四つ葉になるとき ~第1章:届け!愛のメロディ~ Episode4:寄せる波、返す波




風が出てきたのか、窓ガラスがガタガタと音を立てる。
私はそっと起き上がり、ベッドから抜け出した。
二段ベッドの、私の上の段にはラブ。
隣りのベッドの、上の段には美希。下の段にはブッキー。
昼間の練習で疲れたのだろう。三人とも、ぐっすりと眠っている。
私は静かにガラス戸を開けて、ひとりベランダに出た。


昼間とは違う、少し冷たい感触の木の手摺りから身を乗り出すと、
今は夜と同じ色の私の髪を、不思議な匂いのする風が撫でる。
昼間と違って、黒々とした水を湛える海。
まるでぽっかりと巨大な穴が開いたように、闇は遠くなるほど濃くなって、
空との境界すら、よくわからない。


この世界では、地表の70%は海だと、本で読んだ。
人々は、30%しかない陸地に寄り添って暮らし、
その周りを、膨大な量の水が取り巻いているのだという。
強大な水の力の暴走で、大きな不幸に見舞われたことも、
太古の昔から現在まで、度々あったらしい。


全てを見渡せないほどに、果てしなく広く、
想像すらできないほどに、限りなく深く、
人間の力では太刀打ちできない、この世界での圧倒的な存在。
それなのに――私は不思議な気持ちで、目の前に広がる景色を見つめる。


空には少しかすんだ月と、きらめく無数の星々。
海を抱くように取り囲む山肌には、ポツポツと見える民家の灯。
空と地上の、小さいけれど確かな光たちに答えるように、
海の上には白い波が、かすかに浮かんでは消え、また浮かんでは消える。
密やかで、穏やかで、何だかほのぼのとしたあたたかさすら感じる光景。


かつて忠誠を誓った、絶対者を思い出す。
この海と同じように、私に見えていたのは、きっとほんの一部。
いや、本当は全く見えていなかったのかもしれない。
精一杯尽くしても、この身を投げ出しても、
想いは虚しくすり抜けて、決して届くことはなかった。
圧倒的な存在だから、誰の手も届かない。そう思っていた。
だけど、海は・・・。


一匹の蟹が、まるで波と遊んでいるように、砂浜をよちよちと歩いている。
私は夜風に吹かれながら、かろうじて見えるその小さな影に、しばらく目を凝らしていた。




   四つ葉になるとき ~第1章:届け!愛のメロディ~
   Episode4:寄せる波、返す波




「オッケー。じゃあ、午前中はここまで。」
 ミユキさんの言葉で、アタシとラブとブッキーは、いっせいにへたり込む。一緒に座り込みかけたせつなが何とか堪えて、水の入ったペットボトルを、人数分持って来てくれた。
 さすがに息は荒いけど、アタシたちよりは断然、体力のある彼女。これでダンスはこの合宿で初めてやったって言うんだから、ホントに驚いてしまう。
「せつなちゃん、よく頑張ったわね。ちゃんと水分採って、昼休みはゆっくり休むのよ。」
 ミユキさんの言葉に、はい、と笑顔で頷いて、せつなは額に浮かんだ玉のような汗を、タオルで拭った。


 ダンス合宿も今日で五日目。明日はスタジオの掃除をして、午後にはここを発つことになっている。だから事実上、ここで練習するのは、今日が最後だ。
 二日目からレッスンに加わったせつなは、初心者ということで、昨日までは別メニューのレッスンを受けていた。で、晴れて今日からアタシたちと合流して、一緒に踊っている。
 数カ月先に始めたアタシたちからすれば、たった三日で肩を並べられるなんて、正直複雑・・・というのが、普通の反応だと思うのだけど・・・。
「せつな、凄いね!もうあたしたちとほとんど同じように動けてるじゃん。」
 少なくとも、自分のことのように得意げにそう言うラブには、そんなこと関係ないらしい。
「ホント、せつなちゃん、とっても上手だよね。わたしも頑張らなきゃ。」
 ラブの向こうから笑顔を見せるブッキーは、そんなことより、せつなを「せつなちゃん」と呼ぶこと自体が、嬉しくて仕方のない様子だ。
 そう言うアタシだって、せつなが隣りで一緒に踊ってるっていうだけで、何だかとても嬉しい・・・ま、まぁ、しばらく完璧にダンスをサボっていたアタシたちが、そもそもエラそうなことは言えないのよね。


