真夏の人魚の恋愛模様~伝えられないキモチ~ 前編/一路◆51rtpjrRzY
***プロローグ***
もしもお伽話の人魚姫が実在するとしたなら―――それはきっと彼女のような人なのだろう。
身近な人間の贔屓目だって人には笑われるかもしれないけど、彼女の泳ぎを見る度にそう思う。
優雅で、美しくて、彼女の起こした水しぶきまでもが真珠のように輝いて見えて。
幼い頃、その姿に心を奪われて……それからだろうか、自分が彼女を意識するようになったのは。
勿論、泳いでる姿だけが魅力的なのじゃない。
普段は頼り甲斐があって、優しくて、クールぶってる癖にちょっと抜けてて―――そんな彼女の内面も含めて…多分…自分にとっては初めての……というか現在進行形で、その……恋してる、誰よりも大切な人で……。
子供の時から、漠然とであったけれど、きっといつまでだって二人で一緒にいるのだろうな、って考えていた。人魚姫と王子様は結ばれなかったけど、自分と彼女は決して離れることはないんだろうなって。
けれど、恋は盲目とはいうものの、不満がないわけではなくて………むしろ恋をしているからこそ、不満に思うところもある。
この胸に芽生えてしまった不満……それは―――……。
***美希SIDE***
ギラギラと照りつく夏の太陽が眩しい海辺。
砂浜は大勢の家族連れや水着姿の恋人達で賑わっていた。
「ちょ、ちょっと待って下さーい!え、えりかー!!」
「あははは、こっちこっちー!早くおいでよ、つぼみー!」
……あのコ達も恋人同士……なのかしら。遠目でよく分からないけど、前にどこかで会ったような……。
「ふふっ……いいな。楽しそうよね、あのコ達」
あたしの隣でブッキーが少し羨ましそうに言う。
久しぶりに海に来る、って事で彼女らしくないちょっと大胆な黄色のビキニを着ているのが目に眩しい。
それ選ぶのにあたしも付き合ったのよね……あたしの着てるのもその時ブッキーが選んでくれた物だし……。
だけど、そのあたしの水着はというと……。
「……ゴメンね、ブッキー……あたしがアレ忘れちゃったばっかりに……」
暑いというのに手首まで隠れる大きめのパーカーの下に隠されていた。
それだけじゃない。
頭にはつばの広い帽子を被り、目には大き目のサングラス。口元も隠すようにタオルを巻いて。
とても海にやって来た、という格好とは思えない。
「あ、う、ううん!気にしないで、美希ちゃん!別にそういうつもりで言ったんじゃないから!」
慌てたように首を横に振るブッキー。
彼女が今日という日をどれほど楽しみにしていたか知っているあたしは(そりゃ勿論あたしだって楽しみにしてたのよ!?)、申し訳なくて溜息を漏らすばかり。
日差しを避ける為のビーチパラソルの下、あたしは恨めしげに砂浜を楽しげに駆ける少女達を眺めていた。
「―――姉さん、山吹さん、お待たせ」
両手に冷えた缶ジュースを何本か抱えた和希があたし達の元へと戻ってきた。
「あ、ありがとう、和くん」
差し出されたジュースを受け取るブッキー。だけどあたしは……。
「ありがとう、和希。だけどジュースよりもその――――」
あたしの切羽詰った声に、和希は言いにくそうに視線を逸らす。
「ごめん、姉さん……随分探したんだけど、どこも売切れだったよ……」
「あ……そ、そう……し、仕方ないわね……」
「確か来る時にコンビニがあったから、この後そこまで行ってみるよ」
和希はプルトップを開け、余程喉が渇いていたのか缶の中身を一気に飲み干す。
「そ、そこまでしなくてもいいわよ!悪いのはあたしなんだし……」
「いいから姉さん達はここで待ってて。それじゃ」
「あ!和希!ちゃんと帽子かぶって行くのよ!日射病にならないように……あと何かあったらすぐに連絡する事!」
「心配性なんだから……今日はいつもより体調もいいんだ。大丈夫だよ」
白い歯を見せて笑うと、和希はまた人波へと姿を消した。その後姿を見送りながら、あたしはまた申し訳なさから大きく溜息をつく。
