桃源まで、東へ五分(第1章:待っていたサプライズ)




 ザッ、ザッ、と枯葉を意味も無く蹴散らしながら、小学生くらいの男の子たちが騒いでいる。サウラーは南瞬の姿で、彼らから少し離れた公園のベンチに座っていた。その右手は、相変わらず本のページに添えられている。
 足を組んで本を読むスタイルは、いつもと同じ。が、彼が公園で――占い館以外の場所で読書をしているなんて、非常に珍しいことだ。


 ノーザが来てからというもの、館で本を読んでいても、以前ほど集中できなくなってしまった。自分の都合だけで突然現れて、否応なしに命令してくる最高幹部。ウエスターのように真っ向から反発するほど、自分は馬鹿じゃない。が、それを不快に感じていることは、ウエスターと変わらなかった。
(無駄な外出をせず、最も効率的な仕事をしてきたこの僕が、こともあろうに、こんなところで無駄な時間を過ごすなんてね・・・。)
 自嘲気味に、ふん、と鼻で笑って、サウラーは本のページをめくる。と、男の子たちの会話が、何となく耳に入ってきた。


「・・・ホントなんだよ!あそこには、すっげえもんが隠されているんだって!」
「え~?すげえもんって?」
「それ、何だよ。」
「聞いて驚くなよ?あのな・・・」
 鉄棒に腰掛けて、仲間二人を見下ろしていた大柄な少年は、そこで地面に飛び降り、仲間たちに顔を寄せた。
 ひそひそ話というわけだろう。が、サウラーの聴覚の前では、そんなものは意味が無い。


(馬鹿な。ラビリンスですらまだ実現できていない技術だぞ。この世界の科学力で、作れるものか。)
 少年の囁き声を聞きとったサウラーが、そう思ったのとほぼ同時に、
「嘘に決まってんだろ?そんなの。」
 仲間の一人が、吐き捨てるように言った。
「嘘じゃないって!オレの友達の友達が見たんだ。空中に突然、車みたいな乗り物が現れて、中にはチョンマゲを付けたお侍みたいな格好の人が乗って、きょろきょろ外を見ていたんだって。で、その乗り物は、すーっと塀の向こうに、降りていったって言うんだ。」
 ギュッと拳を握る少年の声が、次第に大きくなる。
「なっ?それって、タイムマシンだと思わないかっ?」


 自分の声の大きさに、まだ気付いていない少年を横目に見ながら、サウラーは、夏のある日のことを思い出す。
 あれはイースがラビリンスを去って、まだひと月も経っていなかった頃。この世界の人間が、思い出をとても大切にしているらしいと知ったサウラーは、写真屋の古いカメラをナケワメーケにして、プリキュアどもを「思い出の世界」という甘美な夢の中に閉じ込めようとした。
 計画通り、まずはキュアピーチを眠らせたものの、彼女は仲間たちの願いどおり、思い出の世界から戻ってきた。そして結局ナケワメーケは倒され、サウラーの計画は失敗に終わったのだ。
「絶対に来てくれるって、信じてた!」
 舞い戻ったキュアピーチに、そう言って笑いかけたイースの顔。その映像が、眩しく苦く胸の中によみがえってきて、サウラーは慌てて活字に目を戻した。
(思い出の世界なんて不確かな夢でなく、本当の過去の世界にプリキュアを送ってしまうことができたら・・・。)
 たとえ一人でも時空の彼方へ放り出すことができれば、プリキュアどもの新しい技も封じられる。インフィニティの奪回は、もっと簡単なものになるだろう。ノーザの鼻も、少しはあかせるかもしれない。


 サウラーは静かに本を閉じ、立ち上がった。
 少年の下らない願望が、本当である可能性は低いだろう。だが。
(どうせこんなところで無駄な時間を過ごすなら、暇つぶしに行ってみてもよさそうだ。)
「ねえ、君たち。少し、話を聞かせてくれないかい?」
 サウラーは冷ややかな目で少年たちを見据えながら、彼らにゆっくりと近づいていった。




  桃源まで、東へ五分 ( 第1章:待っていたサプライズ )




