サンタとサンタのクリスマス( 月の章 )/一六◆6/pMjwqUTk




 クリスマスに行われるあの行事――校長先生が“新しい伝統”って呼んでる祭典が始まったのは、あたいたちが魔法学校の三年生の時だった。

 あの年に起こった“大いなる混沌の日”のことは、ハッキリと覚えてるヤツが居ないんだ。あたいも、あの日はどういうわけだか、みらいたち、それにかなやまゆみとも一緒に居たような気がするんだけど……気が付いたらエミリーとケイと三人で、魔法学校の池のそばに立っててさ。
 空から色とりどりの花びらが降って来て、びっくりしてそれを眺めていたら、リコがやって来たんだ。魔法学校の制服じゃなくて、ナシマホウ界の服を着て。あたいたちを見て小さく微笑んで見せたけど、さっきまで泣いてたみたいな真っ赤な目をして。
 どうしたんだよ、って駆け寄ったら、今度は池の水面に校長先生の顔が大写しになってぎょっとしたっけ。でもそんな驚きは、ほんの序の口だった。

 みんなの無事を確認してから、校長先生はいつになく重々しい声で、こう言ったんだ。魔法界とナシマホウ界、二つの世界は混沌の反動で果てしなく遠く分かたれ、今の我々の術では行き来が出来なくなった、ってな。
 その瞬間、あたいは全身の力が抜けたような気がした。何て言うか、今までずっと見つめ続けてきたキラキラ輝く大きな星が、急に消えちまったような……そんな感じがしたんだ。
 どうやって立っているのかもわからないくらい、何だか呆然として、校長先生の声も遠くなって……。なのにあの時、よくリコの声が耳に入ったもんだって、今でも思うぜ。もしあの時のリコの声が無かったら、あたいは全てにやる気をなくして、ヤケになっていたかもしれないのに。

「それでも必ず……絶対、会いに行くんだから!」
 リコはそう呟いてたんだ。あたいの隣で、小さな小さな声でな。
 最初は、またリコが強がり言ってるって、ぼんやり思った。でも、ギュッと握った拳をブルブル震わせて呟いているリコを見ているうちに、何だかカーッと胸の中が熱くなってきて……。気が付いたら、あたいはリコの拳を掴んでこう叫んでた。
「ああ。あたいも行く。絶対に……絶対に行く!」
 言葉にした瞬間、自分でもびっくりするくらい、ボロボロと涙が溢れた。エミリーは最初っから泣いてたし、ケイも、あたいの手の上に手を重ねながらしゃくり上げてたっけ。
 でもリコは――リコだけは、相変わらず拳を握りしめたまんま、最後まで涙は見せなかったんだ。



     サンタとサンタのクリスマス( 月の章 )



「すげぇなあ、リコ。また満点かよ!」
 ざわめく教室の中でもひときわ響く大声に、リコは赤い顔をして振り返った。声の主は、すぐ後ろの席に座っているジュン。リコの手の中の、今返されたばかりの答案用紙を、感心した顔つきで覗き込んでいる。
 一瞬静まり返った教室は、すぐにさっきとは比較にならない、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。その様子を困った顔で見回してから、リコが今度は非難がましい目をジュンに向ける。

「ちょっと! 勝手に人の答案、見ないでよ」
「隠さなくたって、どうせ先生に言われるだろ? 何たって、三年生になってからオール満点! えーっと……何連続になるんだっけ?」
「わたしのメモによると、二十回連続ね」
 ジュンの隣で、ケイが手帳をめくりながら即座に答えた。
「凄っ! っていうか、テストってもうそんなにたくさん受けたのかぁ!」
 ジュンが驚いたように呟く。三年生の夏休みも終わり、二学期もそろそろ半ばに差し掛かっていた。
「リコは凄いね。わたしも頑張らないと」
 リコの隣からエミリーが、騒音に掻き消されそうな声で語りかける。と、その言葉が終わらないうちに、教壇の方からパンパン、と手を打ち鳴らす音がした。

