桃源まで、東へ五分(第3章:一生懸命ということ)




「あれ?タルト。どうしてそんなところにいるの?」
 庭の隅で少年にもらったパンを食べていたタルトは、その聞き慣れた声に、ぱっと顔を上げた。生垣の向こうに、こちらを覗き込んでいる少女の姿が見える。
 日はもうとっぷりと暮れている。だから服装まではよくわからないが、彼女の髪は、門灯の光で銀色に輝いている。そのことに少し胸を痛めながらも、その声の様子が朝と同じく穏やかなのに気付いて、タルトは密かに安堵のため息を付いた。


「パッションはん!無事で良かったなぁ。サウラーと戦ってる間、気になって物陰から見とったんや。」
「そうだったの。心配かけてごめんなさい。あのあと偶然、桃園家にお世話になることになって・・・この時代でも。」
 タルトは門の隙間からちょろりと外に出ると、少し伏し目がちなせつなの顔を覗き込み、目を細くしてニコリと笑った。
「知っとるで。実は家まで付いて行ったんや。あ、でも、さすがにあゆみはんに見られたらあかんやろか、と思って、中には入らんかったけどな。なんや、中学生のあゆみはんって、エラいキュートやなぁ!わっ、別に、普段がキュートやないって言うとるわけやないで。」
 タルトのいつも通りの語り口に、せつなも少し、頬を緩める。


 源吉の畳が自分たちのせいで被害を受けたと知り、手伝いを申し出たせつなだったが、今日はもう遅いから、という理由で、作業場に入るのは明日ということになった。そこでせつなは、夕食の後、急いでタルトの様子を見にやって来たのだった。


「ところで、どうして庭なんかにいるの?あの子は?」
 そう言って小首をかしげるせつなに、タルトは少し心配そうな顔で、屋敷の方を振り返った。
「それなんやけどな。あの子のお父さんっちゅう人が、さっき戻って来たんや。こーんなでっかい車に送られてなぁ。それでわいも遠慮して出て来たんやけど・・・なんやあの子の方は、微妙な雰囲気やったで。お父さんがやっと帰って来たっちゅうのに、嬉しそうな顔ひとつせぇへんのや。」
 せつなは、父の話をしたときの、何だか妙に寂しげだった少年の様子を思い出し、眉根を寄せた。




  桃源まで、東へ五分 ( 第3章:一生懸命ということ )




「そうかぁ。マシンの部品が、何かなくなっとるんか・・・。」
 頼りなげな街灯のともる公園のベンチで、タルトがぼそりとつぶやく。
「まぁ、まだマシンがこの時代にあるっちゅうのは、ありがたいことやけどなあ。ナケワメーケを倒したときに、どこか壊れたんやろか。」
「それはないわ。現にこの時代までちゃんと来てるんだし。壊れたとしたら、この時代へ来てからね。おそらく、トラックの上に落っこちたとき。」
「やっぱりあんときかい・・・だとしたら、あの現場の近くにあると考えるんが普通やな。探しに行こか、パッションはん。」
 タルトの言葉が、勢いを取り戻す。が、せつなはうつむいて、膝の上に重ねた自分の手をじっと見つめた。
「私・・・明日は源吉おじいさまのお手伝いをしたいの。私たちがこの時代に現れて、トラックの積み荷を滅茶苦茶にしちゃったでしょ?あれは、源吉おじいさまの畳だったのよ。」
「何やて?」
 驚くタルトに、せつなは今日あゆみに聞いた一部始終を説明する。
「そうかぁ。そういうことなら、パッションはんはそっちを手伝ってや。探し物は、わい一人で何とかやってみるわ。」
「大丈夫?タルト。」
「任せときい!わいも、あんさんは源吉はんの手伝いをした方が、ええと思うわ。ひょっとしたら・・・」
「ひょっとしたら・・・なに?」
 せつなが不思議そうに尋ねると、タルトはハッとしたように口をつぐんで、慌ててかぶりを振った。
「な、何でもないんや。とにかく、明日はそれぞれのやるべきことを、精一杯がんばるで!」
「タルトったら。どうしてそこで、私の台詞を取っちゃうわけ?」
 クスリと笑ったせつなに、自分もにんまりと笑みを返しながら、タルトは心の中で呟く。
(ひょっとしたら、わいらがこの時代の歴史と関わってしまったことって、そのことなのかもしれへん。パッションはん、頼んだで。あんさんのその“精一杯”で、歴史の歪みを、元に戻してや。)
「よぉし、明日は張り切って、宝探しやぁ!」
 タルトが思い切り拳を振り上げた時。暗がりから何かが近づいてくる気配を感じて、せつなが身構える。と、そこへ・・・。
「タルト、こんなところに居たのかぁ。宝探しって、何?」
 ひょっこりと現れた少年の思わぬ言葉に、せつなは目を白黒させた。