「じゃーん。どう?これ。」
 目の前に突き付けられたものを見て、せつなは不思議そうに首をかしげた。
「あの・・・これは?」
 ラブに宿題を教えていたせつなの元へ、あゆみが嬉しそうにやってきて、見せてくれたもの。それは、せつなの顔くらいはありそうな、大きな真っ赤なリボン。柔らかな布地で作られているのだろう。その形はやさしい丸みを帯びて、表面はつやつやしている。
(きれいなリボンだけど・・・。頭に付けるには大きいし、洋服に付けるんでもなさそうだし・・・。あ、もしかして、夏休みに漫才やったときみたいな蝶ネクタイにするのかしら。)
 せつなのいぶかしげな視線に、あゆみは柔らかな笑みを返す。
「せっちゃん、修学旅行に持って行くバッグ、お友達と同じになっちゃったって言ってたでしょ?旅先で間違えたら大変だから、これ、目印に付けたらどうかと思って。」
「うわーっ、さっすがお母さん!これ付けたら、きっとすっごく可愛いよ。せつな、バッグ出してみて。」
 後ろから覗き込んだラブが歓声を上げる。ようやく事態が飲み込めたせつなは、嬉しさに胸を熱くしながら、自分の部屋へ、いそいそと真新しいバッグを取りに行った。


 来週から、ラブと一緒に沖縄へ修学旅行。観光の時に持ち歩くバッグとして、せつなはアイボリーのミニボストンを買った。マネキンが持っているのが可愛かったので選んだのだが、どうやらそれがいけなかったらしい。
 昨日、級友とのおしゃべりで、偶然、クラスであと二人も同じバッグを買っていることがわかってしまった。それでせつなは、少しだけがっかりしていたのだ。


「修学旅行かぁ。私もレミさんと同じブラウス持って行って、向こうで喧嘩になっちゃったっけ。せっかくの私服なのに誰かと一緒はイヤだなんて、レミさんが言い出すから。」
 せつなのバッグにリボンを縫い付けながら、あゆみが、うふっと思い出し笑いをする。何だか自分の気持ちを言い当てられたような気がして、せつなは頬を赤く染める。同時に、そんなことを考えた自分に、少なからず驚いてもいた。
「おばさまって、美希のお母さんと幼なじみだったんですよね?ブッキーのお母さんとも?」
「尚子さんは、中学の途中で転校してきて、それから仲良くなったの。あの頃は三人、いつも一緒だったわね~。今のあなたたち四人みたいに。」
 そう言って微笑むあゆみに、せつなも頬を緩める。


 親子二代で友達同士、という関係が、この世界でどれくらい当たり前のことなのか、せつなにはよくわからない。でも、そうやって一人と一人の関係が、家族と家族の関係になっていくのは、とても素敵なことに思える。
 「家族」も「友達」も、かつてはただやたらと眩しくて、目にも心にも痛いだけの言葉だった。でも今のせつなには、どちらもキラキラと輝く、愛おしい光に見える。
 「幼なじみ」という言葉は、正直少し、せつなには眩しすぎる。でも、その眩しさも含めて大切に思えることが――そう思えるようになったことが、せつなにはとてもありがたく、そして嬉しかった。


「ハイ、できたわ。これなら誰かと間違えることもないわね。」
「ありがとう、おばさま。」
 せつなはちょっとはにかみながら、さっそくバッグを肩にかけて、鏡の前に立ってみる。後ろで目を細めているあゆみに、鏡越しに笑いかけたとき、あゆみの後ろにあるドアの陰から、タルトが手招きしているのが見えた。
 せつなはもう一度あゆみにお礼を言うと、表情を引き締めて、そっとラブに目配せをする。ラブもすぐに気付いて小さく頷くと、せつなと連れ立って、静かに部屋を出た。




