桃源まで、東へ五分(第2章:アドリブ勝負の一日)




 誰もいなくなった路地に、取り残された三人。
「消えちゃった・・・。」
「一体、どういうことよ。」
 呆然とつぶやくパインとベリーの隣で、ピーチは天を仰いで泣き叫ぶ。
「せつなぁぁ!!タルトぉぉ!!」
 ベリーは、ぶん!と頭を振って自分に喝を入れると、ピーチの手を取って、立ち上がらせた。
「落ち着いて、ラブ。まずはあのナケワメーケの正体が何だったのか、確かめなきゃ。」
「きっと、御子柴家の誰かに訊けば、わかるよね。」
 泣きそうなパインの声に、ベリーが頷いたとき。向こうから慌てふためいた様子の男が一人、走って来た。


「マシンはっ!?マシンは、どうなった!?」
「マシンって・・・。」
「ナケワメーケのことじゃない?」
 三人は、顔を見合わせる。
「すみません。マシンって、さっきここで暴れていたナケ・・・えーっと、怪物のことですか?」
 ベリーの言葉に、男はカクカクと首を振ると、ギュッと彼女の腕を掴んだ。
「それでっ?マシンは、どこに!?」
「それが、その・・・」
「消えたんです。」
「消えた?」
「はい。アタシたちの仲間も一緒に。」
 男の手から、力が抜けた。その場にへなへなと崩れ落ちそうになるのを、ベリーが慌てて支える。
「教えて下さい。あれは一体何なんですか?怪物になる前、何の機械だったんですか?」
 男の視線が、ベリー、ピーチ、パインの顔を、順々に窺う。それを二往復ほど繰り返してから、意を決したように、その口が開いた。
「・・・タイムマシンだ。」
「・・・え?今、何て?」
「時空を跳べるマシンだよ。最長198年の時間を跳んで、過去へも未来へも行ける機械だ。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
 男の言葉に、しばらく二の句が継げない三人。
「・・・え?ってことは・・・マシンが消えたんだから、つまり・・・」
「過去か未来のどちらかに跳んでしまった、ってこと?」
 顔を見合わせるベリーとパインの隣りで、
「せつなぁ・・・。」
 ピーチの――ラブの頬を、すーっと一筋の涙が伝った。




  桃源まで、東へ五分 ( 第2章:アドリブ勝負の一日 )




 カーテンが閉まった薄暗い部屋の中で、せつなはまだ呆然として、タルトと向かい合っていた。
 肩にかかるセミロングの髪は、今は銀色に鈍く輝いている。窓ガラスに映る瞳の色は、燃え盛る火のように紅い。
 ラビリンスの幹部、イース――メビウスによって命を絶たれたはずの少女の姿。せつなにとっては思い出したくないかつての姿だ。


「私・・・どうしてこんなことに。」
 かすれた声で呟くせつなの顔を、タルトは困ったように見上げる。
「せやなぁ。過去に戻ったから過去の姿に・・・と言うには、時代が違いすぎるわなぁ。」
 ブツブツとつぶやいていたタルトが、突然ハッと息を呑んだ。
「ひょっとして・・・」
「何?」
 すがるような目で、せつなはタルトを見つめる。
「うーん、わいも、テレビで昔の映画やっとったんを、見たことがあるだけなんやけどな・・・」
 タルトはそう前置きしてから、しばらく口を開けたり閉じたりしていたが、やがて言いにくそうに切り出した。
「わいらが過去にやって来たことで、この世界の歴史が変わる、ということなのかもしれへん。」
「歴史が・・・変わる?」
「そや。パッションはんがプリキュアになったんは、ピーチはんに出会うたからやろ?それが、その・・・昔の姿のままでおるっちゅうことはやなぁ・・・」
「私とラブが・・・出会わなくなるかもしれない、ってこと?でも、この時代って私たちが生まれるより十年も前の・・・」
 口ごもるタルトにそう言い募ったせつなは、そこで突然――それこそ、雷にでも打たれたかのように、突然、タルトの言いたいことが全て理解できて――そしてそのまま固まった。
「・・・この時代の歴史が変わったことで・・・ラブが・・・生まれてこないかもしれない、ってこと?」


 足元の地面が、突然なくなってしまったような気がした。ぱっくりと開いた真っ暗な空間に、たった独りで放り出されたよう。
 そう、ラブが存在しない世界なんて、せつなにとって、闇以外の何物でもない・・・。