「皆さん、静かにして下さい」
 そんなに張り上げているようには聞こえないのに、教室中によく通る声が響く。リズが、いつもように穏やかな表情で生徒たちを見渡していた。
「今回のテストでは、リコさんが満点を取りました」
 わーっという歓声と拍手の音に、リコが再び赤い顔で、照れ臭そうに俯く。
「全体的に、前回よりもみんなよく出来ているわ。この調子で頑張って下さいね。では、今日の授業を終わります」

 軽く会釈をして教壇を下りると、リズは真っ直ぐリコに近付いて来た。
「リコ、今回もよく頑張ったわね。でも……」
 言いよどむ姉の様子に、リコが不思議そうに首を傾げる。
「昨日も帰りが遅かったようね。寮の門限ギリギリだった、って聞いたわ。夕食はちゃんと食べたの?」
「……ええ」
「そう。でも、顔色があまり良くないわ。頑張ることも大切だけど、ちゃんと食べて寝て、身体を労わらないとダメよ?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、お姉ちゃん」
 微笑む妹を心配そうに見つめ返して、リズが教室を出て行く。それを見送ってから、今度はケイがリコの方へ身を乗り出した。

「リコ、昨日の集まりの後、またどこかに出かけたの?」
 ケイの言う“集まり”とは、再びナシマホウ界に行く手立てを探すための活動をしているグループの集会だった。ナシマホウ界に住んでいたことがある人たちが中心になって作られたものだが、仕立て屋のフランソワに教わって、リコたち四人も結成直後から参加している。
 メンバーの中には魔法界の重要な職務である星読み博士や、カタツムリニアの生態を研究している学者もいた。その上議題が議題ということもあって、この集まりはとにかく話が難しいのが難点で、リコたちも出席はしたものの、話にまるで付いて行けないという日も少なからずあった。
 しかも、そんな難しいことを長い時間話し合っても、ナシマホウ界に行く方法の糸口は、今のところ全く見つかっていなかった。そろそろアイデアも出尽くして、最近では集会にかかる時間も、以前に比べれば短くなってきている。
 昨日の集まりも思いのほか早く終わって、四人が寮に戻った時には、門限までまだ二時間以上あったのだが。

「天気が良かったから、ちょっと散歩してたの」
 リコが、さっきリズに向けたものと同じ微笑みを、仲間たちに向ける。それにニッと笑い返して、ジュンがリコの肩に、ポンと手を置いた。
「ならいいけどさぁ。さっきは満点で大騒ぎしちまったけど、リズ先生も心配してんだ。あんまり無理すんなよ」
「わかってる。じゃあ、今日は早めに帰って休むわね」
 そう言ってリコが立ち上がる。
 教室の階段を上がっていく後ろ姿を見送って、ジュンは微かに眉をひそめた。リコの足取りが、何だかいつもと違って少し重そうに見えたからだ。
 が、昨日も帰りが遅かったということだし、きっと疲れているのだろうと、ジュンはそれ以上気には留めなかった。


     ☆


 それから半月ほど経った、ある日のこと。
 授業が終わって教室を出ようとしたジュンとケイは、二人同時に首を傾げて顔を見合わせた。遅れてやって来たリコが、二人の視線の先を見て、やはり首を傾げる。
 誰も居なくなった教室に、ぽつんと残る人影。エミリーが机に頬杖をついて、じっと黒板を見つめている。

「エミリー、どうしたの?」
「え?」
「え、じゃないわよ。授業はとっくに終わったわよ?」
「あ……ああ、そうね」
 曖昧に笑って席を立とうとしたエミリーが、間近に迫ったリコの顔を見て真顔に戻る。その隣にはジュンとケイ。揃って心配そうな仲間たちの姿があった。

「何かあったのか?」
「うん……何か、っていうわけでもないんだけど」
 エミリーが席に座り直すのを見て、ジュンがその前の椅子に斜めに腰かける。リコとケイも、それぞれ周りの席に腰を下ろした。

「昨日、魔法商店街に出かけたんだけど、何だか様子がおかしくて」
「様子って、魔法商店街の?」
「ええ。凄くヘン、ってわけじゃないんだけど、何だかいつもと違ったの。なんて言うか……活気が感じられない、っていうか」
「それって、閉まってる店が多かったとか、そういうことじゃないんだよな?」
 ジュンの問いに、エミリーが大きくかぶりを振る。
「違うの。店は開いているんだけど、みんな元気がない気がして。そのせいなのか、商店街がやけに静かだったし」
 エミリーの言葉に、リコたち三人が再び顔を見合わせる。

