蒼の喪失(前編)/一六◆6/pMjwqUTk




「ラッキー・クローバー! グランド・フィナーレ!!」

 少女たちが、右手を上げて高らかに叫ぶ。
 その中央、凛として見上げる八つの瞳の先にあるのは、巨大な水晶に閉じ込められた、ソレワターセの姿。
「はぁ~~~~!!」
 少女たちの気合とともに、水晶はみるみるうちに直視できないほどの輝きを放ち、中から断末魔の叫びが上がる。
「シュワ、シュワ~・・・」
 そして。
 パン!パン!パン!と三つの乾いた破裂音を残し、ソレワターセは跡形もなく消滅した。



(要するに、四人の気持ちが揃わないと使えない技、というわけね。)
 ウエスターの報告を思い出して、ノーザはフン、と鼻をならした。
―――メビウス様が、しびれを切らしておいでです。そろそろインフィニティを手に入れなければ、如何にあなたといえども、お叱りを受けますよ。
 さっきそう言い捨てて帰って行った、慇懃無礼なクラインの顔を思い出す。
(ふん、見ているがいいわ。これがあれば・・・。)
 ノーザの手にあるのは、ソレワターセの実。しかし、普通の実は鈍い緑色をしているのに、その実は血のような赤に染まっている。

 まだ消去されずに残っていた、イースの管理データの一部。それを使って特殊能力を持たせた、特別製だ。クラインはこの実を届けに、本国からやって来ていたのだった。
 このソレワターセの特殊能力。それは、記憶を消す力だ。攻撃を受けた者の記憶を封じ込め、思い出せなくする力。事実上、裏切り者のイース――キュアパッションになってからの彼女に関する記憶を、その者の頭から消すことが出来るのだ。
(ふふふ・・・。仲間から、今更ラビリンスのイースとして見られたら、あの子はどんな顔をするかしらねぇ。)
 ノーザは、口元に楽しげな笑みを浮かべた。

(問題は・・・誰を選ぶか、ということね。)
 このソレワターセの欠点は、記憶の封じ込めを維持するために、不幸のゲージの中にある、貴重な不幸のエネルギーを消費しなくてはならないことだ。インフィニティ発動のために、無くてはならない不幸のエネルギー。だからそう長い間、記憶を奪い続けるわけにはいかない。
 しばらくの間、プリキュアどもがあの新しい技を使えなければ、それでいい。その間にインフィニティを奪って、ヤツらを始末する。四人の気持ちが揃わないプリキュアなど、恐るるに足らない。
(だから、一番効率的な相手を、一人選ばなくては。)
 ノーザはゆっくりと、壁に貼られている少女たちの写真に近づいた。
(そうねぇ。イースと最も遠い関係にある人物。プライドが高く、人に気を許さず、それゆえの脆さも持っている子。)
 ノーザの長い爪が、ついに一人の少女の写真の上で止まった。
「・・・ふふふ。ターゲットは、あなたねぇ―――キュアベリー。」



   蒼の喪失(前編)



 秋も深まった、四つ葉町公園。ラブたちはダンスレッスンを終えて、いつものドーナツカフェに集まっていた。勿論、タルトとシフォンも一緒だ。
 今度の週末から、トリニティが久しぶりのツアーに出かけると言う。だから、二週間ほどダンスレッスンはお休み。さっき、ミユキからそう言われた。
―――お休みの間、自主練習はちゃんとやるのよ!
 ビシッと指を立ててそう言うミユキに、声を揃えて元気に返事をしたものの、中学生の彼女たちにとって、週末まるまるのフリータイムは、とってもわくわくするもので・・・。
「ねえねえ。じゃあ今度の土曜日、みんなでどっかに遊びに行こうよ!」
「いいわね。私も、その日は予定入ってないわ。じゃあ、冬物のお洋服でも、みんなで見に行く?」
「えっと、確かその日から、新しい映画が封切りだったんじゃないかな。それを観に行くっていうのは?」
「うーん、そうだなぁ。でもさ、秋はやっぱり、遊園地じゃない?」
「何言ってんのよ。ラブの場合は、秋だけじゃなくて年中でしょ。」
 目をキラキラさせて喋る三人の話を、せつなもやっぱり、好奇心に目を輝かせて聞いている。
 この世界は、まるで中身がいっぱいに詰まった宝石箱みたいだ、とせつなは思う。どれも色や形が違い、それぞれの光を放って輝く、数々の宝石。目の前に無造作に並ぶそれらを、ひとつひとつ手に取り、眺め、そして選ぶことができる。何て楽しくて、明るくて、そして自由なんだろう。

