「不確かな未来・前編」/黒ブキ◆lg0Ts41PPY




柔らかな寝息と溶け合うような温もり。
それを感じて迎える朝は、いつもこれ以上ないくらいの
幸せを感じさせてくれた。
まあ、滅多になかったけどね。
大抵は先に目覚めて、バッチリ身支度の済んだせつなに起こされるのが
常だったから。


珍しくあたしが先に目覚めた日は、
つい、いつまでもせつなの寝顔を眺めてしまう。
微睡みから覚める、その瞬間の無防備な表情が愛しくて。
無垢な幼子のような透明な瞳が、一夜を共にした相手を認め、
緩やかに艶を帯びてゆく。
恥じらいに彩られ、伏せられた睫毛が揺れるのを見て
また誘われてるような気分に駆られる。
熱くなる体の芯。そのまま衝動に身を任せてしまいたいが、
そんな幸運な朝は今までにも数えるばかり。
そして、次はいつになることやら。


最高に可愛くて薄情なあたしの恋人。
いったいいつまでほったらかしにする気なの?
え?好きでほったらかしな訳ないって?
そんな事わかってますよ。そりゃもう、骨身に染みて、ね。
でもねぇ。心の中で愚痴るくらいは許してよ。
正直ね、たまーにキツいんだわ。ほんっとに。
会えない時間に愛を育てるったってさ、このままじゃ育ち過ぎて
胸に収まりきらなくなりそうだよ。


せつなぁ。会いたいよぉ。ギュッてしたいよぉ。
確かにもう寒いどころか汗ばむ日もあるくらいだけどさ。
一人寝の寒さに季節は関係ないんだよ。



(………ん?寒い?)



せつなを思い、夢と現を往き来しながらの目覚め。
久しく忘れそうになっていた心地良い覚醒。
しかし、意識がハッキリしてくるにつれラブは目をパチクリさせる。



(あのー……これは、いったい…)



広いベッドに横を向いて寝ていたらしい。
目の前にあるのは午前の明るい光に揺らめくカーテン。
瞳をぐるりと巡らせると、クローゼットらしい扉、パソコンデスク、
と殺風景なくらいシンプルで素っ気ない…そして問題な事に
まったく見覚えのない部屋だと言う事。



(えー…と、これって……)


状況を頭が認識するにつれて鼓動が早くなって来る。
その理由はもう一つ。と、言うかそちらの方がラブの気分的に遥かに
問題だった。



うなじにかかる規則正しい息遣い。
体に回された腕のしなやかな重み。
ぴったりと肩口から膝裏まで寄り添うように密着した、吸い付くような感触。
不思議な事に、知らない部屋で他人に密着されて目覚める…と言う
普通ならパニックになりそうな事態なのに、何故か不快感は微塵もない。
寧ろ……



背中に感じる膨らみの奥に、静かに脈打つ鼓動。
鼻をくすぐる甘い花のような香り。
前に回された腕のキメ細やかな白い肌。
綺麗に整えられているが、短く切り揃えられた爪が何だか几帳面で
清潔そうだった。



気持ちいい。そう感じる。
心地良い寝覚めは、この匂いと温もりのせい。
あの子と迎えた甘酸っぱい朝の感触。
とても似てるけど、少し違う。


しかしながら状況が異常な事に変わりはない。
こんなに安心仕切っている場合ではないのだから。
兎に角として、背後の人物を確認しなければ……。



何となく、起こさないようにそっと腕を外す。
ゆっくり身を起こし、振り向く。
しかし、その人の姿を目にした瞬間。
ラブの思考は熱したフライパンに落としたバターのごとく、
ジュワっと音を立てて溶けてしまった。



(ふわぁ…………)



そこに横たわっていたのは、ラブが今まで実際に目にしたり、
想像した『綺麗な女の人』のエッセンスをすべて集めたかのような女神様だった。
所謂、『男の浪漫』を体現したような少し大きめのパジャマの
上だけの寝姿。
肢体のすべてが円やかな曲線で出来ており、滑らかな肌の光沢は
とろりとしたミルク色の液体を薄い透明な膜で閉じ込めているみたいだ。
濡れたような艶を放つ髪と長い睫毛。
熟れた果実を思わせるふっくらと赤い唇は、触れたら蕩けてしまいそうで。
唇同士を軽く擦り合わせたら甘い果汁が滴るのではないか。
そして何より、その顔の造作はラブの誰より会いたい人の面差しを
そのまま写し取っていたのだった。



しかし、本人であるわけはない。
ラブは大人の女性の年は今一つよく分からない。
若い。でも自分よりは随分年上なのは確実だ。
3才年上のミユキさんよりもやや上、くらい?
と、言う事は二十歳くらいだろうか。



「…………ん…………」



ふにゃふにゃになった頭で、まるで危機感のない観察をしていたら
その人は軽く寝返りを打って息を漏らした。
片膝を少し立て、仰向けになって手の甲で額を押さえている。
仰向けになってもパジャマの胸元は腹部よりも随分と高低差がある。
しかし、下着は着けていないようだ。
少し身動ぎするだけでも、その魅惑的な稜線を描く中身は
フルッ…と柔かそうに震えている。



(あ……、目ぇ開けた…!)