「タルト。ラビリンスが現れたの?」
「それがやなぁ。」
 ラブの問いに、タルトは少々困惑した様子で、カチャリとクローバーボックスの蓋を開ける。
「何、これ。」
 七色の光の膜に現れた映像を見て、ラブとせつなの声が揃った。
 そこに映っていたのは、芝生の上に立っている不気味な姿。後輪だけで立ち上がった車の化け物の頭に、不釣り合いなほど大きなアンテナが付いているような格好だ。三角につり上がった真っ赤な目の少し上、丁度おでこの辺りには、緑色のダイヤ。
「サウラーのしわざね。」
「でも・・・なんで今更、ナケワメーケ?」
 シフォンはタルトの隣で、不思議そうにクローバーボックスの映像を眺めている。今日はまだ、インフィニティになりそうな気配はない。
 そのうち映像の中で、ナケワメーケがアンテナからレーザーのようなものを発射して、芝生を焼き払い始めた。
「とにかく行かなくちゃ!でもこれ、どこだろう?」
 せつなは映像を舐めるように注視する。すると、画面の端に、途切れなく広がる芝生を二重に囲む、並木が映っているのが目にとまった。
「ラブ。これ・・・御子柴家の中庭じゃないかしら。」
「あの、地下特訓場があった?」
 せつなが力強く頷いて、もう一度映像に目をやる。
 御子柴家。家電製品から宇宙ロケットまで手掛ける、世界でもトップクラスの財閥グループの長の屋敷だ。つい先日、ミユキのツテで、プリキュアたちはここの特訓場を使わせてもらった。広大な中庭の地下に作られた秘密特訓場だったのだが、庭はまだまだ広くて、もっと奥まで続いていたように思う。
「よし、行こう!せつな、ブッキーに電話して。あたし、美希にかけるから。」
「わかった。」
 リンクルンを片手に家を飛び出す二人に、タルトとシフォンも続いた。




 御子柴財閥に雇われたエンジニアのリーダーは、自分が今見ているものが、信じられなかった。
 最先端の――ここに居る者以外、現実とは思わないであろう最先端の技術の粋を集めて、開発したマシン。それがみるみるうちに形を変え、異形の化け物となって立ち上がったのだ。
(こんなこと・・・SFじゃあるまいし!)
 自分たちがまさにSFばりの研究をしていることも忘れて、彼はただ呆然と、目の前の怪物の姿を見つめた。
「ナ~ケワメ~ケ!!」
 怪物は一声叫ぶと、二重の並木をやすやすと飛び越えた。それを見て、彼の背中を、たらりとイヤな汗が伝う。
「い、いかん!戻ってきてくれ!」
 このままでは、怪物がお屋敷の外に出てしまう。今は怪物でも、元は手塩にかけた、我が子同然の発明品だ。
 彼は意を決して踵を返すと、遥かに遠い出口を目指して、屋敷の中を一心に走り始める。その耳に、正午を告げる柱時計の音が、やけに大きく響いた。




 ラブとせつなが御子柴家の門の前に着いた時、丁度、美希と祈里も向こうから走って来るところだった。屋敷の奥の方からは、時折ドーンという音が響いている。
「こっち!」
 ラブを先頭に、四人は屋敷の塀沿いに駆けて行く。ほどなくして、血相を変えた人々が、彼女たちの行く手から走ってくるのが見えた。
 地面にずしんと衝撃が走り、コンクリートの塀がびりびりと震える。そしてついに、クローバーボックスの映像で見たのと同じナケワメーケが、その姿を現した。
 額に光る緑のダイヤ。胸に取りつけられた様々な計器。網の目のように張り巡らされたコード。そして頭の上には大きすぎるアンテナ。
「みんな、行くよっ!」
 凛と響くラブの声に、少女たちはそれぞれのリンクルンを構える。


「チェインジ!プリキュア!ビートアーップ!」


 桃色。青。黄色。そして赤。
 地面から立ち上るような鮮やかな煌めきの後に、四人の伝説の戦士が現れる。


「ピンクのハートは愛ある印!もぎたてフレッシュ、キュアピーチ!」
「ブルーのハートは希望の印!つみたてフレッシュ、キュアベリー!」
「イエローハートは祈りの印!とれたてフレッシュ、キュアパイン!」
「真っ赤なハートは幸せの証!うれたてフレッシュ、キュアパッション!」