「ありがとう。でも、まだまだよ。」
 遠慮がちにほほ笑むせつなに、ラブが力強くかぶりを振る。
「そんなことないよぉ。もう、あたしたちと同じように踊れてるもん。ねっ、そうですよね?ミユキさん!」
「そうね。まだ完全とは言えないけど、初心者とは思えないくらい、動きはスムーズよ。みんなとも、動きは合ってきているわね。」
「ほら、ねっ!」
 勢い込んでせつなの顔を覗き込むラブに、ミユキさんが苦笑する。
「ほらほら、早く食堂に行かないと、お昼ご飯が冷めちゃうわよ。」
「はーい!お腹空いたぁ~。」
 食事と聞いて、途端に勢い良く立ち上がったラブに押されるように、せつなとミユキさんがスタジオを出ていく。クスリと笑って後を追うブッキー。アタシもその後に続きながら、心の中で、少しだけ首をひねった。
 さっきの、せつなのダンスを評したミユキさんの言い方が、何か・・・いつもの、オッケー!と力強く言ってくれるときとは、少し違っていたような気がしたから。


 ☆


 その日の午後のレッスンは、それまでとはまるで違ったものになった。昼休みを終えてスタジオに戻ってきたアタシたちに、ミユキさんがこう言ったのだ。
「午後は、いつものレッスンじゃなくて、課題をひとつやってもらうわ。あなたたちが四つ葉のクローバーとしてやっていけるかどうか、その最初のテストだと思って。」


「え~っ!?テ、テストだなんて・・・。」
「せつなはまだ、ダンスを始めたばかりなんですよ?」
「もし出来なかったら・・・どうなるんですか?」
 黙ってミユキさんを見つめるせつなと、口々に不安と不満を口にする、ラブとアタシとブッキー。そんなアタシたちを見渡して、ミユキさんは少しだけ、その目の光をやわらげた。
「安心して。出来なかったらもうレッスンしないだなんて、そんなことは言わないわ。でもね、これは今だからこそ、やってほしい課題なの。」
 ミユキさんの熱のこもった語り口に、その場の空気が、ぴんと張り詰める。
「このダンス合宿の最初の夜に、あなたたち四人の心はひとつになった――そう言ってたわよね、ラブちゃん。ならば、それを私に見せてほしいの。」
「ミユキさんに?どうやって・・・。」
 不安げに眉根を寄せるラブに、ミユキさんはいつものように、ビシッと人差し指を立てて、きっぱりと答えた。
「もっちろん、ダンスでよ!」




「う~ん。ミユキさんの課題、難しいよぉ。」
 スタジオの隅で膝を抱えて、ラブがハァ~っと溜息をつく。
「難しいって言ってばかりじゃ、何も始まらないじゃない!でも・・・」
「どこからどう始めたらいいのか・・・」
 ラブを励ましてはみたものの、その先が続かないアタシと一緒に、ブッキーもうつむいた。


 ミユキさんから出された課題――それは、四人でひとつのテーマを決めて、それを創作ダンスで表現してみせる、というものだった。
「この際、技術的なダンスの出来はあまり問わないわ。長さも、どんなに短くても構わない。音楽も無くてもいいし、必要なら、このスタジオにあるものを自由に使ってくれていいわ。」
 課題に続けて、細かな指示をてきぱきと伝えてから、ミユキさんはアタシたちの顔を、順繰りに見つめた。
「ポイントは、ひとつのものを四人でいかに表現するか、ということ。そのために何が大切か・・・それは、あなたたちで見つけるのよ。期限は明日の朝まで。素敵なダンスを見せてもらえるのを、楽しみにしているわ。」
 そのときの、キラリと光ったミユキさんの瞳を思い出して、アタシは顔を上げた。