なんで…なんでよりに寄ってアレを忘れてきちゃうのよ……あたしったら……絶対にバッグに入れたと思ったのに……。
あたしの落ち込んだ様子に、ブッキーが心配そうに声をかけてくる。
「美希ちゃん……大丈夫よ。元気出して。きっとどこかに売ってるはずだから―――日焼け止め」
***祈里SIDE***
元々、今回の海への旅行の発案者は美希ちゃんだった。
最近弟の和希くんの体の調子も良く、お医者さんからは「少し日光に当たって身体を動かすのもいいかもしれません」と言われた事がきっかけで。
「それでね…海にでも連れて行ってあげようと思うんだけど……も、もしブッキーも……その……」
頬を染めて伏し目がちにわたしを誘う美希ちゃん。
消え入りそうなその言葉に、わたしは内心ヤキモキしながら、助け舟を出す。
「―――いいわね!わたしも一緒に行きたいな。だめ?」
「ほ、ホント!?よ、良かった。じゃあ―――」
わたしとしては彼女のこういうところが……不満。
普段はビシッとしてて格好いいのに、わたしに対してだけはいつも弱気。
告白したのだってわたしからだし、照れてるからか、彼女の口からまともに愛の言葉なんか聞いた事もなくて。
もっと強気にリードしてくれたっていいのにな……。
一度でいいから……その……彼女の口から想いを告白して欲しいのに。
わたし達だけで旅行なんてって普通ならお母さんが反対するだろうけど、男の子の和くんがいる事で今回はスムーズに許可が出た。
レミさんは最後まで自分も一緒に行きたいってごねてて、「普段はあたしを置いて旅行ばっかりしてるのに」って、美希ちゃんは愚痴をこぼしてたけど。
二人きりじゃないからその……ラブちゃん達みたいにいちゃいちゃしたり出来ないのは残念だけど(ごめんね和くん)、夜は二人部屋だし……ちょっぴり邪な期待も……。
ま、まあそれはともかくとして!
折角の海への旅行、という事でわたし達ははしゃぎまくった。二人でお互いの水着を選びに行ったり、ドーナツカフェで綿密に計画を練ったり。
美希ちゃんは「せっかくの旅行なんだから完璧!にしないとね!」って凄く張り切ってた。
―――ところが、いざ海に到着した時、彼女は重大な忘れ物をしてきた事に気がついたのだ。それは―――「日焼け止め」
「何だ、そんなことくらい」って思われるかもしれないけど、モデルさんのお仕事をやっている美希ちゃんにとってはそれはまさに死活問題。
夏真っ盛りとはいえ、雑誌では早くも秋物特集を組み始めている時期で、事に寄っては冬物の企画だってすでに動き始めてる。
美希ちゃんも夏休み中に何回か撮影を控えてるみたいで、そのどれもが秋から冬にかけてのフッションばかり。真っ黒に日焼けした健康的な―――なんてイメージは決してそぐわない物ばかりだ。
故に―――絶対に日に焼けてなどならない。
「美希ちゃん、足にもタオル掛けておかないと……焼けちゃうわ」
相変わらず落ち込んで無言の美希ちゃんの足に、そっとタオルを被せる。
「―――ブッキー……あたしの事はいいから、和希が戻ったら泳いできたら?海まで来たんだし……」
「え…?う、ううん。わたしはいいの。美希ちゃんの傍にいたいし……」
「ゴメンね……あたしのドジにつき合わせちゃって……」
今日何度目になるか分からない美希ちゃんの謝罪の言葉。けどその言葉をこれ以上聞くのは、ちょっと辛い。
わたしは返事をしないで、海へと目を向けた。仲睦まじげに泳ぐ先ほどの女の子達が見える。
「ホラホラ~!早く来ないとブラ返さないよ~!」
「ひ、ヒドいです、えりがぼがぼっ!!堪忍袋の緒がぼがぼっ!!」
……仲睦まじくはないのかしら……。
どうやら泳いでるうちに片方の女の子の水着が流されちゃったみたいね。片手で胸押さえてるし、溺れないか心配だわ。
でも……。
「…本当に楽しそう……」
「えっ!?あれのどこが!?」