「Let’sプリキュア!」


「よし、始めろ。」
 腕組みをして塀の上に立つサウラーは、現れた少女たちを見て、口の端だけでニヤリと笑った。
「ナーケワメーケ!フ、フ、フ、フューチャー!」
 車輪のような足をフル回転させて、四人に迫るナケワメーケ。
「ダブル・プリキュア・パーンチ!」
 炸裂する、ピーチとパッションの拳。
「ダブル・プリキュア・キーック!」
 打ちこまれる、ベリーとパインの蹴り。
 が、突然、ナケワメーケの短い腕が、ぐんと伸びる。バネの先にタイヤを付けたような腕に、弾き飛ばされる四人。そして。
「ナーケワメーケ!イマイマ、しいわ~!」
 頭の上のアンテナから放たれる、強烈なビーム。
「わぁぁっ!」
「何これ・・・。」
「体が・・・痺れる!」
「・・・くっ!」
 動けないプリキュアたち。ナケワメーケの胸から、しゅるしゅると伸びる黒い腕。コードのような、ベルトのような長い腕が、彼女たちに迫る。
「はぁっ!」
 何とか体を起こし、拳を振るうパッション。その隙にようやく立ち上がる、ピーチ、ベリー、パイン。


「・・・このナケワメーケ、元は何なの?」
 ベリーが、誰にともなく問いかける。
「わからないわ。クローバーボックスで見たときは、庭の芝生の上に立ってた。」
 パッションは、ムチのようなコードを避け続ける。
「御子柴家の・・・自家用リムジンとか?きゃぁっ!」
 ついに一撃を食らい、吹っ飛ぶパイン。駆け付けるピーチに迫る、伸縮自在のナケワメーケの腕。
「ピーチ!」
 パッションが横っ跳び。間一髪で腕をはたき落とす。その時。
「パッション、後ろ!」
 ベリーの声に振り返る間もなく、高速で伸びたコードが、彼女の体を絡め取った。


「パッション!」
 宙吊りにされたパッションに向かって、仲間たちが跳ぶ。が、
「うわぁぁぁ!!」
 再びアンテナから放たれるビーム。三人は、またも地面に叩きつけられる。
「みんな!」
 必死で拘束を解こうとするパッション。だが、締め付けたコードはびくとも動かない。
「フフフ・・・。もう一人、道連れにしてあげようか。」
 再び迫るコードの束。跳んでよける三人。と、目標を失ったコードの先には、クローバーボックスが・・・!
「わっ!こりゃあかん!」
 シフォンと一緒に物陰から様子を見ていたタルトが、思わず飛び出した。クローバーボックスの前に立ちはだかるタルト。その小さな体がコードに巻き取られ、宙に舞う。
「タルト!!」


「ふん。プリキュアではなかったか。まあいい。ナケワメーケ、やれ。」
「ナーケワメーケ!カーコカッコー!」
 ナケワメーケの体が、ぼうっと光り出す。大きなアンテナにびりびりと稲妻が走り、胸の計器の数字が、くるくると動き出す。
「別れの時が来たようだ。挨拶はしなくていいのかい?プリキュア。」
 サウラーの楽しげな声に、凍りつく地上の三人。
「パッション!タルト!」
「どうなってるの!?」
「二人を放しなさいっ!」
 ベリーは塀の上のサウラーを睨みつけると、タン、と地面を蹴る。
「たあっ!!」
 サウラーに向かって放たれる、ベリー渾身の蹴り技・・・と見せかけて、サウラーが回避しようと飛び上がった瞬間。この瞬間を狙って、ベリーは全身の力を、拳に込める。
「うわぁっ!!」
 空中高く飛ばされるサウラー。その体は、ナケワメーケのアンテナに、引っ掛かって止まった。
「な、なにっ!?降ろせ!」
「それは、パッションとタルトを放してからよっ!」


 キッとナケワメーケを見据えるピーチ、ベリー、パイン。その目の前に、ポン、とそれぞれの相棒が現れる。


「届け!愛のメロディ。キュアスティック・ピーチロッド!」
「響け!希望のリズム。キュアスティック・ベリーソード!」
「癒せ!祈りのハーモニー。キュアスティック・パインフルート!」


