていた彼女が、何も言えずにいるうちに、満足げな顔で、自分の店の中に引っ込んでしまった。

(――何だ、これは……)

 戸惑いと、わけのわからぬ苛立たしさを覚える。あろうことか、人間の食べ物に翻弄されて、情報を得る絶好の機会を失ってしまったのだ。
 仕方なく、次の人間を探そうと顔を上げたとき、目の前で人間の乗り物――バイクが止まった。
「や、やぁ! どうしたんだ? こんなところでボーっとして」
 白いヘルメットに、黒っぽいジャンパー姿。少し頬を赤くした若い男が、何故か少し声を詰まらせながら、親しげに話しかけてきた。

「こんにちは。あの……桃園さん家のお嬢さんのことなんですけど……」
 今度はスムーズに言葉が出た。まずはそう言って、相手の反応を窺う。すると、男は何だかいぶかしげに、首を傾げた。
 どうやらこの男は、情報を持っていないようだ。そう判断しかけたところへ、少し笑いを含んだ、不思議そうな声が返ってきた。
「え……ラブちゃんとせつなちゃんのことだろ? どうしたんだよぉ、そんな他人行儀な言い方して」
 なんだ知っているのか、と少々拍子抜けしてしまう。それに今の話だと、姿を借りたあの女も彼女たちを知っているのだろう。ならば好都合だ。
 心の中でほくそ笑みながら、さりげなくその場を取り繕う。
「あ……そうなの、あの二人のこと。今、どこにいるのかしら」
「ああ、ラブちゃんたちなら、今日も公園じゃないか?」
 男はそれ以上不思議がることもなく、また人の良さそうな笑顔に戻った。
「公園って?」
「そりゃ勿論、四つ葉町公園だよ。ダンスの練習さ。ほら、この前言ってたダンス大会の本番が、もう近いだろ?」
 四つ葉町公園なら、親木が持っていた情報で場所はわかる。
 これでもうこの男には用は無いと踵を返したとき、背後からかけられた声に、思わず足が止まった。

「ダンス大会、見に行くの楽しみだなぁ。一緒にラブちゃんたちを、精一杯応援してやろうよ。なっ?」
「……応援?」
「ああ。一緒に見に行くだろ? ダンス大会」
 見に行く――何故だかその言葉に惹かれた。そんな自分に戸惑いを覚え、再び苛立たしさが胸の中に湧き起こる。

(見に行っただけで、何か変わるとでも言うのか。人のことを、何故そんなに嬉しそうに……)

「残念だけど、私は応援には行かないわ。そんな理由、無いもの」
 気付いたら、男に向かって冷徹にそう言い放っていた。
「えっ!?」
 男が信じられないといった顔で彼女を凝視する。
「だ、だってこの前、一緒に見に行こうって約束……」
「だから、あなたと一緒に見に行く理由なんて無いわ」
 呆然と立ち尽くす男を置き去りにして、彼女は公園のある方向に向かって走り出した。

「やぁ、お蕎麦屋さん。どうしたんだい? そんなに萎れて。ほら、新作のパン、試食していかないかい?」
 さっきトレイを手に近付いて来た男の声が聞こえる。知ったことか、と足を速めようとしたとき、後ろがにわかに騒がしくなった。どうやら成り済ました女性の本物の方が、店の奥から出て来たらしい。

(全く……。この世界の人間は、何故そうまで他の人間のことを気にするのか!)

 インフィニティを見つけるまでは、正体をばらすわけにはいかない。
 彼女――その実は路地に飛び込んで、元の姿に戻る。そして再びガラス窓の中に、身を隠した。

 ☆

――ウー……。ワン! ワン!
 不意に、犬の鳴き声が聞こえた。一匹の大きな犬が、路地に走り込んでくる。
「ラッキー、どうしたの?」
 続いて心配そうな声がして、人間の男の子がやって来た。
 犬は、嗅覚と聴覚、それに勘が、人間より遥かに優っている。おそらく何か不穏な気配を感じたのだろう。
 だが、ガラスの中に逃げ込んだことで、その気配を絶つことに成功したようだった。警戒心を露わに唸り声をあげていた犬が、緊張を解いてだらりと舌を出す。それを見て、男の子も安心したように、犬を連れて路地から出て行った。
 次の瞬間、窓ガラスの中からするりと地面に降り立ったのは、さっきの犬と寸分たがわぬ、一匹の犬だった。

(しゃべることはできないが、この方がスピードは出せる)

 既に目的地は定まっているのだから、これ以上しゃべる必要はない。全速力で路地を反対方向に抜け出し、家々の隙間を縫って、再びさっきの通りに出る。これでさっきの犬と少年とは、少しは距離が離れただろう。
 逞しい四肢をいっぱいに伸ばし、懸命に通りを駆ける。だが、今度その行く手を阻んだのは、可愛らしい少女の声と、一体の妖精だった。
「ちょっと待って、ラッキー! あなたひとり? タケシ君はどうしたの?」
 後ろからそう声がかけられるのと同時に、猫のような顔をした小さな黄色い妖精が、頭上をくるくると回り始めたのだ。

(ラッキー? そう言えば、さっきの子供がこの犬のことをそう呼んでいたな。まさかこの世界の人間は、自分の物でもない動物の個体まで見分けて、気に掛けるのか!)