「あ、そ、そうなんだけど!……でも、ああいう事でも、きっと後で思い返してみたらいい思い出になるんじゃないかなって」
言ってしまってからあっ!と後悔して口を押さえる。わたしの不用意な言葉が更に美希ちゃんを傷つけてしまったみたい。
膝を抱えてそこに顔を埋めると、彼女は小さな声で呟いた。
「……あたしさえしっかりしてれば……」
「美希ちゃん……」
わたしは彼女の傍に寄り添い、その肩に頭を預け、目を閉じた。
「落ち込む事なんてないの……わたしは美希ちゃんとこうしてるだけで幸せなんだから……」
「ブッキー……」
「ね、言ってみて。わたしは美希ちゃんの――――何?」
ちょっぴり甘えた声で、美希ちゃんに問い掛ける。
―――ね、美希ちゃん。言ってみて。その言葉だけでわたしはどんな事でも許してあげるから。
「ななな何って―――そそそれは……その……」
言葉に詰まり、恥かしそうに顔を赤くしてそっぽを向いてしまう美希ちゃん。―――もう……わたしの意図は伝わってるくせに……。
もどかしくなったわたしは、突き詰めるかのように更に言葉を重ねる。
「―――何?」
言いにくそうにしていた彼女も、意を決したかのように一度大きく深呼吸して、わたしの方を向き直った。
「も、勿論あたしの何より大事なこ―――――」
「―――ねえねえ、彼女たち。どこから来たの?」
「可愛いねー。中学生?にしてはそっちのパーカーの彼女は大人びてるなあ」
わたしの一番聞きたかった言葉は、突然の闖入者の声にかき消された。
顔を上げたわたし達の前には、髪の毛を染め、良く日に焼けたいかにも軽薄そうな大学生くらいの男の子が二人立っている。
「ね、良かったらサ、一緒に遊ばない?」
「折角の海なんだしさー、ヒトナツの思い出っての作ってってもいいんじゃない?」
……もうちょっとだったのに……。
美希ちゃんはウンザリした様子だったけど、一瞬で笑顔を作って(さすがモデルさんだわ!)彼らに向けて手をひらひらと振る。
「ゴメンなさい。あたし達そういうの間に合ってますからー」
「えー、そんなつれない事言わないでさあ~。俺らも男二人で退屈してたんだ」
「俺達マジメだよ~?下心なんて全然ナシ!ちょっと遊ぶだけだからさ、ね?」
男の子達もナンパし慣れてるのか、しつこく食い下がってくる。
いつもならこういう時には和希くんが美希ちゃんの彼氏役になってくれるんだけど、コンビニまでは距離があるし、まだ戻ってくる気配はない。
―――もう…こうなったら……。
「あの……わたし達は別に女の子二人で退屈してませんから!」
「「「え!?」」」
突然のわたしの発言に、男の子達同様に美希ちゃんも驚いたみたい。やだ……邪魔されたからってわたし……らしくなかったかしら……。
だけど一旦口を開いた以上は黙ってもいられない。
「ね?言ってあげて。だって美希ちゃんはわたしの―――――」
続きを促すように美希ちゃんののサングラスの奥を見つめる。
「わたしの……何?」
「え?まさか女の子同士で、とかないよね?」
男の子達の視線もわたしにつられたかのように美希ちゃんへと集中した。それがますます彼女を狼狽させる。
「あ、あたしはそ、その……な、なんと言うか……」
絡みつく視線を断ち切るように、美希ちゃんは思い切り大きな声で―――――。
「彼女の……こ、こ――――お、幼馴染なのよ!!!」
……し―――――――――――ん。
――――空気が凍りつく、ってきっとこういう事を言うんだわ………。
波が引くように一瞬の間を開けてから、男の子達はまた口を開きだした。
「そ、そうなんだ。俺達もさ、小学校の時からの知り合いで……なあ?!」
「あ、そうそう。だからさ、お似合いじゃない?ね?」
戸惑う男の子達の反応をスルーして、美希ちゃんはわたしの方をちらりと盗み見る。
欲しかった答えが得られなかったわたしは……まるでフグみたいにぷううっと頬を膨らませて……。
もう!!こんな時くらいはっきり言ってくれてもいいじゃない!!