「ねえ、せつなは? せつなは、どこに行きたい?何がしたい?」
 ふいにラブに呼びかけられて、せつなは我に返った。
「え?私?」
「うん。せつなが決めてよ。今挙がってるのは、ショッピング、映画、それと遊園地。もちろん、他の場所でも大歓迎!せつなの好きなところに決めてよ。ねぇ、どこにする?どこがいい?」
「ちょ、ちょっと待って、ラブ。」
 畳みかけるラブと、慌てるせつな。その様子を見ながら、美希は小さく苦笑する。ラブが最近、何かと言うとせつなに決定権を持たせようとしていることに、美希は気付いていた。

 この世界に来るまで、「選ぶ」ということを知らなかったせつな。最初はドーナツカフェの飲み物ひとつ、文房具ひとつ、自分では選べなかった。それどころか、自分の好みすら―――何が好きで、何が嫌いで、何が自分に似合うかなんてことも、まるでわからなかった。
 ラブの家で過ごすようになって数カ月。飲み物や食べ物、洋服や本・・・。人より時間をかけて迷いながら、彼女は少しずつ、自分のものを自分で選べるようになってきた。選ぶことを、楽しめるようになった。
 ただ、今のような場合―――自分の選択が、仲間や家族、周りの人たちの行動まで決めてしまうと思うと、途端にせつなは逡巡してしまう。

「そんな・・・私には決められないわ。どれも楽しそうなんだもの。」
(やっぱり。そう言うと思った。)
 そう思っていることを顔に出さないようにして、
「え~!それじゃダメだよ、せつなぁ。」
 ラブは思い切り、口を尖らせてみせる。
「せつなが決めたところに、みんなで行くのが楽しいんじゃない!」
「でも・・・」
 助けを求めるように、困った顔で自分と祈里に視線を向ける彼女に、美希は優しく笑いかけた。
「ねえ、せつな。どこに行って何をしたって、こういうことに、成功とか失敗とか無いのよ。」
「そうそう。」
 祈里が隣から、いつもののんびりした調子で相槌を打つ。
「誰かが決めたところに遊びに行く、っていうのはね。一人の好みにみんなが合わせよう、ってことじゃないの。自分ではなかなか選ばないような場所に出かけていく、っていう楽しみ方なのよ。そして、発見するの。」
「発見?」
「そう。ああ、この人はこういう場所が好きなんだなぁ、とか、こういうところも楽しいんだなぁ、とかね。同じものを見て、誰かと同じように感じたら嬉しいし、違っていても、やっぱりお互いのことがもっとよくわかって、嬉しいのよ。だから、みんなで出かけるのは楽しいの。」
「でも、そこが楽しくなかったら?」
「その時はね、こうするの。」
 美希は、眉をワザと八の字に寄せ、怒っているような、困っているような顔を作って見せる。
「『なぁんなの?ここ。サイテー!!』 そうやってみんなで盛り上がるのも、結構楽しいわよ。」
 声まで変えて、“悪口で盛り上がる中学生の図”をやってみせる美希に、せつなは思わず噴き出し、ラブと祈里は目が点になる。
「笑うことないでしょ?せつなのために、実演してるのに。」
「でも美希ちゃん。何もそこまでしなくても・・・。」
「そうそう。美希たん、綺麗な顔が、台無しだよ。」
 ラブと祈里の冷静な突っ込みに、美希の顔もさすがに赤くなる。
「みきぃ、へんなかお~!」
 シフォンが嬉しそうにはしゃぎながら、はぐっ、と勢いよくドーナツにかぶりついた。
「もうっ、シフォンまで・・・。」
「ふふっ。ありがとう、美希。私、ちゃんと決めるわ。でも・・すぐには決められそうにないから、もう少し考えてもいい?」
 ひとしきり笑った後、自分を見つめてそう言うせつなに、美希は一瞬、眩しそうに目を細める。
(こういうところが、せつなって真面目で素直なのよね。)
 自分にはなかなか真似のできないまっすぐな彼女。でも勿論そんなことは口には出さず、美希はパチリとウィンクしてこう言った。
「もっちろん。完璧なところ、選びなさいよ!」
「美希ちゃん、失敗してもいいんじゃなかったっけ・・・。」
 祈里の再度の突っ込みに、ドーナツカフェに、また新たな笑い声が広がっていく。