「パッションはん!しっかりしいや!」
 ふいに、タルトの小さな、そしてあたたかな手で両頬を挟まれたのに気付いて、せつなは顔を上げた。いつの間にか、床の上にへたり込んでいたらしい。
「まだ、ほんまにそうかどうか、決まったわけやあらへん。わいの考え過ぎ、っちゅーこともあるわ。それにもしもそうなら、原因になった出来事を解決して、また元の歴史に戻せばええんや!」
「でも・・・」
「あんさんがそないな調子でどないすんねん。ええか?もし、わいの言う通りやったとしても、や。それは、今のわいらにとっては、未来の出来事なんやで。つまり、まだ変えられる出来事っちゅーことや。」
 タルトは、なおもうつむくせつなの顔を、グイッと上向かせた。
「パッションはん!未来はこの手で変えられるんや。それは、あんさんが一番よぉ知っとることやろ?」
 うっすらと涙を浮かべた真ん丸な目。普段は愛嬌たっぷりの、その目に浮かぶ真摯な光が、強い思いを乗せて、せつなに届く。


「タルト。」
 しばらくの沈黙の後、せつなはタルトの頭に、そっと手を置いた。
「わかったわ。ここで落ち込んでいたって、何もならないわよね。もしもそんなことになっているんなら、私たちがなんとかしないと。元の時代に戻る前に。」
「その意気や!」
 力強く頷くタルトに、せつなは少し寂しそうな笑顔を向ける。
「・・・タルトが一緒にいてくれて、良かったわ。」
「へ?」
「だって、私がこの姿になっても、タルトは私のこと、パッションって呼んでくれるもの。」
「当たり前やがな。」
 目の中の涙がこぼれそうになるのをごまかすように、タルトは怒った声を出す。それを見て小さく笑ったせつなは、次の瞬間、別人のように表情を引き締めた。


 そう。ラブが生まれない未来なんて、絶対に来させない。そんな未来、私が・・・いや、私たちが必ず止めてみせる。そして帰るんだ。ラブの元へ。この姿になってしまったことに、落ち込んでいる場合じゃない!


 せつなは窓ガラスをにらみつけ、ぐっと拳を握る。その姿は、かつてのイースそのものだったが――ひとつだけ決定的なものが違っている、とタルトは思った。
 目だ。その強い光を湛えた目。運命などという体のいい諦めの言葉なんて受け入れない、凛とした光。希望というものを得て、とにかく前を向いて進もうと決めた、未来を見据えるまなざし。
(パッションはん・・・。やっと本気になってくれはったな。)
 タルトはその姿にホッとしながら、自分もぐっと小さな拳を握った。せつなの静かな声が、上から降ってくる。
「まずは、私たちがこの時代に現れた場所に、行ってみましょ。まだこの時代に来て間が無いんだから、あそこに何か、ヒントがあるに違いないわ。」
「よっしゃあ!」
 気合を入れてそう叫んだとき。
 コンコン、というノックの音に続いて、
「もうそろそろ着替え終わった?なんかさっきから話し声がするけど、誰かいるの?」
 少年の声がドアの外から聞こえて、タルトはぎくりと首を縮めた。
「誰もいないわよ?ちょっと待って、今行くから。」
 せつなは落ち着いた声でそう答えると、自分が秋の装いをしているのに気付き、紺のジャケットを脱ぐ。そしてタルトに
「行くわよ。」
 と小さく声をかけてから、静かに部屋のドアを開けた。




「ふぅん。」
 少年の怪訝そうな視線を、せつなは内心ドキドキしながら、澄ました顔で受け止める。
 この姿・・・とりわけこの髪の色が、この町の人間にとって見慣れないものであることはわかっている。だからこそ、東せつなという姿が生まれたのだから。しかし、今はこの姿でいるしかない以上、あまりおどおどしているわけにもいかない。
「何?」
「いやぁ、あのパワードスーツって、髪の毛まで付いてたんだなーって思って。そりゃそっか。頭を守るのは大事だもんね。」
 また一人で納得している少年に、あ、そこなの?とせつなは密かに脱力した。
「さて、と。朝ごはん、まだだろ?俺もこれからだから、一緒に食べない?ホットケーキくらいなら準備できるからさ。」
「でも、そこまで甘えるわけには・・・」
 そう言いかけたとき、せつなのお腹がぐーっと音を立てて、彼女は真っ赤になった。
 そう言えば、お昼ご飯を食べる前に家を飛び出してきたんだった、と思い出す。お腹はぺこぺこだった。
「ほら。腹が減っては戦はできない、って言うんだろ?」
「じゃあ、お言葉に甘えて・・・。準備、手伝うわ。」
 せつなはそう言って、少年とともに台所に立つ。
 少年の好意に感謝して、ということも勿論あるが、それ以上に、自分が食べるものは自分できちんと見届けよう、という気持ちがあった。