(えーっと・・・これは、どういう未来の技術ってことにすればいいのかしら。)
 必死で言い訳を考えるせつなに、
「おねえちゃん、お帰り。何かヒントになるもの、見つかった?マシンを暴走させた危ないヤツ、まだこの時代に居たの?」
 少年が相変わらず、無邪気に質問を浴びせる。
「ちょ、ちょっとごめん!」
 せつなは少年の言葉を遮ると、タルトの襟首を掴んで、脱兎のごとく少年のそばから離れた。


「タルト!一体どういうことよ。」
「す、すんまへん。わい、あの子の前でうっかりしゃべってしもたんや。家の中で、しばらく二人きりでテレビ見とったら、急に当たり前みたいな顔で話しかけてこられて・・・つい油断してな~。」
「全くもう・・・」
 深いため息をつくせつなに、タルトも肩をすぼめる。
「せやけど、あの子あんまり驚かへんかったで。へぇ、やっぱりしゃべれるんだ、って喜んどったわ。」
「今朝、声が聞こえたとか言っていたから、ひょっとしたらと思っていたのかもね。まさか、正体まで明かしてないでしょうね。」
「そんなことしてへん!まぁ・・・イタチやないとは言うたけどな。この時代では、フェレットっちゅう動物は、あんまりメジャーやないんやな。」
「そこはどうでもいいんだけど・・・あの子にちゃんと口止めはしたの?」
「もちろんや。」
 うなだれるタルトを前に、せつなはもう一度ため息をつくと、厳しい目でタルトの顔を覗き込んだ。
「いい?しゃべってしまったものは仕方ないけど、くれぐれも、あの子に余計なこと言わないで。私たちの時代のことを教えるなんて、論外よ。」
「わかっとるがな。」
「それから、私たちのこともむやみにしゃべらないで。私たちは、いずれは未来へ帰っていく通りすがり。それだけの存在でいなくちゃ。」
「う・・・自分の名前だけは、言ってもうたわ。」
「そう言えばさっき、呼ばれてたわね。全く・・・」
「えろうすんまへん。」
 ひたすら小さく身を縮めるタルトの様子に、せつなはやれやれ、といった調子で、やっと少し表情を緩めた。


 元居たベンチのところへ戻ってみると、少年はベンチに座って、長く伸びる街灯の影を、じっと見つめていた。そして二人がやって来たのに気付くと、ぽんとベンチから立ち上がり、せつなに向かってニヤッと笑って見せた。
「ごめんなさいね。タルトがあなたにしゃべったって聞いたから、びっくりしちゃって。」
「ああ、心配しないで。俺、タルトのこと誰かにしゃべったりしないからさ。それより、宝探しって何?」
 せつなは少し考えてから、タイムマシンの部品が何か無くなっているらしいこと、この時代に最初に現れた橋の上を探してみようかと考えていたことを、かいつまんで話した。
「その部品って、どんな部品なの?」
「わからないわ。私はマシンの構造には詳しくないから。とにかく探してみるしかないと思う。」
「もしも見つかったら、どうするの?今マシンを持っているのは、その危ないヤツなんだろ?」
「まずは見つけることができたらの話だから、それから作戦を練るしかないわね。」
 サウラーとの交渉――確かに一筋縄ではいかないだろうが、まずは一歩一歩足場を固めるしかないだろうと、せつなは思っていた。
 それに、ただ元の時代に戻るだけでは駄目なのだ。もうひとつ、未来を元に戻すという、大きな仕事を成し遂げなければ。それこそ何の手掛かりもない、雲を掴むような話だが、こちらもとにかく、今出来ることをやるしかない。