「ええなぁ。なんか楽しそうやなぁ。」
「タルトちゃんも行く?」
「でも、わい、その日はここで、『タルやんのイリュージョンショー』があるんや。」
「・・・あれ、まだ続けてたんだ・・・。」
 なんか、似たような会話を以前も聞いたことがあるような。あれは、いつだったっけ・・・。
 美希がそう思った瞬間、
「ソレワターセ!!」
 公園の一角にある雑木林の方から、突如、咆哮が響き渡った。



「わ!マズい。シフォン、行くで。」
「プリ~・・・」
 タルトがシフォンの手を引っ張って、慌てて林の反対方向に走る。
「ソレワターセが?どうして突然?」
「シフォンちゃんは、今日はまだインフィニティになってないのに。」
「インフィニティになる前に奪う作戦かもしれないわ。とにかく早く行かないと!」
「うんっ!何だかわかんないけど、みんな、行くよっ!」
 ラブの声に力強く頷いて、少女たちはそれぞれのリンクルンを構える。

「チェインジ!プリキュア!ビートアーップ!!」

 桃色、青、黄色、赤・・・オーロラのような色鮮やかな光のベールが一瞬の輝きを放った後。
 現れる、四人の伝説の戦士。
 ツインテールをなびかせて駆けるキュアピーチに、ベリー、パイン、パッションが続く。

「ソ~レワタ~セ~!!」
 巨大な草の蔓を幾重にも束ねて、人型をこしらえたような姿。中央にあるのは、不気味に光る赤いひとつ目。
 それは何度も見たことのあるソレワターセの姿ではあったが・・・何だかいつもと様子が違う、とパッションは思った。隣りに立つパインも、同じことを思ったらしい。
「何だか今日のソレワターセ、色が変。こんなに赤かったっけ?」
「そうね・・・。もしかしたら、何か特殊な能力を持っているのかも。みんな、気をつけて!」
「わかった!じゃあみんな、行くよっ!」
 互いに目と目を見かわして、四人は走り出す。
 ソレワターセの触手を跳んでかわすベリーとパッション。すぐさまひらりと飛び上がり、高速の回し蹴りを見舞う。
「ダブル・プリキュア・キーック!!」
 身を屈めて後方へ跳んだソレワターセ。その太い触手が、着地しかけたベリーの足元を狙う。
「ダブル・プリキュア・パーンチ!!」
 同時に踏み込むピーチとパイン。ベリーに迫った触手を、横から撥ね上げる。
 触手が流れた隙に、本体に迫るベリーとパッション。パンチとキックの連打が、ソレワターセを襲う。
 と、それに応えるかのように、二人の死角から伸びる、一本の触手。
「ベリー、危ないっ!!」
 疾走したパインが、触手に体当たり。そのまま捕まりそうになった彼女を、間一髪で抱き止めるピーチ。

(何かおかしい・・・。)
 鞭のような触手の動きを空中で回避しながら、パッションは不安に眉をひそめる。
(なんだか・・・ベリーばかりが狙われているような気がする。)
 そもそも、どうして今日のソレワターセは、シフォンを追おうとしないのだろう。

