四つ葉になるとき ~第2章:響け!希望のリズム~ Episode7:タルト、またまた危機一髪!?(後編)




「ナケワメーケ!」
 淡いグレーの身体に、太くて長い尻尾。何だか刺々しいものに変化している、水色の襟飾り。胸に黄色いダイヤを貼り付けたその怪物は、憎悪に満ちた真っ赤な目で、こちらを睨む。
 呆然としたせつなとラブが、思わず一歩、二歩と後ずさったとき。
「ラブ!」
「せつなちゃん!」
 足音と共に、二つの声が近付いてきた。


「美希たん!」
「ブッキー!」
 駆け付けた美希と祈里も、怪物の姿に息を飲む。
「これって、まさか・・・。」
「タ・・・タルトちゃん・・・なの?」
 あっけにとられる四人の前で、怪物は街路樹を踏み倒し、逃げ惑う人々に迫る。それを見て、ラブがぐっと歯を食いしばった。


「みんな、変身よ!タルトを助けるんだからっ!」
「オーケー!」
「うん!」
「わかった!」


「チェインジ!プリキュア!ビートアーップ!!」


 まばゆい光が、天使の像を色鮮やかに照らし出した。




   四つ葉になるとき ~第2章:響け!希望のリズム~
   Episode7:タルト、またまた危機一髪!?(後編)




 商店街の建物より遥かに大きい、巨大な姿に向かって四人が跳ぶ。
「ダブル・プリキュア・パーンチ!」
 唸りを上げる、ピーチとパッションの拳。
「ダブル・プリキュア・キーック!」
 一直線に伸びる、ベリーとパインの蹴り。
 しかし次の瞬間、巨体がふわりと浮きあがる。
「え?」
 四人の攻撃を軽く跳び下がって受け流し、ナケワメーケは両腕をブン!と振り回した。胴体に比べて短い腕。だが、至近距離にいる彼女たちには堪らない。
「ナ~ケワメ~ケ~ッ!」
「きゃあああ!」
 何とか体勢を立て直して着地したピーチが、同じく降り立った三人をチラリと見やる。そして一斉に走り出す四人。
「はぁ~~~!」
 タン!
 タタタン!!!
 揃って空中高く舞い上がり、四つ葉の陣形を形作る。
「プリキュア・クアトラブル・キーック!!!!」
 四つの右足が、相手の胸の一点に集中する。が、今度はその大きな身体がくにゃりと前のめり。蹴りがあっさりと受け止められた。同時に、ナケワメーケの尻尾がピーンと突っ立つ。
「ナケワメーケ!ポイポーーーイ!」
 突然、コマのように回転する身体。太い尻尾はこともなげに、四人を地面に叩き落とす。商店街の目抜き通りに、轟音と共に四つの穴が穿たれた。


「つ・・・強い・・・。」
「何あれ・・・。攻撃が、吸収されてる?」
 パインとベリーの呟きに、ウエスターの声が飛ぶ。
「ハハハハ・・・!言っただろう。ナケワメーケは、密かにパワーアップしているのだ!今日からコイツは幸せでなく、不幸を集めるのだ。さぁ、お前たちも泣け!喚け!」
「タルト・・・。」
「タルトに・・・そんなことはさせないわ!」
 痛みに顔をしかめながら、ピーチとパッションが立ち上がる。そのとき、通りの向こうから猛烈な勢いで駆けてくる人影に、四人は目を見張った。


 襟首が少しくたびれた、白いTシャツ。破れて右の膝小僧が剥き出しになった、ブルージーンズ。
 間違いない。それは、三日前から山吹動物病院の周りをうろつき、昨日タルトを追い掛け回したという、あの男だったのだ。
 男は四人には目もくれず、再び商店街を歩き出そうとしているナケワメーケを目指して駆ける。
「近付いちゃダメですよ!」
「危ない!」
 遅れて立ち上がったベリーとパインの声を無視して、男はナケワメーケの足元に立つと、くるりとこちらを向いて、その巨体を庇うように両手を広げた。


「幸せのナマモノ、攻撃するの許さない!オマエたちの攻撃、相手、壊す!」
 碧がかった目で四人をキッと睨みつけ、男は声を張る。
「そんなこと無い!プリキュアの攻撃は、相手を元に戻すだけだよ。」
 そう言い返すピーチに答えることなく、男は四人に背中を向けると、ナケワメーケを見上げた。