「とにかく、何か始めよう。やっぱりまずは、テーマを何にするか、よね。」
 アタシの言葉に、せつながうん、と頷く。
「そうね。テーマを決めて、それを私たちで表現するんでしょう?だったら、私たちが表現できるものでないと。」
「うん。でも、わたしたちに表現できるものって、何かな。」
 ブッキーが小首をかしげると、ラブが、そうだっ!と満面の笑みで立ち上がった。


「やっぱりさ。せっかく海のそばに来てるんだから、テーマは海にしようよ!」
「海、ねぇ。」
 いかにもラブらしい提案だと思いながら、何となく相槌を打ったアタシは、
「ちょっと待って、ラブ。」
 隣りから聞こえてきた戸惑ったような声に、顔を上げた。
 声の通りに、信じられないという表情のせつなが、ラブを見つめている。
「海なんて・・・どうやって表現するの?だって、海ってたくさんの水の集まりだし、それにあんな大きいものを・・・」
「い、いや・・・あのね、せつな。」
 真剣に悩みながら言葉を紡ぐせつなに、アタシは慌てて声をかけた。


「表現するっていうのは、何もそれを丸ごと体で再現しろ、って意味じゃないのよ。そんなこと言ったら、海を表現するなんて絶対に無理でしょ?」
「え、違うの?」
 キョトンとした顔で問い返してくるせつなに、当り前でしょう!という言葉を何とか飲み込む。本人は至って真面目なのだから、そう言うのは酷というものだ。考えてみれば、音楽も踊りも無かったというラビリンスでは、何かを表現するということも、まるで無かったのだろう。
(仕方がない。ここはモデルという、れっきとした表現者を目指しているアタシが、ちゃんと説明しなきゃならないわよね・・・。)
 アタシは顔では何とか笑顔を保って、頭の中では必死で言葉を選ぶ。
「そうじゃなくて、ええと・・・そのもののエッセンスっていうか、そのものから受ける印象や、そこから生まれる感情を、表現するのよ。」
「印象・・・。感情・・・?難しいのね。でも、それを見た人が、海だってわからなくちゃいけないんでしょ?」
「うーん・・・別に、絶対にわからなきゃいけないってわけじゃないんじゃないかな。同じ海でも、見る人によって感じ方は色々だもの。要は、アタシたちの海を表現すればいいっていうか・・・」


「もぉ~、美希たん!難しいことごちゃごちゃ言ってないで、まずは実際に海を見に行こうよぉ。そうすれば、何を表現すればいいか、きっと見つかるよ!」
 アタシのしどろもどろの解説は、しびれを切らしたラブの言葉であっさりと打ち切られた。ホッとしたというか、ちょっと残念というか・・・。
「ラブちゃん、結局、海に行きたいだけだったりして。」
 アタシたちの様子をおとなしく見ていたブッキーが、相変わらずのんびりと、だけど的確につっこむ。
「いやぁ、あはは~・・・とにかく、実物を間近で見るのが一番!」
 結局ラブに押し切られて、アタシたちは海へと向かったのだった。


 ☆


「わっはぁ~!やっぱり、すっごくきれい~!」
 一気に波打ち際まで駆けていくラブ。そんなラブに呆れた顔をしながらも、好奇心を抑えきれない様子のせつなが、それに続く。ブッキーは二人をニコニコと眺めながら、一歩一歩確かめるように、砂浜を歩いている。
 焼けつくような、という言葉がぴったりの、真夏の太陽がアタシたちの真上にある。あくまでもレッスン中ということで、アタシたちはダンス服のまま。もっとも足元だけは、アタシとブッキーは素足にビーチサンダル、ラブとせつなは素足にダンスシューズを履いている。あんまり人に見せたい恰好じゃないけど、この浜は遊泳区域ではないらしく、この季節だと言うのに、人は全然いなかった。


