「当たり前の日々に」/黒ブキ◆lg0Ts41PPY




早朝のまだ冷たさの残る空気の中を走る。
最初は足も体も重くって。あっという間に息が上がり、心臓が悲鳴をあげる。
でも、必死に走る。大きく腕を振って。足を遠くに踏み出すように。
だんだん、まとわりついていた空気が軽くなる。
汗と一緒に体と心に淀んでた澱が流れていく。



不思議。背中に羽根が生えたみたい。
どんどん進む足に任せてスピードを上げる。
どこまでも、行ける気がした。
ひょっとしたら、せつなのいるラビリンスまで。
まあ、そんな気になっただけで本気じゃないけどね。



でもやっぱり鈍ってた体はそうそう言うことを聞いてくれなくて。
家に戻る頃には心臓バクバク、汗はダラダラ。
思わず玄関でへたり込んでしまった。



(ダメダメ!まだやる事いっぱいなんだから。)



シャワーを浴びると、かなりシャッキリ!
体は疲れたけど、やる気は充分。当分は筋肉痛に泣きそうだけど。



(さて……、と……)



両親の寝室に忍び込み、お母さんの目覚ましを止める。
お父さんも時間差で目覚まし付けてるから朝寝坊の心配はない。
一人、台所に立って朝食の準備。
せつながうちに来たばかりの頃、落ち込んでるせつなを少しでも励ましたくて
こうやってスペシャルモーニング用意した事があったな。



ふっ…、と頬が弛む。
もう、せつなを思っても苦しくはならない。
だって心はずっと繋がってたんだから。
また電話もメールも出来るようになった。さみしくなんか、ない。



嘘………。さみしいのは、変わらない。
でも……、我慢出来る。
せつなが頑張ってるんだから。
あたしも、もうメソメソしたりはしないんだ。………なるべくは。



出来上がった朝食をテーブルに並べる。
仕上げに、ちょっと恥ずかしいけどオムレツにケチャップで
お父さんとお母さんの似顔絵を描いた。
若干、崩れ気味なのはご愛嬌。



「アラヤダ!どうしちゃったの?ラブったら!」


「たはぁ~…、ちょっとねぇ~。」



目覚ましが止まってるのに気付いたのか、慌てて起きてきたらしいお母さん。
まだパジャマのままだ。
テーブルに並んだ朝食を見て目を丸くしてる。



「まあ!すごいじゃない。どうして?」


「あは…何か、早起きしちゃったもんだから。」


「……ちょっと早いけど、お父さん起こしてきましょうか。
折角だもの、温かいうちに食べなきゃね。」



お母さん、嬉しそう。
いそいそとお父さん起こしに行った。
ごめんなさい。ずっと心配してくれてたんだよね。
あたし、元気もやる気もなくて。
朝寝坊で学校遅刻したり、補習ばっかだったり。お手伝いもなんか、手抜きで。
でも、お父さんもお母さんも一度もあたしの事叱らなかった。
もどかしかっただろうな。歯がゆかっただろうな。
でも、信じてそっとしておいてくれてたんだよね。
本当にごめんなさい。そして、ありがとう。
あたし、もう大丈夫だから!いつもの元気いっぱいのラブに戻れるからね!




「うおっ!これはどうした?!」


着替えを済ませたお母さんが、まだ寝ぼけ眼のお父さんを引っ張ってきた。
やっぱりお父さんも目を丸くしてる。
テーブルを見て一瞬で目が覚めたみたいだ。




「「「いただきまぁ~す!」」」


「おっ、ラブ!このオムレツ美味しいなあ。」
「本当。ラブも随分上手になったわ。」
「えへん!!」



自分で作って言うのも何だけどこんなに美味しいご飯、本当に久しぶりだ。
お父さんもお母さんも笑ってる。もちろん、あたしも。
空腹は最大の調味料って言うけどさ、それだけじゃないね。
笑顔だって大切な調味料。
どんなに美味しい物も、食べる人が笑顔にならなきゃ美味しさ半減。



「でも本当にびっくりしたわ。何か良い事でもあったの?」


「あー…実は、ね…」



ガチャン!!