わたしの反応に慌てたのか、オロオロしながら美希ちゃんは弁解しようと言葉を繋いだ。
「あ、あのね、ブッキー、い、今のはそのなんというか……な、成り行き―――――」
「あなた達!待ちなさい!!」
けど、取り繕おうとする美希ちゃんの声は、再び新たな闖入者に寄ってかき消されたのだった。
***美希SIDE***
「嫌がってる女性を無理に誘うなんて、みっともないと思わないんですか!」
突然の新たな乱入者の登場に唖然とするあたし達と男の子二人組。
声の主はひょろりとした体躯を強く見せようとでもしてるのか、胸を大きく反らし、腕組みをして仁王立ちしている。
―――でも正直迫力不足も甚だしいわ。下手したらこのナンパな男の子達の半分も体重がないんじゃないかしら。
えーと…見覚えのある眼鏡とらっきょ……もとい、特徴的なこのヘアースタイルは……ラブと同じ学校の―――なんて言ったかしら?
「け、健人くん!」
ああそうそう、御子柴健人くん。
前に皆で遊園地行ったりトレーニング施設を貸してもらったりしたのよね。―――ブッキーを船上パーティに招待したりした事も……く、嫌な思い出だわ。
それにしたってなんでこのコがここにいるのよ?
「あ?なんだお前?」
「あのさ、俺ら今忙しいんだよ。ヒーローごっこならそこらの子供とでもやってくんね?」
御子柴君の登場に一瞬怯んだものの、自分たちより明らかに格下の相手だと考えたのか、男の子達は居丈高に御子柴君へと詰め寄った。
でも、意外と言うか、御子柴君には焦った様子も怖気づいた様子も感じられない。
「ふふん。あなた達、それくらいにしておいた方がいいんじゃないですか?」
「ああ?何言って―――――」
「お、おい!ま、周り見ろよ、周り!!」
一人の男の子の言葉に、連れの子だけじゃなく、あたしたちまで周囲を見回す。
げ…な、なによこれ………。
いつの間にかあたし達のいるビーチパラソルの周りは、体格のいい何十人という黒スーツ、サングラスの男性達に包囲されていた。み、見てるだけで暑苦しいわ……。
見ているあたしとは反対に、余程訓練されているのだろうか、彼らは汗一つかかず、後ろ手に手を組んだまま、直立不動の体制で身動き一つしない。
「な…なんだよこいつら……」
男の子達も彼らの異様な風体に気圧されたのか、背中合わせになって怯えている。
「彼らは我が御子柴財閥の誇る有能なSP達ですよ……もし僕に何かしようものなら―――――」
言って御子柴君はパチン、と指を鳴らした。途端にザザッ、とファイティングポーズを取る黒服の男達。
素人目にも格闘の達人と分かる彼らの威圧感と殺気に、男の子達は「ひっ」と小さく呻くと、くるりとあたし達に背を向け、
「あ、お、俺達用事思い出しちゃったから……」
「じゃ、じゃあまたね!彼女達!!」
と言い残すと、凄いスピードで砂浜の遥か彼方まで一気に走り去ってしまった。
「ふ、口ほどにもない。大丈夫ですか、山吹さん?」
余裕の表情で手をパンパンと払う御子柴君。いや、あなた何もしてないじゃないの!