 今は自分だけが頼り――その自覚が、かつて培った能力を呼び覚ますのを、せつなは感じていた。五感がいつもより格段に鋭くなっている。部屋の中にあるもの全ての動きが、全て意識の内側に入ってくる感覚がある。
(でも・・・何だか、あの頃とは違う。)
 孤立無援という意味では、ラビリンスの尖兵としてこの世界にいた頃より、遥かに厳しい状況だ。それなのに、どうしてこんなに気持ちが凪いでいるのだろう、とせつなは不思議に思った。
 タルトがいるから?それもあるが、それだけが理由ではないような気がした。何だろう・・・でも、おそらくこれは悪い兆候ではない。


 少年の方は、そんなせつなの気持ちを知るはずもなく、慣れた手つきでフライパンを使い、大きなホットケーキを焼き上げた。包丁で大切れに切って、二枚の皿に盛り付ける。
「そっちの・・・イタチ?ペットは何を食べるの?」
「私のを一切れあげるわ。」
――またイタチかい・・・。
 少年と向かい合ってテーブルに着いたせつなの足元で、タルトが情けなさそうな顔をしている。それを見て笑いをかみ殺しながら、せつなはホットケーキの一番大きな一切れを、タルトに手渡した。
 いただきます、と手を合わせてから一口食べて、せつなは思わず目を見開く。
「美味しい・・・。料理、上手なのね。」
 表面はさっくりと、中はふんわりとした食感。それに、やさしい甘み。大雑把に作っているように見えたのに、焼き加減といい味加減といい、実に絶妙な仕上がりだ。
「ホットケーキは好きだから。」
 褒められたのが照れくさいのか、少年は口いっぱいにホットケーキを頬張りながら、もごもごと答えた。そしてゴクリと口の中のものを飲み込んでから、思い出したように身を乗り出してきた。
「ところでさあ、約束だよ。何があったのか、ちゃんと説明してくれよ。」


 せつなは少し考えてから、タイムマシンが街で暴走し、それを止めようとして過去へ飛ばされたのだ、と説明した。プリキュアのこともラビリンスのことも省いて説明しようとすれば、まぁそうなる。
「・・・でもそのせいで、私がいた時代の歴史が、変わってしまうかもしれないの。それを何とか食い止めなくちゃ。これ食べたら、私たちがこの時代に現れた場所へ、もう一度行ってみるわ。」
「うわぁ、すげぇなぁ。ホントにSFみたいだ。」
 少年は無邪気な声を上げると、
「ねえ、俺も一緒に行くよ。いいだろ?」
 と勢い込んで尋ねた。
「それは駄目よ。タイムマシンを暴走させた張本人が、私と一緒にこの時代へ飛ばされて来てしまったの。もう元の時代に帰ったかもしれないけど、もしもまだこの時代にとどまっていたら、また現れると思うわ。かなり凶暴なヤツだから、危険よ。」
「そんなの、俺は全然構わないよ。」
 なおも食い下がる少年の顔を、せつなは真剣な眼差しで見つめる。
「自分の身を自分で守れる自信、あるの?」
「・・・。」
 少年の視線が下を向く。それを見て、せつなは少し表情を緩めてから、噛んで含めるような口調で言った。
「私ひとりなら、自分の身は自分で守れる。でも、あなたまで守れる自信は無い。だから、お願い。言うことを聞いて。」
「ちぇっ。俺も何か、手伝いがしたかったのになぁ。」
 つまらなそうに口を尖らせる少年に、今度はせつなが身を乗り出す。
「・・・ねぇ。手伝って欲しいこと、実はほかにあるの。私、この時代のこと何も知らないで困ってるのよ。だから、食べながら教えてもらえないかしら。」
 少年はもう一度その目を輝かせ、椅子がガタンと音を立てるほどの勢いで、体ごと頷いた。