 起動される、それぞれのアイテム。その間にも、ナケワメーケの光は、どんどん強くなっていく。


「悪いの悪いの、飛んで行け!!!」


「プリキュア!ラブ・サンシャイン・・・」
「プリキュア!エスポワール・シャワー・・・」
「プリキュア!ヒーリング・プレア・・・」


「フレーーーッシュッ!!!」


 ナケワメーケの体の輪郭がぼやけるのと同時に、三つの光弾がその体にぶつかり、溶けあってひとつになる。
「今よ、タルト!」
「はいな。」
 拘束から抜け出そうとするパッション。だがそのとき、彼女は自分の体の輪郭までもが、頼りなげにぼやけているのを見て、愕然とした。
「はぁ~!!!」
 三人の気合のこもった声。
「シュワ、シュワ~・・・」
 既におぼろけな姿となったナケワメーケが、かすかに断末魔の叫びを上げる。
 そして、額のダイヤが煙のように消え失せた次の瞬間。
 ナケワメーケも、パッションも、タルトも、そしてサウラーも、三人の前から、忽然と姿を消してしまったのだった。



  ☆ ☆ ☆



 ゴン、と何かに頭をぶつけて、パッションは我に返った。変身は解けていない。どうやら少しの間、ぼうっとしていたらしい。
 何やら狭い空間にいる。ナケワメーケに宙吊りにされていたはずの体はソファのようなものに座らされ、腰にはさっきまで彼女を拘束していたものが、ベルトとなって一重だけ巻きついていた。
 家族で出かけるときに時々乗せてもらう、圭太郎の車の中によく似ている。ちょうど、後部座席に座っているような感じだ。ぼんやりとそう思ったパッションは、隣で目を回しているタルトに気付いて、ハッとした。


「タルト!しっかりして!」
「あ、パッションはん。わいら、無事やったんか。」
 気が付いたタルトが、きょろきょろと辺りを見回す。
「ここ・・・どこや?」
「どうやら、この乗り物がナケワメーケだったみたいね。」
「え!?じゃあ、わいらナケワメーケの中におるんか!?」
「ううん、もう浄化されてるんだと思う。でも、何だか様子が変ね。」
 パッションは、右手にある窓から外の様子を窺った。
 まず目に飛び込んでくるのは――空。
 そして視線を下へやると――真下に見える景色が、ぐんぐんと迫ってくる!?


「タルトっ!これ、落下してるわ!」
 パッションは、腰に巻き付いているベルトをむしり取ると、タルトを抱きかかえた。
「脱出するわ。しっかりつかまってて!」
 窓の下にあるレバーを動かすと、壁に見えたドアが、カチャリと音を立てる。やっぱり車と同じ仕組みだ。風圧に押し戻されるドアを何とか開けて、パッションはタルトを抱えて跳ぶ。
 着地したところは、見覚えのある風景。ここは・・・河原だ。四ツ葉町の外れを流れる川に架かっている、橋の下だ。
(どうして、こんなところに・・・。あれは、ただの車じゃないっていうの?)
 そのとき、頭の上の方でドーンという衝撃音が聞こえ、わずかに埃が降ってきた。少し離れて橋を見上げると、信号待ちで止まっていたらしいトラックの上に、やたら大きなアンテナをつけた黒い車が、覆いかぶさるように乗っかっているのが見える。


「うわぁ、危なかったなあ。おおきに、パッションはん。」
 タルトがそう言って、パッションの腕の中から、ぴょんと地面に降り立った。
「トラックに乗っていた人は、大丈夫かしら。」
パッションは心配そうに眉をひそめる。が、その目はすぐさま、大きく見開かれた。
 トラックの上から、黒い車体が発車したのだ。ガツン、とその鼻先が道路にぶつかった音が、河原まで響く。が、ほかに車がいないのを幸い、強引にスピンを決めて、車は態勢を立て直した。
 驚く二人が見つめる中、車の窓が開く。そこから顔を出したのは、いつも以上に青白い顔をした、サウラーだった。
「プリキュアどもにしてやられたと思ったが・・・君が甘くて助かったよ、イース。僕が前の座席にいたのに、気付かなかったのかい?」
 相変わらず辛辣な口調のサウラーに、パッションは思わず叫ぶ。
「サウラー!一体何をしたの!?」
「すぐにわかるさ。これで君たちは、この過去の世界へ置き去りだ。」
「過去の世界ですって?」
「フフフ・・・さよなら、イース。」
 サウラーの笑い声を乗せて、黒い車は風のように走り去る。
「何だぁ?・・・うわっ!何だこれは。積み荷が滅茶苦茶じゃないかっ!!」
 物音に気付いたトラックの運転手が騒ぎ始めたのを、パッションとタルトは、ただ呆然と眺めることしかできなかった。




