錦繍/一六◆6/pMjwqUTk




(モミジ狩りって、モミジの葉っぱを集めるって意味じゃないのね)

 ラブとあゆみに付いて細い坂道を上りながら、せつなは心の中で呟いた。
 家族でキノコ狩りに行ったの、とクラスメイトの由美が話していたのは、先週のこと。獲物が動物じゃなくて植物などを採集するときにも「狩り」と言うのだと知ったのは、そのときだ。
 四つ葉町から少し離れたこの丘陵は、せつなには初めての場所だった。丘の斜面は雑木林になっていて、木々はそれぞれの秋の色に染まっている。
「きれいでしょ? せつな。ンフフ~、あのねぇ、この丘のてっぺんまで上がるとね……」
「ラブったら! それ以上言っちゃ駄目よ。せっちゃんをびっくりさせるんでしょう?」
 キラキラした目で嬉しそうにせつなを振り返るラブを、あゆみがやんわりとたしなめる。せつなは怪訝そうな、でも期待に満ちた眼差しで、二人の顔を交互に見やる。一番後ろからのんびりと歩いてきた圭太郎は、そんな三人の様子を、ニコニコと見守った。
 今日は勤労感謝の日で、学校はお休み。圭太郎の発案で、四人はお弁当を持って、この丘陵にピクニックにやって来たのだった。

(占い館があった森より、ここはずいぶん明るいのね)

 物珍しそうに木々を眺めながら歩いてきたせつなが、さっと差し込んだ日の光の眩しさに、思わず額の前に手を翳す。その顔が、フッと柔らかくほどけるように笑顔になった。ちょうど頭の上にあったモミジの枝が、せつなとハイタッチでもするかのように、小さな赤い掌を振っている。
「ああ、このモミジは特に色がいいなぁ。見事な赤だ」
 すぐ後ろから聞こえる、圭太郎の穏やかな声。せつなは振り向いて笑顔を返してから、挙げていた手を静かに下ろした。

「ねえ、お父さん」
「なんだい? せっちゃん」
 柔らかく包み込んでくれるような声に励まされて、せつなはここへ来てからずっと感じていた想いを、思い切って口に出してみる。
「紅葉って凄く綺麗だけど、これが終われば、木の葉は全部落ちてしまうんでしょう? そう思うと、何だか寂しい気がするんだけど……」
「そうだな」
 圭太郎がせつなの顔を見て、静かに頷く。そして不意に悪戯っぽくニヤリと笑うと、ガサガサと落ち葉を踏んで、林の中に分け入った。

「こっちに来てごらん、せっちゃん」
 一本の木の下にしゃがみ込んだ圭太郎が、せつなに向かって手招きする。不思議そうな顔でやって来るせつなを待ってから、圭太郎は足元の落ち葉を、そっと掻き分けた。
 しばらくすると、表面の落ち葉とは違う、少し湿って黒ずんだ葉が現れる。
「これは、去年の落ち葉だな」
「去年の?」
「ああ。去年の落ち葉の下には、一昨年の落ち葉。その下には、その前の年の落ち葉。そのまた下には、何があると思う?」
「……?」
 不思議そうに小首を傾げるせつなを、圭太郎は柔らかな光を湛えた目で、静かに見つめる。
「土だよ。栄養がたっぷり詰まった、真っ黒な土だ。落ち葉はね、冬の寒さから木の根を守りながら、地面に住む虫たちによって、何年もかかって、豊かな土になるんだよ。その栄養で、木はまた新しい芽を出して、たくさんの葉を茂らせる。そうやって、自然は何ひとつ無駄にしないで、幸せを繋いでいくんだ」
「幸せを、繋ぐ……」
 噛みしめるように呟くせつなに、圭太郎は力強く頷いてみせる。そして少しおどけた調子で、こう言った。
「そうだ。落ち葉のご馳走が食べられて、虫たちも喜ぶ。きれいな花や若葉や、こ~んな見事な紅葉が見られて、僕たちも喜ぶ。それに当然、木も喜ぶ。みんなで幸せ、グッドだよ~! ってね」
 圭太郎がズボンの落ち葉を払って立ち上がり、得意そうな顔で、せつなに右手を差し出す。

(お父さん、それを言うなら、幸せゲット、でしょ?)

 そう口に出して言うのは恥ずかしくて、せつなはただクスッと笑って圭太郎の手を取り、立ち上がった。
 二人でまた落ち葉を踏みながら、元の道へと戻る。ラブとあゆみは、坂の少し上の方で立ち止まっていた。どうやら薄くて柔らかなモミジの落ち葉を、日に透かして遊んでいるらしい。

「この木たちに比べれば、僕なんか、まだまだだなぁ!」
 突然、圭太郎の声に熱がこもったのを感じて、せつなが目をパチクリさせる。
「ああ、ごめんな、せっちゃん。つい、仕事のことを考えちゃってね。軽くて、涼しくて、水にも強くて、被っている人が幸せになれるような最高のカツラを作りたいって頑張っているけど……それだけじゃない、地球にも優しいカツラを作りたいって思ってるんだ。いつか、必ずね」
 まるで少年のようにキラキラと光る目をして、圭太郎がまた、ニヤリと笑う。

(お父さんって、お仕事の話になると、何だかダンスの話をしているラブそっくりになるのね)