 苛立たしげに立ち止まり、飛び回る妖精を睨みつける。
 その実――彼は、それがプリキュアの妖精だとは知らなかった。そして、その妖精の能力についても何も知らなかった。
 ただ単に、これ以上ついて来させないために、唸り声で威嚇する。その声には、さっきから感じている苛立ちが込められた。
 妖精が慌てて逃げる。どうやら威嚇は成功したようだと思ったのもつかの間、妖精が逃げ帰った先に目をやって、彼は絶句した。

 そこに立っている少女の顔は、見覚えのあるものだった。ノーザの部屋にあった写真の中の顔――プリキュアの一人、キュアパインの変身前の姿だ。
 だが、親木の持つ情報によれば、彼女はインフィニティと一緒に住んでいるわけではない。それに見たところ、今もインフィニティは近くには居ないようだ。

(やはり、インフィニティと一緒にいる確率の高い、キュアピーチとキュアパッションを探すしかないか……)

 そう思ったとき、犬の鋭い聴覚が、人間の子供と他の犬の足音を捉えた。
「あ、祈里おねえちゃーん!」
 無邪気な子供の声と、親愛の情を示す犬の鳴き声。それを苦々しく後ろに聞きながら、彼は風のようにその場から駆け去った。

(とにかく四つ葉町公園へ行こう。そこでインフィニティを手に入れれば、もう姿など気にせずとも済む。忌々しいこの世界ともおさらばだ)

 だが、辿り着いた公園には、目当ての二人の姿も、そしてインフィニティの姿もなかった。代わりに黒い眼鏡をかけた男が、大きな車の中で作業をしながら、何やら楽しそうに鼻歌を歌っている。
「あっれぇ~、ラッキーじゃねえの? お前さん一人? 少年は?」
 その男が、車の中からやけに大きな声で明るく呼びかけてきた。それを聞いて、彼は身を翻し、元来た道を戻り始める。
「何だか……背中が寂しいねぇ」
 そうボソリと呟いた男の声は、もう彼――その実には、届いてはいなかった。

 ☆

 この日、四つ葉町では、不思議な現象が後を絶たなかった。
 ある子供は、転んで膝を擦りむいたところを、自転車で警邏中のお巡りさんに助け起こされた。ありがとう、と言ってお巡りさんと別れ、角を曲がると、今さっき別れたはずのお巡りさんが交番の前に立っている。びっくりして声をかけると、彼は交番の中に駆け込んで、それっきり姿が見えなくなってしまった。
 ある女性はスーパーに行く途中で、当のスーパーからの帰りだという近所の主婦に会い、しばらく立ち話をした。彼女と別れてスーパーに行くと、さっき別れたはずの主婦が、店の中をうろうろしている。不思議に思って声をかけようとしたが、どこに行ったのか、すぐにその姿を見失ってしまった。

 同じような話が、四つ葉町のそこかしこで囁かれた。

――ひょっとして、四つ葉町に大量のドッペルゲンガーが現れたのか!?

 誰かがそんなことを言い出す。ドッペルゲンガーとは、いわゆる分身のこと。古来、若干の目撃情報はあるものの、こんなに一時にたくさんの目撃情報が集まることは珍しい。
 早速四つ葉テレビが、取材班を仕立てて商店街に繰り出す。「週刊・四つ葉」の記者も、目撃情報の取材を試みる。

 ラブたちが四つ葉町公園に集まったのは、カオルちゃんがラッキーを目撃してから、三十分ほど経った頃。このとき、そんな騒ぎが起こっていることなど、彼女たちは少しも知らなかった。

 ☆

(全く……。ラビリンスであれば、誰がどこに居るかなど、ノーザ様のお力でいつでも把握できるものを)

 その実は、次から次へと姿を変えながら、インフィニティの情報を得ようと躍起になっていた。二人のプリキュアが公園に居るかもしれないという情報以外、目新しい情報はなかなか得られなかったのだ。
 別に、そうしたくて姿を次々に変えているわけではない。この町では、どんな人間に姿を変えても、必ず誰かの目を引いてしまうのだ。
 誰もが皆、周りの人間に何らかの興味を示し、何かしら交流を持とうとする。誰にも興味を持たれずに人間の姿で居続けるのは、どうやらこの町では至難の業のようだった。
 そしてガラス窓や鏡に映った姿を借りる以上、どうしても本物が近くに居ることになる。以前ノーザがやったように、姿を借りた本人をどこかに閉じ込めることでも出来れば話は別だが、小さな実には、そんな力は無かった。だから、正体をばらさずに情報を求め続けようと思ったら、次から次へと姿を変えるしかなかったのだ。
 そして、姿を変えてみたものの、誰にも何も訊けぬまま、また違う姿にならなければならないことも、しばしばだった。