 その時。ピーチが触手に弾き飛ばされる。受身も取れないまま、地面に叩きつけられる彼女。
「うっく・・・」
「ピーチ!!」
 ピーチを襲う触手に、ベリーが放つ、矢のような蹴り。その後ろから伸びる触手に、肘をとばすパッション。
 その隙にパインは、ピーチを抱えて触手の下を掻い潜る。そして攻撃の届かないところへ、彼女をひとまず避難させた。
「ピーチ、大丈夫?」
「うん・・・ありがとう。もう平気だよ。」
 何とか自分の足で立ちあがったピーチが、再び攻撃に加わろうとした、その時。
「ベリー!!」
 パッションの抜き差しならない声に、ピーチとパインは、ハッとして顔を上げた。

 ベリーが触手に捕らわれ、身動きが取れなくなっているのだ。
 空中高く舞い上がるパッション。手刀で、ベリーを拘束している触手を狙う。が、するすると伸びたもう一本が、彼女の攻撃を阻む。
「くっ。邪魔よっ!」
 前を塞ぐ触手を、拳で撥ね上げる。そのとき、パッションは見た。ベリーを捕えた触手を伝って、何か赤い光のようなものが、彼女の体に流れ込んだのを。
「うわぁぁぁぁぁ~!!」
 絶叫を上げるベリー。パッションは、目の前の触手を蹴って跳躍する。そしてベリーの体を抱きかかえ、触手を引き剥がそうと、渾身の力を込める。

「プリキュア!ラブ・サンシャイン・フレーッシュッ!!」

 ピーチの声が響き渡る。目の前が明るくなり、ベリーを拘束していた触手が緩む。その隙に、パッションはベリーを抱えあげると、そのまま大きく跳んで地面に着地した。

「あ・・・」
「ソレワターセが・・・」
 ピーチとパインの驚いたような声に、何事かと顔を上げたパッションも絶句する。
 目の前で、ソレワターセの姿が次第に薄くなり、そのまま霞のように、消え失せてしまったのだ。
 後には、気を失ったまま、変身が解けてしまった美希と、三人のプリキュアが残された。

「美希!美希!しっかりして!」
 パッションは変身を解いてせつなの姿に戻り、美希を抱き起こす。
「・・・ん。」
 少し苦しそうに顔をゆがめてから、美希の目が、ゆっくりと開いた。そして。
「・・・!!」
 驚きに目を見張り、慌てて跳び退るように自分から離れた美希に、せつなはあぜんとした。
(・・・どうして?)
 自分を見る、美希の瞳。そこに浮かんでいるのは驚愕と、それから・・・かつてのせつなが、よく目にしていた感情。こんな目で美希に見られるのは、久しぶりだ。
「美希たん!」
「美希ちゃん!大丈夫?」
 同じく変身を解いて駆け寄ってきたラブと祈里も、美希の口から飛び出した言葉を聞いて、呆然とする。
「ラブ!ブッキー!どうしてせつなが、ここに居るのよっ!」
「・・・え?・・・何言ってるの?美希たん。」
「せつなは・・・彼女は・・・っつ・・・!!」
 ラブに何かを言いかけた美希は、不意に顔をしかめて両手で頭を押さえると、そのまま喘ぐように、地面に倒れ伏した。



