『それぞれの道。それぞれの夢』/夏希◆JIBDaXNP.g




 蒼乃美希様。あなたは無事、一時審査を通過されました。
 二次審査の日時と詳細をご案内します。



 日課の早朝ランニングを終えたアタシを待っていた一通の封筒。
 ついに、来た。緊張に震える手で握り締める。
 超がつくほど有名なファッション雑誌の専属モデルのオーディション。海外にも拠点を持ち、
 数多くのスーパーモデルを輩出しているトップモデルの登竜門だ。



 でも……。






 ミユキさんから呼び出しがあった。大会後、初めてのダンスレッスンだ。

 気持ちを鎮め、耳を澄ます。スピーカーから流れる音楽に意識を預け、全身をシンクロさせる。
 心が弾み体が自然に動く。指先にまで張り巡らせた神経は、目視しなくても隣で踊る仲間の動きを感じ取る。
 音楽が止み、ポーズを決める。これで完璧! 確かにそう感じる。訪れる満足感、充実感、そして開放感。
 同じく良い表情をしている二人を振り返る。続けてきて良かったと心から思う。


「お疲れ様、みんな。思わずコーチ忘れて見とれちゃったわ。そして大会の優勝、あらためておめでとう」


 満足そうな表情のミユキさんが賞賛の言葉をかけてくれた。始めは叱られてばかりだったっけ。
 そう思い出して苦笑する。足を絡ませて転んだのも良い思い出だ。


「せつなちゃんが外れてプロデビューの話は少し伸びているの。でも、三人で登録してもらえるように私も働きかけてるから、もう少し待っててね」

「「はい、お願いします!」」

 アタシは一人、ミユキさんの言葉に返事が出来なかった。





「やっぱ、ダンスって気持ちい~ね」
「うん、思った通りに体が動かせた時の感覚は言葉に出来ないくらい」


 練習後の恒例行事。反省会と言う名のドーナツパーティー。
 最高に楽しい時間のはずなのに、なぜか寂しい。会話も笑顔もどことなく空々しい。
 好奇心で輝いている瞳が足りないからだ。恥ずかしそうに、嬉しそうに、そっと浮かべる笑顔が見られないからだ。

 せつなが居なくなって一月が過ぎようとしていた。
 ラブは相変わらず。ううん、もっとよく笑うようになった。ブッキーは、なんだか大人っぽくなった気がする。
 アタシはどうなんだろう、と思う。自分のことはよくわからない。
 でも、きっとせつなは夢に向かって精一杯頑張っている。だからアタシも“負けてられない”そう思う。



「よっ! ラブ。姉貴から聞いたぜ。プロデビュー決まりそうなんだってな。しかし、おまえら三人、本当に仲がいいよな」
「……じゃない。――三人じゃないよ!」


 話しかけてきた大輔にラブが大声で叫んだ。自分の声に驚いてラブは真っ赤になって俯いた。


「ごめん大輔。あたし、何言ってるんだろう……。美希たん、ブッキー、先に帰るね」
「なんだ、あいつ?」


 大輔は、逃げるように駆け出したラブを見ながら首をかしげる。

(相変わらずね。だから友達止まりなのよ)

 悪気の無いのはわかるのだけど……。彼の間の悪さに呆れてしまう。

 そして、やっぱり言えなかった。言えるわけがない。バックに入れたままの封筒を見て、ため息を付いた。







 傷付いていないわけがない。寂しくないわけがない。
 半身とも言うべき無二の親友と、最愛の家族と、離れることになったんだもの。

 ラブに何もかも押し付けすぎたと思う。せめて、タルトとシフォンは自分が預かるべきだった。
 そしたら失った寂しさも、少しはマシなものになっていたはずだった。

 シフォンを無事に帰してあげられた。タルトの使命を果たしてあげられた。
 せつなが夢を、自分のやりたいことを見つけられた。

 それらは全て喜ばしいこと。もちろん心から祝ってあげたいと思う。
 でも、それと寂しくないこととは別なんだ。


 傷付き、苦しみ、涙を流しながら戦い続けた。
 みんなの幸せも、自分の幸せも、どちらも捨てられない。いつかみんなで幸せになれる、そう信じて頑張ってきた。
 なのに……ラブの手元に残ったものは、悲しいくらいにささやかで儚いものだった。

