『幸せの赤いカギ(前編)』/夏希◆JIBDaXNP.g




 ラビリンス――メビウスの居城。

 巨大なスクリーンに映し出されるナケワメーケとプリキュアたち。
 ウエスターの召還した強大な力を持つ怪物。その攻撃がことごとく空を切る。


“キュアパッション”


 常にプリキュアの先陣に立ち、攻撃を一手に引き受ける。疾く、鋭く、そして躊躇いが無い。
 類まれなる運動神経と瞬発力。そして他のプリキュアと一線を画す――覚悟。


“プリキュア・ハピネス・ハリケーン”


 美しき舞がナケワメーケを霧散させる。そして駆け寄る仲間たち。
 悲しみと決意を湛えた真紅の瞳が、スクリーンを通じメビウスを見据える。

 メビウスの右手が真横に振られ、スクリーンが閉じた。



「クラインよ、イースの生体コードはまだ解析できんのか」


 静かな口調に秘められた怒りと苛立ちに、クラインは平伏する。


「はっ、申し訳ありません、メビウス様。常に生命停止の指令を送り込んではいるのですが、凄まじい速度でプロテクトの暗号が書き換えられており、アクセスが出来ない状況です。恐らくはインフィニティ、あるいはそれに連なる端末により守られているようです」

「イースはこちらの情報を知りすぎている。危険だ、急げ」


「はっ、全てはメビウス様のために」




 ☆




 新しい命と自由。
 温かい家族と親友。
 思いやりのこもった部屋。
 温かい布団と柔らかいパジャマ。

 それでも訪れない、安らいだ眠り。
 それは罪の意識か――過去の呪縛か――





 ラビリンスの児童軍事訓練施設。メビウスの全パラレル制覇実現のための幹部養成学校。
 コンバットチルドレンと呼ばれる少年少女たち。
 先天的な資質を持つ優生遺伝子を掛け合わせて交配した中から、特に優れた能力を持つ者だけが集められた。
 繰り返される洗脳教育。
 メビウスへの絶対的な忠誠を誓わせるため、家族や友人といった、あらゆる関係を持たないように隔離された世界。
 いつからここに居るのか、いつまで居ればいいのか。
 私はここしか世界を知らない。



「ES-4039781、戦闘訓練の時間だ。出なさい」


 基礎訓練を終えた私に待っていたのは、実技の名を借りた訓練生同士の殺し合いだった。
 相手は三歳年上の男の子。体は二周りも大きい。
 その眼に宿る恐怖と狂気。それを見た瞬間に私は悟る。この子はわたしには勝てない、と。


“スイッチ・オーバー”


 共に戦闘形態を取る。肉体の強度と出力が数百倍に増幅される。
 極めた者が扱えば数千倍に強化されるそれは、全世界制服の切り札の一つであり、選ばれた天才の証。
 生身の肉体にロケットエンジンと強固な鎧をつけて動きをサポートするようなものだ。
 超人的な精神力とコントロールと、優れた体力を併せ持つ者だけが運用を可能とした。


 巨体から繰り出される動きは速く重い。ここまで生き抜いた戦闘技術も鮮やかだ。
 しかし――
 この戦いの先に待つ運命が恐怖を呼ぶ。恐怖は焦りとなり動きに柔軟性を失わせる。
 生への執着が殺気となり、せっかくのフェイントも意味を成さない。
 ハンマーのようなフックを掻い潜り、みぞおちにショートアッパーを叩き込む。
 崩れ落ちる体を抱きかかえるようにして首筋に手刀を叩き込み、戦闘は終わった。


 止めを、と要求する教官の言葉を無視して私は戦闘服を解除した。
 拷問に似た処罰がこの後、私に下るだろう。それもまたいつもの事だ。



 二日後、相手だった男の子の部屋が空室になった。
 わかっている。寿命が止められたのだ。そうなることはわかっていた。
 私がやったのは偽善。自分の手を汚したくなかっただけの卑劣な行為。
 私はあの子に無用な恐怖の時間を与えたのだ。


 いつまでこんなことが続くんだろう。
 それもわかっている。最後の一人になるまでだ。
 ラビリンスの四大幹部の一角、イースが生まれるまでだ。




 ☆




「ねえ、おねえちゃん、泣いているの?」


 いつから居たのだろう。見たことも無い少女に声をかけられた。
 いつから――か。そもそも私こそ何時からここに居るのか、いつまで居るのか。


 私と同じくらいの年だろうか。薄紅色の長い髪の女の子。
 綺麗な睫毛にクルクルと回る紅い瞳が、心配そうにこちらを見つめていた。
 華やかなドレス服。頭に大きなリボン。無機質で飾りのない施設には似つかわしくなかった。