「この前のカボチャ鳥祭りの時は、いつもの年と同じように盛り上がっていたでしょ? それなのに……って思ったら、気になってたまらなくなっちゃって。それでつい、考え込んじゃって」
「そう……」
 リコがポツリと相槌を打つ。すると今まで黙っていたケイが、ああ、と少し暗い顔で頷いた。
「カボチャ鳥祭り、って聞いて思い当たったわ。この前、わたしも魔法商店街に行ったんだけど、その時フックさんが言ってたの。原因は、クリスマスじゃないかな」

 ケイが、珍しく手帳を見ることもなく、机の上に視線を落として話を続ける。
 魔法界では、毎年クリスマスには多くの大人たちがサンタになって、魔法界とナシマホウ界、両方の世界の子供たちにプレゼントを配ってきた。だが、ナシマホウ界と行き来が出来なくなった今年からは、サンタの仕事も大幅に減ってしまうことになる、と。

「カボチャ鳥祭りが終われば、次はクリスマス、って誰もが思うでしょう? そこでこの現実を突き付けられて、やっぱり寂しいなぁってみんなが思ってるみたい。ナシマホウ界にはもう行けないんだってことを、改めて思い出して」
「そうか。言われてみれば、毎年この時期には魔法商店街のあちこちからクリスマスの飾りつけの話が聞こえてくるのに、誰もそのことを口にしていなかったわ」
 ケイの話に頷いたエミリーが、ハァっと大きなため息をつく。続いてケイが。そしてジュンが。だが、リコはグッと口を引き結ぶと、ガタンと音を立てて立ち上がった。

「どうしたんだ? リコ」
 今度はジュンが不思議そうな顔で問いかける。そちらには目を向けず、リコはとんがり帽子の制帽を、目深に被った。
「帰るのよ。こうやってみんなでため息をついてたって、しょうがないもの」
「そ、そんな言い方しなくたって……」
「おい、そんな言い方はないだろ?」
 小声で反論するエミリーを庇うように、ジュンが少々ムッとした口調になる。それを聞いて、困った顔でチラリとエミリーに目をやってから、リコはすぐに横を向いた。帽子の陰から、少しくぐもった声が聞こえてくる。
「ごめん。でも、ただ心配しているだけじゃ、何にもならないもの。やっぱり一日でも早くあの世界に行けるように、もっと頑張らなきゃいけないのよ!」
「だから、みんな頑張ってるだろ? だけどなかなか上手く行かないのは事実じゃないか。だったらみんなで心配したり、慰め合ったりしたって……」
「だから……そんなことをしても、何にもならないのよっ!」
 リコがそう叫んで、机に掌を叩きつけようとした、次の瞬間。

「リコ!!」
「おい、大丈夫かっ!?」
 エミリー、ケイ、そしてジュンが、驚いた顔で立ちあがる。
 リコが、ずるずるとその場に崩れ落ちると、バタリと床に倒れ、そのまま意識を失ってしまったのだ。


     ☆


 目を開けると、薄暗い天井がそこにあった。そろそろと起き上がり、枕元の時計を確認する。
 時刻はもう夕方に近い。どうやら丸一日眠っていたらしく、そのお蔭か、身体はずいぶん楽になっていた。

 昨日、この寮の自室で目を覚ました時には、心配そうなリリアとリズの姿があって、リコはそこで初めて自分が教室で倒れたのだということを知った。
 医師の話では、原因は過労だという。そう言われてみれば、身に覚えが無いこともない。
 魔法界とナシマホウ界。今は大きく広がってしまった二つの世界の狭間を超えるヒントが、何か少しでも無いものか――そればかりを考えて、仲間たちと集会に出た帰りにもう一度図書館に行って調べ物をしたり、カタツムリニアの線路の上を、箒で飛べるところまで飛んで手掛かりを探してみたり。そうやって毎日思いつく限りのことをして、門限ギリギリに寮に駆け戻る毎日。寮に帰ったら帰ったで、今度は消灯時間を過ぎてもなお、勉強に明け暮れる。
 魔法もずいぶん使っていた。もっと色々な魔法が使えるようになるために。そして、何とかしてナシマホウ界へ行くための手掛かりを見つけるために。
 ただ呪文を唱えて杖を振るだけの、傍から見れば楽そうに見える魔法だが、使い過ぎればかなりの体力を消耗する。そこに睡眠不足やら何やらが重なって、ダメージが蓄積されたのだろう。

(だけど……わたしには、やれることがあるんだもの)

――何もしないでいるなんて……我慢できない!

