『祈里の船上パーティー(前編)』/夏希◆JIBDaXNP.g




 舞い上がる砂塵。吹き付ける熱風。ジリジリと肌を焼く灼熱の日差し。

 とても秋の夕暮れとは思えない。同じ世界とは思えない。そこは名も無き砂漠の片隅。命の存在しない荒野。

 ザンッ! ザンッ! ザンッ!

 足場の悪さなどまるで意に介せず高速で移動する赤い疾風。その姿が突然消える!
 直後――加速された砂のつぶてがパインを襲う。
 回避しようと思うが砂に足を取られて動けない。辛うじて両手で目を守った。


「遅い! こっちよ」
「きゃあ」


 無防備の脇腹に衝撃を感じて吹き飛ばされる。手加減されているからか痛みはあまり感じなかった。
 次の瞬間にはまた姿を見失った。
 落ち着いて! と自分に言い聞かせる。
 姿が見えないなら上空か背後に決まっている。砂は上からは落ちてこない。影も無い。
 なら――後よ!
 渾身の力を込めて拳を後方に突き出す。

 フワリ――

 体が突然浮き上がり地面に叩きつけられる。次の瞬間には焼けた砂の上に仰向けに押し倒されていた。
 首に手刀が突きつけられる。すぐに、その手はパインを起こす優しい手に変わった。


「今日はこのくらいにしましょう。ただ、今のは良くないわ。位置を察知されるのは承知で廻り込んだのよ。雑な大振りの攻撃を引き出すためにね。あの場合は下がるべきよ」
「うん、気をつけるね。今日もありがとう」

「アカルン! クロバータウンストリート、ブッキーの部屋に」


 馴染んだ自分の部屋に戻る。変身を解除したら怪我も痛みも砂や汚れも残らない。便利なものだと思う。
 ただ――体全体に広がる疲労感はどうしようもなかった。


「待っててね、せつなちゃん。今、お茶を入れてくるから」
「まだだめよ。少し休んでからにしましょう。私も手伝うわ」


 ふらつく足取りを見抜かれたのか、せつなちゃんに止められた。自分の不甲斐なさに情けなくなる。

「ごめんね、せつなちゃん。迷惑かけちゃって。ラブちゃんと美希ちゃんには内緒にしてほしいの」
「いいけど、どうして一対一の訓練なんてしようと思ったの? 大切なのは心を一つにすること。この間、私達はそれを学んだはずよ」


 健人君のお屋敷での戦闘訓練。ノーザの脅威からシフォンちゃんを守るために行った個別訓練。
 わたしたちは焦りからチームワークを乱し、結果としてより大きなピンチを招いてしまった。
 その教訓を忘れたわけじゃない。心を一つにして生まれたグランドフィナーレで、ソレワターセを退けてきたのも事実だ。

 だけど、戦うたびに感じる力の無さ。足手まといになってるんじゃないかって不安。そして、何より戦意の低さ。
 苦手なんだ、頭では理解していても。自分が傷付くのも、誰かを傷付けるのも。
 だからどうしても腰が引けてしまう。消極的になってしまう。
 相手がナケワメーケの時にはあまり感じなかった。やっぱり、戦いに余裕が無くなってきているんだろう。

 ラブちゃんはいざ戦いになると別人のように激しくなる。普段はあんなに優しいのに。
 美希ちゃんは生まれ持った運動センスの良さと判断力で敵を圧倒していく。
 せつなちゃんはもともと戦闘のプロだ。自らを囮のように敵の攻撃に晒しながら、ことごとく回避して味方を守り敵を挫く。
 わたし以外の三人に共通していること。戦うことに迷いが無いこと。ためらいが無いこと。

