「苦薬も恋人にかかれば甘し」/SABI




平日の朝に目が覚めた時、学校に行かなくてこのまま寝ていたいって、誰しも必ず一度は願うだろうこと。


でも、その願いが現実のものになったとしても、
外に出ることができなくてしかも誰にも会えないのでは、願いが叶ったとはいえないかもしれない。



水曜日の夜に発熱して、翌日お医者さんに行ったら、数日は絶対安静と宣告された。
それから二日間、感染病だからって、自分の部屋に隔離されている。
昨日と一昨日、美希たんとブッキーがお見舞いに来てくれたけれど、
二人に病気をうつしちゃいけないから、あたしの部屋に入らないで帰ってもらった。


何もできないって、本当に退屈で仕方ない。
勉強は得意でないけど、授業を受けていた方が余程ましというものだ。
部屋の中で出来そうなことは、一日目から試した。
ダンスの振り付けを覚えたり、本を読んだりしたけど、音楽も文章も頭に全く入ってこない。
立ち上がると頭がクラクラきて、結局、何もしないで寝ているのが一番いい。


微睡みから覚めて暫くするとまた眠るといったことを何度も繰り返し、
ベッドに横になって目を瞑っていると、今が何時なのか時間の感覚が無くなってくる。
しばらく学校にも行けないから時間を気にする必要もなく、目覚まし時計は押し入れに片付けた。
電気を点けなくても部屋の中が明るいから、今は昼なのだろうとしか分からない。



今日は土曜日で学校が休みだから、せつなは家にいるはず。
横になったまま耳をすますと、家の中は静寂に満ちていて、人の気配は感じられない。


上半身を起こしてベッドの上に座ると、階段を上がってくる音がして、せつなが食事と薬を持ってきた。
食欲は全くないけれど、薬を飲むためには、何かお腹に入れなきゃいけない。
しばらく食事らしい食事を摂っていないあたしのために、せつなが作ってくれたお粥を口に運ぶ。
折角、せつなが作ってくれたんだけど、小さい土鍋の半分を食べるので精いっぱい。
それでも、昨日は全く喉を通らなかったのだから、少しは快復に向かっているといえるのだろうか。
せつなが食べきれなかった食事を片付けて薬を取りだすと、思わずしかめっ面になる。


「この薬苦いから、飲みたくない」
駄々っ子みたいに、せつなを困らせているって自覚はある。
けれど、我儘を言って、少しでも長くせつなをこの部屋に引き留めたい。
今日は学校がお休みでせつなが家にいるっていうのに、全然、あたしの所に来てくれない。
あたしの部屋に来ないのは、病気がうつらないようにということは良く分かっているけど。


「大丈夫、これは苦くないから。だから、口を開けて」
毅然としたせつなの表情に渋々口を開くと、空いた隙間から薬が投げ込まれる。
薬が落ちた所から苦さがじわじわと広がって、瞬く間に口の中全体が苦味に支配された。
味覚が麻痺して食べ物の味なんて全然分からないのに、苦いのだけ感じるのって、どうなんだろう。



やっぱり、薬苦いじゃん。しかも、水もないし。
せつなに抗議しようと口を開きかけたところに、人肌に温くなった水が洪水みたいに口の中に押し寄せてくる。
急に口に入ってきて驚いたけど、待ち望んでいた水だったから、何とか咽ることなく飲み込むことが出来た。


でも、それで終わりじゃなかった。
更に驚いたのは、水より遥かに質量感のあるものが歯と歯の合間を割って、あたしの口に入ってきたこと。
口の中に侵入した何かは、探るように口の隅々に触れて、薬の苦味を消していく。


あたしの口の中にあるのがせつなの舌だと気付いたのは、
キスしてる状態しかありえないほど至近距離に、せつなの顔があったから。


喉の入口の粘膜や舌の裏側、歯と唇の間など、あたしの口の中でせつなの舌が触れなかった所が無いくらい。
味を感じる舌は特に念入りに、舌であたしの舌を掘り起こして自分の唇で挟み、最後は舌を吸い上げる。
仕上げとばかりに、乾燥してひび割れたあたしの唇を舐め、甘い吐息を残してせつなが離れていった。



「せつな・・?」
自分の喉から出たとは思えない変な声、掠れていたのは病気のせいだけじゃない。


「病気、うつっちゃうよ」
「うん。だってラブの病気がうつったら、ずっと、ラブのそばにいられるでしょ?」


「でも、病気になったら、熱が上がったり・・・」
「うん」
薬がだんだん効いてきたのか、舌がもつれてうまく話せない。


「・・・お腹とか、身体が痛くなったりするんだよ」
「うん。分かってる」


「それに・・・」
尚も言い募ろうとすると、完全に薬が効いて、呂律が回らなくなってきた。
それに、猛烈な睡魔に襲われて、瞼が重くなって目を開けていられない。


あたしが寝てしまったと思ったのか、せつなが立ち上がる気配を感じる。
部屋から出て行ってしまうと思ったけれど、乱れた布団を直しただけらしい。


せめてあたしが寝るまでここにいて。
もう言葉にはならなかったけれど、あたしの思いはせつなに伝わったらしい。
ベッドサイドに再び座ったせつなが、あたしの手を取って自分の両手で包み込み、ベッドに肘をつく。



目を覚まして最初に見るのが、せつなの顔でありますように。
そう、願いつつ、あたしは眠りの世界へと漂い込んでいった。








~おまけ~


握っていた手が力を失って、ラブが眠りに落ちたのが分かった。
何度か様子を見に来た時は寝苦しそうだったのに、薬が効いたのか今は安らかな寝顔をしている。
ラブの顔に近づけると、普段より荒い寝息が私の顔にかかり、微かに薬の匂いがする呼気は熱い。


口の中には同じ薬の苦味が残っている。
ラブが言った通り、ラブの病気が私にうつってしまったかもしれない。
でも、ラブのそばに居られない心の痛みに比べたら、身体の痛みなんか大したことない。


罹患をより確実なものにすべく、ラブの唇にそっと唇を押しあてた。
最終更新:2013年02月16日 17:09