 幼馴染のアタシ達には見えてしまうんだ。ラブの笑顔に隠された――涙を。

 この上、やっと掴みかけたラブの夢まで断ってしまうなんて出来るわけが無い。





「美希ちゃん? どうしたの」


 ブッキーが心配して覗き込む。アタシの手を取って見つめる。
 それ以上の言葉は続けない。ただ側に居て、話してくれるのをじっと待つ。それがブッキーだった。

(ブッキーは、正式にダンス事務所からスカウトが来たらどうするの?)

 声に出かかった質問をぐっと飲み込む。言えば悟られてしまうだろう。


「ごめん、ブッキー。いつか話すから。今日はこれで帰るわ」


 振り切るように、逃げ出すように、その場を離れた。
 情けない。バラバラじゃない。寂しいのも、悩んでるのも、ブッキーだって同じなのに。



 ブッキーはきっとスカウトを受けるだろう。初めは迷っていたのも知っている。
 でも、後半のダンスの上達は、迷いがある者の動きではなかった。

 獣医の夢は持ち続けているだろう。だけど、それはそんなに急ぐわけじゃない。
 勉強しながらでもダンスは出来るだろう。数年遅れたとしても、一生続けられる仕事でもある。


 でも、アタシは……。モデルの仕事はそうは行かない。
 昨年逃がしたチャンスだって、本当は痛かった。後悔なんて一切してないけれど。
 モデルとして活躍できる期間はとても短い。十四歳という若さも、一流を目指して経験を積むには、決して早すぎる年齢じゃないんだ。

 これまでは読者モデルだったからやってこれた。ダンスも練習だけだからやってこれた。
 でも、ダンサーとしてプロのステージに立つならそうは行かない。大変な覚悟と責任が発生するだろう。
 すぐやめるなんて出来ない。数年の遅れは、目指すトップモデル“ハイファッション”の舞台に立つには、絶望的な痛手になるだろう。


 ダンスはもちろん愛している。モデルになるのも、明確な理由があってのことじゃない。
 それでも、確かに夢に見たんだ――華やかなステージで、美しく輝く将来の自分を。
 きっとなるって誓ったんだ――幼き日の自分自身に。

 せつなが抜けて三人。ぎりぎりの人数だ。アタシのリタイヤは、そのままラブの夢の崩壊なんだ。
 どうすればいいんだろう……。

 ラブから、今のラブから夢を取り上げるなんて、それだけは絶対にできない。
 悶々と悩む中、時間だけが空しく過ぎていった。







 心が決まらないまま、オーディションの日がやってきた。
 これまで積み重ねてきた努力の賜物だろうか。十分な睡眠と入念な準備。体が勝手に動いて完璧に進めて行く。

 軽い生地、ラフで緩やかな衣装を選ぶ。一番大きな下着をつける。体に線を残すわけには行かない。

 鏡を見て微笑む。ダメだ。笑顔だけは決まらない。視線に力が無い。
 素人にはわからないだろう。感情をコントロールする術は心得ている。
 だけど、プロの審査員の目は誤魔化せないだろう。

 モデルの一番大切な条件は“顔の強さ”だ。大勢の人の中に居て、それでも埋もれない存在感。
 気力の充実していない今のアタシには、それが無い。


 このままじゃ落選する。


 それもいいのかもしれない。自分で何も決められないのなら、あるがままを運命として受け入れるのも悪くはない。
 そんな思いをすぐに振り払った。それは言い訳。他人の責任に転化したいだけ。

 いつものように言い聞かせる。声に出す。


「アタシ、完璧!」


 虚勢でもいい、アタシはアタシらしく真っ直ぐ歩いていこう。どんな結果が出ても、後悔せずに自らの責任として受け止めよう。
 それだけは、その誇りだけは、何も決められない自分の最後の希望なのだから。