 頬にかかる布地の感触に、美希は目を開けた。いつの間にかベッドに寝かされ、布団がかけられている。
「美希たん!気が付いた?」
 ぼんやりと目に映るのは、心配そうにこちらを覗きこんでいる、ラブと祈里の顔。
「・・・ここは?」
「美希ちゃんの部屋だよ。美希ちゃん、ソレワターセの攻撃を受けて、気を失っちゃったの。」
「ソレワターセの?」
 何が起きたのか思い出そうとすると、頭がズキンと痛んで、美希は顔をしかめた。
「それで・・・二人でアタシを、家まで運んでくれたの?」
「それはさすがに大変だから、せつなにアカルンで・・・って、どうしたの?美希たん!」
 ガバッと布団をはねのけて起き上がった美希に、ラブが驚いて身を引く。
「せつな!・・・そうよ、ラブ。ねえ、どうしてせつなが、あの場に居たの?」
「どうして、って・・・」
「さっきもそんなこと言ってたよね、美希ちゃん。せつなちゃんが、どうかしたの?」
「せつなちゃんって・・・。ブッキー。あなた、いつの間に、せつなとそんなに親しくなったの?」
「・・・え?」
 美希の言葉に、祈里も驚きに目を見開く。
 美希は大きくひとつ息を吸うと、二人の親友に、噛んで含めるように言った。
「ラブ、ブッキー。二人も見たでしょう?あの子は・・・せつなは、イースだったの。アタシたちの敵なのよ。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
 ラブと祈里は、ためらいがちに顔を見合わせる。そして意を決したように、ラブが美希に向き直った。
「美希たん。よぉく思い出してみて。せつなは、確かにイースだったよ。でも、今は?」
「・・・今?」
「そう。今のせつなは、誰?」
(今の・・・せつな?)
 そう考えた途端。頭蓋骨を直接万力で締め付けられたような痛みに襲われ、美希は声も上げられずに、ベッドに倒れ込んだ。

「美希たん!」
「美希ちゃん!」
「・・・ごめん。大丈夫よ。」
 しばらくして起き上がった美希は、青ざめてはいたが、その声はしっかりしていた。
「何でだろう。今、物凄い頭痛がしたの。こんなの初めて。」
「美希ちゃん・・・。やっぱり、ソレワターセに何かされたのね。」
「ソレワターセに?」
「そう。美希ちゃん、ソレワターセに捕まったとき、凄く苦しそうに悲鳴を上げてた。その後すぐ、気を失っちゃったの。あのソレワターセ、色も変だったし、きっと何か特殊能力を持っていたんだと思う。」
 祈里の冷静な分析に、
「何を・・・されたの?」
美希は恐る恐る尋ねる。
「それは、まだよくわからないけど・・・。でも、美希ちゃん。」
 祈里は不安に揺れる瞳で、美希の顔を覗き込んだ。
「せつなちゃんのこと・・・まだ、イースだと思ってるの?」
「まだ、って何よ。」
 祈里の不安が、さらに膨らむ。
「もしかして・・・。ねぇ、美希ちゃん。今日は、何月何日?」
「変なこと訊くのね、ブッキー。今日は・・・10月25日でしょ?」
「ソレワターセと戦う前、わたしたちが何をしていたか、覚えてる?」
「確か・・・カオルちゃんの店で、ドーナツ食べてたわよね。タルトやシフォンも一緒に。で、今度の土曜日、どこかに遊びに行こうって相談して・・・うっ!」
 再び頭痛に襲われ、顔をしかめる美希。
「そっか・・・。完全な記憶喪失ってわけじゃないのね。」
「ブッキー、どういうこと?」
 二人の様子を心配そうに見ていたラブが、泣きそうな目をして、祈里に詰め寄る。
「もしかしたら、記憶喪失になったのかなって思ったんだけど・・・。記憶が無いのは、せつなちゃんのこと限定なのかも。」
「せつなのこと?」
「・・・っていうか、キュアパッションのこと、って言った方が、いいのかな。」
「じゃあ、ソレワターセが?」
「うん。きっと美希ちゃんから、キュアパッションになってからのせつなちゃんの、記憶を奪ったんだと思う。」
「そんな!でも、何のために?」
「それは・・・よくわからないけど・・・」
 ラブと祈里のやり取りに、美希が首をかしげた。
「キュア・・・パッション?」
「そう。あのね、美希たん。せつなは今、あたしたちの仲間、キュアパッションとして、一緒に戦ってるの。せつなが、四人目のプリキュアだったんだよ。」
 ラブは美希に、彼女が奪われた、せつなの真実を話そうとする。しかしラブの話は、美希の苦しげな声で、すぐに遮られた。
「やめて!やめて、ラブ!頭が・・・頭が割れそう・・・」
 ラブの言葉で、何らかの情景が浮かびそうになるたびに、途方もない力で、頭が締め付けられる。
 痛みで真っ赤に彩られた脳裏に浮かぶのは、あの時の・・・正体を現した、せつなの姿。両手を真横に開き、こちらを睨みつける、暗い憎悪に燃えた眼差し・・・。
「ラブ!騙されちゃダメよ!せつなは、イースだったの。ラビリンスだったのよ!!」
 まるでうわ言のようにそう繰り返す美希に、ラブはなす術もなく立ち尽くす。