「ねぇ、あゆみ~。そんなところに行って、何か意味あるのぉ?」
 同級生で幼なじみのレミを振り返りもせず、あゆみは町外れに向かって、ずんずんと歩を進めていた。レミの隣りでは、やはり同級生の尚子が、黙ってあゆみの後を追いかけている。
 頭の上に広がる空は青く、今日も夏の日差しがギラギラと照りつけている。
(私の心の中とは、まるで正反対の空模様だわ・・・。)
そんなことをちらりと思ってから、ガラにもないか、とあゆみは小さく首を振った。


 中学二年生の夏休みも、もう半分以上過ぎてしまった。
 あゆみの家は畳屋をやっているので、夏休みと言っても、そう何日も留守にはできない。それでもいつもの年なら、父の源吉が何とか店をやりくりして、一度くらいは家族で海へ出かけたり、一泊旅行に行ったりするのが普通だった。
 だが、今年は夏休みに入ってすぐ、母方の祖母の具合が悪くなった。そのため母はこのところずっと、自宅と実家を行ったり来たりの生活になっている。
 加えて今朝の不可解な事故――。何だか夏休みに入ってからというもの、悪いことが重なっているような気がしてならない。


 しばらく前から、源吉が作業場に籠っている時間が長くなった。なんでも大きなお屋敷の増築で、新しい畳の注文がたくさん入ったのだと、源吉は張り切っていた。
 そして納品の今日。源吉の持っている小型トラックでは一回で運びきれない量だったので、知り合いのトラックを頼んで、運んでもらうことになった。そのトラックが今朝がた、おかしな事故に遭ったのだ。
 トラック自体には、それほどダメージがあったわけではない。運転手も無傷だ。最も大きな被害を受けたのは、その積み荷――源吉が丹精込めて作った、畳だった。
 畳表どころか、床と呼ばれる芯材まで折れたりひしゃげたりしてしまった畳。それを悲痛の面持ちで見つめていた源吉の顔を思い出して、あゆみは歩きながら、今日何度目かの溜息をつく。


「あゆみったら。ねえ、ちょっと待ってよ!足痛くなってきちゃったぁ。」
 相変わらず甘えた口調ながら、さっきより少し怒りの色を増したレミの声に、あゆみはようやく立ち止まる。言われてみれば、スニーカーを履いているあゆみや尚子と違い、レミの足元は素足に華奢なサンダルだ。普段より速いペースで歩いているあゆみに付いて歩くのは、確かに厳しかっただろう。
 思わず肩を貸そうとした尚子の手をやんわりと押さえて、レミはあゆみのところまでゆっくり歩いてくる。そして、いつもの潤んだような目で、あゆみを見つめた。
「一体どうしたの?事故現場を見たって、おじさんの畳が元通りになるわけじゃないじゃない。」
「それにおじさん、弁償の申し出も、もう断っちゃったんでしょう?」
 レミの隣りから、尚子が相変わらず冷静な言葉を続ける。
「そんなことはわかってるわよ。でも、あまりにも変じゃない?気がついたらトラックの荷台に車が乗っかってて、うちの畳を踏みつけて逃げて行きました、なんて。何でそんなことになったのか・・・あの畳は、お父さんが毎晩遅くまでかかって、やっと納期に間に合わせたものなのに。だから、何が起こったのか、どうしてもこの目で現場を見てみたくなって・・・。」
 あゆみの声が、次第に小さくなる。まぁ、見たって何も変わらないんだけどね。そう言いかけたとき、あゆみの肩をレミがポンと叩いた。
「もしもヘンなことが起こってたんなら、証人がいた方がいいわよね~、尚子?」
 歌うように言いながら、レミがすっとあゆみの横を行き過ぎる。
「そうね。まぁ私たちでも、居ないよりはいいんじゃない?」
 尚子が澄まして、その後を追う。
 え?と首をかしげるあゆみに、
「ほらぁ、行くなら早く行くわよ。もうすぐそこなんでしょ?ここまで付き合ったんだから、最後まで付き合わせなさぁい。」
 涼しい顔で、レミが振り返った。その隣りでは、尚子がクスクス笑っている。
「もう・・・。レミちゃんに言われて立ち止まったんでしょ?」
 苦笑しながら二人の友の後を追うあゆみの顔は、さっきより少し、明るかった。