 わたしは――何をやっているんだろう。サポートに回ってはいるけれど、役に立っていないことも多い。
 戦いにおける存在感の無さ。見つけられない自分の役割。
 戦いが嫌になったわけじゃない! プリキュアになったことを後悔してるわけじゃない!
 でも――わたしはどうしてプリキュアに選ばれたんだろう。わたしは戦いには向いていない――最近、ずっとそのことばかり考えてしまうのだ。


「あなたは優しすぎるのよ。それで本来の力が出せないんだと思う。でも、そんなあなたがいるから私たちは一つになれるのよ」
「ありがとう、せつなちゃん。また――明日もお願いね」


 ラブちゃんにもと、お菓子のお土産を持たせて見送った。せつなちゃんの優しい言葉も、厳しい現状から生まれる悩みの解決にはならなかった。







 ラビリンス、占い館の地下最深部。不幸のゲージの置かれている部屋。凄惨な笑みを浮かべるノーザが二人を見据える。


「何の用だ? ノーザ……さん」
「お呼びですか? ノーザさん」

「インフィニティの奪取はどうなっているのかしら?」

「それは――まだだ。奴らの新しい技の前にはソレワターセの力も通じないんだ」
「ノーザさん、それはあなたもご存知のはず」

「そうね、でもあれは四人揃った時に出せるもの。なら揃わなくしてしまえばいいんじゃないかしら」
「どういう意味だ?」

「この世界の全てはメビウス様のもの。勝手な殺戮は禁じられているのだけど。――許可が下りたわ。イースの寿命は元々尽きている。処分してしまっていいそうよ」

「なんだと!」
「それは――僕達に彼女を抹殺せよとのご命令ですか?」


 顔が青ざめているウエスター。努めて平静を装おうとしてるサウラーをノーザは面白そうに眺める。
 人の不幸は蜜の味。歌うようにソレワターセの実を不幸のエキスに浸す。実は人形となり嬉しそうにエキスを吸い込み、再び球体に戻った。一回り大きな実となって。


「いいお顔ね、あなたたち。一度だけチャンスをあげるわ。あの技を使えないようにしなさい。そうすれば今の話は無かったことにしてあげる。失敗すれば、次の作戦は私が行うことになるわよ」
「俺がやる。それを俺によこせ! ノーザ」

「何度も同じ事を言わせる気?」
「俺に――やらせてください、ノーザさん」

「ふふ、期待しているわ」


 怒りの表情で通路をずかずか歩くウエスターにサウラーが声をかける。


「何か勝算はあるのかい?」
「ない! これから考える。そして、この際イースも連れ戻してみせる。腕ずくでもな!」


 そのまま館の外に歩いていくウエスターをサウラーは黙って見送った。ウエスターの決意の固さと真剣な表情を見てとったからだ。普段は馬鹿ばかりしているが、本気になった時の行動力と戦闘能力の高さは彼ですら認めないわけにはいかなかった。







 クローバータウンの大通り。公立四葉中学の男子生徒三人がなにやら熱心に話し込んでいた。
 西 隼人に姿を変えたウエスターが足を止める。見知った顔、聞き覚えのある名前に反応したのだ。


「せめて、山吹さんが一緒に居てくれたら」
「いっそ誘ってみたらどうだよ」
「来てくれるでしょうか……」
「それなら全員誘ったらなんとかなるんじゃ」
「無理言わないでください、身内のパーティーじゃないんですから」


 男の子達の間にずかずかと隼人が割り込んで入る。あまりに自然な動作に、誰も不審に思う者も居なかった。


「邪魔するぞ、坊主ども」
「あなたは――占い館の占い師さん?」


 それからしばらくの間、占いという名の“男”の講義が始まった。

 一つ、男たるもの意中の女は一対一でエスコートすること!
 一つ、女を口説く時はプレゼントが肝要であること!
 一つ、逃げられぬ為には既成事実を先に作ること!

