四つ葉になるとき ~第2章:響け!希望のリズム~ Episode5:笑顔の種




この世界の人間を見て、最初に驚いたもの――それは、笑顔だった。


お母さんの顔を見上げる、小さな子供の笑顔。
その笑顔にやさしく答える、お母さんの笑顔。
友達同士の賑やかな笑い声や、静かに微笑み合う老夫婦。
ラビリンスでも、人々は感情の表現が皆無だったわけじゃない。
でも、あんな花が咲いたような明るい表情を見たのは、初めてだった。
人はこんな美しい表情ができるのかと、
そこかしこで溢れる笑顔を眺めながら、密かに思った。


やがて驚きが治まると、今度は苛立ちを感じ始めた。
その美しい表情が私に向けられることなど、あろうはずがなかったから。
そして、その笑顔の花を奪い、壊すのが、他ならぬ私の任務だったから。
もっとも、あの頃の私には、どうして笑顔を見ると虫唾が走るのか、
その理由なんて、まるで分らなかったけれど。


ラブに出会って、笑顔を向けられる嬉しさとあたたかさを知った。
プリキュアになって、笑顔を守ることができる喜びを知った。
おじさまやおばさまの笑顔。美希やブッキーの笑顔。タルトやシフォンの笑顔。
たくさんの笑顔に囲まれて、自分も笑顔になれるのだということを知った。


ぬくもりというものを覚えた心に、湧きあがったひとつの想い。
私も、誰かを笑顔にしたい。
ラブのように。おばさまやおじさまのように。美希やブッキーのように。
そのためには、どうすればいいのだろう。
笑顔が表情の花ならば、その種は、一体どこにあるんだろう。


天井の一部が欠け落ちた、クローバーフェスティバルのイベント会場。
袖と呼ばれる舞台の陰で、波のように押し寄せるたくさんの笑い声を聞きながら
私はそのことばかりを考え続けていた。




   四つ葉になるとき ~第2章:響け!希望のリズム~
   Episode5:笑顔の種




「はぁ~~~~!!」
 ピーチの気合いのこもった声と共に、ナケワメーケを包み込む光が輝きを増していく。
「シュワ、シュワ~・・・」
 断末魔の・・・というより、何だかホッとしたような声が聞こえて、緑色のダイヤが煙のように消失する。あとには四つ葉写真館の、古いけれど店主自慢のカメラが、ぽつんと道端に残された。
 サウラーが、忌々しげに何事か呟いて姿を消す。それを見届けてから、四人の少女は変身を解いた。


「みんな、ありがとう。」
 ラブは、仲間たちに向き直って、少し照れ臭そうに笑った。
「みんながあたしのこと、帰って来るって信じてくれたから、帰って来られた。ホントにありがとう!」
「何言ってるのよ。あったり前でしょう?」
 腕組みした美希が、にっこりと笑ってそう言い放つ。
「うん。わたし、信じてた。せつなちゃんも、そうだよね?」
 穏やかに微笑みかける祈里に、ええ、と頷いて、
「ラブなら絶対、帰って来てくれるって思ってたわ。」
 まっすぐにラブの目を見つめて、せつなは嬉しそうに言った。


 ラブの笑顔が大きくなる。
 カメラのナケワメーケの攻撃で、ラブは思い出の世界に送られた。
 おじいちゃんと過ごした幼い頃の、穏やかで、無邪気で、何の心配もなかった幸せな日々――そんな甘美な夢の中から帰って来られたのは、おじいちゃんが、自分のやるべきことを思い出させてくれたから。そして、自分の帰りを信じて戦う、三人の仲間の姿を見たからだ。これはおそらく、シフォンが見せてくれたのだろう。


「そうだね。もし、あたしじゃなくて他の誰かが思い出の世界に行っても、あたしもきっと信じてたと思うもの。」
 それを聞いて、祈里が震える溜息を、わずかに漏らす。さっきはすんでのところでラブに助けられたが、三人とも危ないところだったのだ。
「どんな思い出の中に閉じ込められたのかなって考えたら、少し怖いけど。」
「そう?アタシはちょっと、見てみたかったな。」
 強気な美希の言葉に、思わず顔を上げる祈里。パチリと片目をつむってみせるおどけた顔が、よみがえった恐怖を薄れさせてくれた。
「もう、美希ちゃんたら。さっきは一緒に怖がってたくせに。」
 笑い合う二人を、せつなが笑顔で見守る。その顔に一瞬だけ暗い影が浮かんだのを、ラブだけは見逃さなかった。


