「あなたのために 前編」/黒ブキ◆lg0Ts41PPY R18




ラブは小走りになる足を何度も宥める。
立ち止まり、深呼吸し、ゆっくりと歩き出す。
それでも気が付くとまた足が勝手に走り出そうとする。
急いだ所で待ち合わせの時間にならないとせつなには会えないのに。
そうと分かってはいても、逸る心は足を急がせる。
せつなに会える。すぐそこまで来てる。
焦らないなんてとても無理だ。全速力で走って行きたいくらいなのに。


今日はクリスマスイブ。
十二月のはじめにせつなから連絡を貰った時は、比喩ではなく飛び上がった。
イブとクリスマス、泊まりがけで帰って来られる。丸二日、一緒に過ごせる。
せつながラビリンスに行って以来、顔を見られるのは精々数ヶ月に一度。
それも長くても朝来て夕飯後には帰ってしまう。
なるべく時間を作って帰って来てくれてるのは分かってる。
それ以外にほんの一時間や三十分、アカルンでやってくる事があるから。
ラブが寂しくて苦しくて我慢出来なくなったのが伝わってしまうようなタイミングで。
家族としてではなく、ただラブだけに会う為に。


(…ごめんなさい、どうしても我慢出来なくて……)


そんな風に言われたら我が儘が言えなくなる。
どうしたって、無理してるのも頑張ってるのもせつななのだから。
せつなに何もしてあげられない。黙って待って、邪魔しない事。
それしか出来ない。


「ダメダメ、こんなんじゃ。今日と明日は思いっきり楽しく過ごすんだから!」


わざと声に出して自分に言い聞かせる。
せっかくせつなに会えるのに。寂しかった事なんて考えたって仕方ない。
町を彩る赤と緑と白。両親や友人達とクリスマス気分に染まっていく周囲に浸りながら、
ここにせつながいないのが残念で仕方なかった。
楽しさと期待が高まれば高まるほど、せつなもここにいてくれたら
…そう反比例するように喪失感に取りつかれた。


何度も頭を切り替え、せめて帰って来た時にうんと楽しんで貰おう、
いっぱい笑顔になって貰おう。
そう思って、精一杯準備してきたのだから。


待ち合わせは町が見渡せるあの白詰草の丘。
本当は待ち合わせにはあまり向いてない場所だ。
家からは遠いし、今の時期は遮る物も無くて寒い。
おまけに花も咲いてる訳無いから殺風景この上ない。
でもラブはわざわざそこを指定した。
せつなも反対はしなかった。せつななら、アカルンで直接家に来る事も出来るのに。
ラブはせつなも自分と同じ気持ちなのかも知れないと少し嬉しかった。
だって、そうすれば一番最初に顔が見られる。
待ち合わせ場所から家に着くまでは二人きりでいられる。
そう思ったから。



(いいよね…それくらいは…)


せつなに会いたいのはみんな同じ。
でもせめて、ほんのちょっぴり独り占め出来る時間が欲しい。
この時間だけ、ゆっくり二人で手を繋いで歩きたい。
それくらいの我が儘は許して欲しいと思ってしまったから。



(あれ…?)


ラブは時計を見る。まだ待ち合わせの時間までは後10分ある。
でもせつなはいつも必ず時間よりも早く来てるのに。
キョロキョロと周りを見渡しながらラブは不安に駆られる。


(…遅れるのかな…?)


ゴソゴソとポケットからリンクルンを取り出して眺めて見ても、メールも着信も無い。
ひょっとしたら急用が入ったのかも知れない。
直前になって、来られなくなったとか…。
でも、もしそうでも連絡くらいくれるよね。
ああ、でもまだ待ち合わせ時間が過ぎた訳でも無いのに何考えてんだろ。
たまたまちょっとこっちが早く着いただけなんだから。


それでもラブは不安気な顔で何度も周りを見回す。
うろうろと行き来し、丘のてっぺんで背伸びしてみたり。
そんな事をしたってせつなが早く来るはず無いのに。


「ふぁっっ!?」


突然ひんやりした手に後ろから目隠しされた。


「ふふふ、だーれだ?」


心臓が跳ね上がる。
耳元で感じる吐息。
背中のすぐ後ろのぬくもり。
こんなに近くに来られるまで全く気配を感じなかった。
まったく、こんな時にまで元戦闘員の本領を発揮しなくてもいいのに。