 もう何度となく思い返した、みらいの言葉がまた蘇る。
 いなくなったはーちゃんを探して、思いつく場所を全部探し尽しても見つからなかったあの時、湖の見える真夜中の展望台で、彼女が声を震わせて言った言葉だ。

(みらい……今頃、どうしているのかしら)

 リコはもう一度ベッドに横になって、ぼんやりと天井を見つめた。
 ナシマホウ界――魔法界の存在すら知られていない世界にいるみらいに、出来ることは何もない。それがみらいにとってどれほど辛く苦しいことか、それはリコが一番よく知っている。

(だから……だから一日でも早く、会いに行かなくちゃ! でも……)

 リコの口から久しぶりに、ハァっと重いため息が漏れた。

(でも……わたしもみらいと同じかもしれない)

 いくら本を調べても、魔法界の果てまで飛んでみても、まだ収穫は何もない。リコだけでなく、集会に出ている多くの魔法つかいが持てる力や知識を出し合っても、思うような成果はまだ何も現れていないのだ。

(これじゃあ、やれることがあるって言っても……)

 不意に天井が歪んで見えて、リコは慌てて目をしばたきながら起き上がった。
 少し気分を変えようと、部屋の中を見回す。すると勉強机の上に、去年の誕生日に母から貰った絵本が置いてあるのが目に入った。こんなところに置いておいた覚えはないから、おそらく昨日来てくれた母のリリアが本棚から引っ張り出したのだろう。

 机の上に手を伸ばし、ベッドに腰かけたまま、絵本のページを開く。
 幼い頃から何十回も読み聞かせてもらった物語。自分で文字を追っていても、それは全てリリアの声で聞こえてくる。
 やがて、ページをめくるリコの手が止まった。
「……女の子たちの強い想いは、雲を払いのけ……」
 絵本の最後のページ――二つの星が笑顔で並ぶページを見つめて、リコが呟く。
「強い想い、か……」

 突然、真紅の光がリコの脳裏に煌めいた。情熱のリンクルストーン・ルビー。想いをたぎらせたキュアミラクルの胸に何度も輝いた、強くて真っ直ぐで、熱い光だ。
 その煌めきに、キュアマジカルとキュアフェリーチェは何度助けられたことだろう。
 ある時は、ただ一人彷徨う世界の狭間で。またある時は、強大なムホーの力に打ちのめされた、闇に沈む結界の中で。

(そうだわ。想いは……想いの力は……!)

 リコはパタンと絵本を閉じて机の上に置くと、部屋のカーテンを開けた。暗くなりかけた空の下、魔法学校と、それを支える母なる木の大きな幹が見える。
 辺りがすっかり闇に沈むまで、リコはその見慣れた光景を、ただじっと見つめていた。


     ☆


「まあ、リコさん! あなた、身体はもう大丈夫なの? もう学校に出て来てもいいんですか?」
 校長室に入った途端に厳しい口調で追及されて、リコは思わず二歩、三歩と後ずさった。先に来ていたらしい教頭先生が、両手を腰に当て、いかめしい顔でリコに迫る。

「え……ええ。ご心配かけて、すみません」
「あ、あのぉ、校長先生はお留守ですか?」
 ジュンがリコの隣から声をかける。ジュンの隣にはケイ、その隣にはエミリー。いつもの四人が揃って校長室にやって来ていた。