「幸せのナマモノ~!俺様、オマエ守る。だから元の姿に戻って、俺様と、来ヤガレ!」
「ナケワメーケ!ウォンテーッド!」
 声と同時に、ナケワメーケの太い腕が男の頭上に振り下ろされる。
「・・・え?」
 助けに走りかけたベリーとパインが、立ち止まって同時に声を上げた。
 襲い来る攻撃から、男がひらりと身をかわしたのだ。さらに右へひらり。左へひらり。実に軽やかな動きで、頭上からの攻めをかわし続ける。
 やがて業を煮やしたナケワメーケが、無理な攻撃でバランスを崩した。男はすかさず、スルリと巨体の後ろにまわる。そして宙に浮いた怪物の左足に、むしゃぶりついた。
「お願いです。オマエ、みんなを幸せにするモノ。俺様、オマエ大切にする。みんなもきっと、大切にする。だから元に戻って、一緒に、来・ヤ・ガ・レ~!!」
 ナケワメーケの身体が、ぐらりと揺らぐ。が、怪物は右足一本でくるりと反転。ギラリと赤い目が光る。
 慌てて跳び退る男。が、今度は瓦礫に足を取られて転倒した。その上にゆっくりと振りかざされる、灰色の腕――。
「ナケワメーケ!フェーレットーーー!」
「はぁ~~~、やぁっ!!」
 男の隣に滑り込んだベリーとパッションが、気合一閃、覆いかぶさるナケワメーケを蹴り上げる。そして両脇から男を抱えると、間一髪でその場から脱出した。


「大丈夫?怪我は無いですか?」
 パッションが、男の顔を覗き込む。
「まったくもぉ!一人であんなことしたら、危ないですよ!」
 ベリーが商店街のベンチに男を降ろし、再びナケワメーケの元に駆け出そうとする。その腕を掴んで、何事か呟く男。が、すぐに苦しそうにケホケホと咳き込みながら、手を離した。
 その腕の動きを見て、ベリーの目が驚きに見開かれる。
「・・・あなた!」
 パッションもまた何かに気が付いたように、鋭い視線を男に注いだ。


 ベリーが、男の左手を掴む。
「思い出した!あなた、めくるめく王国のジェフリー王子が連れ去られた事件のとき、あの場に居たわよね?あのときは黒いスーツにサングラスだったから、すぐには気が付かなかったけど。」
「な・・・何の話・・・デスカ?」
 男はどもりながら、ベリーから視線を逸らす。しかし逸らした視線の先には、冷静にこちらを見つめるパッションの瞳があった。
「とぼけないで。あなた今、『ポセイドン』って確かに言ったわよね?それって、『ポセイドンの冷や汗』のことなんじゃない?ゲットマウスとかいう盗賊の、仲間よね?」
 男の視線が、宙を泳ぐ。
――『ポセイドンの冷や汗』の時と同じだ。
 思わずそう呟いたものの、極小さな声だったし、こいつらにめくるめく王国の言葉が判るわけはない、と高を括っていた。が、どうやら耳が良いらしい目の前の少女と、言語に依らない「固有名詞」という落とし穴が、そこにあったらしい。


「うるさい!オマエたち、宝石、壊した。ポセイドンの冷や汗、国の人々、幸せになる宝石だった。人々、不幸になったら、オマエたち、どうしてくれる。」
 男が力の無い声で、ベリーとパッションに言い返す。それを聞いて、二人は困ったように顔を見合わせた。
「でも、あなたたちはそれを盗もうとしたんじゃ・・・」
 ベリーがそう言いかけて、あれ?と呟く。その声に、パッションと男も顔を上げた。
 態勢を立て直したナケワメーケの真ん前に、いつの間にか、ピーチとパインが立ちはだかって、怪物を睨みつけている。