「おねえちゃん!こっち、こっち。」
 ふいに後ろから呼びかけられて、パッションはビクリと肩を震わせた。そっと振り向くと、自転車を押した一人の少年が、土手につながる細い道の下に立って、手招きしている。
 小学校の高学年くらいだろうか。やけに短いジーパンから突き出した足はひょろりと長く、自転車も、大人用のものらしい。
「そんな格好でそんなところにいたら、目立つだろ?まだ朝早いから人がいないけど、この上の道路は、これから車が増えるんだぜ。」
「え?朝早い、って・・・」
 そう言いかけて、パッションはさっきのサウラーの言葉を思い出す。
 ――これで君たちは、この過去の世界へ置き去りだ。
 ナケワメーケと対峙したのは、もう昼ごろだったはず。だが辺りを見回せば、今は確かに早朝のようだ。ということは、サウラーの言う通り、ここは過去の世界――違う時空の世界なのだろうか。
 見渡したところ、河原の景色は特にいつもと変わらない――いや、違う。
 季節が違うのだ。朝早くからこんなに力強い太陽には、しばらくお目にかかっていない。ついさっきまで目にしていた、あちこちに枯れ葉が吹き寄せられた街の景色とは違う。河原に勢いよく茂る雑草の緑の、何と生き生きとしていることか。
(ここが過去の世界なんだとしたら・・・一体、どれくらい前の世界なのかしら。)


「とにかく、こっちに来いってば。」
 パッションの物想いは、再び少年の声で破られた。
「俺の家、ここからすぐ近くなんだ。俺しかいない家だし、何か食べて着替えるくらいはできるからさ。」
 そう言って歩き始める少年の後ろ姿に、パッションは少し考えてから、
「ねえ。」
 と呼びかける。
「変なこと訊くけど・・・今日って、何年の何月何日?」
 そう質問したときの少年の顔は、パッションには予想外のものだった。
 てっきり不思議そうな顔をされるだろうと言い訳まで考えていたのに、彼はパッと顔を輝かせ、キラキラした目をこちらに向けてきたのだ。今までの背伸びした物言いが嘘のような無邪気な笑顔に、パッションは一瞬、呆気にとられる。
「今日?今日はねぇ、昭和・・・あ、西暦・・・」
「昭和でいいわよ。」
 こちらの心を見透かしたような少年の言葉に、パッションは警戒を強める。
「そう?今日は昭和××年の、8月・・・」


 少年の自転車の後ろを歩きながら、パッションはそっと町の様子を窺う。
 「昭和」という年号が、今の前の年号だったことは知っている。自分の計算が正しければ――そして少年の言葉が正しければ、ここは25年ほど前の世界だ。
 四ツ葉町の地図は、完全に頭に入っているつもりだったが、さすがに様子が変わっていて、どの辺りなのか分かりにくい。明らかに、町を占める田んぼや畑の面積が広い気がする。同時に、何だかあちこちで、新しい建物を建てている現場に出くわす。
(やっぱり・・・過去の世界なのかしら。)
 少年への警戒を緩めたわけではない。が、今はこの機会を利用させてもらおうと、パッションは思っていた。とにかく情報収集しないことには、動くに動けない。


「さあ着いた。ここが俺の家。」
「・・・凄いお屋敷じゃない。」
 少年が無造作に自転車を止めた家の前で、パッションは目を丸くした。
「そう?まあ、入って。あ、その、イタチ?ペットも家の中に入れて構わないからさ。」
「イタチて・・・。フェレットより、まだヒドいわ。」
 むくれるタルトの口を慌ててふさいで、パッションは少年の後を追った。