「ふぅん・・・。」
 そう言ったまま、なんとなく押し黙ってしまった少年の様子に、せつなは少し違和感を覚える。が、さっきのタルトの言葉を思い出して、ああ、と密かに頷いた。
「そう言えば、タルトに聞いたけど、お父さん帰って来たんだって?早く家に戻らなくていいの?」
 せつなが優しい口調でそう問いかけると、
「別に・・・。俺が居ても居なくても、父さんは気にしやしないよ。」
 少年のそっけない答えが返って来た。
「そんなこと無い。子供を気にしない親なんて、この世界には居ないと思うわ。」
 思わず身を乗り出したせつなに、少年は今朝初めて会ったときの、ちょっと背伸びしたような表情を見せた。
「大丈夫だよ。俺だって小さなガキじゃないんだ。父さんには心配かけないように、うまくやってるからさ。」
 さてこの話はもうおしまい、と言いたげな少年の様子に、せつなは密かに唇を噛む。
(そういうことじゃないんだけど・・・。)
 何だろう。伝えたいことは確かにあるのに、うまく伝えられない。少年の心が、自分の心のすぐ近くにある気がするのに、すんなりと寄り添えない・・・。
 せつなは、再びタルトを預かって家に帰っていく少年の後ろ姿を、もどかしい気持ちで見つめることしか出来なかった。




 表に傷の付いた畳を作業台の上に据え付け、縁を留め付けた糸を手早く切っていく。縁を外し、畳表を丁寧に剥がすと、傷の無い床の部分を源吉の作業台のそばに立てかける。
 迷いの無いその手元を、源吉はさっきから鋭い目で見つめていた。
(不思議な子だ・・・。)
 最初は、畳を見るのすら初めてなのかと思えるほど、おっかなびっくり畳に触っていた彼女。だが、ひとたび作業の手順を教えると、その手つきは見る見るうちに確かなものへと変わっていった。
 源吉は、これまで弟子を取ったことはない。仕事の仕方を人に教えたこともないし、自分だって、懇切丁寧に説明されて仕事を覚えたわけではない。
 習うより慣れろ。技は見て盗め――徒弟制度の昔ながらの厳しい修行のやり方。それを知っているかのように、少女は真剣な面持ちで源吉の言葉足らずな説明を聞き、その指先を見つめて、いとも簡単にコツを掴んでしまう。
(記憶がねえと聞いているが・・・。)
 一体今まで、どんな人生を歩んで来た子なのだろうと、源吉は内心舌を巻いていた。


 せつなは、ただ無心で畳と向き合っていた。
 まっすぐ丁寧に縫い込まれた糸にスッと刃を当て、縁と畳表を取り外す。職人の手で心を込めて作られた畳が、傷付けられた箇所を取り払われ、再び命が吹き込まれるのを待つ。
 源吉は、せつなに言葉少なく指示を与えるだけで、ほとんど口をきかず、ただ黙々と手を動かしている。
 夏だというのに、ひんやりと涼しい板の間。鼻をくすぐる爽やかないぐさの匂い。作業の物音しか聞こえない、しんと静まり返った空間――。
 無駄口を叩かず、無駄な動きをせず、作業を効率的に進めていく様は、ラビリンスで何度も見たことがある。いや、ラビリンスの職場という職場が、そのような様相を呈していると言っても、過言ではない。
 しかし、同じ静かな職場でも、この場の持つ雰囲気は、そんな無味乾燥なものとは正反対と言っていい。
 作業場の至るところに、材料や道具の全てに、そして扱われている畳の全てに、源吉のあたたかな目配りが感じられる。源吉が作業場の全てのものを慈しみ、大切にしている様子が伝わってくる。
 ここは単なる作業場ではなく、源吉にとっては聖域。自分のありったけの技と心を、畳に送り込む場所なのだ。それを肌で感じながら、そんな場所でお手伝いをさせてもらっていることを、せつなは心からありがたく、恐れ多いとさえ思った。


 朝から懸命に作業を進めて来た甲斐があってか、あんなに山積みにされていた畳の解体作業も、夕方には全て完了した。あと残っているのは畳表や縁を縫いつける作業なので、さすがにそれは、せつなには手伝えない。
「いやぁ、お前さんに手伝ってもらって、本当に助かった。先方の希望には到底間に合わねえと諦めていたんだけどよ。お陰で何とかなりそうだ。ありがとうな。もうここはいいから、ゆっくりしてくれ。」
 源吉は畳を縫う手を休めずにそう言うと、せつなに穏やかに笑いかけた。
「・・・もう少しだけ、ここに居てはいけませんか?」
 せつなが遠慮がちに問いかける。
「そりゃ構わねえが・・・もう手伝ってもらうことは、特にねえぞ。」
「もし良かったら、ここでおじい・・・おじさまのお仕事を、少し見ていたいんですけど。」
「ああ、そりゃあもちろん構わねえよ。」
 せつなは源吉の作業台の向こう側に、膝を抱えて座り込む。そして、源吉が畳を縫い上げていく力強い手さばきを、一心に見つめ始めた。