「あなたは誰?あなたは、タルトじゃないっ!」
 凛としたピーチの声が、今はがらんとした商店街に響き渡る。
「な・・・何を言ってる!?」
 屋根の上からその様子を見下ろしているウエスターは、何故かひどく慌てている様子だ。
「あなたさっき、フェレット、って叫んだよね?たとえナケワメーケになったって、タルトが自分のこと、フェレットなんて言うはずない!」
「そうよ!」
 ピーチの隣で、パインも精一杯声を張り上げる。
「それにさっき、ウォンテッド、って叫んでた。あれって、あのとき撒かれたビラに書いてあった言葉だよね?」
「・・・ビラ?」
 パッションがハッとしたように小さく呟く。
 そのときだ。
「そや!そいつはワイやない!ワイなら、ここやぁ!」
 新たな声が、辺りに響く。
 天使の像の台座の上に仁王立ちして、肩で息をしているのは、シフォンをおぶったタルトその人・・・いや、自称・「可愛い可愛い妖精さん」だった。


「タルト!!!!」
 四人の声が揃う。
「ピーチはん。ベリーはん。パインはん。パッションはん。心配してもろて、ホンマおおきに。
 せやけどワイ、やっぱりプリキュアの戦いは全て見届けんことには、居てもたってもおられへん。堪忍したってや。
 ましてや、ワイのフリしたナケワメーケが現れよったら、尚更や!」
「タルト・・・。本物のタルトだぁ!」
 ピーチが目を潤ませる。と、そのとき、男がベリーの手を振り払うと、タルトに向かって、一目散に駆け出した。


「幸せのナマモノ~!良かったぁ、怪物、なってなくて。さあ、俺様と一緒に・・・」
「あわわわ・・・。あんさん、ここにおったんかいな~!そ、それは堪忍・・・どわっ!」
 慌てたタルトが、足を踏み外して台座の上から転がり落ちる。
「タルトちゃん!」
 目を回しているタルトに、パインが駆け寄ろうとする。
「行かせない!」
 男を追って、ベリーが走り出す。
「な・・・何をぼんやりしている、ナケワメーケ!今がチャンスだぞ!」
 あ然として一部始終を眺めていたウエスターが、ハッと我に返って、ナケワメーケに檄を飛ばした。
「ナ~ケワメ~ケ~!」
 その言葉に、怪物が再び動き出す。今度は尻尾を箒のようにして、高速回転で瓦礫を弾き飛ばす。
「うわぁっ!」
 礫となった瓦礫が四人を襲う。男はその隙に、脱兎のごとくタルトの元へと駆け寄った・・・!
 が、男がタルトにあと一歩と迫ったところで、横合いからひょいと一本の足が突き出す。それに見事に引っかかって、男を地面に這いつくばった。
「よぉ、兄弟。こんなところで目ぇ回してたら、危ないよ~ん。」
 うずくまるタルトの頭上から、馴染みのある能天気な声が聞こえた。


「カオルちゃ・・・」
 思わず叫びかけたピーチの口を、パッションが慌てて手でふさぐ。カオルちゃんはニヤリと笑うと、エプロンのポケットからおもむろにロープを取り出して、男を後ろ手に縛り上げた。
「よぉ、プリキュアのお嬢ちゃんたち。そいつの正体、見当ついてんだろ?だったら、まずはその厄介な尻尾を、へなへなにしてやりなよ。」
 投げかけられたカオルちゃんの言葉に、パインは礫を避けながら、じっと考え込む。
(正体・・・へなへな?あっ、そうだわ!)
 キョロキョロと辺りを見回したパインは、天使の像の隣に設置された消火栓に飛び付いた。それを見て、ベリーがなるほど、という顔をして加勢に駆け付ける。
 収納されていたホースを引き出し、蛇口に取り付けて、パインがその先を、ナケワメーケに向ける。そしてベリーが、消火栓のコックを思い切りひねった。
 水が凄まじい勢いで、弧を描いてほとばしる。その水流をもろに尻尾に喰らって、ナケワメーケの動きが止まった。
「ナ・・・ケワメ・・・ケ・・・。」
 怪物は、尻尾をだらりと垂らし、首まで重そうに前のめりになる。
 パインは後ろにいるベリーにニコリと笑いかけてから、前方にいる二人の仲間に叫んだ。
「ピーチ!パッション!今よ!」
「オッケー!」


 ピルンとアカルンが、リンクルンから飛び出し、くるくると踊りながら、秘密の鍵へと姿を変える。二人はその鍵でリンクルンを開き、ホイールを回す。
 光と共に現れる、それぞれのアイテム。
 ピーチはそれをくるりと手の中で転がしてから、キラリと光る先端を、ナケワメーケに向ける。
 パッションは胸の四つ葉から取り出した、最後にして要のピース、赤いハートを取り付ける。


