「君を待つ春は」/黒ブキ◆lg0Ts41PPY




ツツジ、小手鞠、花水木。
もう少ししたら薔薇が咲く。色とりどりの花に溢れた春の公園。
石楠花、牡丹、沈丁花。
今までは春の花なんて桜やチューリップくらいしか意識しなかった。
春に咲く、色も形も様々な花たち。身近にありすぎて気にもしなかった。


ふと、思ったのはラビリンスに花は咲くのかなって事。
メビウスとの決戦の為に足を踏み入れた未知の世界。
そこは硬質な直線と無機質な灰色にすべてを覆い尽くされていた。
あそこに土はあるんだろうか?大地から芽吹く春を感じる事は出来るんだろうか。
そもそも季節と言う概念がないのかも知れない。


彼女に出会ったのは去年の春。
まだ固い殻で柔らかな心を閉じ込めていた頃だった。
彼女の目にこちらの春はどんな風に映っていたのだろう。
弾むような軽やかな彩り、風に乗って体を包む香り。
それらも灰色の世界から来たばかりの硝子とコンクリートで出来たような
瞳には、ただうるさく煩わしいだけのものだったのかも知れない。



次の春を見る前に彼女はいなくなってしまった。
固い殻を破り、文字通り生まれ変わった今の彼女には、
このむせ返る命の洪水のような春はどう受け止められるだろう。



(ねえ、ラブ!あれは何て言う花?)



目を輝かせて問う彼女の笑顔が瞼に浮かぶ。
せっかく聞いてくれてるのに答えられないのは、ちょっと悔しい。
きっと答えられなくても彼女は馬鹿にしたりはしないだろう。
でもどうせならサラッと格好良く答えてみたいから。
その瞳がもっと輝く所が見たいから。



(せつな。早く帰っておいで。)



ツツジの花を摘むと、その花弁の先から蜜が吸える。散歩中のお婆さんが教えてくれた。
言われた通りにしてみると、舌の上にサラリと一瞬で消える甘さ。
砂糖とも蜂蜜とも違う軽くほどける不思議な感覚。
彼女はどんな顔をするだろう。



(早く。早く、会いたいよ。)



せつな、貴女に出会って初めて知りました。
あたしがどれほど美しい世界で生きているのか。
それなのに、あたしは花の名前一つまともに知ろうとしなかった。
ねえ、せつな。あたし、もっともっと色んな事を知りたいよ。
ただ流されるだけじゃなく、身近なすべてを丁寧に感じて生きて行きたい。
季節の移り変わり。一日の中で変化する空の色。肌で感じる四季の温度。



貴女と、共に感じて行きたいから。



時計に目を向ける。
待ち合わせの時間までもうすぐ。
高鳴る胸に手を押し当てる。



せつなに綺麗なものをたくさん見て欲しい。
そして、彼女は気付かせてくれる。
今まで感じていながら意識していなかった様々な喜びを。
せつなと一緒なら、きっと世界はもっと綺麗なんだって感じられるから。



逸る気持ちが足を速める。


(せつな、せつな、せつな………)



もうすぐ、会える。
もう足は走り出していた。
彼女の笑顔は、もうそこで待っていてくれるはずだから。
最終更新:2013年02月12日 17:30