 実はそれから十年と少し先。源吉の孫娘に生まれた幼いラブが、今のせつなと同じ場所に同じ格好で座り込み、目をキラキラさせながら源吉の仕事ぶりを眺めることになるのだが・・・せつなも源吉も、今はもちろん、そんなことは知らない。




「なんだかねぇ・・・。」
 あゆみはテーブルに頬杖をついて、ぼんやりと宙を眺めていた。
 目の前には数学の問題集。夏休みの宿題だ。しかし、開かれたページは真っ白で、さっきからちっともはかどっていない。
「あゆみ。今度は何?」
 向かいの席に座って問題を解いていた尚子が、そのつぶやきを聞いて、顔を上げた。
「おじさんの畳は、何とか目処がつきそうなんでしょ?昨日のあの子がおじさんのお手伝いをしてくれてるって・・・」
「うん。とっても器用みたいで、お父さんも助かってるって。」
 そう言ってまた、はぁっとため息。
 あゆみの隣りで、問題集ならず爪を整えるのに夢中になっていたレミは、ひょいと首をすくめて、尚子と目を合わせた。


 ここはレミの家のダイニング。このところ、三人は毎日のようにレミの家に集まっては、一緒に宿題をしたり、連れ立って遊びに出かけたりしていた。
 これだけいつも一緒にいるのだ。ただでさえわかりやすいあゆみの気持ちは、レミと尚子の二人には、なんとなくわかる。
(ひょっとして今度は・・・あの「Kちゃん」のこと?)
 「Kちゃん」とは、昨日あゆみたち三人を助けてくれた少女のことを指す、三人の間だけの呼び名だった。彼女が落としていった野球帽の内側に、マジックで「K.T」とイニシャルが書いてあるのをレミが見つけて、誰ともなしにそう呼び始めたのだ。帽子の方はあゆみが預かっていて、後で本人に渡そうと思っていた。
「もしかして、Kちゃんのことが気になるの?」
 尚子の問いに、あゆみは素直に頷いた。
「うん。やっぱり彼女、なんだか寂しそうなのよね。」
「まあ、記憶が無いって言うんじゃあ、色々と不安に思うのも無理ないわよぉ。」
 レミはそう言ってから、心なしか声のトーンを落としてこう続ける。
「ねえ、Kちゃんの髪・・・あれってやっぱり、何か相当苦労したとか、恐い目に遭ってああなったのかしら。ほら、よく聞くじゃない?とっても恐ろしい思いをした人が、一晩で白髪になっちゃうことがあるって話。」
「でも、あの髪はどう見たって白髪じゃなくて、銀色よ。レミちゃんの蒼い髪と一緒で、生まれつきなんじゃないの?」
 あゆみが口を尖らせる。
「生まれつきって・・・あんな髪の色、見たことある?」
「確かに珍しいけど、居ないわけじゃないんじゃないの?現に、Kちゃんがそうなんだから。」
 尚子が問題を解く手を休めもせずに、あっさりと言い放つ。
「尚子、それって理論的なようで、理論的で無いような・・・」
「レミに言われたくないわよ。」
 何がそんなに問題なの?と言いたげな尚子の口調に、レミもしぶしぶといった調子で押し黙った。


「それより、あゆみ。寂しそうだと思うんなら、話をするなり、遊びに連れ出すなりすればいいじゃない。」
 一段落ついたのか、尚子がカタンとシャーペンを置いて、うーん、と伸びをしてから言った。
「そうなんだけど・・・。なんか、深入りして欲しくないっていうか、出来れば放っておいて欲しいっていうか、そんな雰囲気を感じるのよね。」
「クスッ。フフッ、ハハハ・・・。」
「・・・尚ちゃん?何がおかしいの?」
 突然笑い出した尚子に、あゆみが怪訝そうな、少し不機嫌そうな声で問いかける。尚子は微笑を浮かべたまま、いたずらっぽい目つきで、そんなあゆみを見返した。
「だって、あんまりあゆみらしくないこと言うんだもの。あの頃私に、あんなに親身におせっかいを焼いてくれた、あなたとはとても思えない。」