「届け!愛のメロディ。キュアスティック・ピーチロッド!」
「歌え!幸せのラプソディ。パッションハープ!」


 二つのアイテムから、それぞれの音色が響き渡る。


「吹き荒れよ!幸せの嵐!」


 高く掲げられたハープの周りに、真っ白な羽が出現する。


「悪いの悪いの、飛んで行け!」


 大きくジャンプしたピーチのヒールが、カツンと澄んだ着地音を響かせる。


「プリキュア!ラブ・サンシャイン・フレーッシュ!」
「プリキュア!ハピネス・ハリケーン!」


 ナケワメーケに向かって飛んでいく、巨大なハート形の光弾。それを追うように、赤い旋風がナケワメーケを包み込む。


「はぁ~~~!!」


「シュワ、シュワ~・・・。」


 ぴちゃり、と微かな音がして、何かが地面に落ちる。それは丁寧に折りたたまれたまま、びしょ濡れになって文字が浮き出た、あのときのビラだった。


「くっそぉぉ、いいもの見つけたと思ったのに・・・。ドーナツ好きのしゃべるフェレットめ!アイツの姿のナケワメーケなら、手も足も出まいと思ったのにぃ!やっぱり作戦は、ヘタに頭を使っちゃダメだっ!」
 ウエスターが屋根の上で地団駄を踏んでから、とぉっ!とその場から姿を消した。


 ☆


 ベンチに縛りつけられ、うなだれる男の周りに、プリキュアの四人とタルトとシフォンが集まる。カオルちゃんは少し離れたところで、どこかに電話をかけ始めた。
「あなたの国の幸せアイテムが――宝石が壊れてしまったから、タルトを連れて行こうとしたの?」
 ピーチが男の前にしゃがみ込む。男はピーチの視線から目をそらすと、言葉を探しながら、語り始めた。


「俺様、ゲットマウスでは、シタッパだった。大きなシゴト、初めて行った。でも、まさか『ポセイドンの冷や汗』盗む、思わなかった。もっとまさか、あの宝石壊れる、思わなかった。」
 そう言って、男は一度、ハァっと溜息をつく。
「みんな捕まったとき、俺様だけ、逃げられた。この国で世話してくれた、この国のマフィア、頼ったら、俺様を船で国に帰す、言ってくれた。でも、このままじゃ・・・。幸せの宝石が壊れて、きっと国のみんな、シケたツラしてる。それ思うと、国に帰るの、辛い・・・。そう言ったら、マフィアの兄貴、それ、俺様にくれた。」
 男は、ナケワメーケになっていたビラを顎でしゃくった。
「船の出発、明日。それまでに、幸せのナマモノ、捕まえる、決めた。」
「だからって、無理矢理捕まえようとするなんて!」
「パイン。」
 いつになく激しく食ってかかるパインを、ピーチがそっと制する。そして、カオルちゃんがまだ電話しているのを確かめてから、男のうなだれた顔をじっと見つめた。


「お願い。タルトは、あたしたちの大切な友達なの。だから、めくるめく王国に連れて行くなんて、言わないで。」
「・・・ダチ?」
 男が少し顔を上げて、ピーチと目を合わせる。うん、と真剣に頷く彼女の顔を見て、男の目が泳いだ。
「幸せのナマモノ、しゃべれること、まさかだった。でも、ダチ持ってること、もっと、まさかだ。」
 そう呟いて、男は自分の足元を見つめる。ずいぶん長い間そうしてから、彼は意を決したように顔を上げて、ピーチを見つめた。
「俺様、幸せのナマモノ、不幸なナマモノに、しない。だからソイツ・・・オマエが連れて、行きヤガレ。」
「ありがとう!」
 心から嬉しそうにニコリと笑うピーチに、男は諦めたように首を左右に振ると、少し照れ臭そうに、笑った。