「ここ?」
 四ツ葉町の外れにある橋の上。その狭い歩道スペースで、三人は立ち止まる。
「うん。・・・何だろう?これ。タイヤの痕?」
 あゆみが、道路に落書きをしたかのような線を見つけてしゃがみ込む。湾曲した黒い縞模様が、アスファルトの上にくっきりと残っていた。
「よっぽど激しく、急ブレーキかけたかなんかよね。」
 あゆみの隣りにしゃがんだ尚子がつぶやく。良く見ると、オレンジ色のプラスチックの破片もあちこちに散らばっていた。どうやらヘッドライトカバーの残骸らしい。
「怖ぁい。これで誰も怪我人出なかったの?」
 レミが少々大袈裟に、両手を頬に当てた。
「ええ。その車、トラックの荷台から強引に飛び出したらしいの。そこで地面にぶつかって、ライト壊して、それから強引にハンドル切ったのね、きっと。」
 あゆみが辺りの状況を見ながら、彼女なりにそう分析したとき。後ろから、彼女たちを小馬鹿にしたような声がかかった。
「へぇ。見てきたようなことを言うじゃないか。」


 そこに立っていたのは、あゆみもレミも尚子も、今まで見たことのない青年だった。後ろでひとつに束ねた長い黒髪。透き通るような白い肌。笑ったことがないかのような、冷たい光を宿した目。
「な、何・・・あなたは?」
 思わずレミと尚子を後ろに庇うようにして立ちあがったあゆみを見て、青年は、フン、と鼻を鳴らした。
「僕は何もしやしないよ。ただ、ちょっと質問があってね。君たち、ここで何か拾ったりしなかったかい?何か変わったものを見つけたとか。」
「別に・・・変ったものなんか、無いわよね?」
「ええ。見つけたのは、タイヤの擦れた痕と・・・」
「あと、プラスチックの破片くらいなものよね。」
「なに!?破片だと?」
 あゆみの言葉に反応した青年が、ガシッと彼女の腕をつかむ。
「い、痛いですよ。破片って言ったって、ライトのカバーかなんかが割れた時の・・・」
「どこだっ?どこでそれを見つけた?」
「だから、今この目の前の道路にもたくさん転がってるでしょ!」
 あゆみと青年の間に割って入ったレミの言葉で、青年は初めて道路に目をやる。が、やがてガッカリしたように溜息を付くと、もう一度三人の方へ向き直った。
「本当に、何も拾ったりしていないのか?」
「しつこいわね。何がそんなに気になるの?あ、もしかして、事故の証拠品か何か、隠そうと思っているんじゃ・・・」
「ちょっと、レミ!」
 青年の態度にカッとなったレミが食ってかかるのを、尚子が慌てて止める。そのとき、青年の冷ややかな目が、キラリと光った。
「ほぉ。僕が事故を起こしたとでも言うつもりなのかい?」
「い、いえ、そんなつもりは・・・」
 言い知れぬ恐怖を覚えて、三人が後ずさったとき。青年の後ろから、野球帽を目深にかぶった小柄な人影が、猛烈な速さでこちらに走ってくるのが見えた。


 目の前の少女の視線が自分の後方へ流れたのを、青年――サウラーはもちろん見逃さなかった。
 背後から、殺気をもった気配が近づいてくる。それをぎりぎりまで引き付けてから、サウラーは後ろへ向けて素早い蹴りを放った。
(何っ!?避けた?)
 上方へ跳んだ相手が、鋭い突きを繰り出す。受け流して足払い。それも素早く避けた相手の頭から、はらりと野球帽が落ちた。
「・・・イース!!」
 夏の太陽に煌めく銀の髪。こちらを見据える紅玉のような瞳――サウラーの声が震える。
「嘘だ・・・。どうしてその姿で!」


 この一瞬の隙を、せつなは待っていた。
 すかさずサウラーの懐に飛び込む。彼の腕をグイッとキメると、投げでその体を宙に浮かせ、そのままサウラーもろとも橋の上から跳んだ。