「こんなに海のそばにずっと居たのに、レッスンで忙しくて、ほとんど来られなかったものね、美希ちゃん。」
「え・・・ええ、そうね。」
 アタシはと言えば、ここへ来てから突然あることを思い出して、途端に歩みが遅くなっていた。
 キラキラ光る青い海、白い砂浜・・・そう、あのときも確か、こんな光景が広がっていた。そしてそこに潜んでいた、赤黒くて、柔らかい・・・
(ひっ!)
「どうしたの?美希ちゃん。」
「な・・・なんでも、ないわ。それより、は、早く始めないとね。ラブ!せつな!」
 アタシは、かぶっていた帽子のつばに隠れるようにしてブッキーの視線から逃れると、まだ波と戯れている二人に声をかけた。


「それで、海をどう表現するか、どうやって決めればいいのかしら。」
 砂浜に座り込んだアタシたちは、せつなの言葉に、それぞれじっと考え込む。
「まず、海って言われて何を思い付くか、挙げていったらどうかな。そこからイメージを膨らませたらどうかしら。」
 少し遠慮がちにそう言ったのは、ブッキーだった。それを聞いて、ラブが早速指を折り始める。
「えーっと、海って言えばぁ・・・広い、大きい、青い、あと・・・しょっぱい、気持ちいい、楽しい!」
「ラブったら、形容詞ばっかりじゃない!それから、砂浜、燈台、夕陽、なんてのもあるわね。」
「たくさんのお魚さんたちに、貝類、プランクトン、それに、クジラやイルカみたいな哺乳類や、軟体動物と呼ばれるイカやタ・・・」
「ブ、ブッキー!!・・・生き物はちょっと、難しいんじゃない?」
「え?ダメ?」
 ダメっていうか、勘弁して。・・・困った、何だかアタシ、だんだん笑顔が引きつってきた気がする。
「えーっとぉ、そしてここから、どうすればいいんだっけ?」
「挙げてみたはいいけれど、何だかその先につながらないね。」
 幸いアタシの様子には気付かず、困り顔のラブとブッキー。やがて、
「あっ、そうだ!」
 ラブが目を輝かせて、せつなに向き直った。


「ねぇ。せつなは今度の合宿で、海を初めて見たんだよね。ねえねえ、どう感じた?」
「え・・・私?」
 せつなが驚いたように目を見開く。やっと立ち直りかけたアタシも、言葉を続けた。
「そうね、第一印象って大事だもの。せつな、聞かせてくれる?」
 ラブとアタシの顔を交互に見つめてから、せつなは砂の上に視線を落とす。そしてしばらく考えてから、ぽつりと言った。
「とても・・・驚いたわ。」


「海って、図鑑の写真でなら見たことがあったんだけど、写真じゃ広さは伝わらないのね。
 こんなに一面、見渡す限り水面が広がっていて。それが生き物みたいにうねったり、凄くキラキラ光っていたりして。ホント、まるで想像を超えていたわ。」
 口元に柔らかな笑みを浮かべて、ゆっくりと静かに語るせつな。その瞳も、海に負けないくらいキラキラと輝いている。
「とても雄大で、きれいで、そして・・・何だか不思議な感じがした。」
「不思議?海が?」
 ブッキーが、表情まで不思議そうにしながら問いかける。
「ええ。海って、陸地の倍以上も広いんでしょ?そんな、この世界で一番大きな・・・圧倒されるくらい大きな存在が、こんな近くにあるんだもの。」
「う~ん、まぁ、海はこのずーっと遥か先まで続いているんだから、近いって言っても、それはごく一部だけどね。」
 せつなの言いたいことがよくわからないまま、アタシはそう言って、彼女の横顔を覗き見る。
 せつなは人差し指を唇に当てて、少し難しい顔をして考え込んだ。その姿は、懸命に言葉を探しているようにも、続きを言おうかどうしようか悩んでいるようにも見えて・・・。
 やがて唇から指を離すと、せつなは再び、静かに口を開いた。