 言われてあゆみは思い出す。あれは、中学一年生の三学期。四つ葉中学校に転校してきた尚子が、一月も経たないうちに、クラスから少々浮いた存在になってしまった頃のことを。
 見た目の女の子らしい可愛らしさとは裏腹に、理路整然とした理屈を、ストレートに口にする論客。そのギャップがいけなかったのか、まだ親しい友人も出来ないうちに、級友たちの大半が、彼女を遠巻きにするようになっていった。
 尚子自身、そういった状況を、あまり悲観的には受け止めていなかった。元々彼女の家は転勤家族で、尚子も小学校を四回替わっている。だから、学校ではやりたいことをやり、言いたいことを言い、またすぐ別れてしまう級友たちには何の期待もしない・・・そんな処世術を、彼女はいつの間にか身につけてしまったのだ。
 別にいじめられるわけではない。誰も話しかけてこなくても、休み時間には教室で本を読んでいればいい――そう思っていた尚子だったが、あゆみだけは、他の級友たちとは違った。
 いくらつっけんどんな言葉を浴びせても、そっけない態度を取っても、休み時間の度に、ニコニコと話しかけてくる。一緒にお昼を食べようと誘いに来る。彼女につられて、幼なじみだというレミまでも、尚子の元に頻繁にやってくるようになった。
 そして決定的だったのが、ある雨の日の放課後。学校帰りの空き地で怪我をしている子猫を見つけ、どうしたらいいかとうろたえていた尚子と一緒に、あゆみは寒空の下、動物病院を探して駆け回ってくれた。結局、商店街から少し奥まったところにある山吹動物病院を見つけて、子猫は一命をとりとめた。
 その日から、あゆみと尚子は、本当の意味での友達になった。今ではレミも含めた三人がいつも一緒にいるのは、級友たちにとっても、ごく当たり前の光景だ。


「私ね、あゆみ。」
 真面目な表情に戻った尚子は、じっとあゆみの目を見つめて言った。
「あの頃、あゆみやレミが話しかけてくれても、無愛想な返事しかできなかったけど、本当は凄く嬉しかったのよ。放っておいてなんて口では言っても、独りっていうのは、やっぱり寂しいから・・・。何か事情があるのかもしれないけど、あの子も本当は、独りでいたくはないんじゃないかな。」
 尚子の目を見つめ返すあゆみの顔に、ゆっくりと笑みが浮かぶ。
「あ~あ、珍しく尚子が素直だから、喉渇いちゃったぁ。二人とも、麦茶飲むわよね?」
 レミがガタンと乱暴に椅子を引いて立ち上がり、二人から顔をそむけて、冷蔵庫へ向かう。きっと、その目にうっすらと光る涙を隠しているんだろうなと、あゆみは尚子と顔を見合わせて、クスクスと笑った。




「よぉし、今日の分はこれで終いだ。」
 源吉が、出来たばかりの畳の縁を、そっと手でしごく。源吉の手元をずっと見つめ続けていたせつなは、その声にほぉっと息を吐き出して、肩の力を抜いた。
「ずいぶん熱心に見ていたな。畳作りは、面白いかい?」
「ええ。本当に一針一針、大事に作られているんですね。」
 せつなに素直に頷かれて、源吉はとても嬉しそうに相好を崩した。
「そうとも。一針一針、ちゃあんと愛情を込めて一生懸命作りゃあ、使ってくれる人にも、想いが伝わるってもんだ。それに、お天道様にもな。」
「お天道様?」
 不思議そうな顔をするせつなに、源吉は静かに頷く。
「何事もな。目立たなくったって、上手くいかなくったって、諦めずに頑張ってさえいりゃあ、お天道様は必ず見ていて下さる。今度のことだって、俺はもう駄目かと諦めかけたけどよ。そんなときに、お前さんという強力な助っ人が現れた。やっぱり、俺が毎日真心込めて畳を作っているのを、お天道様はちゃあんと見ていて下さったんだなぁと、そう思った。」
「い、いや、私は別に、お天道様とは何の関係も・・・」
「はぁっはっはっ!」
 源吉は豪快な笑い声を上げると、うろたえて赤くなったせつなの顔を、優しく覗き込んだ。
「人と人との巡り合わせってことを言ってるのさ。俺にとっちゃあ、お前さんとの出会いは、まさに天の助けだったんだ。今までコツコツ頑張って来たご褒美に、お天道様が助けて下さったんだって、俺は思ってる。」
「私が・・・おじさまにとって?でも、私は・・・」
 眉を曇らせてうつむいたせつなは、しばらく逡巡した後、意を決したように口を開いた。
「私はきっと、そんな褒められるような人間じゃないんです。お天道様に罰を当てられても仕方の無いような・・・。だから、私との出会いなんて・・・」
「本当に悪い人間はな。そんな風に、悩んだり苦しんだりしねえよ。」
 低く深みのある声が、頭の上からやわらかく降ってきて、せつなは思わず顔を上げた。源吉の、あゆみに似た優しい鳶色の瞳が、目の前にあった。
「悩んで、苦しんで、それでも前へ進もうとあがくのが、真っ当に生きてくってことだ。そんな人間に、お天道様は罰なんか当てたりしねえ。むしろ、みんなが顔を上げて歩けるように、あったけえ光で照らして下さる。そのお陰で、俺たちは気が付きゃほんの少し、前へ進めてるんだ。だから、そんな風に思わなくていい。俺にとっちゃお前さんは、紛れもねえ、天の助けさ。」
「・・・・・・。」
 嬉しさなのか、哀しさなのか、恥ずかしさなのか・・・自分でもよくわからない熱い塊が胸にこみ上げて、せつなは耳まで真っ赤になってうつむいた。源吉は、そんなせつなの様子を愛おしそうに見つめると、ぽんぽんと二回その頭を軽く叩いて、よっこらしょ、と立ち上がった。
「夕飯まで、まだ間があるだろう。後は片付けだけだから、家に戻ってな。」
「片付けなら、私も一緒に・・・」
 そう言いかけたとき。作業場の引き戸の隙間から、そっと手招きしている小さな動物のような手が、せつなの目に飛び込んできた。