 ☆


「えーっと、ひき肉と卵、タマネギに牛乳、と。パン粉は、まだあったし。あ!お母さんに、また付け合わせを決められたら大変だ。ええと・・・付け合わせ、ブロッコリーでいいよね?せつな。」
 ラブが慣れた手つきで、スーパーのカゴに食材を放り込む。せつなはその後を付いて行きながら、視線を上げて、どこかのレジを担当しているはずのあゆみの姿を探した。
「ええ、いいわよ。・・・あ、ラブ。いちばん右のレジに、おばさまがいるわ。」
「そうそう、お母さんはいつもここなんだよ。」
「あ・・・なんだ、場所が決まってるのね。」
 少しだけ悔しそうなせつなの顔を見て、ラブはやけに嬉しそうに、ンフフ~と笑った。


 四つ葉写真館にカメラを届けに行ってから、美希と祈里と別れての帰り道。二人は夕食の買い物にやって来ていた。
 今日はあゆみが遅番なので、ラブが夕食当番だ。昨日、それを聞いたせつなが、自分にも料理を教えてほしいと、ラブに頼んだのだった。


「ラブの作る料理も、おばさまやおじさまが作る料理も、凄く美味しいから・・・。もしも、私の料理を誰かが食べてくれて、美味しいって笑顔になってくれたら、こんな嬉しいことないって思って・・・。」
 うつむき加減で、でも笑みを浮かべながらそう口にするせつなに、ラブは「わっはー!」と歓声を上げて抱きついた。
「もっちろん、バッチリ教えちゃうよぉ。じゃあ、まずはやっぱり、ラブちゃん特製・激うまハンバーグ!明日の晩ご飯は、決まりだねっ!」
「ラブ・・・。確かこの前の夕食当番のときも、ハンバーグじゃなかった?」
「いーのいーの、美味しいんだから。じゃあ、一緒にせつなのエプロンも買いに行っちゃおう!あ、あたしのエプロンも、お揃いで新しいの買っちゃおうかな~。」
 これが、昨日の晩の話だ。


「おか~あさん。」
「あら。」
 聞き慣れた声に、レジに立つあゆみが顔を上げる。目の前には、どうやらいつも以上に張り切っているらしいラブと、自分を見つめて嬉しそうに微笑むせつな。二人とも同じように、瞳がキラキラと輝いている。
(何だかだんだん、本当の姉妹みたいになってきたわね。)
 フッと相好を崩したあゆみに、ラブが怪訝そうな顔をした。
「ん?お母さん、何ニヤニヤしてるの?」
「え?そんなことないわよ。」
 あゆみは慌てて、ピッ、ピッ、と食材をひとつひとつレジに通し始める。
「今日は、二人で晩ご飯作ってくれるんだったわね。ありがとう。それにしても・・・またハンバーグなの?ラブ。」
「だってぇ、せつなと初めて作る料理なんだよ?だったらやっぱり、ハンバーグでなくちゃあ。」
「はいはい、しょうがないわねぇ。じゃあ、付け合わせは・・・」
「はい、これ!今日はブロッコリーね。何なら、ホウレンソウでもいいんだけどぉ?」
「ぐ・・・わ、わかったわよ。」
「クスッ、フフフ・・・」
 ラブとあゆみの掛け合いに、せつなは堪らず、口に手を当ててクスクスと笑い出す。が、次に聞こえてきたあゆみの言葉で、笑い声はどこかに引っ込んでしまった。


「コホン。今日は特別よ。せっちゃんが初めて晩ご飯を作ってくれる日に免じて、許します。せっちゃんには、私がおいし~いニンジン料理、教えてあげるからね。」
「え~、ニンジン料理なんか・・・って、お母さん!『せっちゃん』って、せつなのことだよねっ?」
 ラブがレジの上に身を乗り出す。
「ええ。」
 あゆみが少し頬を染めて、ニコリと微笑む。そして、ラブの隣りでポカンとしているせつなの顔を、やさしく覗き込んだ。
「・・・そう、呼んでもいいかしら。」
 見る見る真っ赤になった顔を隠すように、せつながコクンと頷く。
 ピッ。
 カゴに残ったブロッコリーをレジに通すと、あゆみは目の前の黒髪を、愛おしげに、そっと撫でた。