 この世界に来たばかりのせつなに、仲間の中で誰よりも気を遣い、早く彼女が慣れるようにと、心を砕いてきた美希。だが、せつながイースだった頃、いち早く彼女に疑念を抱き、警戒していたのも美希だった。そのせいだろうか。美希が、せつなと打ち解けて話せるようになるには、時間がかかった。
 一月ほど前。初めて二人だけで出かけたときに何があったのか、詳しいことは、ラブは知らない。でも、あの日から二人の距離が縮まったのは、ラブと祈里の目にも明らかだった。
 その美希が、今は全身で、せつなを拒絶している。やっと・・・やっと、互いに少しずつ理解し合い、歩み寄れたというのに。

 俯いて、肩を震わせ、泣き出しそうになるラブ。しかし隣から、
「美希ちゃん!」
いつになくきっぱりとした祈里の声が聞こえてきて、目を上げた。
 祈里は、ベッドにうずくまる美希の肩に手をやると、ニッコリと微笑んで、優しい声で言った。
「美希ちゃん。思い出そうとするから、頭が痛むんだと思うの。何も思い出さなくていいから、美希ちゃんが全く知らない、初めて聞く話として、ラブちゃんの話を聞いて。」
「ブッキー!」
 ラブの瞳に、わずかに力が甦る。しかし美希は俯いたまま、ゆっくりとかぶりを振った。
「ダメだわ、ブッキー。アタシ、とても信じられない。あのせつなが、四人目のプリキュアだったなんて。アタシたちの仲間だなんて。ごめん・・・。ごめん、ラブ、ブッキー。」
「諦めちゃダメよ、美希ちゃん!!」
 祈里は、美希の頬を両手で挟み、グイッと顔を上げさせた。彼女には珍しいその剣幕に、ラブも驚いて祈里を見つめる。
「せつなちゃんは、確かにわたしたちの仲間なの!以前はイースだったけど、今はわたしたちと一緒に、必死で戦ってるの!今の美希ちゃんが、せつなちゃんを信じられないと言うなら、それでもいい。それなら、ラブちゃんとわたしを信じて!お願い!!」
「ブッキー・・・。」
 大きな目に盛り上がった涙をこぼすまいとするように、祈里は美希を強く見つめ続ける。普段は物静かなその瞳に、仲間を思う必死の思いが、そして、自分にせつなを取り戻させようとする、悲しいまでの祈りが込められているのを、美希は見せつけられる。
 美希の中に焼きついてしまった、イースとしてのせつなの姿は、消えはしない。でも、脳裏にある彼女の憎しみに燃える瞳が、不思議と今は、やり場の無い哀しみを湛えた瞳のように、美希には思えてきた。
「わかったわ、ブッキー。やってみる。ラブ、話して。」
「うん。・・・辛くなったら、無理しないで、いつでも言って。」
 ラブは、美希を気遣いながら、ゆっくりと少しずつ、話していった。
 あの、ドームでせつなが正体を明かした、その後の物語を。
 せつなと森の中で戦ったこと。その中で知った、せつなの想い。イースの寿命が尽きたこと。そして・・・大切な仲間になった彼女の、まだ紡がれ始めたばかりの、時間を。



 せつなは一人、自分の部屋のベッドで、膝を抱えてうずくまっていた。

 気を失った美希と、ラブと祈里を、アカルンで美希の部屋まで送り届けたのは、せつなだった。でも、せつな自身は、タルトとシフォンを家に連れて帰るからと言って、一緒に行くのを断った。
 ラブは、いつもの夕食の時間をだいぶ過ぎた頃になって、やっと帰ってきた。どこ行ってたの?と眉をひそめるあゆみに、
「ごめ~ん。美希たん家で、つい話しこんじゃって。」
と明るく笑ってみせたラブだったが、その顔には、隠しきれない疲労がにじんでいた。
「あら、美希ちゃん家に・・・。せっちゃん、どうして一緒に行かなかったの?」
「あ、私、図書館に本を返しに行かなきゃいけなかったから。でも、後から追いかければよかったわ。」
「そう。」
 下手な嘘をついてぎこちなく笑ったせつなに、あゆみは少し心配そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。

