『安楽椅子探偵は魔法を使う 4―――真相』




4―――真相

 やって来た時の打ちひしがれた様子とは打って変わって、意気揚々といった風に美希は公園を去って行った。
 彼女の後ろ姿が視界から消えるまで見送ってから、私はリンクルンを取り出す。
 番号をプッシュすると、数秒も待たずに通話が繋がる………最初に私の声を聞いた彼女の反応には、残念そうな響きが含まれていた。きっと、自分からは通信する事が出来ずに、あの娘からの連絡を待っていたに違いない。
 頭の中で『ごめんなさい、お生憎様だけど私なの』と前置きして、彼女への用件を切り出す。

「ブッキー、今から私の言う事をよく聞いて。たった今、美希がそっちに戻ったの………うん………怒ってなんていないから平気よ。最も、最初は酷く落ち込んでいたけどね………」

 リンクルン越しでも、ブッキーの戸惑う様子は伝わってくる。無理からぬ話だ。事情を知らない彼女にしてみれば、唐突に私からの連絡を受けて、彼女の恋人の様子を教えられているのだから。

「それでね、美希が訪ねて来たら、あなたに謝罪してくるでしょうから、許してあげて欲しいのよ。ええ、実はね―――」   

 訝しげな声で、その理由を聞き返してくるブッキー。そんな彼女に、手短に状況を説明したものの、なかなか納得はしてくれない。彼女の中では謝るべきは自分の方なのだろうから、それも当然ではある。
 しかし、もういらぬ波風を立てる必要はない。事件はすでに解決したのだからーーー少なくとも、美希の中では。

「そうね………勿論あなたの気持ちは分かるのだけど、この件を丸く収めたいのなら、私の言う通りにして………大丈夫、もう下手に勘繰ってくるような事はないから………」

 美希は素直ないい子だから、一旦決着の着いた話を蒸し返すような真似はしない筈だ。むしろ素直過ぎて、逆に心配になるレベルですらある。
 その事に関しては恋人であるブッキーも承知はしているのだろう。彼女の声には若干安堵した響きが感じられた。
 だが一転して、ブッキーは私へと不安げに問い掛けてきた。

「え、私?………ええ、『私は全部分かっている』の。………うん、まあ正直言って、いい気持ちはしないわね。けど、それはお互い様じゃない?とうの昔に終わった事よ………なら、そっとしておきましょう」

 最後の方の言葉は、果たして彼女に対して言ったのか、或いは私自身に言い聞かせたものだったのか。
 この件については互いの胸の内にしまっておく事をブッキーと約束しあって、私はリンクルンの通信を切った。
 これで一件落着だわ、と、私は読書を再開する為に読みかけの文庫本を開く。けど、私の開いたページに挟まっていたのはしおりではなく、水色のメッセージカードだった。
 思わず苦笑いしてカードを抜き取る。美希の去り際に念の為に隠しておいたけど、あの娘ってばこれの事なんかすっかり忘れてたわね。
 指で挟んだメッセージカードを空に翳すと、複雑な気持ちで、私はその裏面に記されたイニシャルを眺めた。
 ―――探偵は読者に提示していない手掛かりによって事件を解決してはならない。
 ノックスの十戒の一つが頭をよぎる。ええ、勿論私は全て提示したわ。『美希を都合のいい結末に導く推理』に於いては、の話だけど。

 そういえば、確かノックスの十戒にはこんなのもあった筈。
 ―――変装して登場人物を騙す等の場合を除いて、探偵自身が犯人であってはならない。
 ………もし仮に、『探偵が犯人側に加担していた』場合には、そのルールには抵触するのかしら。
 私が最後まで、美希の事を『犯人』と呼ばなかった事に、彼女は気が付いてすらいないだろう。
 美希を騙すのは思っていた以上に簡単だった。彼女がもともと素直だったっていうのもあるのだけど、偉大なる先達であるところの老婦人―――魔法使いの教えがあってこそ、ともいえる。
 魔法使いの教え―――『順序こそ最も重要なもの』というその言葉に寄って、私の灰色の脳細胞は完全無欠なプランを組み上げた。
 それからもう一つ、彼女はこうも言っていた―――あまりに綺麗な嘘は不自然だ、と。
 だから私は、都合の良い結末に至るように、真実を織り交ぜつつ、美希の考えも取り入れながら、順序良く一つ一つ事件を解き明かしていったのだ。ただし、メッセージカードに関する順序と解釈をちょっと入れ替えた以外は、ではあるが。
  順序の入れ替え―――『ブッキーに本を返す時に、美希がメッセージカードを挟んだ』のではなくて、『美希がブッキーに本を返す前に、既にメッセージカードは挟まれていた』だったとしたならどうなるのか。
 その場合、あのカードが水色だった理由は大きく変わってくる―――事件そのものをひっくり返す程に。
 けど、と私は考える。魔法使いの老婦人は、作中、産着の編み目を例にして、間違ってしまったところからやり直さなければ真実には辿り着けないと言っていた―――でも、多少編み目が飛んでいたり間違っていたとしても、出来上がるものが産着であるという事実に変わりはないだろう。ならばおそらく、私のやったことは間違ってはいない筈だ。
 多少齟齬があったとしても、私達の関係には何も問題は無いのだから。 