 電話を終えたカオルちゃんが、ゆっくりと戻ってくる。
「さて、と。あんたの帰国は、船じゃなくて飛行機に格上げだよ~。ま、警察の送迎付きだけどね。」
 カオルちゃんがそう言って、男の肩に手を置く。
「そうそう、あんたのボスが狙ってた宝石だけどさ。あれを割っちまったのは、このお嬢ちゃんたちじゃ無いよ~。
 噂だけど、たまたま居合わせた、エラく強い男がさ。勢い余って、割っちまったって話だ。ひょっとしたらソイツも今頃、やり過ぎたって後悔してたりしてね~。」
 相変わらず軽~いその話しっぷりに、男はポカンと口を開ける。
「あ、噂って言えばさ。あんたの国の噂も聞いたよ~。
 王様は、割れちまった宝石のカケラを全部持ち帰って、もう一度磨き直すことにしたらしいぜ。そして一番大きなカケラを王室の家宝にして、残りは全部、大臣とか役人とか、国の政治に携わってる人に渡すんだと。
 どうやらジェフリー王子が、考えに考えて、王様にアイデア出したらしいぜ。」
「え?ジェフリーが?」
 思わずパッションが口を挟む。この前テレビのニュースで見た、ジェフリーの顔――王様に嫌われている・・・そう言ってふてくされていた子供じみた顔とは違う、何だか大人びて見えた彼の顔が、蘇った。
 カオルちゃんが、そんなパッションに笑いかけてから、男の方へと向き直る。
「人々を幸せにする宝石がさ。ひとつひとつは小さくなっても、十倍にも二十倍にも数が増えたんだから、凄いんじゃないの?そいつをお守りにして、みんなで人々を幸せにするよう、頑張るんだってさ~。」
 そう言って、カオルちゃんは男の肩をぽんと叩くと、その顔を覗き込んで、ニカッと笑った。
「どうやらあんたの国の人たちは、あんたが心配するほど、シケたツラしちゃいないみたいだね~。グハッ!」
 男の目から、涙が溢れ出す。そのとき遠くから、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
「おっと、お迎えだ。じゃあな!」
 カオルちゃんが、素早くその場を離れる。ピーチたち四人も、慌てて商店街の向こう側へと身を隠した。


「良かったね、タルト。あの人も、きっともう一度、頑張れるよね。」
 変身を解いたラブが、タルトに満面の笑みで頬ずりする。
「うん。わたし、信じてる。」
 祈里がいつもの、穏やかな笑顔を見せる。
「しもた~。あいつに、「ナマモノ」言うんは間違うとるって、教えてやるんやったなぁ。」
 相変わらず呑気そうなタルトに、四人が揃って苦笑した。
「そう言えば、美希。」
 せつなが、ふと何かに気付いたように、隣に立つ美希を見上げる。
「さっき、あの人のこと、どしてゲットマウスだってわかったの?やっぱり、腕時計?」
「ええ、そのとおりよ。」
 美希がせつなの顔を見て、得意げにニヤリと笑った。
「ほら、公園であの男たちに捕まって、アタシたち、車に乗せられたでしょ?あのとき、車のドアを開けたのが、あの人だったの。
 いきなり押し込まれるかと思ったら、その前にあの人、車のシートの埃を手で払ってくれて・・・。それで覚えてたのよ。腕時計と一緒にね。」
「そうだったの。」
 せつなは小さく微笑んで、建物の陰からそっと、もう一度男の姿を見つめる。
「ククククク・・・。ハハハ・・・。」
 泣き笑いしながら、素直に連行されていく男。その後ろに、小さな宝石を手に凛と前を向く人々の姿が、せつなには確かに、見えたような気がした。



