【赤い糸】/恵千果◆EeRc0idolE
この頃、ラブはわたしに何か隠してる。
そう気づいたのはいつだっただろう。
ひどく風が冷たい。感覚のなくなっていく耳朶を指でこすって温める。足元にはカサカサと枯葉の音。
深まりゆく夕闇の中をひとり帰りながら、絡まり合った記憶の紐をゆっくりとほどき始めた。
先ほどまでの学校での会話。
「ラブ、帰りましょ」
「ごめんせつな! 先に帰ってて。あたしちょっと由美に頼まれ事あってさぁ」
「……そう」
「ちょっとだけ遅くなるって、お母さんに言っておいてくれないかな?」
「わかったわ」
ああ、ラブは嘘をつくのが本当に下手だ。
昨夜。
いつもなら宿題を写しに来るラブが部屋に来なかった。
それが変だと気づけなかったのは、夢中になって読んでいた本のせい。
一昨日は?
一昨日の放課後はわたしがブッキーの家におよばれしてて……。その時、ラブはどこにいたのかしら?
美希といたのなら心配はない。ないはずだ。はずなんだけど……。
なんでこんな気持ちになるんだろう。まるで、どこかにひとりで置いて行かれた迷い子のような……。
わたしはぶんぶんと首を振ってイヤな考えを振り払った。
ラブだっていつもわたしと一緒ってわけにはいかないわ。それはわかってる。
そんなこと、とっくの昔にわかってるの……。
だけど。
たとえば内緒。もしかしたら秘密。そういう言葉って、今までのわたしたちにあったのかしら?
びゅぅーっ。一陣の強風に、枯れ葉たちが舞い上げられ飛ばされてゆく。木枯らしとともに、冷たい感情がわたしの心を揺さぶり、吹きぬけて行った。
宿題を終えて階下に向かうと、お母さんと一緒に夕食をこしらえる。いつもの日課。
優しい声や穏やかな笑顔。まとう雰囲気。大好きなお母さん。そばにいるだけで、冷えた心は温まったかに思えた。
でも、ラブが帰って来て、お帰りの挨拶も早々に自室にこもった時、それは再び冷たさを取り戻す。
ラブは確かに何かを持っていた。
そして二階に駆け上がったのだ。わたしには見えないように、それを背中に隠しながら。
演技なら、難しいことじゃない。
何も気づいてないふり。寂しくなんかない。悲しくなんかない。
今までだって、ずっとひとりだったじゃない。
ちょっと忘れていただけ……。
「せっちゃん? おかず減ってないわよ。おなか空いてない?」
「ほんとだ。せつな、おなかの具合でも悪いの?」
「そうなら薬飲んで早めに休んだ方がいいぞ」
「え? そんな、具合なんてどこも悪くないわ。やあね、お母さんもラブも、お父さんまで」
「美味しくなかった?」
「美味しいに決まってるじゃない! お母さんの料理は世界一よ」
慌てて、残っていたおかずや御飯をかき込む。
そうは言ったものの、いつもはあんなに美味しいお母さんの料理が不思議と何の味もしない。
「ごちそうさま。美味しかった! 先にお風呂、いただいちゃうわね」
「え、ええ……」
食べ終えた食器を片付けると、ぽかんとした顔の三人を残して急いでお風呂場へ向かう。
熱い湯船へと身体を沈めても、凍った心はかたくななまま。
コンコンコン。
遠慮がちなノックが3回。眠ったふりでやり過ごす。
カチャカチャとドアノブを廻す音も聞こえているが、鍵を開けるつもりはなかった。
今夜はあなたの顔をまともに見れそうもないから。ラブ……、ごめんなさい。
翌朝、カーテンの隙間から射し込む光がやけにまぶしくて、いつもより早く目が覚めた。
窓の外に拡がるのは、うっすらと白い世界。
「初雪……」
白粉をはたいたようなその景色は、秋の終わりを告げていた。
寝坊してるラブをひとり残して、わたしは玄関を出る。
たまらなかった。隠し事をするラブも。どんな顔で話したら良いかわからず逃げるような真似をするしかない自分も。
学校まであと半分。後ろからパタパタと雪を踏みながら走ってくる音が聞こえる。
「ハア、ハア……」
彼女は黙ったままわたしの後ろについて歩きながら、息を整えている。
しばらくふたりとも無言のまま歩き続けた。音のない白銀の世界に、きゅっきゅっと雪を踏みしめるローファーの靴音だけが響き渡る。
突然、ふわっと首に温かいものがかけられた。真っ赤な紐のような、長い何か。
「……マフラー?」
「うん」
後ろを振り向くと、ラブが首に巻いている真っ赤なマフラーが、わたしへと繋がっている。
「すごく長いでしょ。ふたりで使えちゃうんだよ」
「……まさか、これを作ってたの?」
「そうだよ。驚かせたくて内緒にしてた。由美に教えてもらって。せつなの喜ぶ顔が見たかったの。でも、悲しませちゃった」
「……ごめんなさい、ラブ、わたし……」
「……これね。赤い糸なの」
「赤い、糸?」
「うん。あたしとせつなを結ぶ、運命の赤い糸」
ラブが隣に立ち、わたしの左手に、自らの右手を絡める。
「せつなの手、すごーく冷えてる……」
「ラブの手だって……」
「でも、こうしてると、温まってくるね」
ラブに触れられた指が、心が、少しずつ温もりを取り戻す。
子供じみた嫉妬に支配された自分が恥ずかしかった。でも、そんな感情も持てるようになったのも、きっと彼女を愛したから。
「……別々のを作れば良かったのに」
「それじゃあ意味ないでしょ。それに、こんなこともできちゃう」
マフラーに隠れて、ラブが近づいた。ちゅっ、と小気味良い音を立てて唇が離れる。
「昨夜、見せたかったのに」
「だ、だから、ごめんなさいって」
「今夜は、いいよね?」
「こん、や……」
声が掠れる。
マフラーにくるまってこちらを見上げるラブは、小動物のような可愛さだ。
でも、その瞳の奥の輝きは、獲物を狩る時の獣のようで。
わたしは、その瞳から視線を逸らせそうもなかった。
「ん……っ」
今度は深く口づけられ、歯列の奥に隠れていた舌はいともたやすく捕まえられてしまう。
ラブの左手が肩を撫でながら下へと降りてきて、スカートの上から愛おしげにお尻に触れた。
思わず奥がきゅんとなり、大腿を無意識に擦り合わせてしまった。そのはしたない衝動を喜ぶように、控えめに臀部に添えられていたラブの手には力がこもり、口づけはよりいっそう深くなる。
「んっっ……はあ……ら、ぶ……」
くちゅり、と微かな水音とともに唇を離し、耳元でラブが囁く。
「今夜は、鍵はかけちゃダメだよ……」
小さな子供に言い聞かせるように、優しく。愛しい恋人を諭すように、甘美に。
その言葉に、わたしはただ黙って頬を染め、うなずくしかなかった。
そしてふたりはまた、冬の道を歩き始める。心も身体も、決して切れることのない赤い糸で結ばれながら。
了
最終更新:2013年02月16日 13:22