 ☆


 スーパーからの帰り道。今朝の続きで、ラブはクローバータウンストリートのお店を、一軒ずつ、せつなに紹介しながら歩いていく。が、今朝のように足を止めてお店に立ち寄ることはしなかった。
 食材を持っての帰り道だから、ということは勿論ある。でもそれ以上に、せつなが何だか、心ここにあらずといった様子に見えたからだ。
 沈んだり、考え込んだりしているわけではない。今のせつなは、何だかふわふわしていて、まるで地に足がついていないように、ラブの目には映った。


「ねえ、せつな。」
 ラブはとうとう立ち止まると、街路樹の緑をニコニコと眺めているせつなの顔を覗き込んだ。
「ん?なぁに?ラブ。」
 そう言ってラブに向き直ったせつなの顔は、今にも笑い出しそうな、それでいて泣き出しそうな顔に見える。
「どうしたの?何だか様子がヘンだよ?さっきからずっと黙りこくって、あたしの話も耳に入ってないみたいじゃない。」
「あ、ごめんなさい。」
 せつなは少し申し訳なさそうな顔をして、自分の足先に視線を向けた。


「ねえ、ラブ。」
 そのままラブの顔を見ずに、せつなは言葉を繋ぐ。
「さっき、ブッキーと美希が、思い出の世界の話をしていたときにね。私、自分には帰って来られなくなるような楽しい思い出なんて無いって、そう思ってたの。」
 さっきの、せつなの顔に一瞬だけど確かに浮かんだ影を思い出して、ラブは心配そうな顔になる。
「でもね。」
 せつなはそう言って立ち止まると、ラブの顔を見て、少し照れ臭そうな表情を見せた。
「思い出とは呼ばないんだろうけど、もしも、今この瞬間に・・・この時間の中に閉じ込められたら、私、きっと帰れないんじゃないかって思う。」
「せつな。」


 うるんだ瞳をせつなに見られまいと、ラブは顔をそむけて、手に持った買い物袋をヨイショとゆすり上げる。
 せつなの幼い頃の話を、ラブは詳しくは聞いたことがない。でも、一緒に住んでいれば、そしてずっと一緒にいれば、少しずつ分かってくることもある。
 せつなの戻りたい時間――今までの人生の中で一番幸せな時間が、まさに今この時だという彼女の告白は、ラブにはしみじみと嬉しくて、そして胸が締め付けられるように、哀しかった。


「やだなぁ。今で良いんなら、別に閉じこもる必要なんてないじゃん。」
 おどけたようにそう言うと、ラブは足元にあった電柱の影を、ぴょんと跳び越える。
「やっぱり・・・ヘン?」
 少し不安そうな顔をするせつなに、ラブはシフォンの真似をして、ぶぅっと頬を膨らませてみせた。
「ヘンだよぉ。だってせつな、これからの方が、もっともっと楽しくなるんだよ?こんなところで立ち止まってちゃ、つまんないよ。」
 ラブのふくれっ面がせつなに迫って、パッとその右手を掴む。同時にいつもの笑顔に戻ったラブは、キラリとその瞳を光らせると、いきなり駆け出した。
「だからさ。まずは美味しいハンバーグ作って、みんなで楽しく晩ご飯食べよっ!」
「わかったわ。」
 ラブに手を引っ張られながら商店街を走るせつなの顔は、何だか幼い子供のようにあどけなくて、とても嬉しそうだった。


 ☆


 その日の桃園家の夕食は、ラブとせつなが作ったハンバーグとサラダ、会社から早めに帰って来た圭太郎が作った肉じゃが、それにあゆみが買ってきたデザートのアイスクリームという、実に豪華で賑やかなものとなった。
 ぱくりとハンバーグを頬張るあゆみと圭太郎の顔を、せつなは心配そうに見守る。
「うん!とっても美味しいわよ。」
「ん~、幸せだなぁ。」
 パッと笑顔になった二人に、せつなもホッとしたように、心から嬉しそうな顔を見せる。
「やったね、せつな!」
 ラブがせつなを肘でつついて、二人はアハハ・・・と声を上げて笑った。