もう、びっくりさせないでよ。
そう、笑って振り向こうとしたのに。
呼吸が早くなって、体が動かない。


「…もう……びっくりした…」


情けないくらい、誰が聞いても分かるくらいの涙声。


「うん…ごめんね」


「せつな…いないんだもん……」
「…うん」
「来られないのかなって……来なかったらどうしようって…」
「……うん…」



ああ、何言ってるんだろう。
せつなのちょっとした悪戯心なのに。
遅刻した訳でも、すっぽかした訳でもないのに。
責めてるように聞こえたらどうしよう。
早く笑わなきゃ。お帰りって、待ってたよって言わなきゃ。



「ごめんなさい。あのね…」


せつなは目隠ししていた手をほどき、ラブの胸の下に組む。
ぎゅっと体を押し付け、後ろからラブのうなじに顔を埋めてきた。体温、鼓動、息遣い。
いつものせつななら、こんな人目に付きそうな場所でこんな事はしないのに。
ラブはまた何も言えなくなる。



「あのね、見ていたかったの」
「……何を…?」
「ラブが、私を探してるところ…」
「…せつな……」
「ラブが、私に会いたがってる…って。私に会いたくて、走って来てくれたんだって…」
「………」
「ごめんなさい。泣かせるつもりじゃなかったの…」



本当は、ラブが来る少し前にせつなは着いていた。
小高い丘からは周囲の様子が遥か遠くまで見渡せる。
そこに、ラブがやって来るのが見えた。
白い息を吐き、頬を桃色に紅潮させ、その瞳はキラキラと輝いている。
何度も小走りになっては止まり、ゆっくりと歩み出してはまた足が急ぎ出す。
その動作の一つ一つがはっきりと見えた。
ラブが何を思ってここへ向かっているのか。
せつなを想う、その気持ちまで見えるようで。
すぐにでも駆け寄りたくて。
ただいまって言いたかったのに。
どうして、そんな事を思い付いたのか。
気が付くと、その場から離れてそっと様子を伺っていた。
期待に輝いていたラブの瞳が心細さに翳る。
落ち着きなく動き回り、所在無さげに佇む。
その姿に言葉に出来ない愛しさが溢れた。
どれほどラブがせつなに会いたがってくれてたのか。
せつなもそれ以上にラブをずっと求めていたから。



「…ごめんなさい。私、意地悪よね…」


せつなの手の上にそっと手のひらを重ねる。
凍えた手。首筋に掛かる髪もひんやりと冷えきっている。


「いつから、待ってたの?」
「ラブが来る、少し前…かな」
「…手、すごく冷たいよ。寒かったでしょ?」
「ううん。ちっとも」


だって、ラブに会えるんだもの。


ようやく振り向き、せつなの頬を両手で挟んで額をくっ付ける。
手は冷えているのに、その頬は火照らんばかりに熱かった。


「…ラブ、人に見られたら恥ずかしいわ」
「先にくっ付いて来たのはせつなの方だよ」
「どして、ずっと目を瞑ってるの…?」
「久しぶりだから」
「…?」
「いきなりこんな近くでせつなみたいな可愛い子見たら、眩しくて目が開けられない」
「なに言ってるのよ…」



少し笑みを含んだ甘い声音。
ゆっくり、ゆっくり目を開ける。
微笑んだせつなの顔が目の前にある。
随分髪が伸びてる。
表情が前より大人びてる気がする。
誰よりよく知ってる顔なのに、初めて会った時みたいに胸がドキドキしてる。
もっともっとよく見たいのに、涙の膜が邪魔して輪郭が滲む。



「行こう!」


ラブはせつなの手を握って走り出した。
本当は思い切り抱きしめたかった。
でもそんな風に触れ合ってしまったら、今まで抑えていた気持ちが爆発してしまいそうで。
ゆっくり歩いて、束の間の恋人の時間を味わう。
そんなの、到底無理な話だった。



ラブは小走りに駆けながら、ひっきりなしにしゃべり続ける。
どんなに今日が待ち遠しかったか。
みんなどんなにせつなに会いたがっているか。
ツリーやリースを飾り、ご馳走を考え、プレゼントも用意してある。
みんなみんな、せつなが来るのを心待ちにしている事を。
しゃべりながら走ると息が切れる。何度かむせ込んで止まってしまった。
それでも何とか息を整えて、また走り続ける。
そうしないと、余計な事を言ってしまいそうだから。
早く、家に帰らないと。
早く、みんなにせつなを会わせないと。
このまま二人きりでいたら、きっとせつなを連れてどこかへ行ってしまいたくなる。
誰にも会わせず、どこにも、ラビリンスにも帰らせずに閉じ込めてしまいたくなるから。
何もかも振り切って、せつなを自分一人のものにしてしまいたい。
そんな気持ちに押し流されてしまうから。