「あ、ありがとう健人くん……とSPさん達……」
「ま、まあ助かったわ…ありがとう」
「いや、お礼には及びません。実はこの海沿いに御子柴財閥がリゾート施設を建設する事になってましてね。その為に視察に来ていただけですし。―――でも良かった」
ス、とブッキ―の手をさり気なく握る御子柴君。ちょ、ちょっと何やってるのよ!ブッキー、早く振りほどいて!
あたしの心の声が届かないのか、この雰囲気に流されてしまってるのか、彼女は手を取られるがままに御子柴君へと聞き返す。
「良かった……って?」
「あなたを守る事が出来たからですよ、山吹さん」
「僕の大好きな、大切な人を守る事が出来た」
その台詞に一瞬あたしの顔から血の気が引き、その後一気にカーッっと頭のてっぺんまで熱くなった。
(は、はあ!?な、何歯の浮くような事言ってるのよ!?それはあたしの台詞よ!!)
けど、あまりの怒りの為か、あたしの口からは何も言葉が発せられない。
(ちょっとブッキーからも言ってあげ――――)
拒否の言葉を口にしないブッキーがもどかしくなり、彼女の横顔に合図するように強い視線を送る。でもあたしが見たのは嫌がってる様子のブッキーじゃなく。
「…………」
―――予想に反して御子柴君の言葉に頬を赤らめ、うっとりとした目をしているブッキー……だった。
その言葉に微笑んだ御子柴君がゆっくりと手を上げると、途端に周囲の黒服軍団からパチパチパチ……という祝福の拍手が起こり始める。
どれだけ訓練されてるのよ!!!というツッコミも入れる事が出来ないまま、あたしはただ呆然とブッキーを見つめ続けた。
*****
「姉さん、お待たせ。やっぱり日焼け止めはその―――姉さん?」
あー……誰かあたしに話しかけてるわ。誰かしら。聞き覚えのあるような声だけど……。
「姉さん?姉さんってば!?」
なんだろう、遂に幻聴まで聞こえるようになっちゃったのかしら。
無理もないわ……SPに胴上げされながらブッキーと御子柴君が仲良く去って行くような幻覚を見るくらいですもの……。
「―――――」
あ、静かになった。やだわホント……こんな格好してるから暑さにでもやられたのかしら……あたしったら……ふ…ふふふ……。
タオルに隠された口元を歪め、虚ろな笑みを浮かべるあたしの眼前に、突如、さっ、と赤い物体が差し出される。
何よこれ……赤くて丸くて足がひぃふぅみぃ……八本。なんだ、ただのタ―――――――!!!!!
「た、タコォォォ!!!???」
あまりの恐怖に意識を取り戻したあたしは、ざざざざっと一気に後ずさる。
ひぃひぃと肩で息をする涙目のあたしの前には、空気で膨らますビニール製のタコの玩具を手に苦笑いする和希の姿が。
「良かった。気がついた?ボーっとしてたからちょっとショック療法を試してみたんだけど」
「か、和希……あんたねぇ……」
怒りにワナワナと身体を震わすあたし。弟でもやっていい事と悪い事があるのよ……!!
