スイッチ・オフ/一六◆6/pMjwqUTk




(疲れた・・・。)

 目を閉じて、ゆっくりと深呼吸。ぴんと張った神経の糸を、少しずつ解きほぐす。
 頭の芯に、わずかに残る重い痺れ。慣れ親しんだその感覚を、心地よく感じている自分を不思議に思う。なんだか、ダンスレッスンで精一杯動いた後、みんなで「もうダメ・・・」とへたり込んだまま、笑い合っているときの気分と、少し似ているような。
 全力で何かに打ち込んだ後に訪れる疲れが、こんな充足感を伴っているということを、せつなはこの世界に来て、初めて知った。



   スイッチ・オフ



(みんな同じ服を着ていても、この世界の人たちって、それぞれが全く違って見えるのね。)
 ベッドに寝転がって、ハンガーに吊るした制服を眺めながら、せつなは思う。ちらりと頭をかすめるのは、かつての故郷の人々の姿。彼らに比べて、今日初めて会った級友たちの、何とまぶしく輝いていたことか。
(学校って・・・なんか、楽しそうなところ。)
 うるさいくらいに明るくて自由な、クラスの雰囲気。先生たちの、厳しい中にも穏やかな愛情を感じる態度。みんなでひとつの黒板に向かって受ける授業も、教室で食べる昼食も、放課後の掃除の時間も・・・何もかもが新鮮だ。
 ラビリンスには、集合教育の制度なんてなかったから、せつなにとっては、これが初めての学校生活。そしてそれは、新しい場所で、この世界のもっと数多くの人たちとの交流を持つという、やはり初めての経験でもあった。

 素性も過去も知られているクローバーの仲間たちとも、何も聞かずに受け入れてくれた桃園家の家族とも違う。クラスメイトや先生たちは、当然のことながら、この世界で生まれ育ったごく普通の一人の少女として、自分を見る。本当は、この世界では知っていて当たり前の常識すら、まだよくわかっていない自分を。
 そう思うと、どうしたって緊張感を覚えずにはいられない。

 多くの人の場合、緊張は身体の動きを固くし、その五感を鈍らせる。が、せつなの場合はその逆だ。
 目は、自然とその視野を広げ、周囲の状況を最大限に捕えようとする。耳は、どんな小さな物音も聞き逃すまいと身構える。そして、研ぎ澄まされた全身からの情報を受けた頭脳が、瞬時に状況を分析し、判断を下していく・・・。
 ラビリンスで培われた、異世界に潜入する戦士としての能力が、身体の中で静かに目を覚まし、その真価を発揮する。

 勿論、これは任務ではない。そもそも、一過性の潜入ですらない。
 自分を学校に通わせてくれる家族に迷惑をかけず、その思いやりに少しでも答えていくために。そして、他でもない自分自身が、あまりにも狭く縮こまっていた自分の世界を、少しでも広げていくために。これはそのための、大切な一歩だ。
 その頑張りが、少しは功を奏したのか。それとも、単に運が良かっただけなのか。
 登校初日の周囲の反応は、予想を遥かに上回る、好意的なあたたかなもので・・・正直、せつなは少し、戸惑いを覚えたほどだった。

(ううん、きっと一番の原因は、そんなことじゃないはず。)
 せつなはベッドの上に起き上がり、フッとその表情を緩める。
(だって、学校に行っても、いつも隣には・・・)
 そう心の中で呟きながら、今日、人一倍クラスメイトたちを盛り上げていた、一人の少女の顔を思い浮かべたとき。
「せつなーっ、いるぅ?」
 勢いのいいノックの音とともに、当の本人の声が、ドアの外から聞こえた。



「あれ?せつな、まだ着替えてないの? ダメだよぉ。お母さんに叱られるよ。」
 そう言いながら部屋に入ってきたラブが、ベッドに座ったせつなの隣に腰掛ける。言われてせつなは、自分がまだダンスの練習着姿なのに気付き、思わず顔を赤らめる。家に帰ってホッとしたのか、つい、珍しく着替えもしないでベッドでくつろいでしまっていた。

 ラブが隣から、彼女の顔を覗き込む。そしてニコリと笑って
「疲れちゃった?」
と、やさしい声で尋ねた。
 その一言だけで、せつなの心に、ポッとあたたかな灯がともる。
「うん・・・。今日は一日、緊張しっぱなしだったわ。」
そう素直に答えると、
「え?そうなの?そうは見えなかったなぁ。」
心底驚いたという顔をするラブ。が、その顔はすぐに、いつもの笑顔に戻った。
「大丈夫だよ、すぐに慣れるって。せつな、勉強もスポーツも凄いんだもん。もうすっかり、クラスの人気者じゃん。」
 まるで自分のことのように嬉しそうにそう言って、ね!?とキラキラした目を向けてくるラブに、せつなは心の中で苦笑する。
(・・・そういうことじゃ、無いんだけどな・・・。)
 そう思いながらも、せつなはラブに、心からの微笑みを返す。隣にラブが居てくれるから、どんなに緊張しても、疲れても、頑張ろうって思えるのだから。

「そろそろ夕ご飯の準備よね?私、着替えなきゃ。」
 立ち上がったせつなを、ラブは足をブラブラさせながら、上目づかいで見る。その子供じみた視線に気が付いて、せつなは首をかしげた。
「ラブ。ひょっとして、私に何か話があったの?」
「い、いやぁ・・・。」
 ラブの視線がせつなの顔を離れ、所在無げに泳ぐ。その様子を見ていたせつなの顔に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。
「ねぇ、ラブ。今日は満月が見られるって、新聞に出てたわ。夕ご飯食べたら、ベランダで一緒に眺めない?」
「うん!いいね、それ。」
 途端に弾むラブの声に、少しホッとした響きがあるのを感じて、せつなもまた、嬉しそうにニコリと笑った。

 何を相談されるのかは、何となくわかっている。ゴミ捨てから帰ってきたせつなの横を、すり抜けて帰って行った大輔。やっつけるという言葉がぴったりの食べ方で、猛然とドーナツを食べていたラブ。そしてミユキの言葉を聞いて立ち上がったラブの、大慌てに慌てた表情・・・。
 一度スイッチを切ったアンテナを、もう一度立てる必要なんて無い。ただ真っ直ぐに向き合って、一心にその話を聞き、心のままに言葉を紡げばいい。
 だって、相手は最も心を許した、この世で一番大切な人。誰かと絆を結ぶということを、最初に教えてくれた、親友なのだから。



「ええなぁ。やっぱり、青春って感じや。」
 いつの間にそこに居たのか、タルトがベランダでため息をつく。
「アマジュッパ~?」
 幼いシフォンのたどたどしい問いかけに、気の早い虫の声が、笑っているように聞こえた。

~終~
最終更新:2013年02月16日 17:20