あたし一人のせつなじゃない。
せつなはあたしだけに会いに戻った訳じゃない。
みんなせつなが大好きなんだ。
せつなだってみんなに会いたいんだ。



分かってる。
分かってる。
分かってるから。
みんなと一緒に、家族として過ごす。
クリスマスをせつなが楽しんでくれればそれで満足。
大丈夫。きっとすごく楽しい。
せつなが幸せに笑ってくれたなら、きっとこんな自分勝手な独占欲は
成りを潜めてくれる。
だから早く。みんなのところへ行かないと。



「お母さんね、何日も前からご馳走のメニュー考えてたんだよ!」
「うん」
「あたしも下拵えいっぱい手伝ったんだ。あ、ハンバーグは全部ラブ作だからね!」
「楽しみね」
「お父さんは肉じゃが!おっかしいよね、クリスマスに肉じゃがってさ!」
「そうなの?」
「そーだよ!だってどう考えても普段のフツーのお惣菜だし」
「でも、お父さんの肉じゃが、とっても美味しいわ」
「そーなんだよ。だからさ『せっちゃんは僕の肉じゃがが好きなんだからいいんだよ!』って」
「じゃあ、一番最初に肉じゃが食べる」
「そうしてあげて。チキン押し退けてメイン陣取ってるから!」



休む事なくはしゃいだ声で言葉を紡ぐ。
せつなも嬉しげに答えてくれる。
弾む心は嘘じゃない。
みんなの喜ぶ顔、思い浮かべるだけで胸が沸き立つ。
ほんの少し、ヤキモチを誤魔化してるだけ。
楽しい気分の方がずっとずっと大きい。
それは本当なんだから。



「ただいまぁっ!」


勢いよく玄関を開けると歓声が上がった。
もうみんな勢揃いしてる。
お母さんに抱き締められて涙ぐむせつな。
お父さんに頭を撫でられてはにかむせつな。
美希と祈里にもみくちゃにされて声をたてて笑うせつな。
レミおばさんや尚子おばさん、正おじさんに生真面目に挨拶するせつな。
お帰りなさい。久しぶり。会いたかった。
弾ける笑い声、明るい笑顔。
みんなで味わう幸せに心が穏やかになっていく。



「そうだ!せっちゃん、これ!」
「お父さん…?これ、お年玉って…」
「そう!今の内に渡しておこうかと思って!」
「…あの、一応お正月にも顔は出せるようにしようと思ってるんだけど…」
「いいんだ、いいんだ!その時はもう一回あげるから!」
「あー!せつなだけずるーい!」
「お?ラブも欲しいか?よーし、待ってろ〜」
「お父さん!いい加減にしてくださいよ!」



約束通り、真っ先に肉じゃがを取り分けたせつなに、すっかり気を良くした上に
ビールも入っていい感じに仕上がった父が大盤振る舞いを始める。
苦笑いでたしなめる母も諦め気分だ。
周囲の笑い声をそっちのけで財布を覗き込んでいる父は、素面に
戻った時に後悔しそうだ。


料理に舌鼓を打ち、他愛無いお喋りや近況報告。
ゲームに興じて笑い転げ、プレゼントを見せ合う。
その中で、ふとした拍子にぶつかるお互いの視線。
ラブの眼差しに熱が籠ると、必ずせつなはその視線を受けとめ、
同じ熱を返してくれる。



あなたが好き。
会いたくて会いたくて堪らなかった。
抱えている想いは同じ。でも今は…。


テーブルの下でそっと指を絡め合う。
ゲームやお喋りをしながら相手の肩に然り気無くもたれかかる。
それが精一杯。



「……ラブ」


手を洗いに洗面所に立ったラブをせつなが追い掛けて来た。
そこで初めて、正面から抱き締め会った。
息が止まるほど力を込めても、ちっとも苦しくない。
すぐ側でパーティーの賑やかなさざめきを聞きながら、髪を撫で合い、
そっと頬や唇に触れていく。


「せつな、楽しい?」
「ええ、とっても…」
「そう…良かった…」
「…ラブ」
「せつなが嬉しいと、あたしも嬉しい…」
「…………」
「せつながあたしのサンタさんだもん。今は一緒にいられるだけでいい…」
「うん…」



懸命に、心に言い聞かせる。
クリスマスは家族で過ごすって決めたんだから。
胸の奥に燻る欲望は閉じ込めて鍵をかけないと。
恋人のぬくもりと匂い、柔らかな感触。
今は、これだけが手に入るすべてなのだから。



最終更新:2013年02月16日 14:32