 遅い夕食の後、ラブは、ところどころ言いにくそうにつっかえながら、美希の様子を話してくれた。せつなは、膝の上でギュッと手を握りしめて、黙ってラブの話を聞いた。
(やっぱり、そんなことだったの。)
 戦いの後、気絶から覚めた美希の瞳に、浮かんでいたもの。驚きと―――そして、敵意と拒絶。それは、かつてイースが、ドームでの戦いの後、正体を明かしたときに、キュアベリーの瞳に浮かんでいたものと、同じものだった。
「今までのこと、全部話そうと思ったんだけど、さすがに長い時間は、美希たんも辛そうでさ・・・。でも、一番大事なことは、きちんと話したからね。美希たんも、わかったって、ちゃんと言ってくれたから。」
 だから、せつなは何も心配しなくていいんだよ。そう言ってそっと抱きしめてくれたラブに、せつなは結局、何も言えなかった。

(美希・・・。)
 今の美希の中では、自分はまだイースなのだと思うと、身体の芯が、さーっと冷たくなる。
 ラブは、せつなが仲間になった経緯を、美希にきちんと話してくれたと言った。美希も、それをわかってくれたと言っていた。
 でも・・・彼女は、今のせつなを思い出したわけではない。ラブの話を信じたと言っても、それだけで、美希は自分を受け入れることができるのだろうか。
―――とても無理だろう、とせつなは思う。

 イースとしてラブに近づいていた頃、美希が自分を疑っていることに、せつなは気付いていた。だから、キュアパッションとして生まれ変わり、仲間になった後も、自分を見つめる美希の眼が厳しいように思えて、せつなはなかなか、彼女に近付けなかった。
 でも、本当は美希も、せつなと親しくなるきっかけを探していたのだ。
 自分の考えや感情と向き合い、それを表現する経験をしてこなかったが故に、物事を言葉で伝えるのが苦手なせつな。
 自分の弱さを見せるのを嫌うが故に、一度自分の気持ちを頭の中で組み立ててからでないと、表に出せない美希。
 気持ちをストレートに表わすラブや、どこまでもマイペースな祈里には、うかがい知れない高いハードルが、二人の間にはあった。
 初めて二人で出かけたあの日。最初は会話が弾まず、気まずそうだったけれど、美希が終始、自分に歩み寄ろうと努力してくれているのを、せつなは感じた。だからこそ、美希の役に立とうと、精一杯頑張った。その頑張り自体は空回りで、美希を疲れさせてしまったのだけれど・・・。でも、あの時二人は初めて、ハードルを越えられた。
 美希は力強く、せつなの生き方を信じると言ってくれた。ひとりぼっちにはならないと、励ましてくれた。それがどんなに・・・どんなに、嬉しかったか。

(・・・美希。)
 せつなは膝を抱えたままベッドに横になり、身体を小さく丸める。
 どうしても思い出してしまう。長いまつ毛の下から笑みを湛えて見つめる、美希の眼差し。時に力強く、時におどけた口調で励ましてくれる、美希の声。優しく差し出された、美希の手のぬくもり・・・。それらが自分に向けられる日は、もう来ないのではないか。
(―――美希!!)
 せつなは枕に顔をうずめ、声を殺した。
 そして思う。一度、確かにこの手に掴んだと思ったものが、突然失われるということ。それは、こんなにも辛く、切なく、身を切られるように、痛いものなのかと。

