【チョコレート戦争】/恵千果◆EeRc0idolE
今日は世に言うバレンタイン・デーだ。今年は月曜日ということもあって、放課後の校内では待ちかねたようにチョコレートが飛びかう。
友達へ、憧れの人へ、意中の人へ、恋人へと……。
心を込めた贈り物を手渡す光景が、校内のあちらこちらで様々なシチュエーションとともに繰り広げられていた。
そんな紆余曲折を経た放課後の、放課後。
長い渡り廊下では、重そうな手提げ袋を両手にひとつずつ持ったツインテールの少女が、前を行く黒髪の少女を懸命に追いかけている。
「せつなー!」
「……」
「待ってよせつなってばー」
「……」
「もしもし?せつなさん?」
黒髪の少女・東せつなは、後ろから追いかける少女・桃園ラブを振り向くことなく颯爽とした脚取りで進む。
すらりと伸びた美しい脚から生み出されるしなやかなウォーキングは、一向に乱れない。
せつなのつれない態度に、ラブはたまらず甘えた声を出した。
「ねえ~、せつなにも半分わけてあげるからさ、お願い。ひとつ持って?」
「いらない」
「重いんだよね、これ。何ならアカルンでひとっとびとか……」
「イヤ」
「何でさ~、あ、せつなもしかして、何か怒ってる?」
「何で私が怒るのよ!」
「ほら、怒ってる」
図星を指され、一瞬言葉に詰まりかけたせつなだったが、慌てて次の言葉を紡いだ。
「と、とにかく!ラブが貰ったものは自分で持って帰って。私は先に帰らせてもらいますから!」
そう吐き捨てると、せつなは走り出した。ラブを追いてきぼりにしたままで。
「ちぇっ、せつなったら冷たいの」
唇を尖らせてぼやいてみても、ラブの愚痴を聞いてくれる者など、放課後の廊下には誰もいなかったのだけど。
短いため息をひとつ吐くと、ラブは重い荷物を持ち直して家へと歩き出した。
帰り道の途中の公園。せつなはベンチに腰かけ、考えていた。
考えても考えても、わからない。何故さっき、あんなにむきになったのか。
いつものせつななら、「もう、仕方ないわね」そう一言呟いて半分持ってやるだろう。
今日に限って、どうしてあんなに……。
わからない。わからない。けど、むしゃくしゃする!
せつなは鞄の中から真っ赤な包みを取り出した。ピンクのリボンをほどくと、包み紙をビリビリと破いて箱を開ける。
中に入っていたのは、白、茶色、黒、ピンクといった、カラフルなハートの小さなチョコレートたち。
もう!何よ!ラブの馬鹿!!
心で叫び、半分やけになりながらチョコレートを平らげていくせつな。小さな箱の中身はあっという間に無くなって……。
食べ終えた彼女の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。その雫が、スカートから覗いたせつなの膝小僧を、ほんの少しだけ濡らした。
帰宅したせつなは、洗面所に真っ直ぐに向かった。
蛇口を捻り、冷たい水で泣き腫らした瞼を冷やすと、何事もなかったように母・あゆみを手伝い、和やかに夕食を作ってゆく。
遅れて帰宅したラブは、そんなせつなに話し掛けるタイミングを完全に失っていた。
「ただいま。あたしも何か手伝うよ」
「ラブはいいから宿題やっちゃいなさい」
「でも、せつなだって宿題まだでしょ」
「せっちゃんは後でするんですって。きっとあっという間だから大丈夫よ」
確かに、自分の方が宿題には時間はかかる。
それに、理由は定かではないにしろ、せつなを怒らせている今は近づかない方がいいのかもしれない。
ラブはおとなしく自室に向かい、宿題に取り掛かった。
宿題はどうにか済ませたのだが、わからない部分の幾つかはそのままにしておいた。
(仲直りしたら、せつなに教えてもらおうっと。何で怒ってるのかわかんないけど、後で謝っとくか……)
けれど、そんなラブの目論みは脆くも崩れ去る。
せつなに謝る機会が全くと言っていいほど無かったのだ。
女性陣が一人ずつ父にチョコレートを渡し、その後は皆で楽しい夕食を食べた。その間せつなは、いつも通りに振る舞ってはいたものの、決してラブに話し掛けることはなかった。
食べ終えると、父、ラブの順にお風呂に入り、ラブが上がると21時を過ぎていた。
