「あなただけに我が儘を 前編」/黒ブキ◆lg0Ts41PPY R18




しんと静まり返り、冷えきったラブの部屋。
握り合った手が火照るように熱い。
全身が心臓になってしまったよう。
美希と祈里がくれた二人きりの時間。
長いようでも、きっとあっという間に過ぎてしまうだろう。
一分一秒も無駄には出来ない。そう思うのに。
そっとラブの顔を伺い見る。同時に視線がぶつかった。


「あは…なんか、緊張してるみたい」
「…うん、私も…」


いつもは、そんな事を考える余裕さえない。
ラビリンスからこの家に帰れるのは限られた時間だけ。
最初は、顔が見られるだけで満足出来ると思っていた。
会いたくて会いたくて、顔が見られないなら声だけでも。
声が聞けないならメールだけでも。
会えない内はそう思っていた。
しかし、混乱していた通信が回復し、メールが出来るようになると、
声が聞けないのが辛くなった。
何とか時間を遣り繰りして電話をすれば、顔が見たくて仕方がなかった。
そして、やっとの思いで帰り、言葉を交わし、顔を見てしまえば…。
欲望には切りがないのだと痛感するだけだった。


最初は我慢していた。
触れ合えば余計に辛くなる。離れがたくなるだけだ、と。
そうでなくても時間が無い。
両親と語らいたい、親友達とも過ごしたい。
そしてこれらの欲求は大っぴらに求めても許される。
一度満たされれば、次に会える時まで胸に温めておけた。
けど、ラブとの時間は違う。
きっと、堪えられなくなる。
次から次へと想いが溢れ、離れている事実に耐えられなくなりそうだったから。


禁断の果実をもいでしまうまで、そう時間は掛からなかった。
初めての帰省を終えてしばらくした後、ふと訪れた中途半端な自由時間。
すべては偶然だった。
予定していた仕事がずれて、一時間ほどの待ち時間が出来てしまった事。
そして、その時間がラブの学校からの帰宅時間と重なっているのに気付いてしまった事。
母はほぼ確実にパートに行っている曜日だった事。


気が付けばリンクルンを手にし、ラブに電話を掛けていた。
ラブも予定が空いているとは限らない。
補習があるかも。友人達と約束があるかも。電話に出られる状態かどうかも分からない。
出て欲しい。でも、出ないで欲しい。
とんでもない、我が儘を言ってしまいそうで。
そんな事を願うのは、両親や親友達を蔑ろにしているようで後ろめたくて。
緊張に指先が冷たくなり、やっぱり切ろう、そう思った時。
ラブの声が聞こえた。



『もしもし、せつな?!せつななの?どうしたの、何かあった?』


こんな時間に電話なんてしたことがなかった。
少し心配そうなラブの声。
安堵と後悔に涙が出そうになりながら、せつなは自分が今まで
何とか踏み留まっていた壁を越えてしまうのを感じていた。


「…あの、あのね、ラブ…私、少し、ほんの少しだけど、空いた時間が出来たの」


リンクルンの向こうで、ラブが息を飲むのが分かった。


「…一時間くらいしか無いの。でも…あの…」


声が震えた。涙が零れた。ラブはどう思うだろう。
自分から離れておきながら、こんな事を願う自分が浅ましく感じて
目眩がしそうだ。


「会いに行っても、いい……?」


それでも、壁を踏み越えてしまえば、後はそちら側に飛び降りるしかない。
また戻るのに、越える時とは比べ物にならない程の辛さが待っていると分かっていても。


『五分!ううん、あと二分で家に帰れるからっ!すぐ来られる?』
「うん…。うん…」
『待ってて!すぐだからね!』


アカルンでラブの部屋にテレポートする。
見慣れた景色。馴染んだ部屋。それなのに、心臓が爆発しそうだ。
ラブに何て言おう。
素直に言えるだろうか。
寂しくて、辛くて、どうしようもなかった、と。
抱き締めて、愛して欲しい、と。
耳を澄ます。慌てふためいた足音が近付いて来るのが聞こえてきた。
鍵を開ける音。玄関に飛び込み、階段を駆け上がってくる。


「せつなっっ!!」


鞄を放り出し、鍵をかけるのももどかしく、ラブが体ごとぶつかってきた。


「せつなっ、せつなっ、せつなっ…」


唇を塞がれ、そのままベッドに突き倒すように沈められた。


「ラブっ、ラブ…ラブ…ラブ」


胸元を一瞬の躊躇も無くはだけられ、せつなのスカートに手が突っ込まれると、
容赦無く下着を剥ぎ取られた。
まるで犯されるような性急で乱暴な情事。
せつなはあられも無く悶え狂いながら、その心は歓喜に震えていた。
ラブも同じ気持ちだった。
ラブの方が、あからさまなくらい真っ直ぐに向かって来てくれた。
そして、嬉しさと同じくらい、後悔に胸が抉られる。
この行為の後、ラブはどんな気持ちになるのだろう。
ラブは分かっているのだろうか。
渇きに耐えきれず、潮水を飲んでしまえば、その後は更に耐え難い渇きが待っている事を。



「…もう、行かないと…」


余韻に浸る間もなく、衣服の乱れを掻き合わせるせつなを見ながら、
ラブは捨てられた子犬のような目になっている。
ついさっきまで、獣の様にせつなを貪り尽くしていたのと同じ少女だとは信じられないくらいに。
せつなの胸がキリキリと引き絞られる。
それでも、口が裂けても行きたくないとは言えない。言ってはいけない。