 重厚な玄関の鍵をカチャリと開けて、少年は黙って家に入る。家の中はシーンとしていて、その静けさが、一層広さを際立たせていた。
「本当に、ここに一人で住んでるの?」
 勧められたソファにそっと腰をおろして、パッションは小首をかしげる。
「ああ、正確には、夏休みの間だけね。ここ、父さんの家なんだけど、俺、普段は父さんと別々に暮らしてるんだ。夏休みの間だけ、ここで過ごす決まりなの。でも、父さんは忙しい人で、滅多に家に寄りつかないから。昼間はお手伝いさんも来てくれるし、別に不自由はしてないんだ。」
 テキパキと飲み物の支度をしながら、あっけらかんと言ってのける少年に、パッションは心に浮かんだ疑問を飲み込む。
(せっかく子供が訪ねて来ているのに、この子のお父さんは、どうして家に帰ってこないのかしら。)
 脳裏に浮かぶのは、父親のことを話す、美希の顔。彼女もまた、父親とは別れて暮らしているが、月に一度、美希が訪ねて行くのを楽しみにしているという。
「それよりさ、おねえちゃん。」
 少年は、大人びた表情から一転、さっきのキラキラした目つきに戻る。そして、彼女の心臓の真ん中を射抜くような一言を、無邪気に発した。
「おねえちゃん、未来から来たんだろ?」


「隠さなくてもいいよ。俺、見ちゃったんだ。」
 少年は相変わらず瞳を輝かせながら、真っ直ぐにパッションの目を見つめる。
「自転車で土手を走ってたら、いきなり稲妻が光ってさ。いい天気なのに、おかしいなぁって思ってたら、いきなり空に車が現れて。で、橋を目がけて落っこちてくるからびっくりして見てたら、中からおねえちゃんが飛び出して来てさ・・・。ねえ、あれってタイムマシンなんだろ?着陸に失敗したの?それに、なんであんな高いところから飛び下りて、怪我しなかったの?」
「・・・・・。」
 パッションが何も言えずにいると、
「ひょっとして、その服のせい?パワードスーツ、って言うんだよね。やっぱり凄いんだなぁ、未来って。ねぇ、今からどれくらい先の未来?」
 少年は勝手に納得して、羨望に満ちた眼差しで、パッションの姿を見つめた。
「あなた・・・未来の技術に、ずいぶん興味があるのね。」
「ずいぶんってほどじゃないよ。でも、タイムマシンには興味あるんだ。これでもいろんな本を読んで、研究しているんだぜ。もちろん、本物を見たのは初めてだけど。」
 嬉しそうに話す少年の様子をじっと観察して、パッションは少しだけ警戒を解く。
 雰囲気から察するに、この子は嘘はついていない。突然現れた未来人を助けて、あわよくば未来のことを教えてもらおう――それくらいの無邪気な気持ちで、ここへ連れて来てくれたのだろう。
 それに――さっき父親のことを話したときの、何でもなさそうな話しぶり。その陰に潜むヒヤリと冷たい寂しさを、彼女は我がことのように感じていた。


「そう。助けてもらったんだから、ちゃんと説明するけど・・・その前に、どこかで着替えさせてもらえないかしら。」
 もうずいぶん長い間、この姿でいる。が、まさかこの子の前で、変身を解くわけにもいかない。
「本当!?いいよ、こっち。でも、着替えなんて持ってるの?あ、もしかして、未来では荷物なんて、こーんなにミニチュアライズされてるとか?」
 少年は、相変わらず嬉しそうに一人で納得しながら、パッションを隣りの小部屋に案内する。
「じゃ、俺こっちにいるから。どうぞごゆっくり。」
 少年が閉めかけたドアの隙間から、タルトがするりと部屋の中に入って来た。


「はぁ~。これからどないするつもりなんや?パッションはん。」
「しっ!」
 二人になった途端に喋り出すタルトを、パッションが制する。少年が、どこかから部屋の中を窺っているかもしれないと思ったからだ。まだ雨戸が閉まった部屋の中、分厚いカーテンの陰に隠れて、彼女は注意深く、変身を解いた。


「とりあえず、この時代のことを少し知らないと。それから作戦を立てる必要がありそうだわ。サウラーがまだこの時代にいれば、彼を探すのが早道だけど・・・タルト?」
 急に反応のなくなったタルトに、せつなは不思議そうな視線を向ける。
「パ・・・パッションはん。あんさん・・・!」
 タルトの慌てふためいた様子に、せつなは窓に映った自分の姿を確かめ・・・そして言葉を失った。


 窓ガラスの向こうから、呆然とした表情でこちらを見返している顔。それは、かつて鏡の中で見慣れた、銀髪の少女だった。



~第1章・終~



一六2へ続く