 選考が始まった。

 最初はポージングとウォーキングテスト。
 ソツなくこなした。周りも一時審査を乗り越えた者ばかりでレベルは高い。それでも、この審査で落ちる気はしなかった。

 ここで大きく絞られた後、休憩を挟んで面接とカメラテストが行われる。更に、その後の最終審査でグランプリが決められる。
 夢を叶えるなら、そこまで到達しないと意味が無い。そして、その自信が今はとても持てなかった。


 正午になった。食事の時間、とは言ってもまともに食べている者はほとんどいない。
 皆、メイクのチェックや表情の確認に余念が無い。

 体が震える。鼓動が高まる。しかし、情熱が、意欲が沸いて来ない。


「ラブ、ブッキー。そして、せつな。ゴメン」


 何に対して謝ったのだろう。裏切ってコンテストを受けていることに対してなのか。
 それとも、きっと応援してくれるだろう気持ちに応えられないことについてだろうか。
 それすらもわからなくなっていた。


 ふと、みんなの声が聞きたくなって携帯の電源を入れた。
 一件のメールが入っている。ミユキさんからだ。


「美希ちゃん、オーディションなんだってね。今度こそ夢が叶うといいわね。ううん、絶対叶うわ。それと、私は行けなかったけど、東の窓の外を見て御覧なさい」


 慌てて窓に駆け寄る。

 向かいのビルの屋上に、大きな旗を立てている二人の人影があった。ラブとブッキーだ。
 こちらの姿を認めたのか、大きく手を振ってくる。


 旗に書かれた文字。


 ――美希たん、がんばれ~――

 そして、連なる名前。ラブ・祈里・せつな。


 同時にメールが飛び込んでくる。


「もっと早く教えてくれたらよかったのに。今度こそ、絶対にモデルの夢をゲットだよ。あたし、せつなの分まで精一杯応援するからね」
「こんなことだろうと思って調べてみたの。ラブちゃんのためを思うなら、絶対合格しないとダメだよ。私、信じてる」


 心を打たれる。目頭が熱くなる。溢れそうになる涙を懸命に堪えた。目が脹れあがってしまってはオーディションどころじゃない。


 ラブとブッキーに返信する。

“ごめんなさい”じゃなくて“ありがとう”って。


 見ていて、ラブ、せつな。アタシの夢を。精一杯頑張る姿を。
 信じていて、ブッキー。幸せ、ゲットしてみせるから。
 みんなより一足先にね。


 瞳に力が宿る。表情に希望の輝きが灯る。絶対に合格してみせる。


 当然よ! だってアタシは――完璧――なんだもの。


 それまで空気と化していた美希の気配が膨れ上がる。圧倒的なまでの存在感の上昇。
 会場がざわつき、ため息がこぼれる。嫉妬と羨望の視線が集まってくる。


 自信を漲らせて、美しい足取りで最終選考に向かった。







「「「オーディション合格。グランプリおめでと~~」」」


 カオルちゃんのお店でラブとブッキーとミユキさんがお祝いしてくれた。家でもきっと、ママ達がパーティーの準備をしていることだろう。
 アタシはラブとブッキーに向き合う。ちゃんと、伝えなければならない。


「ラブ、ブッキー、ごめんなさい。アタシはファッションモデルの道を歩みたい。だから……もう、みんなとダンスは出来ない」


 ラブとブッキーは最高の笑顔で頷いてくれた。作り物じゃない、心からの喜びを感じる。


「美希たんの夢は、あたしたちみんなの夢だよ。一年間――ありがとう。本当にありがとう。美希たん」
「美希ちゃんならきっと凄く素敵なモデルさんになれるって、私、信じてる。私も自分の夢を追うよ。これからちゃんと勉強始めるよ」