けど和希はそんな事どこ吹く風という顔で「ありがとう」とタコの玩具を横にいる持ち主らしき少女へと手渡し、あたしの横へと腰掛ける。
「―――で、何かあったの?姉さんがそんな風にボンヤリしてるなんて珍しいけど。それに山吹さんはどうしたの?」
和希のその言葉に怒りも吹き飛び、あたしは理解したくない現実へと引き戻された。
ブッキ―は……。
「……ブッキーなら知り合いの男の子に会ったから、ってちょっと出かけたわ……」
「山吹さんが?……ふーん、姉さんをおいてくなんてらしくないなあ……」
疑わしそうにあたしを見る和希。な、何よ。嘘なんかついてないわよ。
目を逸らすあたしに、和希はやれやれという風に肩をすくめた。そして思い出したかのように。
「あ、そうだ。ごめん、姉さん。やっぱり日焼け止めはコンビニにも置いてなくて……猛暑だから買う人も多いんだろうね」
「……そう……」
日焼け止めなんかもう何の意味もないわよ。だってそれが必要で、一緒に海辺で遊びたかった相手はもう―――……。
サングラスの下の目が潤む。
どうしてだろ…本当だったらこの旅行は目一杯ブッキ―と楽しむはずだったのに……。あたしのドジで台無しになっちゃったから……怒っちゃったのかな……。
いや……いやよ……ブッキー、あたしの傍にいて……。あたしを嫌いにならないで……。あたし……。
あたしはまだあなたにちゃんと伝えてない事が―――。
「あーあ、残念だなあ。姉さんの泳ぎ、僕は好きだからさ。太陽の下で見たかったんだけど」
深海のように暗く澱んだあたしの気持ちを知らないように、和希が突然暢気な事を言い出した。
「山吹さんも言ってたけど、姉さんの泳ぐ姿ってさ、お世辞抜きで本当に綺麗なんだ。覚えてる?姉さんが僕の小さい頃によく読んでくれた童話の―――『人魚姫』みたいに。」
何よ、あたしが落ち込んでるからって慰めてるつもり?
覚えてるわよ。最後、人魚姫が泡になってしまう下り、読みながら和希だけじゃなくあたしまでビービ―泣いちゃって、ママがビックリして飛んできたわよね。
「たまに思うんだよね。あの時、なんで人魚姫は届かないかもしれない想いを諦めてしまわなかったんだろうって。美しい声まで犠牲にして……」
そういうお話なんだから仕方ないじゃない。あたしだって何度人魚姫に同情したか分からないわよ。
何かを犠牲にしてまで賭けた想いが報われずに終ってしまうなんて―――哀しすぎるもの。
「……それほど好きだったんでしょ。王子様が」
「うん。それはすごい事だよね。ただ人を好きだって想いだけで、何を失っても構わないって強さを持つ事が出来るなんて」
ぴくっ、と和希の言葉にあたしの心が反応した。
「そういう心の強さも含めて、人魚姫の泳ぐ姿は綺麗なんだろうなあ。あくまでイメージだけどね」
ニコッ、と和希があたしに微笑みかける。
「姉さんの泳ぐ姿は、そんな人魚姫に似てるよ」
……随分変な慰め方じゃないの。
それに今のあたしは人魚姫なんかじゃないわ。日に焼けるのを怖がって、太陽の下に出るのを嫌がってる―――どっちかと言えば吸血鬼よ。
そんなの……冗談じゃないわよね。
足にかけられていたタオルを払いのけ、ガバッっと起き上がると、あたしは邪魔な帽子とサングラスを取り去った。
ジッパーを降ろし、パーカーも脱ぎ捨てる。こんなの着てたら暑くて走れないもの!
「和希!ちょっと留守番してて!!」
「分かった。けど―――いいの?日に焼け―――」
「そんなの知った事じゃないわよ!」
砂を蹴り、あたしは走り出す。ブッキーを……あたしの王子様を探して。
今してる事は無駄な事かもしれない。もうブッキーはあたしになんて振り向いてくれないかもしれない。この想いは報われずに終わってしまうかもしれない、
でも、伝えなきゃ、って事だけは分かる。今日何度も伝える事が……ううん、今までだって何度も言おうとしてたのに、照れ臭くて伝えられなかった言葉だけは。
あたしはあなたが―――。
あたしの背後から、和希の呟きが聞こえた気がした。
「大丈夫だよ。きっと姉さんの想いは、泡になったりしないから」
最終更新:2013年02月16日 19:33