 せつなはしばらくの間、黙って自分が踏みしめる落ち葉の音を聞いていたが、やがて意を決したように、顔を上げた。
「お父さん」
「ん?」
「私……お父さんならきっと、作れると思うわ」
 言ってしまってから、モミジにも負けないくらいの真っ赤な顔で俯くせつな。その頭に、圭太郎はそっと手を置いて、ポンポンと二回、優しく叩く。
「ありがとう、せっちゃん。そうさ。まだまだ、挑戦はこれからだからな」
 やっぱり熱く言い切る圭太郎の顔を、せつなはそろりと上目遣いに見上げて、うん、と恥ずかしそうに頷いた。

 やがて、坂道も終わりに差し掛かった。少し先で待っていたラブとあゆみも一緒に最後の急勾配を上りきると、目の前がぽっかりと開ける。そこに広がる景色に、せつなは思わず息を飲んだ。
 眼下に見えるのは、コンクリートで囲まれた小さな湖だった。水力発電のための人工湖だと、圭太郎が説明してくれる。その湖の向こう側に見える山肌は、まさに自然が描き上げた、一枚の絵だった。
 黄色に、褐色。朱色に、深い赤。そしてところどころに見える、渋みを増した緑――。
 まるで空の巨人が、山というキャンバスに、気まぐれに絵具を落としたかのよう。様々な色彩が主張し合い、でも不思議と調和を保って引き立て合っているその姿を、小さな湖面がくっきりと映し出す。
 まさに山と湖とが一体となった光景が、燦然たる輝きを持って迫って来る。

「きれいだね。せつなに見せたかったんだ、この景色」
 声も出せず、ただ景色を食い入るように見つめているせつなの腕に、ラブが嬉しそうに腕を絡めた。せつながやっと呪縛から解かれたように、深々と息を吐き出す。
「う~ん、まさに錦繍だな」
「きんしゅう?」
 まだ夢見心地の顔で、圭太郎の言葉をオウム返しに呟くせつなに、あゆみと圭太郎が、揃ってニコリと笑った。
「まるで豪華な錦みたいに、色鮮やかで美しいってことよ」
「ああ。本当はこっちが本家で、錦の方が真似したんだと思うけどね」
 笑顔で説明してくれる二人の顔を交互に眺めてから、せつなはやっと笑顔になって、もう一度自然の錦を見つめる。

 ふと、新たな疑問が泡のように心に浮かび上がった。
「ねえ、お父さん」
 優しい視線を返す圭太郎の顔を見つめて、せつなはもう一度心にある問いを投げかける。
「私たちは、こんな景色が見られてとっても幸せだけど、紅葉って木にとっては、一体どんな良いことがあるの?」

「あら。そう言えば、そんなこと知らないわね」
「ホントだ。ねえ、お父さん。知ってる?」
 あゆみとラブにも期待に満ちた眼差しを向けられて、圭太郎は困った顔で頭を掻く。
「うーん、それはね。実はまだ、ハッキリとは分かっていないらしいんだ」
「あ、そうなの」
「へぇ、そうなんだ」
 少し残念そうなせつなと、意外そうに目を見開くラブ。そんな二人を見つめて、圭太郎の声が、また熱を帯びる。

「でも、これだけは言えるぞ。まだ人間には分かっていなくても、もちろん木にとっても何かきっと、とっても素敵なことがあるのさ。自然の営みに、無駄なことなんてひとつも無いんだから!」
「う、うん……」
 気圧されたように頷くラブと、それを聞いて嬉しそうに微笑むせつな。圭太郎は大真面目な顔で、最後のダメを押す。
「ほら、ラブがいつも言ってるだろう? みんなで幸せ、グッドだよ~! ってね」
「お父さぁん、ゲットでしょう? もう、肝心なところで間違えるんだから」
 苦笑いをするあゆみの隣りで、せつながクスクスと笑い出す。それを見て、ラブもあゆみも、そして圭太郎も、一斉に笑顔になった。

「さあ、この景色を見ながら、お弁当にしようよ!」
 ラブが、再び目をキラキラさせて三人の顔を見渡す。その言葉を聞いて、せつなも嬉しそうに頷いた。
 二人が下げているお弁当の中身――それは、ラブとせつなの特製ちらし寿司だった。
 薄く切った酢蓮根に、甘辛く煮た椎茸、焼いてほぐした秋鮭の身。ラブが色良く焼き上げ、せつなが糸のように細く切った錦糸卵。彩りに、さっと湯がいて食べやすく切ったホウレンソウ……は、今日は可哀そうだから小松菜を使って、酢飯の上に鮮やかに盛り付けたもの。
 あゆみが母から教わったものを、ラブに教えてくれた料理だと言う。

(ラブはきっと、この景色を思い浮かべながら作ったのね。お父さんとお母さん、どんな顔するかしら)

 せつながそう思いながら、もう一度湖の向こうを眺めたとき、得意げなラブの声が、耳に飛び込んできた。
「今日のお弁当は、あたしとせつなが愛情パワー全開で作ったからねっ! お父さんもお母さんも、開けてびっくりだよ~。あのね、すっごく綺麗な……」
「ちょっと、ラブ! 駄目よ、全部しゃべっちゃ。お父さんとお母さんを、びっくりさせるんでしょう?」
 せつなに睨まれて、ラブが慌てて口をつぐむ。それぞれがまるで違う色を持っているのに、何故か双子のような二人の娘。その輝きに、圭太郎とあゆみはそっと目と目を見交わして、幸せそうに笑った。

~終~
最終更新:2013年02月16日 23:01