自分の置かれた不可解な状況も忘れ、小さな動きの一つ一つに
見入っていたラブ。
眩し気にパチパチと閉開する睫毛が、まるで小さな鳥の羽ばたきみたいだと思った。



ゆっくりと、瞳がこちらを向き、ラブと視線が交差する。
さっき、甘そうな果物みたいだと思った唇の端が軽く持ち上がり
はにかんだような微笑みを型取り………




「………ラブ……」




信じられない事に、自分の名前を呼んだ。
が、しかし。




「ーーーっ!!ラブっ?」




女神様はガバッと跳ね上がるように飛び起き、ガシっ!と両手でラブの顔を挟む。



(はわわわわっ…!どアップ……)



見開いた目で至近距離で覗き込まれ、ラブの脳ミソは最早トロトロを
通り越して完全に液体になっていた。



どのくらい、そうしてマジマジと覗き込まれていただろう。
どストライクな見た目のお姉さんの唇からは微かに花のような香りがする。
その香りにクラクラしながらも、さすがに蕩けて流れた
脳ミソも再び固まって来た。



「あの……、ココはドコなんでしょう……?」



それに、貴女は誰?
どうしてあたしの名前を知ってるの?
なぜ、あたしはここにいるの?


それに………



貴女は、どうしてそんなにあたしの大切な人に似てるんですか…?




ようやく金縛りから解けたらしいその人は、クシャリと髪を掻き上げ、
何とも表現し難い苦笑いに似た顔を向けてきた。



「……ラブ…、なのよね…?」


「ハイ……、ももぞの、らぶ、です…。」



自分でも間抜けな反応だと感じながらも、ラブは馬鹿正直に返事をする。



「……取り敢えず、起きましょうか?」



綺麗なお姉さんは、何だか一人納得したような顔。
やたら落ち着いた口調でそう告げてきた。




で、それからどうなったかと言うと……




ラブは借りてきた猫よろしく、畏まってキッチン近くの椅子に座っていた。
キッチンの中ではお姉さんが手際良くブランチ(もう昼近くだったため)
の準備をしている。
ラブが用意してもらったのは、ごく普通のピンクTシャツとショートパンツ。
当然の事ながら微妙にサイズが合ってない。
しかし不思議と着心地は悪くなく、何故だか自分の服のように
しっくりくる。
ラブは所在無げに視線を彷徨かせながら、先ほど聞いた話を
頭の中で反芻していた。



(だって……、そんなの信じられないよ…。)



チラリと彼女に目をやると、バッチリ目が合ってしまった。
ふわりと柔かく微笑まれ、カアッと頬に血が昇る。
思わず慌てて視線を逸らせた。




(私はせつなだ………なんて言われたって……)




また盗み見るようにチラチラと窺う。
せつな、と名乗った彼女。
今は長い髪を後ろで緩くまとめ、ラブと同じような普段着に着替えている。
当然ながら、まだ思春期の硬さの残る自分の体つきとは体の線が全然違う。
弾けそうにピンと張った胸元や、砂時計のように括れた腰。
完全に大人の女性の丸みを帯びたヒップライン。
しかし、ショートパンツからスラリと伸びた無駄な肉のない脚は
どこか初々しい少女っぽさを残している。
信じられない。そう思いながらも、「大人のせつな」だと言われれば
確かにそれ以上にぴったりくる言葉は無い感じだ。
そして、今まで色々と未来のせつなを想像した事はあった。
が、彼女は確実に今まで思い浮かべたどんな「未来のせつな」より
三割増しくらいには美人さんだった。
ラブはベッドでの感触を思い出し、心臓がダンスのごとく
跳ね回るのを感じた。



(いや…、別に浮気したワケじゃないんだし!)



「………くれる?…ラブ? 」
「ハッ、ハィィ!」



無意識に頬と口元をニヤつかせていたラブは、名前を呼ばれて
飛び上がった。



「あ、いや、だからね。コレ並べてくれる?」
「ふぁ、はい!」



対面式のキッチンの向こうから皿を渡され、カウンターに並べる。
こんがり焼けたハムとチーズのホットサンド、彩りの良いサラダ、
スープにも野菜たっぷりだ。
形良く膨らんだオムレツに、色違いのマグカップに注がれたカフェオレ。
えらくしっかりとした内容に、ただ出来上がるまでボケっとしていた事に
気付き急にいたたまれなくなってきた。



「あっあのっ、ごめんなさい。お手伝いもしなくて。」
「ん?いいわよ。」



その状態じゃ、お皿割られちゃいそうだしね。
そう、顎に拳を当ててクスクス笑う表情はせつなそのものだ。
またラブの体温は一度ほどは確実に上昇した。