「このキャベツも、せっちゃんが切ったのかい?上手だなぁ。ハンバーグもサラダも美味しいし、きっとすぐにラブに負けない料理上手になるぞ。」
 圭太郎にも『せっちゃん』と呼ばれて、せつなは微笑みながら頬を染める。きっと両親の間では、せつなのことは少し前から『せっちゃん』と呼んでいたんだろう。ラブはそのことに胸を熱くしながら、
「お父さんってば。料理は勝ち負けじゃないでしょう?」
 と、口を尖らせてみせた。
「ハハハ・・・。そうだな。じゃあ、ラブと同じような料理上手、って言っておくか。」
 上機嫌な圭太郎を横目で見ながら、あゆみは楽しそうにサラダを口に運ぶ。と、何か言いたげな表情のせつなと、目が合った。
「ん?せっちゃん、どうかした?」
 あゆみの言葉に背中を押されたように、せつなが少しはにかみながら、口を開く。
「あの・・・。今日、ラブが・・・おじいさんの夢を見たって、話してくれて。」


「せつな!」
 ラブが、口に入れたばかりのハンバーグのカケラを、ゴクリと飲み込む。もっとも、慌てたのはラブだけで、あゆみも圭太郎も、へぇ~、と言った様子でラブを見つめた。
「ねっ、どんな夢見たの?ラブ。」
「べ、別に、大した夢じゃないよ。あたしはまだちっちゃくて、表で遊んでたら、おじいちゃんが探しに来てくれて。それから・・・おじいちゃんがお仕事するところを見たり、駄菓子屋さんで水飴買ってもらったり・・・えっと、そんな感じ。」


「お義父さんは、ラブのことをそれは可愛がっていたからなぁ。」
 圭太郎が懐かしそうに呟いて、ビールをこくっと一口飲む。その言葉を聞いて、ラブの顔からやっと焦りの色が消えた。上がり気味だった肩が、すっと下がる。
「あたしも、まだ小さかったから、おじいちゃんのことあんまり覚えてなくて。だから、夢・・・のお陰で色々思い出せて、今日は嬉しかったんだ。」
「そう。いい夢が見られて良かったわね。」
 そう言ってから、あゆみはちょっと不思議そうに、ラブに尋ねた。
「今日は、って言ったけど・・・。ラブ、あなたその夢、一体いつ見たの?今日、どこかで昼寝でもした?」
「へっ?あ、い、いやぁ。今日って、け、今朝の話だよ。だから正確には、昨日の夜か、アハハ・・・。朝ご飯のとき、話そうと思って忘れてたんだ。で、その後せつなに話したんだよね。ねっ、せつな。」
「ええ、そうね。」
 また慌てているラブの様子に、せつなが笑いを堪えて相槌を打つ。その顔を見て、不思議そうだったあゆみの顔が、ちょっと緩んだ。
「ずいぶん嬉しそうね、せっちゃん。」
「え?ええ。おじいさんの話って初めて聞いたから、どんな人だったのかなぁと思って。」
 それを聞いて、あゆみは遠いところを見ているような、少し寂しげで、でもとても穏やかな顔つきになった。


「仕事に対しては頑固なくらい妥協しない人だったけど、家族や町の人には、とてもやさしい人だったの。畳屋なんて、子供にはまるで縁のない店なのに、『畳屋のおじいちゃん』って、近所の子供たちにも人気があったわ。」
「へぇ・・・。素敵な人だったんですね。」
 せつなにそう言われて、あゆみは心から嬉しそうな笑顔を見せる。
 おじいちゃんの思い出話。ラブの幼い頃の話。あゆみの学生時代の話・・・。
 あゆみと圭太郎を中心に、あんなことがあった、こんなことがあったと、食卓に、楽しい昔話の花が咲いた。