せつなから電話があったんだ…。
そう言った途端、お父さんもお母さんもスプーンをお皿の上に落とした。
目を見開き、口をポカンと開けて固まってる……。


(……あ、ヤバい。)




「どうしてお母さんを起こさないの!!!」
「なんでお父さんに言わないんだ!!!」




同時に叫ばれ、和やかな朝食風景は一転してちょっとした
パニック状態に陥った。
本能的に危機を感じ取って口は慌てて言い訳を並べる。


電話って言っても電波状況を調べるのにちょっと掛かってきただけだから!
そんなに長話してないから!
(ごめんなさい、本当は明け方まで話してました。)
ほんっとに真夜中で、せつなもまたちゃんと掛け直すって言ってたから!
(これは本当。いつ、とは約束出来ないけど。)



嫌な汗をダラダラ流しながら、何とか冷たい視線に耐える。
お母さんは涙目になってるし、お父さんは「ヒドイ娘だねぇ。」
なんて、わざとらしい上目遣いで見てくるし……。



ああん、もう!ゴメンナサイってば!



ひとしきり恨み言を聞き、しゅんと項垂れ反省ポーズをした後、
おずおずと本題を切り出す。



「あの……、それでね。せつなからメールが来てるんだけど……」
お父さんとお母さんに…、
と言い終える前に、またステレオ放送で叫ばれる



「なんでそれを早く言わないんの!!」
「なんでそれを早く言わないんだ!!」



さすが夫婦。息ぴったりだね……って、一言も口挟ませてくれなかった癖に。
でも、うん。これはわたしが悪いよね。
もう少し、報告の仕方を考えるべきだった。ごめんなさい。
あたしだって、もしお母さんにせつなから連絡があったのに取り次いでも
くれなかったら相当ショックだもん。



「ちょっ!待った、転送!転送するから待って!!」


今にもリンクルンを奪い取らんばかりに迫って来る二人を
何とか制する。
転送完了すると、二人とも睨み付けんばかりに携帯を凝視している。



お母さんが、堪えきれなくなったようにワッと泣き出した。
お父さんの目がみるみる真っ赤になり、鼻を啜り上げている。
二人は随時長い間メールを見つめていた。
お母さんは携帯の画面を愛しそうに指で撫でている。
携帯を交換して、また読み返す。
あたしは中身は見てないけど、かなり長文だったはずだ。
書いてある内容は多分そんなに変わりはないんだろう。
それでもせつなは本文を使い回したりせず、それぞれに
メッセージを書いたんだろう。



「……せっちゃん、元気なのね……。よかった……。」



本当によかった。
そう言って、お母さんは携帯を胸に押し付ける。
どうやらラビリンスからは「リンクルン」にしか電波は届かないみたい。
美希たんやブッキーには問題なく送れたけど、お母さん達には
エラーが出て無理だったんだって。
ランニングから帰った後に届いたメールに、せつなから丁寧に
お父さんとお母さんに言伝てるようにお願いメールが入っていた。
せつなの事だ。あたしには寝るように言っておきながら、
結局そのまま4人分のメールを打っていたんだろう。
何度も何度も読み返しながら。
思いが届くよう、願いを込めて。
眠る時間、きっとなくなっちゃっただろうな。




「あっ、いけない!もう出なきゃ!」


「あら、まだだいぶ時間あるじゃない。」



美希たんやブッキーからもメール来てたんだ。
登校前に待ち合わせしてるの。
ごめん、お母さん!後片付けお願いします。
あーあ、ホントはお皿洗いまで完璧にやるつもりだったのに。
やっぱあたしってどこか抜けてる。




大急ぎで身支度して玄関から飛び出す。
もう二人とも来てるかも知れない。
あたしは待ち合わせ場所に急ぎながら、思い出し笑いを噛み殺す。
美希たんのメール。意味は通じるけど誤字、誤変換だらけ。
よっぽど慌てて打ったんだろう。
ブッキーからは4件も来てた。
2件は空メール。1件は書きかけ。最後の1件は、登校前に会おう、って
内容の超簡単メール。
どうやらまともな文は打てそうに無いと諦めたらしい。




「ごめん、お待たせ!」
やっぱり二人はもう来てた。



二人の顔。ブッキーは顔がパンパンに浮腫み、いつものパッチリした
目が半分になってる。
美希たんは一見涼しい顔。
でもよく見ると目の縁が赤くなり、白眼も軽く充血してる。
多分、出る直前まで必死に冷やしたり目薬注したりしてたんだろう。



