【ある秋の出来事】/恵千果◆EeRc0idolE




「美希ちゃん、今度のお休み予定ある?」


 幼なじみの少女である山吹祈里が、受話器の向こうから聞いた。
 彼女の方から誘ってくるなんて、珍しいこともあるものだ。
 そう考えていて、返事をするのが遅れた美希に対し、念を押すように祈里が繰り返す。


「もしも予定が無いんなら……お買物に付き合ってくれない?」
「いいけど……何が買いたいの?」
「ちょっと……ね。じゃあ今度の日曜日、10時に美希ちゃん家に行くから」


 ツー。ツー。
 切れた電話の音を聞きながら、美希は思う。
 言えないような買物を、どうしてアタシと?
 祈里の意図がわからなくて不安になり、美希は考え込んだ。
 少し前までなら、祈里の考えることなら手に取るようにわかってたのに。
 それが、近頃はどうだ。まるでわからないときてる。
 美希は自嘲気味に笑った。わからなくて当たり前か。だってアタシたち、他人なんだもん。
 だけど、なんだかおかしな気持ちになるのはどうしてだろう。
 まるで、心にぽっかりと大きな穴が空いたみたいな――――そう考えて、美希は首を横に振った。らしくない、こんなの。
 もう一度、何かを振り払うようにふるふると首を横に振ると、美希はベッドから立ち上がりシャワーを浴びるために自室を出た。




 電話を切った祈里は、まだ受話器を握ったままだった。
 何気なさを装ったつもりだったが、美希に怪しまれただろうか。
 いつも誘われるまで待っている受身な祈里が、自分から誘うなんて変に思われなかっただろうか。
 本当は買いたいものなんて何も無い。
 けれど、どうしても逢いたかった。逢って、直接告げたいことがあった。
 ラブやせつなが一緒にいては、言えないようなことだから。
 だから、どんな理由を作ってでも、ふたりっきりで逢えれば良かったのだ。
 お願い、神様。もしもあなたがいるなら、どうか願いを叶えて。
 今度こそ。
 今度こそ美希ちゃんに、好きって言えますように。




 日曜日。
 美希の家の玄関前には、明るい橙色のワンピースを着た祈里が立っていた。
 その姿はまるで、匂い立つように咲く可憐な金木犀。みずみずしさにあふれたその装いは、愛らしくて彼女に似つかわしいものだ。
 しかし祈里にすれば、これでも精一杯めかし込んで落ち着いた雰囲気を演出したつもりだった。
 少しは大人っぽく見えるかな?美希ちゃんに合わせられてるといいんだけど……。
 祈里が不安げにチャイムを押し、間もなくドアが開く。
 そこに現れ祈里を迎え入れたのは美希ではなく、もうひとりの幼なじみ、桃園ラブだった。




「ごめんね、ブッキー。ラブが急に来て、アタシたちがこれから買物に行くって話したら、ラブも行きたいって言うのよ」
「だってー。せつな、図書館に行っちゃって暇なんだもん」
「だいたいラブはいっつも急なのよ!」
「いいじゃんいいじゃん!で、どこ行く?あたし行きたいショップあるんだよねー」
「ったくもう!しょうがないんだから」


 通された美希の部屋。
 強引なラブに苦笑いしながらも、美希はどことなく嬉しそうだ。
 もしかして、私とふたりっきりよりも、ラブちゃんがいる方が嬉しいのかな。美希ちゃんって、ラブちゃんのことが好きだったりして……。
 美希の笑顔をぼんやりと眺めながら、祈里の心にはそんなことばかりが浮かんでは消えていく。


 ラブちゃんもラブちゃんよ。よりによって、どうして今日なの?ひどいよ……。


 後ろ向きなことばかりが頭をもたげ、涙が両の瞳に盛り上がり、美希とラブのじゃれあう姿がぼやけて見えない。
 私、なんてイヤな子なんだろう。ラブちゃんに嫉妬するなんて。
 ――――嫌い。こんな自分、大嫌い!!


「帰る」


 一言そう呟くと、祈里は立ち上がり、ふたりに涙を見られないように急いで部屋を飛び出した。


「えっ!?ちょっと待ってよブッキー、何なの!?」


 背中に美希の声が響くけれど、待てるはずない。こんな醜い自分を見せられるわけがない。
 心臓が早鐘のように乱れ打つまで走って走って走り続けて、気がついたら公園まで来ていた。




 脚が痛い。いつもよりヒールの高いサンダルで駆けたせいだ。それも美希に合わせるためだった。


「私、馬鹿みたい……」


 少しでも美希に近づきたくて、大人っぽく飾り立てた自分がひどくみっともなく思えた。
 最初から無理だったのよ、告白なんて……。そんな思いで胸がつまる。
 祈里は両手で顔を覆い、声を押し殺して泣いた。
 どんなに悲しい時でも人間疲れるまで泣くと、案外すっきりするものだ。
 泣くだけ泣いて少し落ち着いた祈里は、しばらく休んで帰ろうと階段状になっている場所に腰を下ろした。
 祈里が座ったのは、すり鉢状の造りになっている円形野外ステージの、一番下の席だった。
 少し前から気づいていたのだが、ショルダーバッグの中でリンクルンが鳴っている。多分、美希かラブだろう。
 祈里は耳を塞いで、鳴り止むのをじっと待った。