「パッションはん。大変やぁ!」
 せつなが作業場から出てくるのを待ち構えて、タルトが慌てふためいた様子で駆け寄って来た。
「落ち着いて、タルト。ここじゃまずいわ。こっちに来て。」
 人目につかない家の裏手にまわって、何があったのか、せつなは改めてタルトに説明を求める。
「今日は一日、あの橋の上やら周りやらで、マシンの部品を探しとったんや。そしたらさっき、サウラーが現れてな。」
「サウラーが!?タルト、見つかったの?」
「いや。わいはそのとき河原におったんで、向こうは気付かへんかったはずや。そのまま隠れてやり過ごそうって思ってたら、あの男の子がやって来たんや。
 あの子はサウラーにすたすた近付いていって、何やら二人で話しとった。そのとき・・・あの子がなんか、小さな光るものを手に持っとったんや。」
「それって・・・まさか!」
 驚きに目を見開くせつなに、タルトは力強く頷いて、はっきりとした口調で言った。
「タイムマシンの・・・部品やと思うわ。」


 昨夜の公園で、少年に感じた違和感を、せつなは鮮明に思い出していた。あのとき、彼はもうマシンの部品を手に入れていたのかもしれない。もしかしたら、昨日の朝初めて会ったときには、そうとは知らず、あの河原で部品を拾った後だったのかもしれない。
(それを・・・私たちに黙っていたということは・・・)


「タルト!二人はその後、どうしたの!?」
「・・・街外れの、森の方へ歩いて行ったわ。」
 聞くが早いか、せつなは全速力で走り出した。




「あら?あれ、Kちゃんじゃないのぉ?」
 レミの家の前で帰宅の途につこうとしていたあゆみは、レミにそう言われて、慌てて後ろを振り返った。
 道路の向こう側を、飛ぶように駆けていく少女が見える。
 軽やかな足の運び。力強い意志を感じさせる、煌めくような瞳。夕陽を浴びて、銀色というよりはむしろ、金色に輝く髪・・・。
 しなやかな獣のような美しいその姿にしばし見とれていたあゆみは、ハッとしたように、その後を追って走り出した。
「ちょっと、あゆみ!どこに行くのよ。」
 尚子が慌ててその後を追う。
「えーっ!?ちょっとあなたたち。追いつこうなんて無理だってばぁ!」
 レミの悲鳴を聞きながら、あゆみは次第に遠ざかっていく少女の背中を、懸命に追いかけていた。




 せつなは、焦る気持ちを必死に押さえながら、日の暮れかかった商店街をひた走っていた。足元には、タルトがしっかり、彼女のペースに付いてきている。
 何かとてつもなく、嫌な予感がする。少年の大人びて見える寂しげな瞳と、サウラーの氷のような瞳が、頭の中でぐるぐると回っている。
(間に合って・・・。今度こそ、あなたに伝えたいことを、精一杯伝えてみせるから!)


 目指すは街外れに広がる森――この時代から二十五年後に、占い館と呼ばれる古い洋館が出現する、昼なお暗い、森の中だった。



~第3章・終~