 花屋の若い女性、犬のラッキー、本屋で立ち読みしていた高校生、お巡りさん、カフェで談笑していた若い女性、そのカフェのウェイター、そのカフェの前を通りかかった初老の男性、スーパーに買い物に来ていた主婦……。
 誰もが誰かに挨拶され、あるいは笑いかけられ、あるいは声をかけられ……。
 そうしているうちに、この町に来てからずっと感じていた苛立ちが、次第に大きくなっていくのを感じる。

 この町の人間どもは、絶対者を持たず、ただ浅はかな考えで日々を過ごすだけの、野蛮人であるはずだった。
 一人では何も出来ない者同士が寄り集まって、下らないことに夢中になり、つまらないことにはしゃぎ、能天気に笑っているだけの町であるはずだった。
 それなのに……。
 ともすれば任務を忘れて、その笑顔を眺めていたくなる。
 この町の明るすぎる空の下で、空にも負けない馬鹿みたいな笑い声を、ずっと聞いていたくなる。

(どうして――)

 それが、大地に根を生やし、日の光をいっぱいに受けて成長し、その枝の下に憩う者たちを見守る、植物本来の欲求であることを、その実は知らなかった。
 ただ、そんなことを思う自分に苛立ち、そしてそんなことを思わせるこの町の人間どもに苛立ち……。

(インフィニティ――絶対に――絶対に手に入れてみせる! ノーザ様のために!!)

 ただその想いを奮い立たせて、その実は町を彷徨った。

 ☆

 千香は、ショウウィンドウを覗き込んで、溜息をついていた。
 ラブたちと別れて家に帰ったものの、自分の部屋にいると、どうしても良くないことばかり考えてしまう。そこで、ちょっとだけ……と自分に言い聞かせ、お母さんに黙って、家を抜け出して来たのだ。
 ウィンドウに飾られているのは、最新型のスノーボードと、子供用のウエアだ。そのカラフルな色合いを眺めながら、千香はまた、今日何度目かの溜息をついた。

(いいなぁ。わたしもこんなの着て、雪の上を滑ってみたいなぁ)

 千香は胸に手を当てて、心臓の鼓動を確かめる。今はもう治まったが、ここまで辿り着いたときは、やっぱり少し胸が苦しかった。

(お医者様は大したことないって言ってたし……きっと大丈夫)

 やっぱり今日何度目か、そう自分に言い聞かせたとき。
「何を見てるの?」
 すぐ後ろから、優しそうな声が聞こえた。

 振り返ると、いつの間にか一人の少女が千香の後ろに立っていた。シャギーの入った真っ黒な髪に、少しだけ垂れ下がった優しげな目元。
「さっきから見てたけど、あなた、ずっと一人でここに居るのね」
 そう言ってニコリと笑うその顔に、千香は見覚えがあった。
「あ! おねえちゃん、ラブおねえちゃんとせつなおねえちゃんの、お友達だよね?」
 確か学校の帰りに、ラブとせつな、それにこの少女の三人が連れ立って歩いているところを、何度か見かけたことがある。
 それを聞いて、少女の目が一瞬だけ、キラリと光った。しかし、それに千香が気付く間もなく、また元の優しそうな表情に戻る。

「おねえちゃん、お名前は?」
「由美よ。ねえ、そう言えば今日、ラブちゃんとせつなちゃんに会った? ちょっと探しているんだけど」
 由美と名乗った少女は、そう言ってまた、ニコリと笑う。
「うん、会ったよ。お花屋さんに、ポインセチアを買いに行くって言ってた」
「そう! それで? その後どこに行くか、言ってなかったっ?」
 千香の言葉に、少女は突然、勢いよくそう詰め寄って来た。そのあまりの迫力に、千香の心臓が、ビクンと跳ねる。
「う、うん……。午後からは、いつものダンスの練習って、言ってたけど」
「場所は!? いつもの、ってことは、四つ葉町公園よねっ?」
 少女がさらに、千香に詰め寄る。千香は、急にドキドキと早鐘を打ち始めた胸を押さえて、コクリと小さく頷いた。

 少女の口調が、そして声までもが、ガラリと変わる。
「フフフ……ついに見つけた。この姿よりお前の姿の方が、ヤツらを油断させられるかもしれないな」
「え……」
 千香の目の前で、少女がまるでカーテンでもくぐるように、すっとショウウィンドウのガラスの中に入り込む。そして、ガラスに映った千香の驚きの表情が、ニヤリとふてぶてしい笑みに変わったかと思うと、もう一人の千香が、その場に現れた。

「お前には礼を言うよ。教えてくれて、ありがとう」
「ま……待って……!」
 本物の千香が、苦しげに地面に膝をつく。もう一人の千香は、それを見て再びニヤリと笑うと、軽快な足取りで、通りを駆けて行った。

 程なくして、スポーツ用品店の自動ドアが開く。
「え? ちょっとあなた、どうしたの!? 大丈夫?」
 店から出てきた少女が、地面にうずくまっている千香に気付いて、慌てて駆け寄る。
 それは、さっき千香の目の前に居た少女――四つ葉中学校で、ラブとせつなのクラスメイトである、由美その人だった。

~中編・終~



最終更新:2013年02月16日 23:04