 結局、お昼過ぎになってもリンクルンが鳴り止むことはなく、祈里は電源をオフにするしかなかった。
 もう……帰ろう……。こんなところにひとりでいたって仕方ない。
 のろのろと立ち上がった祈里の肩を、誰かがポン、とたたいた。
 振り返るとそこには、心配そうな表情のせつながいた。




 せつなは黙って祈里の横に座る。祈里もまた、せつなに合わせるように再び座り込む。
 せつなは何も言わない。重苦しい沈黙が祈里の肩にのしかかる。
 何かあったのかと聞かれた方がずっと楽なのに。
 やがて静寂に耐え切れなくなり、とうとう祈里が口を開いた。


「いつから……いたの?」
「ブッキーが泣いてた時から、かな」
「――――なんで何も聞かないの?」
「聞いてほしいの?」
「そういうわけじゃ……」
「じゃあ、聞かないわ」
「もうお昼過ぎよ。帰らなくていいの?」
「ブッキーこそ、お腹空かないの?」
「わ、私のことはいいよ……」
「じゃあ、わたしも帰らない」


 万事こんな調子で、まるでらちが明かない。
 困った祈里は、とうとう事情を打ち明けてしまった。
 それを聞いても、せつなには今ひとつ飲み込めないようだ。


「どして?ラブの目の前では美希に好きって言えないの?」
「そ、それはだって……は、恥ずかしいもん……」
「わたしはラブも美希もブッキーもみんな大好き。恥ずかしくなんかないわ」
「せつなちゃんの“好き”はみんな同じなの?ラブちゃんだけは特別でしょう?」


 祈里が聞くと、せつなは顔を赤らめた。どうやら図星のようだ。


「私の美希ちゃんへの気持ちもそう。特別な“好き”なの」
「ラブがいたから、恥ずかしくて好きって言えなくて、だから悲しくなったの?」
「それだけじゃない。私……ラブちゃんにやきもち妬いてた」


 美希が好きなのはラブかも知れない。それならそれで、仕方ないことなのに。
 美希に好きだと言えないのは自分に勇気がないせいなのに、ラブのせいにしようとしてた。
 プリキュアになったことで、昔の引っ込み思案な自分を少しでも変えられたと思ってた。
 けれどそれは、間違いだった。
 ほんの少しも変われてなどいない自分。それに気づいて呆然とする。
 思わずせつなに抱き着き、祈里は泣きながら叫んだ。


「私、変わりたい!変わりたいの!ラブちゃんみたいに素直になりたい。素直になって、美希ちゃんに好きって言いたい!そばにいたいって言いたいよ……」
「ブッキー……」


「変わる必要なんてないわ」


 ふたりの頭上から、怒ったような美希の声が降ってくる。
 祈里たちは驚いて、階段の上の方に仁王立ちした美希を見上げる。




「いつアタシがブッキーに変わってほしいって言ったの?受身で、引っ込み思案で、やきもち妬きで、そんなブッキーが……そのままのブッキーがアタシは好きなの!」
「美希……」
「美希ちゃん……」


 そう言い切った美希の顔は、羞恥で真っ赤になっていた。
 まるで熟れたトマトのように赤い頬のまま、美希は祈里の方へと近づこうと、階段を降り始めた。
 しかし、恥ずかしさからか、脚が震えて上手く動かない。
 脚がもつれた美希はバランスを崩し、そのまま倒れると思われた、その瞬間。
 倒れそうになった美希を矢のような早さで抱きとめたのは、他でもなく、祈里だ。


「あ、ありがと……」
「美希ちゃんの馬鹿!危ないでしょ!!」


 祈里は怒る。大切な美希が危険な目に合うことなど許せないから。
 祈里が本気で怒ってくれることが、今の美希には嬉しかった。


「アタシ、やっとわかった」
「何が?」
「アタシ、だめなの。完璧なんかじゃない。ブッキーがいないアタシなんて全然完璧じゃない」
「美希ちゃん……」
「だから……そばにいてよ……」


 やっと気づくことができた祈里への気持ち。そして、互いを想い合っていたことにも。
 素直な気持ちを口にする美希に対し、祈里は嬉しさの余りあまのじゃくに答えてしまう。


「はいはい。仕方ないなあ美希ちゃんは」
「何よ、その嫌々な言い方は!」
「ウ・ソ・よ。ホントはね、大、大、だーい好き」


 ちゅっ。


「!!!」
「えへっ」
「アタシのファースト・キス……」
「奪っちゃった」
「ブッキーって結構大胆よね……」
「知らなかったの?」
「全然知らなかったわよ」
「じゃあこれからいっぱい教えてあげる。美希ちゃんの知らない私を、いっぱいいっぱい」


 見つめ合い、誘うように開かれた互いのくちびるを近づけて、重ね合わせた。
 とろけるような心地のセカンド・キスを脳裡に刻み込む。
 もう離さない。離れない。




 木陰では、遠巻きにふたりを見ていたラブとせつなが笑い合った。


「やれやれ、まったく見てらんないよね」
「聞いたわよ。そもそもラブがお邪魔虫だったらしいじゃない?」
「だってせつなが図書館ばっかし行くから悪いんだよ?」
「本にヤキモチ妬いたってしょうがないでしょ?」


 そう言うと、せつなはラブにもたれた。甘えるせつなを抱き寄せ、ラブは胸の中のせつなにそっとくちづける。
 離れられない恋人たちが、ここにも、また。
 クローバータウンの秋の昼下がりは、柔らかな陽射しを浴びながら語らう恋人たちの愛で出来ていた。
最終更新:2013年02月16日 19:48