「チェインジ!プリキュア!ビートアーップ!」
「スイッチ・オーバー!」


 空中で、二人は同時に変身の声を上げる。


「サウラー!この時代の人たちまで傷付ける気?」
「別に何もしてやしないさ。探し物してただけだ!」
 人目につかない橋の真下で、二人は素早い攻撃と言葉との応酬を続ける。
「マシンはどうしたの?元の時代へ、帰ったんじゃなかったの?」
「フン。帰れるもんなら、とっくに帰ってるさ!」
 忌々しげな声とともに放たれる、サウラーの蹴り。それを横っ跳びに避け、パッションは連打を叩きこむ。
「・・・何か、肝心な、部品でも、無くなった、とか?」
「うるさい!」
 両腕でガードしていたサウラーが、足払いでパッションを崩す。地面に転がった彼女はすぐさま跳ね起き、サウラーから距離をとる。
(なるほど。図星ってわけね。)
「君こそ、どうしてかつての姿に戻ったんだい?メビウス様の僕、イース。」
「それは・・・」
 言い淀むパッションに、サウラーが肉薄する。
「もっとも、姿だけイースでも、戦闘服が無ければ僕の敵では無いがねぇ。プリキュアにでもなるしか手が無い、ってことかい?」


 ラビリンスの幹部には、幼い頃から兵士になるべくして養育され、高い戦闘力を身につけた者の中から、最も優れた能力を有する者が選ばれる。しかし、幹部たちの人並み外れた戦闘能力の秘密は、別にあった。
 ラビリンスの国民服とは一線を画す、戦闘服。それこそが、例の少年が言うところのパワードスーツ。無限メモリーから授けられるプリキュアの力に匹敵するような、強大な力を生み出す源なのだ。だからサウラーの言うとおり、イースの姿でいると言っても、せつなの今の戦闘能力は、プリキュアに変身しない限り、東せつなと同等だ。


「私はもう、イースじゃない!」
 パッションの渾身の右ストレートが、サウラーの顔面を捉えた。
 吹っ飛ばされるサウラー。が、彼は素早く態勢を立て直し、恐ろしい形相で迫ってくる。立て続けに繰り出される高速の蹴りを、必死にかわし続けるパッション。と、そのとき。
「あれぇ?誰もいないのかしら。」
「そんなはずないわよ。確かに落ちたもの。」
 土手の方からかすかに聞こえてきた声に、パッションは凍りついた。さっきの少女たちが、自分たちを探して土手を降りて来たらしい。
(危ない!)
 パッションはサウラーから逃げるように空中へ飛び上がると、彼女たちから遠ざかるべく、戦いの場を対岸へ移そうとする。が、その無理な動きが裏目に出た。
 さらに上へと飛び上がったサウラーの、鋭い回し蹴り。それを頭に受けて、彼女は川の浅瀬へと落下する。とどめを刺そうとしたサウラーは、こちらに近づいてくる足音に気付いて、くっ!と顔を歪めると、その場から姿を消した。




――せつな。
――せつな。
 ぼうっと明るい霧の中から、自分を呼ぶ声がする。
(・・・誰?)
――せつな。
――どこにいるの?せつな・・・。
(・・・ラブ?)
 せつなは重い瞼を引き上げ、うっすらと目を開いた。


 天井の木目が、ぼんやりと目に映る。
(・・・夢、だったの?・・・ここは?)
 辺りを見回そうとして体を起しかけると、頭の後ろにズキリと痛みが走った。
「うっ!」
 思わず顔をしかめる。どうやらサウラーの攻撃を、まともに食らってしまったらしい。プリキュアに変身していなければ、ただでは済まなかったろう。
 変身は解けており、薄いピンク色のパジャマに着替えさせられている。思わず肩にかかる髪に目をやって、それが銀髪であることを確かめると、せつなはぁっと溜息をついた。
 今度は用心してそろそろと体を起こし、ゆっくりと周囲を見回す。
 六畳くらいの、小ざっぱりとした部屋のベッドに寝かされている。勉強机と本棚とベッド、それに部屋の片面に備え付けられた押入れだけ、というあっさりとした室内。
(何だか、ラブの部屋や私の部屋によく似ている。)
 そう思って、何気なく自分が寝かされていたベッドを見渡したせつなは、それがラブのと全く同じ畳のベッドであることに気付いて、目をパチクリさせた。枕や布団こそ違うが、まるでラブのベッドに寝ているように、何もかもがそっくりだ。
(こんな偶然って、あるのかしら。)
 せつなはもう一度ベッドに横になり、そっと目を閉じてみる。こうしていると、過去へ飛ばされたのなんてただの夢で、ラブの部屋でくつろいでいるような気さえしてくる。