「私ね。何よりも強くて大きな存在は、簡単には手の届かないものだって、ずっと思ってたの。」
 あ、と思った。
 この世界では違うのね。そう言うせつなの笑顔は、何だか痛みをこらえているようにも見えて、アタシは何も言えなくなる。
「勿論、天候が悪くなって海が荒れ狂えば、大変なことになるって本で読んだし、ニュースでも見たわ。
 でも、普段の海を、みんな怖がったりしない。こうやって眺めたり、遊んだり。魚を獲ったり、潜ったり、船で渡ったりもするのよね。海の方だって、普段はこんなにきれいで穏やかで・・・。
 海は巨大な水域で、意思なんか無いってわかってるけど、でも、それが・・・何だか不思議で・・・。ごめんなさい、上手に言えないけど。」
 最後はうつむき加減で、せつなが小さな声でそう締めくくった、そのとき。
「わっ!みんな逃げて!!あの波、ここまで来そうだよっ!」
 ラブが突然大声を上げて、立ち上がった。


「キャー、ホントだ!」
「せつな、早く立って!」
 事態がよく飲み込めないでいたらしいせつなが、アタシの声に慌てて立ち上がる。
 浜の表面の砂を巻き上げ、巻き込むようにしながら迫ってくる波。慌てて駆け出したところで、アタシは何かにつまづいた。片方のビーチサンダルが、すぽんと脱げて砂の上に残る。
「あっ!」
 振り返ったアタシの目の前で、波はサンダルを攫って、そのまま沖へと持っていこうとする。と、とっさに動けないでいるアタシの隣りから人影が駆け出して、波間からサンダルをさっと掬いあげてくれた。
「ありがとう、せつな。」
 嬉しそうに微笑みながら戻ってくる彼女に、アタシは歩み寄る。
「あ、あ・・・美希たん!せつな!そこ、危ないって!」
「二人とも、次の波が来るわっ!」
「え?・・・ちょ、ちょっと待って~!」
 待ってと言われても波は待ってくれない。慌てるアタシに、ラブとブッキーが駆け寄る。片方しかサンダルを履いていないせいで、うまく走れないアタシの手を、せつなが引っ張る。
「わぁっ!!」
 そのまま飛び込むようにして砂浜に倒れ込んだアタシたちの足元を、波はからかうように洗って、また去って行った。幸い服までは濡れなかったけど、全員砂まみれだ。


「やったな~!」
 何を思ったのか、ラブが砂を払って立ちあがる。そして、ぐっしょりと濡れたシューズを脱ぐと、遠ざかる波に向かって、裸足で駆け出した。
「わぁぁぁぁぁ~!!」
 大声を上げて、引いていく波を追いかけるラブ。再びザザーッと押し寄せる波から後ずさって逃げ、波が引いていくと、またそれを追いかけて駆けていく。


「あたしたちはぁ、負けないんだから~!」
 ザザー・・・
「この先、どんなことがあったって~!」
 ザザー・・・
「みんな一緒に、笑って、楽しいこと、いーっぱいして」
 ザザー・・・
「みんなが、大好きだって、想いを」
 ザザー・・・
「ちゃんと、伝えて、ちゃんと、受け取る!」
 ザザー・・・
「そして・・・そして!」
 ザザー・・・
「みんなで、しあわせ、ゲット、だ、よ~!!」


 肩で息をしているラブの足元を、波が洗って、またゆっくりと去っていく。その波の動きが何だかやさしく見えて、一瞬、視界がぼやけた。
 泣きながらせつなと戦う、ラブの姿が浮かんだ。
 「ブッキー」「せつなちゃん」と初めて呼び合った、二人の笑顔が浮かんだ。
 少し遠い眼をして、幼い頃のアタシの話をしてくれた、ママの顔。
 医者になりたいんだ、と目を輝かせて語る、和希の顔。
 メロンが好物だって、覚えていてくれたのか・・・そう言って、メロンドーナツを嬉しそうに頬張った、パパの顔。
 人生の荒波ってヤツを知るには、アタシたちはまだまだ子供だ。だけど、そんなアタシたちだって、毎日様々な波に出会っているのかもしれないって、ふと思った。
 人から人へと伝えられる波。感情の波、想いの波、信頼の波。それを受け取ったり返したりしながら歩いていくことが、人と生きていくってことなのかもしれない。
 そして、みんなで一緒に一つの想いをぶつければ、ひとりじゃ超えられない大きな波だって、超えられるのかもしれない。もしかしたら、せつなの言う手の届かないものにだって、いつか手が届くかもしれない。