「ブッキー、結構スゴい事になってるね。」


「これでもマシになったの。目…開かなかったんだから。」


「もう!なんでラブが一番平気な顔してんのよ。絶対オバケみたいに
なってると思ってたのに!」


「ふっふ~ん!残念でした~。」



泣きまくったけど、一汗かいてシャワーも浴びたしね。
お父さん達の様子見て、またちょっとヤバかったけど。



「ね。せつなもうすぐ帰って来られるって書いてあったけど。」


「うんうん。ねぇラブちゃん、本当に?ラブちゃんはお話したんでしょ?
どうだった?元気だった?」


「頑張ってるみたいだよ~。でも、やっぱりこっちが恋しいみたい。」




ゆっくり歩きながら話す。せつなから聞いたラビリンスの様子。
せつながどんな仕事してるか、って言うのはあまり詳しくは聞かなかった。
多分聞いても分からないし、せつなも易しい言葉で簡単に説明してくれただけだった。
それでも大変な仕事なんだろうなって言うのは想像が付く。
余計な心配かけたくないって思ってる事も。
難しくても話して欲しい気もしたけど、電話出来る時間は限られてる。
聞いてもどうにも出来ない事より、せつなが話したい事を
話してもらった方がいい。そして、せつなが聞きたい事を話そう。
家族の事。友達の事。そして、あたしの事…だよね。


せつなが話したのは主に雑談程度の軽い愚痴、仕事以外の日常が中心だった。
ウエスターやサウラーを今は隼人、瞬、と呼んでる事。
ラビリンスの食事が美味しくなくてつまらない事。
どうやら、食に関してはかなり不満が溜まってるらしい。
せつなの溜め息混じりの声を思い出す。




あのね、不味い…って訳じゃないの。
栄養バランスは完璧だし、メニューもそれなりにあるしね。
はあ、私がすっかり贅沢になっちゃったのよ……。
そっちのご飯、美味し過ぎるの。お家も。お店も。
人間ってダメね…。一度レベルを上げちゃうともう戻せないんだもの……。
せめて自分で作れたらいいんだけど、自炊なんかする暇あったら
書類の一つも片付けろって感じだし………。
はぁああ~………。ハンバーグ、コロッケ、肉じゃが、それにドーナツ。




この話をしたら、美希たんもブッキーも大笑いした。


「何よ、せつなったらアタシ達より食べ物恋しがってんの?」


「せつなちゃん、そんなに食いしん坊だったっけ?
ラブちゃんじゃあるまいし。」


「ねぇ、ひっどいよねぇ~。って!あたしじゃあるまいし、って
どう言う意味よ、ブッキー!」



メール一通で何もかも変わった。ううん、元通りになった。
四人が欠けて三人、ではなく、三人と遠くにいる一人。
いつでも気持ちは一緒にいるんだ。体が、ここにいないだけ。



これからは、これが当たり前になるんだろうな。
三人で集まれば、いつもせつなの話からお喋りが始まる。
どんなメールが来たか。どんなメールを送ったか。
忙しいんだろうね。でもたまには声も聞きたいよね。
次はいつ帰ってくるんだろう。帰って来たら何して遊ぼうか。



………こんな感じで。



「じゃあね!」
「また放課後ね。」
「ドーナツカフェに集合!」



手を振り、交差点で別れる。
そして、ふと、思う。


せつなとは離ればなれになった。
でもそれは、別に特別な事なんかじゃないのかも…って。



美希たんはモデルの仕事がどんどん増えてる。
ブッキーは獣医さんになる為に、勉強の時間が増える。
そして、あたしもダンスと受験。
これからは、三人で集まるのも減って来ると思う。
でも、何でだろう?不思議とさみしい気がしない。



(もう、分かってるもんね!)



いつも一緒にいるだけがすべてじゃない。
会える時に、会える人に会う。
そして、会えない人の事を「頑張ってるのかな。」と、話す。
「またね!」と、別れる。次の約束なんかしない。する必要はない。
だって、分かってるから。
また会えるって。心はいつも一緒だって。



土に落ちた一粒の種が長く根を伸ばし、違う場所で、違う色の花を咲かせる。
でも、根っこは一つ。そうだよね。



全然平気って言えば嘘になる。
やっぱりさみしい。いつも一緒にいたい。みんなと。せつなと。
でも大好きって言う気持ちがあれば、離れている時間だって
宝物に出来る。



(そうだよね。せつな!)



全速力で走る。腕を振り、足を伸ばし、一歩でも遠くに。
風の匂い。空気の色。体を包む太陽の温もり。
今日一日のすべてを覚えておこう。
何もなくてもいい、でも毎日が特別な新しい日。



せつな、あたしも頑張るよ。
何一つ、忘れずに覚えておくから。
また、一緒になれる日まで。