 半刻ほど後、すっかり乗せられた男の子達が走り去るのを西 隼人は満足そうに見送った。

(細工は流流、仕上げを御覧じろだ)

 偶然の幸運を、あたかも計画していたかのように自分の手柄と思い込む。こちらも幸せな男であった。







「あの、山吹さん。これ、受け取ってください!」


 放課後の帰り道、女学院の通学路。普段見かけることの無い男子生徒が待っていた。健人君だった。
 後ろに大輔君と沢君の姿も見える。ただの手紙と思い、戸惑いながらも受け取った。

 その場で確認しなかったことを後悔する。
 それは、御子柴グループが建造した豪華客船プリンセス号で行われる船上パーティーの招待状だった。


「TVでもやってたわよ。各界の著名人、スポーツ選手に芸能人、とにかく豪華なゲスト陣が招待されてるんですって」


 美希ちゃんが目を輝かせる。ご両親のコネで業界にも多少顔が利く美希ちゃんがそう言うのだ。きっと大変なことなんだろうと思う。
 そんなところにどうしてわたしが……。


「すっご~い。いいな~いいな~」
「良かったじゃない、ブッキー。きっと貴重な体験ができるわね」


 ラブちゃん。だから凄いから困ってるんじゃない。
 好奇心旺盛なせつなちゃんらしいけど、自信ないよ。


「いっぱい、オシャレして行かなきゃね」


 そりゃ美希ちゃんなら似合うかもね。


「むりむり。一人で船上パーティーなんて緊張しちゃうし、それに着ていく服も持ってないもの」


 そうよ、失礼になっちゃって申し訳ない。うん、仕方ない。そうだよね?

 完璧な言い訳も、家に帰った途端に木っ端微塵に打ち砕かれた。
 これって……健人君からだよね。
 わたしのイメージカラーである黄色いドレスに、四葉のクローバーの刺繍。
 それは明らかに、わたしのためだけに仕立てられたパーティードレスだった。


「行ってらっしゃい、何でも経験よ。引っ込み思案の性格、直したいんでしょ」


 美希ちゃんの最期の一押し、わたしは頷くしかなかった。







 見渡す限り岩ばかりの荒野。夕暮れに赤く染まる地平線。もっともここは異国の地、現在の時刻に意味なんて無かった。


「もう一本行くわよ! パイン」
「ええ、お願い! パッション」


 姿勢を低くして弧を描くように接近するパッション。パインは両足をしっかり踏みしめて襲撃に備える。
 どのようなトリッキーな動きも接触する寸前は単調なものだ。
 交差する一瞬の攻撃をブロックする。再び距離を取るべく駆け出したパッションが突然姿を消す。
 予備動作の無い跳躍。いや、見付けられないだけだ。天空の高みから一本の矢となりてパッションの蹴りが襲う。

(それでも――何度も同じ手は通じないんだから!)

 パインの十字受けがパッションの蹴りを受け流す。姿勢を崩した隙にパインの体当たりが炸裂する。
 一気に間合いを詰めてパインが連打で攻勢に出る。しかし――それも長くは続かなかった。
 パッションの特性は瞬発力。もともとスピードが違うのに加えて彼女は戦闘のプロだ。動きも洗練されている。圧倒的な手数で押されて形成は逆転する。
 連打を嫌って数歩後ろに下がる。それも逆効果だ。攻撃のリーチで僅かにパッションが勝る。たちまち防戦一方に追い込まれた。

(こんなのずるい。えっと、わたしの特性は――)

 考えて絶望しそうなる。わたしの特性は持久力。でも、それは対等の条件で体力を刻む時に生まれる優位でしかない。
 こちらは死力を尽くして戦い、肩で息をしている。対してパッションは澄ました顔で呼吸すら乱していない。
 消費している体力が違うのに持久力も何もなかった。

 亀のように固めたガードが見る見るうちに崩されていく。腕の隙間を抜かれ、身をよじっても回りこまれる。
 無数の打ち込みがパインを捉え、ついに力尽きて崩れ落ちた。


「はあ、はあ、はあ、はあ。やっぱり――わたしは駄目。こんなんじゃ足手まといだよね」
「そんなことないわ、パイン。ずいぶん動きが良くなってきてる。キックを止められた時は驚いたわ」