「ええ。困ったことです、また黙って校長室を留守にして……。ところであなた方は、校長先生に何のご用で?」
「実はお願いしたいことがありまして。クリスマスの……」
「え、えーっと、急ぎのお願いじゃないんで、また今度、校長先生がいらっしゃる時に……」
 ジュンが突然リコの言葉を遮って、アハハ……と愛想笑いをしながらその場から立ち去ろうとする。が、そのわざとらしい小細工が裏目に出た。
「あらそう。それは別に構いませんが……私の耳には入れたくないお願い事かしら?」
「い、いいえ、そんなことは……」
 リコは慌てて顔の前で両手を振ってから、もうっ! と肘でジュンの脇腹をつついた。

 学校を三日休んで今日から登校したリコは、休んでいる間に考えていたことを、今朝真っ先にジュンたち三人に相談した。そして放課後になるのを待って、校長先生にお願いにやって来たのだが……。
 部屋の中を見回したが、どうやら魔法の水晶も不在らしい。仕方なく、リコは覚悟を決めて教頭先生に向かい合った。

「クリスマスに、やりたいことがあるんです。魔法学校が中心になって」
「それは、生徒によるイベント、ということですか?」
「いいえ。会場は魔法学校ですが、魔法界全体が参加できるものを、と考えています」
「まあ、そんな大掛かりなことを……」
 教頭先生が一瞬だけ眉をひそめてから、それで? と先を促す。

「魔法学校を支え見守るあの大きな木――母なる木に、魔法で光を灯したいんです。魔法界のみんな一人一人の、想いを込めた光を」
「まあ、あの木に……」
 そう言ったまま、教頭先生はしばらくの間黙り込んだ。

「あの……このままじゃ、今年のクリスマスはきっと、とっても寂しいものになると思うんです」
 意外にも、沈黙を破ったのはエミリーだった。いつもと同じ自信なさげな口調ながら、それでも教頭先生の目を見て懸命に言葉を紡ぐ。
 少し驚いた顔でエミリーを見つめた教頭先生は、ふっと表情を和らげると、彼女に小さく頷いて見せた。

「確かに。今年はナシマホウ界の子供たちには、プレゼントを配れないでしょうからね」
「はい。だからせめて、ナシマホウ界やナシマホウ界の子供たちへの想いを、光に込められたらなぁって」
「いつか必ずナシマホウ界に行くぞ、っていうあたいたちの気持ちも、一緒に輝かせたいんです」
 ケイとジュンも口々にそう言って、教頭先生を見つめた。

 校長室がしんと静まり返る。教頭先生は小さく咳払いをすると、相変わらず重々しい調子で口を開いた。
「話は分かりました。魔法界全体の行事ともなると、校長先生とよ~く相談しなくてはなりませんが……その前に、私からあなた方に質問があります」
 そう前置きしてから、教頭先生はじろりと四人の顔を見回した。
「“校則第十八条:魔法学校を支える母なる木に登ったり、傷付けたりしてはならない” 三年生のあなた方ならご存知ですよね? あの木には不思議な、そして大いなる力が宿っています。光に想いを込めるだけなら、どの木でもいいはずでしょう? それなのに、あの木を選んだのは何故ですか?」

「やっぱり、あの木に魔法をかけるなんて無理なんじゃないの?」
「今更言うなよ……」
 ケイとジュンがひそひそと言い合う隣で、エミリーは不安そうに、リコは考え込むように下を向く。
 腕組みをしたままじっと答えを待つ教頭先生が、しびれを切らしたのか、ピクリと眉を動かした時、リコが低く小さな声で、こう答えた。

「それは……大いなる力が宿っている木、だからです。ずっとわたしたちを……魔法界を見守ってくれている木だから、わたしたちの想いも、きっと受け止めてくれるって……」
「受け止めてもらうだけですか? リコさん、あなたはこの行事を通して、何をしたいんです?」
 教頭先生が、真っ直ぐにリコの目を見つめる。その視線を受け止めて、リコは考え考え、絞り出すように言葉を続けた。

「想いには……力があると思うんです。今は上手く行かなくても……何も出来なくても、強い想いを込めて心から願えば……願い続けていれば、いつかきっとそれは力になる。魔法界のみんなの想いが母なる木に届けば、きっと大きな力になると思うんです」
 そう言ってから、リコは少しうつむき加減で、呟くように言った。
「今回のことで、いろんな人に心配をかけて、学校も休まなくちゃいけなくなって……。それで、思ったんです。わたしは想いの力を……それを信じることを、忘れていたんだな、って。だから焦ってばかりで、自分を……大事にしていなかったんだな、って」