 どれくらいの時が経っただろう。
 ラブの部屋から、タルトの回すオルゴールの子守唄が漏れ聞こえてくるのに、せつなは気付いた。
 もう十時をまわっている。シフォンはとっくに寝ている時間だが、こんなときにインフィニティになったら大変と、タルトがずっとオルゴールを回し続けているのだろう。
(確かに、美希と私がこんな状態じゃ・・・えっ!?)
 せつなはあることに気付いて、ベッドから跳ね起きた。

 ラブの部屋のドアを、小さくノックする。
「パッションはん。ピーチはんなら、お風呂やで。」
 タルトの小さな声が、部屋の中から聞こえた。呑気そうな風貌とは裏腹に、タルトは桃園家の家族やプリキュアの足音を、遠くにいても瞬時に聴きわけるのだ。
「知ってるわ。ちょっと入るわね。」
 部屋に入ると、タルトはオルゴールを回す手を休めず、目顔でせつなを迎えた。ラブのベッドでは、シフォンがもうぐっすりと眠っている。
「クローバーボックスが気になったんやろ?大丈夫や。ちゃんと蓋、開いとるで。」
「ホントね。良かった・・・。子守唄が聞こえたから、びっくりして来てみたの。」
 せつなはタルトの隣に座って、四つのハートがくるくると回る様を眺めた。カラフルで美しいオルゴール。この中に、とてつもない力が秘められているなんて、とても見えない。
 一度だけ、このクローバーボックスが開かなくなったことがある。ラビリンスの最高幹部・ノーザが現れて、もっと強くなりたいと、みんなで特訓を行ったときのことだ。
 もう、私たちの力では、シフォンを守れないのではないか。そんな焦りと不安から、四人はチームワークを乱した。初めて喧嘩もし、仲間割れを起こした。そのとき、クローバーボックスは、どんなに力を入れても、頑としてその蓋を閉ざしたままだったのだ。
 みんなの気持ちが合わなかったから、蓋が開かなかったんだろう、とタルトは言った。それならば、今の美希と自分の関係を考えれば、クローバーボックスはまた開かなくなっているのではないか。そうせつなは恐れていたのだ。

「なぁ、パッションはん。ソレワターセは、なんでベリーはんを、あんな目に遭わせたんやろか。」
「たぶん・・・目的は、私たちにグランド・フィナーレを使わせないことだと思う。」
 プリキュアの新しい技、グランド・フィナーレ。ソレワターセをも倒すその必殺技は、四人のハートをひとつにして戦う技だ。ベリーがパッションを信じて、心を合わせてくれなければ、使える技ではない。
「なるほどなぁ・・・。せやけど、クローバーボックスは、こうしてちゃんと開くんや。まだ、望みはあると思うけどなぁ。ベリーはんだって、希望を捨てとらんから、ピーチはんの話を聞いたんと違うか?」
「希望を・・・捨ててない?」
 せつなの目が、大きく見開かれる。
―――どんなときも、希望を捨てちゃダメ!
 ピンチのたびに、そう言って仲間たちを励ましてきた、美希の声がよみがえる。
(そうね。美希は、希望のプリキュアだもの。きっとまだ諦めてない。最後の最後まで、希望を捨てるわけないわ。だったら、今の私に出来ることは・・・。)
 せつなの瞳に決意の光が宿った時、部屋のドアが開いて、ラブがタオルで頭を拭きながら入ってきた。
「あ、せつな、来てたんだ。」
「お邪魔してるわ、ラブ。あのね、明日学校から帰ったら、四人でここに集まってもいい?」
「勿論いいけど、何をする気?」
「美希に、どうしても伝えたいことがあるの。うまく伝えられるかわからないけど・・・。でも、今の私にできるのは、これだけだから。」
 せつなはそっと、眠っているシフォンの頭をなでる。
 あまりにも無防備で、あどけないその寝顔。私たちで、絶対に守り抜かなくてはならないもの。
 そのためにも、そして美希のためにも、私に出来る精一杯のことをしよう。そう、せつなは誓う。
 どんな状況でも、最後まで絶対に諦めない。その大切さを、その力の強さを、私はみんなに、身をもって教えてもらったのだから。

~前編・終~



最終更新:2013年02月16日 22:25