「アタシたちも行くわよ。」
 アタシはそう言って、履いていた片方だけのビーチサンダルを脱いだ。
「あのね、せつな。海のイメージって、もうひとつあるの。それは、思いのたけを思いっきり叫べる場所だ、っていうこと。」
「え・・・ラブみたいに?は、恥ずかしいわよ。」
「アタシたちしか居ないんだから、遠慮しないの!」
 そう笑いかけてせつなの肩を叩くアタシの向こう側から、
「せつなちゃん、行こうよ。」
 意外にも、ブッキーがそう言って、せつなの手を取った。


 引いていく波を追いかけて、ラブの隣りに並ぶ。
「もっちろん、アタシも負けないわ~!」
「わたしだって~!」
 ザザーッと迫ってくる波から四人で逃げ、また追いかける。
「だって、アタシたち、完璧だもの~!」
「うん!わたし、信じてる~!」
「ほら、せつなも。」
 迫ってくる波を避けながら、アタシはまた彼女の肩を叩く。もう、と言うように、せつなは赤い顔をして、恨みがましい目をこちらに向けた。
 次の瞬間、砂浜を走っているとは思えない速さで、せつなが波へと向かった。アタシたち三人も、慌てて追いかける。
「せいいっぱい、がんばるわ~!」
「おー!!!」
 ザザー・・・
 押し寄せた波はあたたかく、アタシたち四人の足を、静かに洗った。


 ☆


 次の日の朝のダンススタジオ。アタシたちは腕組みをしているミユキさんを前にして、横一列で並んでいた。


 ダンシング・ポットから、曲が流れ始める。昨日の夕方、スタジオにあった曲を聴けるだけ聴いて、アタシが選んだ曲だ。
 はじめはゆっくりとしたテンポ。左右にステップを踏みながら、両手を波のように、ゆったりと動かす。時々ひらひらと指を動かすのは、波しぶきの表現。ブッキーのアイデアだ。
 くるりとターンをして、今度は前後への小さなステップを加える。手を次第に大きく動かして、波の高まりを表現する。
 やがて曲調が変わるのに合わせて、列の中側にいるラブとせつなが、パンパンと手を打ち鳴らす。続けて外側にいるアタシとブッキーが、思い切りジャンプ。それを皮切りに、激しくなる動き。
 曲のテンポが上がるにつれて、ひとりひとり動きをずらして、バラバラにステップを踏む。荒れ狂う海の表現。これは、せつなのアイデアだ。
 やがてラブが、さっと右手を前方に伸ばす。アタシたちはその指先に視線を合わせ、ひとり、またひとりと、その手に手を重ねていく。せつなが、ブッキーが、そしてアタシが。
 ラブがみんなの顔を見まわして、うん、と頷く。それを合図に、アタシたちは半身になって、前後に両腕を広げた。
 再び穏やかになる音楽に乗せて、四人の腕がゆっくりと絡み合う。アタシの左腕が、せつなの右腕に。せつなの左腕が、ラブの右腕に。そしてラブの左腕が、ブッキーの右腕に。
 ゴクリと唾を飲み込む。ここは上手くいかなくて、昨夜、何度も練習したところだ。
 アタシはみんながちゃんと腕を組んだのを確認してから、右腕から左腕へと、ゆっくりと腕を動かした。
 アタシからせつなへ。せつなからラブへ。ラブからブッキーへ。四人の間を、ゆっくりと駆け抜ける波。まだミユキさんからは習っていないけど、ウェーブと呼ばれるダンスの手法。ラブが絶対にやりたいと言って、取り入れたアクションだった。
 今度はブッキーからラブへ。ラブからせつなへ。そして、せつなからアタシへ。返ってきた波を受け取って、アタシは静かに腕を下ろす。
 曲が終わり、アタシたちは息を弾ませながら、ミユキさんに礼をした。


