雲の名前/一六◆6/pMjwqUTk




「わっ!せつな、どうしたの?」
 いつものように玄関を飛び出したラブは、そこに突っ立っているせつなの背中に、危うくぶつかりそうになった。
「ラブ。今日の空、なんだか不思議よ。海みたいに青くって、ほら、白い波まで立っているみたい。」
 新学期が始まって一週間。二人の頭の上にあるのは、いつの間にか夏のベールを脱いだ、高く澄んだ空の青。ちょうど見上げた辺りに、まるで薄い反物を広げたような、雲の模様が見える。
「ああ、うろこ雲だね。」
「うろこ雲?」
 首をかしげるせつなに、ラブはニコリと笑って説明する。
「うん。なんかさ、魚のうろこみたいに見えるでしょ?あれはね、秋によく見える雲なんだよ。」
「そう。なんだか本当に、大きな魚が空を泳いでいるみたいね。」
 感心したようにそう言って歩き始めるせつなの腕を、ひんやりとした空気がなでる。ここ二、三日で、朝晩がめっきり涼しくなってきた。

「ラブ~!」
「せつなちゃん!」
 商店街を歩いていると、向こうから美希と祈里がやってきた。
「おはよう。」
「おはよう、美希たん、ブッキー。」
「なんだか急に秋らしくなったわね。見て。すっごくキレイなひつじ雲。」
 美希が蒼い髪をふわりとなびかせて、空を仰ぐ。
「ひつじ雲?」
 再び首をかしげるせつなに美希が指差したのは、さっきラブと見た、あの雲の波。
「あの雲、うろこ雲って言うんじゃないの?」
「ああ、そんな呼び方もあったっけ。でも、ほら見て。雲の模様が、ひつじの群れみたいに見えるでしょ?」
「そう言われれば、小さいひつじたちにも見えるわね。なんだかのんびりと、草でも食べているみたい。」
 素直にそう言ってせつなが頬を緩めると、
「え~、美希たん。あんな細かい雲でも、ひつじ雲って言うの?ひつじ雲は、もっとひとつひとつの雲が大きいときに言うんだと思ってたよぉ。」
 ラブがちょっとだけ不満顔。
「そう?でも、アタシにはひつじに見えるわよ?うろこにしては、大きいじゃない。」
 美希も少しだけムキになって、言い募る。

「もう、二人とも・・・。ねぇ、ブッキーは?あの雲、うろこ雲なの?それとも、ひつじ雲?」
 困ったせつなが思わず祈里に助けを求めると、彼女は上目づかいにせつなを見つめて、これまた少しだけ、いたずらっぽく笑った。
「えーと、あの雲は、いわし雲かな。」

「え~!今度は、いわし?」
「そんな呼び方、あった?」
「ブッキー、ずるいよぉ。」
 仲間たち三人に詰め寄られ、祈里は首をすくめて、再びいたずらっぽく笑う。
「いわし雲って言う呼び方はね、いわしの群れに似てるから、っていう説もあるけど、ああいう雲が出ると、いわしが大漁だからなんだって。」
「やったー、今日は大漁だぁ!って。あたしたち、漁師さんじゃないし!」
「ブッキー・・・相変わらず、いろんなことに詳しいのね。」
「あれ?わたし、褒められてるの?呆れられてるの?」
 朝からテンション全開のラブ。大袈裟にため息をつく美希。きょとんと小首をかしげる祈里。そんな三人の様子に、せつなが思わず、クスクスと笑いだす。それにつられて、結局全員、顔を見合わせて、ひとしきり笑った。

「雲ひとつとってみても、いろんな名前があるのね。なんだか・・・ロマンチックね。」
 少しはにかみながらそう言うせつなに、美希があたたかな目を向ける。
「秋は特に、空も雲もキレイだからね。昔の人も、いろんなインスピレーションが湧いちゃったんじゃない?」
「そうだね。あと、雲を波に喩えて、白波とか、波雲っていう素敵な言い方もあるみたい。」
「えーっ!それホント?ブッキー。」
 再び始まった祈里のウンチク話に、ラブが突然嬉しそうに大声を上げる。
「せつなっ!この雲見て、せつなと同じように感じた人が、昔の人の中にも居たんだね!」
 一瞬ぽかんとしたせつなが、ラブの言葉の意味を悟って、その頬をみるみるうちに朱に染める。
「美希たん、ブッキー。あのね、今朝、せつなが空を見上げて、空に白い波が立ってるみたいって、そう言ったんだよ。」
「もうっ、ラブったら。そんなこと、大きな声で言わないでよ。」
 真っ赤になってうろたえるせつなの肩を、祈里がやさしく叩いて、空を指差した。
「あ、ほら、せつなちゃん。さっきのいわし雲が、少しずつ繋がって、ホントの波みたいになってきたよ。」

 見上げる彼女たちの目の前で、空がその模様を変えていく。千切れた雲が縦に繋がって、波のような、段々畑のような、新たな顔を見せる。
 空に広がる白い波は、なぜかいつもより、空を、より青く、突き抜けるように高く、どこまでも広く感じさせて・・・。
(なんだか今日は、いいことがありそう。)
 口には出さないけれど、四人とも、同じことを考えていたのだった。

 まだ緑の濃い街路樹の梢を、風がやわらかく、さわさわと揺する。四ツ葉町の美しい秋は、まだまだ始まったばかりだ。

~終~
最終更新:2013年02月16日 22:44