 三人はミユキさんに向かい合う。


「ミユキさん、今まで本当にありがとうございました。凄く――凄く楽しかった……。たくさんの夢を見ました。たくさんの幸せをもらいました。クローバーは解散します。最後まで出来なくて、プロになれなくてごめんなさい」


 涙声で語るラブ。深々と頭を下げるアタシ達三人。ミユキさんも涙を浮かべながら微笑んでくれた。そしてアタシ達を強く抱きしめた。


「お疲れ様、みんな。今まで本当によく頑張ったわね。私はみんなを誇りに思うわ」


 アタシ達は全員で号泣した。こんなに泣いたこと、無いってくらいに。

 落ち着いた頃を見計らって、カオルちゃんが揚げたてのドーナツとドリンクを差し入れてくれた。





「それで、ラブちゃんはこれからどうするの? もし、ダンスを続ける気持ちがあるなら、知り合いのダンスユニットを紹介することもできるけど」

 ミユキさんが尋ねる。アタシ達も一番聞きたいことだった。

 ラブは静かに首を振った。


「クローバーは本当に最高のユニットでした。だから今はどうしても、そんな気持ちになれないんです。少し考えて見たいと思います。あたしの幸せは、夢は何なのか」


 ラブは続ける。たった一つの心残り。せつなに医務室で語った夢。


「あたしもいつか、あんな大きなステージで踊ってみたかった」


 届かなかったな。と寂しそうに笑う。


「届くわ! 叶うわよ。その夢は」


 ミユキさんが力強く宣言する。


「「「えっ」」」

「実はね、こうなるんじゃないかと思って、事務所のプロデューサーに相談していたの」


 もうじき行われるトリニティの大コンサート。場所は再建した巨大ドーム。そこで五分間だけ、時間をもらえるらしい。
 ダンス大会優勝チームのゲスト出演として踊っていいって。それを解散記念ステージにしようって。


「「「お願いします!」」」


 緊張に震えながらも、アタシ達の心は決まっていた。







「紹介します。今年度のダンス大会優勝チーム、“クローバー”です。残念ながら、このステージで解散されるそうです。最後の雄姿、皆さんで称えましょう」


 割れんばかりの大歓声に包まれる。観客の数は数千人。鼓動が早鐘のように打ち続け、足が震える。

 ラブの方を見た。不思議に落ち着いていた。携帯に映るせつなの写真に何か語りかけている。
 ブッキーは両手を合わせてお祈りしていた。やはり、落ち着いた様子に見えた。
 しっかりしなさい! アタシは完璧なんだから。一番慣れているはずでしょう。自分に言い聞かせる。


「美希たん。ブッキー。そして、せつな。行くよ、あたしたちクローバーのラストステージに!」


 この場に居ないせつなの名前を挙げた。ううん、居るんだ。アタシたちはいつでも一緒。そうよね。


 演奏が始まる。音楽と、みんなの心と、観客の視線、全てがひとつになる。
 初めは威圧された大勢の人々が、想いが、勇気となって体に流れ込んでくる。


 色んなことがあった。

 ブッキーの加入。ミユキさんを怒らせてしまったこと。無理して倒れてしまったこと。
 そして、せつなとの出会い。結ばれていく友情。繋がっていく絆。


 アタシは決して忘れない。ダンスがくれた沢山の喜びを。共に追いかける夢の素晴らしさを。


 ラブ、ブッキー。アタシは一足先に夢を掴みに行く。せつなのように。
 それぞれの道。それぞれの夢。一緒に居られる時間は減るかもしれない。でも、今は振り返らない。

 みんなで輝いて。みんなで喜び合って。それが出来たらまた、きっと一緒になれるから。
 アタシのママがそうだったんだって。


 そして、祈る。ラブが本当の夢をつかめるように。行く先が希望に満ちているように。
 誰よりも人の幸せを願った子だから。誰よりも幸せになれるはずだから。


 新しい生活。新しい日々の始まり。誇りを持って進もうと思う。繋がった絆を胸に抱いて。


 さようなら、クローバー。
最終更新:2013年02月15日 23:27