 ☆



 次の日の午後。
「いらっしゃい。今日も、お嬢ちゃん一人?」
 サングラス越しにニカッと笑うカオルちゃんに、せつなは困ったような笑みを浮かべる。
「ええ。実は・・・。」
 今度はラブとせつなが、タルトが買っておいたドーナツを食べてしまって、タルトがカンカンになって怒ったのだ。ラブが必死でタルトに謝っている間に、せつなが埋め合わせの分を買いに来たというわけだった。話を聞いたカオルちゃんが、実に楽しそうな顔で、ニヤニヤと笑う。
「あの・・・。昨日お聞きした、心配されるのが幸せか、って話なんですけど。」
 ドーナツを詰めてもらいながら、せつながカオルちゃんに話しかける。
「少しだけ、わかったような気がするんです。」
「ふぅん。」
 そっけない返事と裏腹に、サングラスの奥の目が、せつなに優しく続きを促す。
「上手く言えないんですけど・・・心配される人と、心配する人って、凄く心が近い気がして。心が・・・気持ちが、繋がってるって言ったらいいのか・・・。もしかしたらそれが、幸せなのかな、って。」
 昨日、タルトが息せき切って駆け付けたとき、理屈も何も無く、ただ嬉しかったこと。連行されていく男が見せた、あの泣き笑いの表情。
 せつなはそれらを思い出しながら、考え考え、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「青春だねぇ。じゃあ、昨日の宿題の答えも、わかっちゃったかな?」
 黙ってドーナツを詰め終えたカオルちゃんが、そう言いながら、また丁寧に袋の口を折り返した。
 一瞬、せつなの脳裏に、この前テレビで見た、凛とした眼差しのジェフリーの顔が浮かぶ。が、彼女は微笑みながら、小さくかぶりを振った。
「いえ、それはまだ・・・。」
「そっかぁ。ま、そーんな真剣に考え込まなくてもいいよ。これからいろんな人たちに出会って、いろんなこと経験してさ。そんな中で、あ、これかな~って思ったりしたら、そんときは聞かせてよ。グハッ!」
 カオルちゃんが、昨日と同じように、袋の折り目を左から右に向かって丁寧にしごく。そして、やっぱり昨日と同じように、袋の左の角を、三角に折った。
「はい、お待たせ。」
「ありがとう、カオルちゃん。」
 まだ温かいドーナツの袋。言葉のぬくもりと手のぬくもり、その両方に背中を押されるように、今日はすんなりとそう口に出せたことが、せつなには何だか嬉しかった。


 ☆


 家に帰ると、あゆみがリビングのカレンダーの前で、何やら考え事をしていた。
「お帰りなさい、せっちゃん。ちょうどよかったわ。明日の午後、何か予定ある?」
 ニコリと微笑みかけるあゆみに笑顔を返して、せつなは明日の予定を思い返す。
「明日はダンスの朝練だけだから・・・午後は、空いてます。」
「そう、よかった。じゃあ明日、制服の採寸に行きましょう。」
「・・・制服?」
 小首を傾げるせつなに、あゆみは嬉しそうに、大きく頷いた。
「ええ。二学期から、せっちゃんもラブと同じ、四つ葉中学校の二年生よ。」


(私が・・・学校に?)
 せつなの瞳が、驚きと戸惑いに大きく揺れる。あゆみは、ゆっくりとせつなに歩み寄ると、その黒髪に、そっと手を置いた。
「大丈夫よ、せっちゃん。せっちゃんなら、きっと学校にもすぐに慣れるわ。たくさんお友達作って、勉強も遊びも、思いっきり楽しんでらっしゃい。」


 あゆみの手が、ゆっくりと髪をなでてくれるのに連れて、胸の鼓動が少しずつおさまってくる。せつなはあゆみに気付かれないように、右手をギュッと握りしめた。
 やっと慣れてきた、ここでの生活。自分を受け入れてくれた、あたたかな家族と仲間たち。この居心地の良い場所から、新しい世界へと踏み出していくのは、正直、怖い。でも。


――これからいろんな人たちに出会って、いろんなこと経験してさ。そんな中で、あ、これかな~って思ったりしたら、そんときは聞かせてよ。


 さっきのカオルちゃんの言葉が、あゆみの言葉と重なる。
(私のこの狭い世界が少しでも広がれば、カオルちゃんの宿題の答えも、そしてもっと多くの笑顔の種も、見つかるかもしれない。)
 せつなは、髪をなでてくれるあゆみの笑顔を、少し照れ臭そうな顔で見つめてから、はい、としっかりと頷いた。


「せつなぁ!やっと帰って来た。早くドーナツ持ってきてよぉ。タル・・・あわわわ、とにかく、もぉ大変なんだよぉ!」
 リビングのドアがガチャリと開いて、憔悴し切ったラブの顔が覗く。
「あ、ごめんなさい。今行くわ。」
 せつなはもう一度あゆみと目を合わせてから、ドーナツの袋を抱えて、階段を軽やかに駆け上がっていった。


~終~



最終更新:2013年02月12日 15:01