「……また、こんな風に、来てくれる…?」


ラブは喉から声を絞り出すように呻き、唇を噛み締める。


「来ても、構わない……?」
「当たり前だよ!来て、お願い…。必ず…」


叫ぶような訴えは、だんだん細く消えてゆく。
ラブにも分かってしまったから。
今回は特別。こんな機会はそうそうあるものでは無い。
もし時間が作れても、纏まった休みでの帰省は家族や友人との時間が大半だ。
こんな風に、束の間でも抱き合えるのは、次はいつかなんて約束出来ない。


「必ず、また来るから…ごめんなさい…」
「謝らないで!あたし、嬉しかったんだから!ホントに、ホントに…」
「…ええ。私も……」
「無理は、しないで。でも…待ってる…」


抱き合った腕をほどくのに、歯を食いしばらねばならなかった。
アカルンで消える一瞬前、ラブがベッドに泣き伏すのが見えた。


せつなはひとしきり涙を流した後、背筋を伸ばして立ち上がる。
真っ直ぐに前を向き、顎を上げたその瞳にもう涙はない。
仕事に泣き顔で出る訳にはいかない。
せつなは心のシャッターを下ろすように、情事の記憶を頭と心から閉め出した。
すっと頭が冷え、早鐘を打っていた心臓が鎮まる。
こんなにあっさりと体と心を切り離せる自分が嫌になる。
まるでラブをあの部屋に置き去りにして裏切っているような気がするから。


それでも、体に残ったラブのぬくもりだけは、どうしても消す事は出来なかった。


後何回、こんな事を繰り返すのだろう。
後何回、ラブを泣かせてしまうのだろう。


後どれくらい経てば、堂々とラブの元へ帰れるのだろう…。




「…せつな」


ラブの呼ぶ声に我に返る。
頭の中では長く思えた追憶も、現実の世界ではほんの一瞬。
目の前にあるのは誰より愛しい人の唇。
触れるだけで、泣きたいくらいに幸せを感じられる。
優しい指に服を脱がされながら、同じ行為を返す。
時間を考えるのは、今はよそう。
長くはない、それでも、瞬く間に過ぎて行くほど短くはない時間。
きっと、噛み締めるくらいの猶予はあるはずだから。



べッドの中で一糸纏わぬ姿で抱き合う。
二人の体温で暖まったシーツの感触が心地よい。
こんな風にただ互いの温もりを、じっと確かめ合うなんてどれくらい振りだろう。
クスクスと笑い合い、ついばむような口付けを交わし、足を絡ませ。
ぴったりと隙間なくくっつき、手のひらで味わうように
熱く滑らかな素肌を撫で合う。


今までの、家族との貴重な時間の合間。刹那の恋人同士の時間。
言葉すら交わす時間も惜しみ、貪るようにお互いを求め合う。
我を忘れて息を絡ませ、肌をまさぐり、夢中でお互いを相手の体に刻むように交わった。
横目に時計をチラチラと盗み見しながら、最後の一瞬まで未練がましく
唇を重ねる。
固く抱き合った後、生木を裂くように肌を離し、慌ただしく着衣を直す。
息を整える暇もなく離れなければならない、熱く短い火花のような逢瀬。
一人になるといつも火照りの冷めない体が切なくて。
胸の中が火傷したようにヒリヒリと疼いて。
いつ破れてもおかしくないじくじくとした水疱を抱え、こんな思いをするのなら、
いっそ会わない方がいいのではないか。
空っぽになった腕で自分を抱き締めて嗚咽を堪えながら、
そう、投げ遣りな気分になる事すらあった。
それでも、一度身も心も愛され満たされる悦びを知ってしまった後では
無駄な足掻きにしかならない。


求め、求められる悦び。
例え、刹那の逢瀬でも。


束の間の至福であろうと、その後に身を切るような寂しさが待っていようと、
伸ばした手を取り、溶け合う事を拒むなど考えられなくなっていた。
背中、脇腹、腰の括れ。
せつなを優しく宥め、労るように這っていたラブの手がゆっくりと
別の意思を持って動き始める。
絡めていたせつなの足をほどき、膝を割る。
手のひらで乳房の丸みを撫で、その指はせつなを昂らせる為の動きになっていく。
ラブの瞳の中に狂おしいような欲望が揺らめいていた。
せつなの中にも触れ合うだけでは満たされない、抑えていた情欲が溶け出す。
そのまま激しい愛撫が降り注がれると待っていたのに、ラブは体を離し、
せつなの手首をベッドに縫い付けるように開かせる。
割り込ませた自分の体で足を開かせ、そのまま嘗めるように
せつなのしなやかな肢体に熱っぽい視線を注ぐ。
この美しい獲物をどう味わおうか。
ラブの瞳の中に舌舐めずりする肉食獣の獰猛な光が宿る。
柔らかな肉だけではない。
その微かに怯えたような眼差しや、甘い悲鳴まで味わい尽くしたい。
泣いて許しを乞うまで貪り尽くしたい。
そして、最後の骨の一欠片すら残さず、すべてを自分のものにしてしまいたかった。



最終更新:2013年02月16日 14:36