 パッションはパインに肩を貸して部屋に戻った。気を失うように倒れた祈里をベッドに寝かせた。
 せつなはそんな祈里を見て不安になる。ずいぶん煮詰まっているように見える。美希も何か気がついているようだった。
 無理をしているのが痛いほどに伝わってくる。もともと静かな子だ。特訓、まして戦闘訓練なんて彼女ほど似合わない人物も少ないだろう。
 明日のパーティーで少しでも気分転換になればいいのだけど――
 その日はそっとアカルンで帰ることにした。







 御子柴グループのシンボルの一つ。世界有数、もちろん日本最大の大きさを誇る豪華客船プリンセス号。
 想像を超える巨大な船体。純白に輝く煌びやかな船。まるで湖で泳ぐ白鳥のように、他の客船とは一線を画す主役の風格があった。

 詰め寄せる大勢の報道陣。護衛に守られながら続々と乗り込む各界の著名人や権力者たち。
 この国を先導するエリートたちの集いだ。


「はぁ~。ほんとうにわたしがこんなパーティーに参加していいのかな……」
「平気だってブッキー。直接、主催者の御子柴君から招待状もらったんだし!」
「覚悟決めなさい。本当はアタシが代わりたいくらいなんだから」
「大丈夫よブッキー。私たちここでずっと待ってるわ」


 みんなの声に少しだけ勇気をもらって、わたしは目立たないように、隠れるようにして船内に入った。
 入り口で女性警備員に軽くボディチェックを受ける。招待状を渡してどうすればいいのかを聞いた。


「これは失礼いたしました。健人様の特別ゲストの方ですね。こちらにどうぞ」

「あの、山吹さん。来てくださってありがとうございます。よかった、そのドレスも良くお似合いです」


 案内された先には健人君が居た。緊張で声も出ないわたし。自然体でくつろいでいるようにも見える健人君。とても同じ年の中学生とは思えない。
 顔見知りに会えて嬉しいって気持ちよりも、自分が情けないって気持ちの方が強かった。

 なんでわたしはここに居るんだろう。神様、わたしは何かいけないことをしましたか?
 入ってしまえばなんとかなる。溶け込んでしまえば目立たなくなる。そう思ったのは甘かった。
 木を隠すのは森の中。でも、場違いなものはどこに隠しても場違いなんだと思う。後は早く終わってくれるのを期待するだけだった。


「皆様、中央の階段をごらん下さいませ。御子柴グループを代表しまして、プリンセス号の責任者、御子柴健人のご挨拶です。どうぞ、盛大な拍手でお出迎え下さい」


 立派な人たちの視線がわたし達に集まる。なんなのこれ? どうなってるの? お人形さんみたいに固くなりながら手を引かれるまま付いていった。
 どこかで見たことがある光景だななんて、ぼーっとした頭で他人事みたいに考えていた。
 そうか、新郎新婦の入場だ。一回合同デートでご一緒したことがあるだけなんだよ?

 居たたまれなくなって、わたしはすぐに健人君から距離を置いた。健人君は色んな方の相手をしてる。
 凄いなって素直に感心した。
 わたしは隅っこでポツンと立っていた。

 こういうの何て言うんだっけ?
 壁の花だったかな。いい意味じゃなかった気がする。
 まして、わたしじゃタンポポがいいとこだ。

 ぼんやりと会場を眺める。特権階級の集い。立派な人たちの交流の場所。
 あちこちで繰り返される乾杯。歓談。振りまかれる笑顔と硬い握手。
 でも――どうしてだろう。笑顔は大好きなのに、目の前の光景には何の魅力も感じなかった。
 本当の笑顔じゃないからだ。心が笑ってないからだ。ふと、そんな感想が浮かんで慌てて消し去った。