 パチパチパチ・・・。
 拍手の音が聞こえてきて、アタシたちは顔を上げる。相変わらず瞳に鋭い光を宿したミユキさんが、口元にやさしい笑みを湛えて、アタシたちを見つめていた。
「みんな、とても良かったわ。せつなちゃん。」
「はい。」
 不意に名前を呼ばれて、せつなの肩がビクリと震える。
「やってみて、どうだった?」
「とても、楽しかったです。」
「そう、良かったわ。踊っているあなたの表情、とても生き生きしてた。」
「あ・・・ありがとうございます!」


 嬉しそうに、照れ臭そうに、うつむくせつなの横顔を見て、アタシは昨日違和感を覚えたミユキさんの言葉の意味が、何となくわかったような気がした。
 考えてみれば、アタシは踊っているとき、横に居るせつなの動きは感じていても、どんな表情で踊っているかまでは、見たことがなかった。ミユキさんが、「動きは」合っている、と言ったのは、せつなの表情を見てのことだったんだろう。
 いくら息が合っていても、動きが合っていても、感情の表現がバラバラだったら、見ている人に一体感を与えられるはずがない。そして、表現というものは、説明して分からせるものではないのだろう。それはアタシも、昨日感じたことだった。
 ミユキさんはアタシの顔を見て、まるで心を読んだかのように小さく笑うと、みんなの方に向き直った。


「みんな、よく覚えておいて。ダンスをみんなで踊るためには、呼吸を合わせることが大切だって、いつも言ってるわよね。
 でも、もっと大切なのが、ハートをひとつにすることなの。そうでなければ、みんなで踊ることなんて出来ないし、見ている人に、パワーや感動は伝えられないわ。」
 ミユキさんは、そこでニッコリと満面の笑みを浮かべる。
「その点、今日のあなたたちのダンスは、とても良かった。技術的にはまだこれからだけど、新生クローバーのハート、しっかりと見せてもらったわ。」
「やったぁ!」
 ラブがその場で飛び跳ねて、無邪気に喜ぶ。やれやれ、と肩をすくめたアタシと目を合わせて、せつなが相変わらず、照れ臭そうに笑った。


「さて。」
 スタジオにかかっている時計をちらりと眺めて、ミユキさんが表情を引き締める。
「まだ少し時間があるから、これからウェーブの特訓よ。」
「えっ、今からですか?」
 ブッキーの怪訝そうな声に、ミユキさんはいつものように腕組みをして、ええ、と頷いた。
「基礎からちゃんと覚えないと、今のままではウェーブとは呼べないもの。うまく出来るようになったら、今度の曲の振り付け、少しアレンジし直そうかと思っているんだけど、どう?」
 思ってもみなかった提案だった。一斉に笑顔になったアタシたちに、反対する理由なんてあるわけがない。
「はいっ!やります!」
 勢い込んだ四人の声はぴたりと揃って、スタジオの壁が一瞬、ビリッと震えた。


 ☆


「長い間、お世話になりました~!」
 見送りに出てきてくれた管理人のおばさんに、アタシたちは深々と頭を下げる。五泊六日のダンス合宿も、とうとうおしまいだ。
「今度はもう少し、余裕を持っていらっしゃいよ。熱心に練習してたから、こんなに近いのに、海にも行かなかったんじゃないの?」
 おばさんのやさしい言葉に、ラブが元気よく答える。
「いいえ、ちゃんと行きました。すっごく楽しかったです!」
「あら、そう。それは良かったわ。ここから少し行ったところの海岸では、地引網の体験をさせてくれるところもあるのよ。今度来たときは、行ってみるといいわ。」
「へぇ。何が獲れるんですか?」
 今度はブッキーが、興味津津だ。
「色々獲れるのよ。アジやスズキや・・・それにたまには、タコが網にかかることもあるんですって。」
「ひっ!」
 思わず喉の奥から小さな悲鳴が漏れて、アタシは口を押さえた。
「美希、どしたの?」
「な・・・なんでもないわ。暑いわね、今日も。」
 不思議そうにこちらを覗きこむせつなから、アタシはどきまぎと目をそらす。少し遠くで騒いでいる波の音が、何だか笑っているように、やけに明るく、耳に響いた。


~終~



最終更新:2013年02月12日 15:00