 やがて食事が終わり、デザートのアイスクリームを食べているとき、せつながふいに圭太郎に尋ねた。
「あの・・・おじさまは、タタミ屋さんじゃないんですよね?あの、お仕事って・・・。」
「ああ、僕の仕事かい?」
 圭太郎の目が、キラリと輝く。
「僕はね、カツラメーカーの社員なんだよ。軽くて、通気性があって、水にも強くて・・・付けた人や動物を幸せにするカツラを、日々追求しているんだ!」
 あちゃ~、という表情のラブにはお構いなしに、圭太郎は身を乗り出し、アイスが溶けそうな勢いで語り出す。
「・・・カツラ?」
「おっ、せっちゃんは見たことがないか。よぉし、今持ってくるから、ちょっと待ってるんだぞ。」
「お、お父さん!別に持って来なくてもいいよぉ。」
 勇んでリビングを出ていく圭太郎を、ラブが慌てて追いかける。残されたあゆみとせつなは、顔を見合わせてクスリと笑うと、食べ終わった食器を重ねて、二人で台所に運んだ。


「あの、おばさま。」
 せつなが食器を流しに置いて、あゆみに話しかける。
「ラブの名前って、おじいさんが付けてくれたんですってね。将来、愛情を込めて、何かを成し遂げる子になって欲しいって。」
「あらあら。ラブったら、そんなことまで夢に見たの?」
 スポンジでくるくると食器に洗剤を付けながら、あゆみは呆れたような声を出した。
「そうだったわねえ。ラブが生まれたとき、名前はお義父さんに付けてもらうんだって、あの人が頑固に言い張ってね。」
 あゆみはそう言いながら、リビングの入り口をちらりと見やる。まだ二人で揉めているのか、圭太郎もラブも、まだ戻ってきてはいなかった。
「それでお父さん、ずいぶん考えたみたいよ。最初に『ラブ』って聞いたときは、ちょっとびっくりしちゃったけど、今思えば・・・案外、お父さんらしいかもね。」
「凄く大きくて、たくさんの想いが込められた名前なのね。とっても素敵。」
 最後は小声になってそう呟くせつなの横顔をじっと見つめてから、あゆみは静かに言った。


「ねえ、せっちゃん。ラブがせっちゃんのこと、『せつな』って呼ぶときの顔、私、とても好きなの。どうしてかわかる?」
「え?」
 怪訝そうに小首をかしげるせつなに、あゆみはゆっくりと言葉を繋ぐ。
「そのときのラブの顔がね。いつもとっても嬉しそうで、やさしい顔をしてるから。せっちゃんがラブを呼ぶときも、おんなじ顔してるけど。」
 少し上気していたせつなの顔が、今度ははっきりと、朱に染まった。


「名前ってね。付けられるときにも、その人へのいろんな夢や想いが込められるけど、本当はその人と一緒に、育っていくものだと思うのよ。」
「名前が・・・育っていく?」
「そう。」
 せつなは食器を拭く手を止めて、真剣な顔であゆみを見つめた。あゆみも微笑みながら、せつなを見つめ返す。
「家族や友達から親しみを込めて呼ばれたり、今日せっちゃんがお父さんのこと訊いたみたいに、誰かにどんな人?って訊かれたり。それから、精一杯がんばったことが感謝されて、名前を覚えてもらったりしながら、ね。
 せっちゃんとラブが、いろんなことを経験して大人になっていくのと一緒に、二人の名前も周りの人たちの間で、あったかかったり、やさしかったり、頼りがいがあったり、いろーんなイメージを持つ名前に育っていくんだって、私は思うわ。」
 せつなの目が、薄い涙の膜の向こうで小さく揺らいだ。昼間のときのようにコクンと頷くと、せつなはそのまま洗いかごの方へ向き直る。布巾をぎゅっと握って、一心に食器を拭く彼女を、あゆみはラブによく似たまなざしで、じっと見つめた。




 水道の水の流れる音が、自分の心臓の音に重なって聞こえるような気がする。せつなは湯飲みの縁を布巾でくるりと撫でながら、さっきハンバーグを食べて笑顔になってくれた、あゆみと圭太郎の顔を思い出していた。
 美味しい料理を作って、みんなに笑顔になってもらいたい。そう思って、ラブに料理を教えて欲しいと頼んだ。
 ラブが大好きだったおじいさん――だからきっと、あゆみも圭太郎も大好きだったはずのおじいさんの話をしたら、きっとみんなが笑顔になってくれるんじゃないかと思った。
 その結果は、思った通りだったような、そうではなかったような・・・正確には、思った以上のことが起こったと、せつなは密かに驚いていたのだ。