 きっとこれは嫉妬。自分を受け入れてくれない環境に対するひがみ。心が笑ってないのは自分の方。だから、そんな風に感じるんだろうと思った。
「やっぱり、むり」情けなくなって会場を後にした。



 広い通路を一人。とぼとぼと歩く。

“場違い”

 私はいつだってそうだった。何も今に始まったことじゃない。
 煌びやかなパーティーも場違い。人前で踊るダンスも場違い。そして、プリキュアだって――

 情けない気持ちで目的も無くただ歩いた。自分の弱さを懺悔しながら。
 自分では何も決められず、断ることも出来ず、ただ状況に流されるだけ。そして、手を引いてくれた人達みんなに迷惑をかけてしまうんだって。







「さあさあ、サーカスの始まりです」


 賑やかな歓声を聞いて足を止める。それに混じってこの鳴き声は――虎?
 大好きなイベントに、それまでの暗い気持ちも一気に吹き飛んだ。

 動物ショーの真っ最中だった。今やってるのはホワイトタイガーの火の輪くぐり。
 わたしが身を乗り出していたからだろうか、やってみますかと声をかけられた。


「ニコニコしていられるのも今のうちかもしれませんよ。このホワイトタイガーはとても凶暴なんです」


 わたしは嬉しくなってキルンを呼び出してお話してみた。


「いえいえ、大丈夫ですよ、お嬢さん。安心してください」


 やっぱり紳士なホワイトタイガーさん。楽しくお話しながら遊んでもらった。
 ホワイトタイガーはベンガルトラの変異種でとても珍しい。白虎は中国の古代神話による天の四霊の一つであり、幸運をもたらすとも言われている。
 でもそんな知識なんてなくても感じる。幻想的な美しさ。ライオンと並ぶ百獣の王者。その誇り高き風格、気高き気品を。

 出番が終わりホワイトタイガーさんが檻に戻された。なんとなく名残惜しくてその近くに腰をかける。


「また元気が無くなってしまいましたね、お嬢さん」
「ホワイトタイガーさん? ごめんね、心配かけちゃって」


 そして、キルンに仲介してもらって少しづつ事情を話した。自分の優柔不断のせいで場違いな場所に来てしまったこと。役目も果たせずに逃げ出してしまったこと。
 今回だけじゃない。わたしは、ずっとそうやって生きてきたんだってこと。


「ここには本物があります。作り物ではない笑顔。楽しさからこぼれる笑い声が。パーティーに馴染めなくて訪れる人は多いのですよ」
「わたし――以外にも?」
「はい、そのために私たちが居るのでしょう。また出番もあります、最後まで見て行ってください。きっとお嬢さんを笑顔にしてみせましょう」


 ホワイトタイガーさんは語った。自分は人間界の生まれだと。人間達に愛され祝福されて生まれたと。
 笑顔に包まれて育ったと。だから自分も人間を愛するのだと。みんなを笑顔にするんだと。
 その想いに心を打たれる。また自分が情けなくなった。でもその気持ちはさっきまでとは逆で――自分を怒り、叱咤する感情だった。

 場違い? それならこの子たちはもっとそうだろう。本来は草原を駆け回る生き物だ。大空を飛び回る翼だ。
 それでも精一杯頑張っている。自分にできることをしようと努力している。
 わたしは――何をしているんだろう。場違いでも、似合わなくても苦手でも、来ると決めたのは自分じゃない!