「リコ……」
 リコの横顔を見ながら、ジュンが小さく呟く。
 じっとリコの顔を見つめていた教頭先生は、リコが話し終えると、ふーっと長く息を吐いた。

「実を言うと、あなたの杖をしばらく預かった方がいいのではないかと、校長先生に相談に伺ったところでした。これ以上、無茶をさせないためにね。でも、私の取り越し苦労だったようですね」
「えっ……?」
 驚くリコに、教頭先生が珍しく、おどけたように片目をつぶって見せる。
「校長先生にお話しなさい。きっと私の応援など無くても、許可を頂けるでしょう」

「あ……ありがとうございます!」
「やった! やったな、リコ!」
「良かったね、リコ!」
「教頭先生を説得するなんて、凄いわ!」
 仲間たちに囲まれて、リコがようやく笑顔になった時。
「おや、君たち。それに教頭。お待たせした。何か用かな?」
 音も無く現れた校長先生が、いつもの穏やかな眼差しで、そこに居る全員を見回した。


     ☆


 クリスマスを数日後に控えたある日。日暮れ時に合わせて、魔法学校の生徒たち全員が校庭に集まった。全職員も見守る中、校長先生が生徒たちの前に立つ。
「皆、もう話は聞いておるな? 今からクリスマスの新しい祭典の、記念すべき最初の光を皆に灯してもらいたい。真っ直ぐな想いを、素直な気持ちを、母なる木に届けるのじゃ。良いな?」

 校長先生の言葉が終わると、まずは三年生が進み出て、揃って魔法の杖を構える。
 目を閉じて大きく息を吸い込んでから、リコは杖を振り上げ、仲間たちと声を揃えて高らかに唱えた。

「キュアップ・ラパパ! 光よ、灯れ!」

 下級生たちの間から、言葉にならない歓声が沸き起こる。
 闇に黒々と沈みかけていた巨大なシルエットに宿った、色とりどりの煌めき。まだ数も少なく光も小さいが、それらは全てが確かな輝きを放ち、しっかりと存在を主張している。
 三年生の後には二年生、そして一年生が続いた。最後は先生たちが、次々と母なる木に想いの光を灯していく。

「想像してたのと全然違うな。ここまでイメージ通りの光を灯せるなんて」
 ジュンが杖を撫でながら、誰にともなく囁く。
「うん! なんか気持ち良かった」
 ケイは晴れ晴れとした表情で、明るい声を上げる。
「本当に、母なる木ね。何だか魔法を優しく受け入れてくれているみたい」
 エミリーも微かに頬を染めて、嬉しそうに仲間たちの顔を見つめる。
 リコは、驚いたように目を見開いて、少しずつ増えていく光を見つめていた。そして小さく微笑んでから、その目を暮れかけた空の彼方へと向けた。



 次の日から、魔法学校にはたくさんの人たちがやって来て、母なる木に光を灯していった。その中には、リコたちに馴染みの深い魔法商店街の人たちや、集会に通っている人たちの姿もあった。
 魔法界を支える大いなる木に魔法をかけるなんて、皆初めての経験だ。だからだろうか、少々緊張した面持ちで魔法学校の門をくぐる人が多かったのだが、帰る時には皆何だか嬉しそうな、穏やかな顔になっていた。

 魔法界のどこからでも見えるこの巨大な木は、少しずつ輝きを増していった。そしてその光に触発されたように、魔法商店街にもクリスマスの飾りが見られるようになった。リコたちが通う集会もまた、母なる木の輝きに励まされたように少しずつ活気を取り戻し、また様々な試行錯誤が繰り返されるようになっていった。
 クリスマス・イブを迎えた時には、木は無数の光を宿し、全体が光り輝いて見えるまでになっていた。
 魔法商店街は昨年までと同じような賑わいを見せ、サンタたちは天高く輝く巨大なツリーを眺めながら、例年より数少ないプレゼントを分け合って、笑顔で子供たちの元へと向かった。