(タルトは、無事あの子の家に戻れたかしら。)
 もう一度目を開いて天井を見つめながら、せつなはここに居ない小さな相棒のことを思った。
 今日再びあの現場を訪れたとき、タルトはせつなと一緒にいた。が、サウラーが少女たちに詰め寄っているのを見て、せつなはタルトに、あの少年の家に戻っているよう、促したのだ。
(あの子のところに居れば、まぁ大丈夫だと思うけど。)
 ああ見えて、タルトはいざというときは勘が鋭いし、すばしこい。あまり長い間離れたままでいるのは心配だが、今はそれが最善の策だろうとせつなは思った。
 もう一度ゆっくりと起き上がり、怪我の具合いを確かめる。そのとき、遠慮がちなノックの音が聞こえて、さっきの少女のうちの一人が顔を出した。


「あ、目が覚めたのね。大丈夫?どこか痛くない?」
 少女は、ベッドの上に起き上がったせつなの顔を、心配そうに覗き込む。
「ええ。大丈夫よ、ありがとう。ここは・・・?」
「私の家。さっきは助けてくれてありがとう。あなたが橋から落ちたから、行ってみたら川の中に倒れていて、それでうちまで連れて来たの。」
 せつなの様子に、安心したようにニコリと笑いかける彼女。その顔を見て、せつなはあれ?と思った。
(この人・・・誰かに似てる。)
 穏やかな光を湛える鳶色の瞳。やさしく澄んだ声と、穏やかながらハキハキとした話しぶり。色の白い丸顔を取り巻くセミロングの茶色い髪は少し癖毛で、バレッタで軽くまとめられている。
 少女はもう一度穏やかな笑みを浮かべると、せつなの疑問の答えを――それも驚きの答えを、実にあっさりと口にした。
「わたし、桃園あゆみ。あなたは?」


(桃園、あゆみ?・・・ええっ!?まさか・・・あゆみおばさま!?)
 驚きを隠しきれず、まじまじと目の前の少女の顔を見つめるせつなに、
「どうかした?」
 彼女はいぶかしげに問いかける。
「あ、う、ううん、何でもないの・・・。」
 精一杯の作り笑いを浮かべたせつなは、彼女の次の質問で、再び答えに詰まった。
「それで、あなたの名前はなんていうの?」
「え、えーっと・・・」


 名前を答えていいのだろうか、と咄嗟にせつなは思った。
 本来、せつながあゆみと出会うのは、今から25年先の未来だ。まさかあゆみも、少女時代に出会った自分と同い年くらいの少女と、自分の娘と同い年の少女を、結びつけて考えることはしないだろう。ましてや、今のせつなはイースの姿なのだから。
 しかし、もし二人が同じ名前を名乗ったら。そうしたら、あゆみはせつなと出会ったとき、過去に出会ったもう一人の少女のことを思い出すかもしれない。それが、せつながいるべき時代――25年後の未来の歴史に、また何か影響を及ぼしたりしないだろうか。


「もしかして・・・覚えてない、なんてことないわよね?」
 おずおずと問いかけたあゆみの言葉に、せつなは瞬時に作戦を決めた。
「ええ・・・ごめんなさい。よく覚えていないの。自分が誰でどこから来たのか、よくわからなくて・・・。」
「ええっ!?じゃあ、記憶喪失ってこと?」
「よくわからないけど・・・今朝、気がついたらあの橋のところに居たの。その前のことは、はっきりしないの。」
 この時代に来る前の記憶だけを、失っていることにした方がいい。その方が、必要最小限の嘘をついたんで済む。せつなはそう考えて、慎重に言葉を紡ぐ。


「そう。」
 あゆみはせつなに近付き、その手に自分の手を重ねる。驚いて顔を上げたせつなの目を、彼女はやさしく見返した。
「だったら、もう夕方だし、今夜はうちに泊まったらいいわ。わたし、お父さんに訊いてくる。たぶん、いいって言うと思うけど。」
「え?でも・・・。」
「遠慮しないで。助けてもらったのは、私の方だもの。」
 そう言って立ち上がったあゆみは、あ、そうそう、と茶目っけたっぷりに続けた。
「夕ご飯、期待してて。今日はお母さんがいないから、わたしが作るの。料理には結構、自信あるんだ。」
(あゆみおばさま・・・やっぱりこの頃から、おばさまはおばさまなのね。)
 もう一度せつなに笑いかけてから、部屋を出て行こうとするあゆみの後ろ姿。それを見つめるせつなの胸に、あたたかなものがこみ上げる。
 そのとき突然、ドアの近くでビーッという大きな音がして、せつなはビクリとした。見ると、ドアの隣り、ちょうど蛍光灯のスイッチのそばに、小さなインターフォンが備え付けられている。あゆみがボタンを押してハーイと答えると、
「あゆみ!悪いが今日はゆっくり晩飯食べてるヒマねぇんだ。後で握り飯でも持って来てくれ!」
 雑音と一緒に、あゆみの父・源吉の大声が、部屋に響いた。