 戻ろう。健人君が大した面識の無いわたしを誘ってくれた。きっと、何かわたしにもしなきゃいけないことがあったはず。それを確かめよう。
 ホワイトタイガーさんに丁寧にお礼を言って別れる。
 パーティー会場に戻る途中で健人君とはち合わせた。わたしを探しに来たらしい。一緒に甲板に上がった。







 プリンセス号の甲板の一番高い場所に登る。
 水色に透き通る空と真っ青な海。どこまでも広がる水平線。吹き抜ける爽やかな海風。
 巨大な船体も一望できて、まるで自分ひとりでこの船を走らせているような気持ちになる。


「この場所が一番眺めがいいんです。この船のことなら何でも聞いてください、沢山勉強してきましたから」
「そうなんだ、凄いね」

「あの、山吹さん。パーティーは楽しんでいただけましたか? 先ほどは急に姿が見えなくなったので」
「ごめんなさい。でもわたし、あんな煌びやかな場所でどうしたらいいかわからなくて」

「実は僕もです。少し僕の話をしてもいいですか? 僕は――将来、御子柴グループのトップに立たねばなりません」


 健人君の話にじっと耳を傾ける。
 今朝は平気に見えた。立派に大役をこなしているように見えた。でも、本当は健人君も凄く不安だったんだって。
 以前、お化け屋敷でわたしが健人君を介抱してあげたことがあった。それがとても心強かったから、だから今回もわたしを頼ったんだって。

 わたしはたまたまお化けは怖くなかっただけなのに、と思う。わたしは人や動物の本質に悪意があるなんて信じていない。だからお化けも妖怪も信じない。
 ただそれだけのことなのに――きっと、健人君にはあのことが特別なことに映ったんだろう。

 将来、御子柴財閥の頂点に立つ人。この国に、いや、世界に大きな影響力を持つようになる人。
 このパーティーもそのための訓練。
 自分がせつなちゃんとしてきた訓練を思い出す。
 きっと――同じ。
 全てが自分で選んだ道では無いのだとしても、自分に出来ることを自分を信じて頑張るだけ。
 少しだけ共感を持って健人君を見た。







 主催者の居なくなったパーティー会場。ひときわ目立つ男が若い女性の注目を一身に集めていた。
 スーツの上からでもわかる鍛え上げた肉体。タレントの中にすら滅多に見かけないほどの端正な顔立ち。
 そして不敵なまでの自信が見た者の心を奪う。


「あなたは何をなさってる方?」
「スポーツ選手かしら? それともハリウッドの俳優さんとか」
「そんなに知りたいか、いいだろう!」


“スイッチ・オーバー”


「我が名はウエスター、ラビリンス総統メビウス様の僕! ――ソレワターセよ、姿を現せ!!」


 絨毯の上に投げつけられた実は、人形となって蠢いた後すさまじい勢いで根を伸ばし蔦を広げ船体を覆っていった。
 植物の属性があるソレワターセは人工物との融合を得意とはしない。だが今回はそれで良かった。
 目的は外の世界と船内を遮断すること。
 プリキュアのグランドフィナーレを封じ、キュアパインを閉じ込めて変身能力を奪うことだった。







「きゃぁぁぁ」
「わぁぁぁぁ」


 突然大きく船内が揺れる。パーティー会場に戻ろうとした祈里と健人が壁に叩きつけられた。
 何事? と思うまでも無く原因が明らかになる。目で追えないほどの速度で通路が植物らしき緑と茶色で覆い尽くされていく。


「これは――ソレワターセ! ラビリンスよ」
「祈里さんはみんなの居るパ-ティー会場に急いで! 僕は状況の確認に行きます」
「うん、気をつけて」


 健人君の姿が通路の向こうに消えたのを確認してからリンクルンを取り出す。

(わたし一人で何とかできるとは思えないけど――)


〝チェイ―ンジプリキュア! ビートア―ップ!!〟


(急がなきゃ――早く、早く!)

 走りながら変身を終える。更に爆発的に加速してパーティー会場を目指した。
 ここは海の上。閉鎖された空間なのだ。パニックでも起こされたら大変なことになる。
 上手くやらなきゃ! わたしが――わたししか居ないのだから!



最終更新:2013年02月16日 22:35