 こうして始まったクリスマスの祭典は、年を追うごとにその煌めきを少しずつ増やしながら続けられた。そしていつしか魔法界の人々にとって、クリスマスの大きな楽しみのひとつになっていった。



     ☆

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「リコ先生、さようなら」
「はい、さようなら」
 一年生の生徒たちに挨拶を返してから、リコは振り返って、元気に駆け去っていく彼らの後ろ姿を眺めた。
 制服姿ももうすっかり板につき、きれいな円錐形だった制帽も、先っぽがお辞儀をするようにちょこんと折れ曲がっている。
「あの子たちも、もうすぐ二年生ね」
 少し感慨深げに呟いた時、生徒たちの後ろから、おーい、とリコを呼ぶ声がした。

「ごめんごめん。待たせたか?」
「ううん。時間的には、ちょうどいいし」
 トランクを持ったジュン、ケイ、エミリーが、小走りでこちらへやって来る。三人を笑顔で迎えたリコは、彼女たちと肩を並べて庭の方へと足を向けた。

 今日の最終のカタツムリニアで、リコたちはナシマホウ界へ向かうことになっている。クリスマス・イブに間に合うように到着して、みらいたちと一緒にサンタになってプレゼントを配る計画なのだ。その前に、今年も四人揃ってクリスマスの光を灯そうと、ここで待ち合わせたのだった。
 実を言うと、今日ナシマホウ界に向かうのは、リコたちだけではない。そしてそのことを、リコはジュンたちに口止めまでして、みらいには内緒にしていた。

(みらい、きっと喜んでくれるわよね)

 浮き立つ気持ちでそんなことを思いながら、母なる木の前に立つ。魔法学校の三年生だった時と同じように、四人並んで魔法の杖を構えた。想いを込めて杖を一振りすると、既に幾つかの光を宿していた木の枝に、四つの小さな輝きが加わった。
「やっぱりこの時が一番、魔法が上手く使える気がするんだよなぁ」
 ジュンの言葉に、ケイとエミリーが、うんうん、と頷く。リコはそんな三人に黙って微笑みかけてから、天高くそびえ立つ巨木を見上げた。

 初めてこの木に光を灯した時、リコは仲間たちとは違った驚きと、懐かしさを感じていたのだ。
 余計な力など何も要らない。想いがただ真っ直ぐに伝わって、イメージした通りの形になる――その感覚は、プリキュア・キュアマジカルに変身して魔法を使った時と、そっくりの感覚だった。

(来年は、みらいも一緒に……)

 この感覚を共有できる、ただ一人の友の顔を思い浮かべて、リコが思わず頬を緩ませる。その顔を見てニヤリと笑ったジュンが、何か思い出したように、あ、と声を上げた。

「そう言えば、リコ。はーちゃんは一緒じゃないのか?」
「え? どういうこと?」
 リコが不思議そうに聞き返すと、ジュンも同じく不思議そうな顔つきになる。
「何だ、知らないのか。昨日、校長室に行ったときに見かけたぜ? 何だか急いでいたみたいで、あたいの顔を見るなり姿を消しちまったけど」
 このところアーティストとして活動しているジュンは、時々魔法学校で、生徒たちに美術を教えているのだ。

「どうしたのかしら……」
 リコが少し不安そうに呟く。
 ことはが普段どこで何をしているのか、彼女の説明を聞いてもリコにはさっぱり分からないのだが、少なくとも、魔法界からもナシマホウ界からも離れたところに居るのは確からしい。そんな彼女が魔法界に来たというのに、何故自分の前に姿を現さないのか。

(はーちゃんのことだから、みらいと会えば、当たり前みたいにやって来る気もするけど……)

 リコが難しい顔で考え込んだ時。
「大変! 急がないと、最終が出ちゃうわ!」
 今度はエミリーが、慌てた声で叫んだ。

 再び四人で一列に並んで母なる木に一礼し、魔法学校を後にする。
 カタツムリニアが待つ駅へと急ぐリコたちの足取りは、いつしか魔法学校の生徒だった頃と同じ、元気な駆け足へと変わっていた。


~続く~



最終更新:2017年04月28日 23:47