「あなたは――誰? 私はあなたを知らない」


 少女は悲しそうに問いかける。


「どうして泣いているの。どうしたら助けてあげられるの?」

「私は泣いてなんかいないわ。助けなんて要らない、そんな資格もないもの。ただ知りたいの。なぜ、こんなに胸が苦しいのか。痛いのか。どうして、まだ生きていたいと思えるのかを」

「寂しいのね」


 寂しい。
 そんな言葉は知らない。教わったことがない。
 少女がそっと両手で私の手を握ってくる。振り払う気にはならなかった。


「ここから出してあげる」


 どういうこと?
 答えを聞くより先に世界が反転した――




 ☆




 目が覚めた。
 また夢を見ていた。
 幼い頃の思い出。ラビリンスの暮らし。イースとして人々を苦しめていた頃の夢。
 悪夢と呼ばれる罪の意識の再現。毎晩のように繰り返される飽くなき再生。


 心臓が痛い。荒い呼吸を整えていくと徐々に痛みも引いてきた。
 手が汗で濡れている。パジャマがびっしょり湿っていて気持ちが悪い。
 着替えを持って私はお風呂場に向かった。


 シャワーを浴びてすっきりした頭で考える。
 あの子は誰だったんだろう。記憶にそんな人物は無かった。私は一人だったはずだ。
 いつも悪夢を見るたびに出てくる。
 沢山話したような気もするし、一瞬だったような気もする。起きたら顔も思い出せない。



「おはよ~せつなっ」


 ラブがノックしてから扉を開ける。慌てて笑顔を作った。
 一瞬ラブに相談しようかと思って、やめた。人の夢のことなんてわかるはずがない。
 余計な心配はかけたくなかった。


「ん~石鹸とシャンプーのいい香り。朝シャンか~あたしは寝起き悪くってできないな~」


 せつなはオシャレだねって、くんくん嗅ぎながら私の周りを回る。


「やめてよ、恥ずかしいじゃない」


 またいつもの日常が始まる。
 夢なんて気にしない。私は大丈夫。
 これが現実。ラブがくれた幸せ。命を懸けて守りたいもの。




 ☆




「あ~もうこんな時間。すっかり話し込んじゃったね、せつな。もう寝ようか」
「そう――ね。ええ、おやすみなさい、ラブ」


 また、夜が始まる。
 友達に、家族に囲まれた私が唯一ひとりになる時間。
 小さく声に出してつぶやく。

 私の名前は東せつな。そして、キュアパッション。

 過去の亡霊には――負けない!







「やれ、ナケワメーケ!」


 私の生み出したモノが結婚式場を襲う。
 悲鳴とともに逃げ惑う人々。
 投げられることなく散るブーケ。汚れ破れるウェディングドレス。踏みにじられたヴァージンロード。
 生涯で最も幸せであるかもしれない、大切な時間が絶望に変わる。


 ――痛い――
 胸が痛い。お前が、お前たちの笑顔が私を苦しめる。


 ――苦しい――
 幸せなんて虫唾が走る。無くなってしまえ、消えろ。


 見てください、メビウス様。この不幸をあなたに捧げます。
 私はあなたの為なら何だってできます。


 だから――だから――だから――


 お願い――私を――私を見て――


 全てが憎かった。
 生まれた境遇も、育った環境も、自分を取り巻く者たちも、何も知らずに笑っている連中も。
 そして……そんな自分自身も。


 だからすがった。絶対者に!
 この世の全てを支配するメビウス様なら、自分を許してくれる気がした。



「行け、全てを踏み潰せ!」

「だめっ――!」


 大きな眼をいっぱいに広げて通せんぼをする少女。
 またあの子だ。
 泣いている。
 当然だ、私は襲っているんだから。なのに、なのに、なぜそんな目で見る。
 その瞳に憎しみは無く、恐怖も無く、悲しみだけが湛えられていた。


「泣いてるのはお姉ちゃんの心じゃない! 傷つけているのはお姉ちゃん自身でしょ! 苦しくたって、寂しくたって、悲しくたって、人を傷つけちゃダメだよ。そんなことしたら、幸せはどんどん遠くなっていくんだから!」


 黙れ! 黙れ!
 黙れ! 黙れ! 黙れ!
 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ!


 幸せ? そんなもの求めてなどいない。
 ただ――全てはメビウス様のために。
 考える必要なんてない。悩むのは愚か者のすること。
 あの方はきっと……きっと私を許してくれる。
 それだけが――それだけが私の――私の――!!


「わたしが許してあげる。わたしが側に居てあげる。だから……もう、やめよう」


 少女が私に抱きついてきた。
 どうして、お前に。お前なんかに何がわかる!!
 振りほどこうとして、出来なかった。
 温かかった。ただそれだけなのに。どうして……。


 私はそのまま意識を失った。



最終更新:2013年02月16日 22:31