「なんか悪いわね。わたし一人でも運べたのに。」
 おむすびとおかずが入った皿を抱えたあゆみが、そう言ってせつなを振り返る。湯呑みと急須を乗せたお盆を持って、せつなは笑ってかぶりを振った。
「いいの。畳屋さんなんて見たことないから、私も見てみたいし。」
「見たって面白いことなんて無いわよ?だだっ広い板の間と、作りかけの畳やら材料やらが置いてあるだけなんだから。」
 そう言いながら、あゆみは一旦玄関から外へ出て、店の横手へまわる。そこが作業場の入口になっているらしかった。
 外へ出ると、なるほどここは桃園家だ、ということが、せつなにもよく分かる。
 家自体には、あまり今の――せつなが知っている桃園家の面影はない。きっと畳屋をやめたときに、大がかりなリフォームをしたのだろう。ただ、周囲の雰囲気は、この頃からあまり変わっていないことがわかった。
 昔ながらの引き戸をガラリと開けて、二人は作業場に足を踏み入れる。
「お父さん。夕ご飯、持って来たわよ。」
 あゆみが奥へ声をかけると、
「おう、悪いな。こっちに持って来てくれ!」
 さっきインターフォンから聞こえて来たのと同じ大声が聞こえてきた。


 作業場の中は、まるで長い廊下の一部を部屋にしたような、板張りの細長い部屋だった。その中央で、一人の男――源吉が床に片膝をつき、一心に作業をしている。
 作業場の片隅には、おびただしい数の畳が積み重ねられている。その中に、明らかに曲がったり傷ついたりしているものが混じっているのを見て、せつなは首をかしげた。
「今朝ね、この畳、事故に遭ったのよ。」
 作業場の隅に皿を置いたあゆみが、せつなが見ているものに気付いて、声をかける。
「今日、あなたと出会った橋の上でね。交通事故って言えばそうなんだけど・・・何だかよくわからない事故で、トラックに乗せてあったこの畳が、滅茶苦茶になっちゃったの。」


(まさか・・・あのときの積み荷!?)
 せつなの脳裏に、トラックの積み荷の上から強引にマシンが発車した、あのときの光景がよみがえる。あんな力で押し潰されたのだ。柔らかな畳が、無事であるはずがない。
 自分たちがこの時代に来たことで、最も迷惑を被った人――それが、他でもない桃園家の人々だと知って、せつなは目の前が真っ暗になったような気がした。
(こんなときまで桃園家に迷惑をかけるなんて・・・私は一体、どこまで罪深いんだろう。)


「滅茶苦茶ったって、全部じゃねえよ。少しだが無傷のモンもあるし、半分くれえは床までは傷んじゃいねえ。」
 今まで黙ってあゆみの話を聞いていた源吉が、そう言って立ち上がると、せつなの前にやってきた。
「話は聞いた。あゆみを助けてくれたんだってな。ありがとうよ。」
 そう言ってせつなの顔を覗き込む源吉の目は、とても穏やかだったが、せつなはそれをまともに見ることができずに、下を向いた。と、その彼女の頭に、大きくてごつごつした手が、ゆっくりと置かれた。
「生憎うちのが居ねえんで、ロクなもてなしはできねえけどな。もし良かったら、ゆっくりしていくといい。うちは一向に構わねえからよ。」


 冷たい罪悪感で一杯になった胸の内に、源吉の手のぬくもりが、沁みわたっていくような気がした。ぽとり、と足元に小さなしずくが落ちる。そのとき初めて、せつなは自分が泣いていることに気付いた。


「お願いがあります。」
 涙をぬぐい、せつなは今度こそ顔を上げて、源吉の顔を見る。
「私にも、何かお手伝いをさせて頂けませんか?」
 必死の面持ちで、自分を見つめる一人の少女。その目をじっと見つめた源吉の顔に、ゆっくりと、静かであたたかな笑みが浮かんだ。



~第2章・終~