 ハンバーグを食べたあゆみと圭太郎の笑顔を見たとき、嬉しくて嬉しくて、自分が自然に笑顔になっているのに気付いた。そして、そんな自分の顔を見て、ラブもとびっきりの笑顔を見せてくれた。
 おじいさんの話だって、みんなとても懐かしそうに、嬉しそうに話していたけれど、普段は聞けない昔の話を色々聞けて、嬉しかったのは自分の方だった。


 笑顔の種は、実は誰もが持っていて、花を咲かせるための水が、美味しい料理だったり、楽しいお話だったりするのかもしれないと、さっきまでは思っていた。でも、どうやらそれだけでは無さそうだ。
 笑顔は別の笑顔を生んで、その笑顔がまた笑顔を生む。季節になれば花が次々と咲いていくように、笑顔は笑顔の隣りから、どんどん広がって行く。
 もしかしたら、その輪の中に入れれば・・・その輪の中に入って、自分自身が笑顔になれれば、私も誰かを笑顔に出来るのかもしれない。そうしたら、ラブのように想いを込めて付けられたわけではないこの名前も、ラブのようなあったかい名前に、いつかは育っていけるのかもしれない。
 せつなはそんなことを思いながら、隣で食器を洗っているあゆみの顔を見上げて、もう一度ニッコリと笑った。




 リビングに戻ってきたラブは、台所であゆみと楽しそうに話しているせつなを見て、静かに微笑んだ。
(よかったね、せつな。せっちゃん、って呼ばれて、すんごく嬉しかったんだよね。)
 あのときのせつなの顔に、一瞬だけ浮かんだ暗い影。今この瞬間に閉じ込められたら、帰れないんじゃないかと言った、せつなの顔。そして・・・。
――苦い思い出になってしまった。
 そう言って去っていったサウラーの後ろ姿を、ラブは思い出していた。


 プリキュアを全員眠らせて、思い出の世界に閉じ込めてしまえば、いくらでも不幸が集められる。サウラーは、そう言ったらしい。でも、サウラーがせつなの子供時代を・・・閉じ込められるような思い出なんか無かったという子供時代を、知らないとは思えない。それに。
――なぜだ!なぜ思い出の世界から、帰って来た!?
 ナケワメーケの攻撃を間一髪で防いだときの、サウラーの叫び。あのときの叫びに、自分の作戦が失敗したことへの苛立ちだけではない、何か寂しさのようなものが混じっているのを、ラブは感じていた。


(もしかしたら・・・。)
 サウラーの作戦には、本当は別の目的があったんじゃないのか。せつな以外のプリキュア三人を眠らせて、一人になったせつなを取り戻すという、そんな隠された目的が。
 もちろん、そんなやり方は間違っている。でも、もしかしたら今日の作戦は、せつなのことをまだ仲間だと――かけがえのない仲間だと思っているからこそ、サウラーが知恵を絞った作戦だったのかもしれない。考えれば考えるほど、ラブはそんな気がしてならなかった。


「ほ~ら、持って来たぞぉ。ラブがうるさいから厳選に厳選を重ねたけど・・・三つくらいなら、いいよな?」
 両手にカツラのサンプルを抱えた圭太郎が、満面の笑みでリビングに入ってくる。そのいかにも嬉しそうな、誇らしげな顔を見ているうちに、ラブの胸にも、静かな闘志が湧き上がってきた。
(そうだよ!あたしとせつなと、お父さんとお母さんと、美希たんとブッキーと・・・みーんな、ちゃあんと繋がったんだもの。いつかきっと、あの人たちとも、みんなで幸せゲットできるはず!)


「お父さぁん。そんなに持って来て、まさかせつなに、カツラのモデルやれって言うんじゃないでしょうね?」
 ラブは圭太郎にそう言って、台所から出てきたせつなに、ニコッと笑いかける。
「え~っ!これでも、厳選したんだぞぉ。」
 悲鳴を上げる圭太郎を、笑いを含んだ目で睨んでから、ラブはサンプルが汚れないように、急いでテーブルの上を拭き始めた。


~終~



最終更新:2013年02月12日 15:01