「お母さんお風呂上がったよ。せつなは?」
「お部屋で宿題じゃない?ラブ、せっちゃんにお風呂入るように言ってきて」
「はあい」
ラブはせつなの部屋の前に立つと、すうっと大きく息を吸った。コンコンと二度、遠慮がちにノックをする。
「はい」
「あたし。いいかな?」
返事はない。それでもラブは臆することなくドアを開けた。
「せつな、お母さんがお風呂入っちゃいなさいって」
「そう」
そっけなくつぶやくと、椅子から立ち上がり、今にも部屋から出ようとするせつな。
「待ってよ!ねえ、せつな……ごめん。機嫌直してくれない?」
「――――何で?」
「へ?」
「何で今、謝ったの?」
「だって、せつな怒ってるから」
「ラブ、何か悪いことしたの?」
「いや、した……のかな?して……ないような……とにかく、ごめん」
「――――やめて!」
「せつな……?」
鋭い言葉でラブを威嚇し、突き放すせつな。
「悪くないなら謝ったりしないで! 私が何を怒っているのか、わからないまま謝ったりしないで!」
「何それ。じゃあさ、聞いたら答えてくれるの?」
「――――それは……」
言葉を濁すせつなに対し、ラブは自分の気持ちを素直にぶつけていく。
「あたし、こんなのやだ。せつなといつもみたいに仲良くしたい。だってせつなが大好きなんだもん。だから、どうして怒ってるのか理由が聞きたい」
ラブの心からの言葉を聞いて、かたくなだったせつなの態度が急激に軟化した。
「――――ごめん、なさい……ラブは全然悪くない。悪いのは私のほうよ」
「何か理由があるんでしょ?せつなは理由も無しに怒ったりしないもんね。教えて、その理由」
「――――嫌いに、ならない?」
「なるわけないでしょ!!」
それを聞き、嬉しそうにはにかむと、せつなは話し出した。
「……何故かわからないけど、学校でラブがいろんな娘からチョコレートを貰ってるのを見て、何となくイヤな気持ちになって……数が増えていくたびに、どんどん苛々していって……ラブが荷物を半分持ってって言った時に、苛々がピークになったの」
所々つっかえつっかえ、恥ずかしいそうに話すせつな。顔は赤く、今にも泣き出しそうだ。
「そっかあ。せつな、ごめん。やっぱりあたしが悪かったみたい」
「ラブ?」
「せつなさん、それはヤキモチって言うの」
「ヤキモチ?」
「うん。相手を束縛したいって気持ちをそう呼ぶんだよ。せつなはあたしが他の娘からチョコレートを貰ったり、そのチョコをせつなに持たせようとしたのがイヤだったんでしょ?」
「そう……」
「だったら、それがヤキモチ!」
「そうなんだ、知らなかった……」
「ホントにごめん! けど、ヤキモチ妬いてくれて嬉しい!」
いきなりラブはせつなに抱き着いた。力強く、ぎゅーっと。
そんなラブの背中に、せつなの腕がおずおずとまわされてゆく。
「私こそ、怒ったりしてごめんなさい……来年はラブが沢山チョコレートを貰っても、ヤキモチ妬かないように精一杯頑張るわ」
「せつなってば……。正直なせつななら、あたしはいつだって大歓迎だよ」
「ウン……」
抱きしめ合ったまま、せつなはこっくりとうなずいた。
「そういえば、せつな今年はくれないの?あたし、せつなからのチョコ、一番楽しみにしてたのに」
「あッ……!!」
「もしかして、用意してないとか?」
「そうじゃなくて……帰り道にむしゃくしゃして全部食べちゃったの……」
「えーー!!」
「ごめん、なさい……」
「しょうがない。今年はこれで我慢するか」
ちゅっ!!
「!?」
盛大に音を立てながら、せつなの頬から離れていくラブの唇。
「来年は唇ね♪」
「イヤ!」
「えーー!!いいじゃん」
「来年の話は鬼が笑うって言ったのはラブでしょ?だから、来年じゃイヤ」
「それはつまり……」
「私たちは今を生きてるんだから」
頬を真っ赤に染めながらも、せつなはラブを真っ直ぐに見据え、何の迷いもなく彼女の唇に自らのそれをくっつけた。
それは、お風呂の順番を待っている階下のあゆみから催促の声が聞こえるまで続いた。長く、深く、甘く。
チョコレート戦争、これにて休戦。
最終更新:2013年02月16日 12:44