「お、お嬢ちゃん、難しい顔してるね~。さては予想以上に難事件なのかな?」

 見上げると、テーブルの脇には顔の横にトレイを掲げたカオルちゃんが、ニカッと白い歯を見せて笑っていた。

「いいえ、カオルちゃん。事件自体は拍子抜けするくらい容易いものだったわ」
「本当かい?その割には眉間に皺を寄せてたけど?」

 やだ、と眉根を指で揉んで、テーブルに頬杖を付くと、私はカオルちゃんに微笑み返した。

「本当よ―――犯人が誰なのか、一目見た時から私には分かっていたんだから」

 カオルちゃんが言っているのは小説の話だと分かりつつも、私は彼にそう答えた。
 カードを裏返してイニシャルを確認する必要すら無かった。私にとっては筆跡を見るだけで充分だったのだ。
 例え子供の頃のものとはいえ、私が彼女の文字を見間違える筈がないのだから。

「やるねぇ、名探偵殿………というより、それじゃあまるで超能力者か魔法使いだな。じゃあオジサンから一つ、挑戦状を」

 ………また魔法使いって言われちゃったわね。
 カオルちゃんは手にしたトレイから、湯気の立つカップと、チョコレートのかかったドーナツの乗ったお皿をテーブルに並べる。

「あら?カオルちゃん、私、追加注文なんて―――」
「違う違う、言ったろ?挑戦状だってさ。カフェオレのお代わりは、アイデア代も兼ねたサービス」
「あ、じゃあこれが例の―――」

 流石はカオルちゃん、仕事が早いわ。
 つまりこれは、さっき話してたドーナツカフェの新しい名物メニューである週替わりのミステリードーナツ、その試作品第一号という訳だ。
 とはいっても、手に取ってじっくり観察してみたところで、何の変哲も無い普通のドーナツにしか見えないわね………。
 真剣な顔でドーナツとにらめっこする私が可笑しかったのか、カオルちゃんは愉快そうにグハハと笑った。

「最初から穴が空いてるんだから、今更穴が空く程見つめてたところで仕方ないよ。ま、まずは一口だけでも食べていただかないと」

 確かにカオルちゃんの言う通りね。それに、見ただけで何か分かっしまったんじゃミステリードーナツの意味なんて無いもの。
 推理するのは諦めて、パクッと一口、思い切って齧りつく。
 途端に私の舌の上に、チョコレートの強い苦味と、蕩けるような果実の甘味が広がっていく。こう言ってしまうと、どう考えてミスマッチにしか思えない組み合わせなんだけど―――。

「!美味しい!」

 思わず私の口をついて出たのは、賞賛と感嘆を込めたその言葉だった。
 私の反応に、カオルちゃんは満足げな顔で頷いている。

「これ………周りをコーティングしているチョコレートは凄くビターで、これだけだとちょっと辛いくらいなんだけど、中に入ったジャム………桃?よね………のおかげで苦さよりも、その風味が際立つというか………ジャムの方も、その甘さと香りをチョコレートが引き立たせてて………凄く美味しいわ!」
「お、名推理だけじゃなく、お褒めのお言葉までいただいちゃったな。ありがとう、お嬢ちゃん」
「あ………でも………」

 ふとある事を思い付き、私の声のトーンが落ちる。
 それに気が付いたカオルちゃんは、怪訝な顔で私とドーナツを交互に見た。

「?何か気になる事でもあったかい?」
「………いいえ、何でもないわ………ただちょっと、個人的にこの組み合わせから思い出す事があってね」

 スイート&ビターなこのドーナツは、今解決した事件そのものを表現してるみたいで、私は少し複雑な気持ちになっていた。
 無論、カオルちゃんにそんな意図は無いんでしょうけど。………もしあったとしたら、カオルちゃんこそ魔法使いだわ………。

「ならいいけど………オジサン、ミステリーをテーマにミスマッチ狙ったら、最後の最後で何かミステイクでもやらかしたかと思っちゃったよ、グハッ」
「大丈夫よ、カオルちゃん。何ならそこからミステイクは抜いて、『ミス名探偵のお墨付き』ってフレーズを入れてもらっても構わないけど?」

 そいつはいいや、とカオルちゃんは笑いながら、軽く手を振りつつ、ワゴンの方へと帰っていった。 
 私はといえば、ドーナツをもう一口食べようか、と口元まで運んだものの、やはり事件を連想してその気が失せてしまい、お皿の上へと戻した。

 事件………そうだ、順序を入れ替えた所だったっけ、と、ドーナツを眺めながら私は再び回想し始めた。
 水色のカードが送り主ではなく、受け取り手のイメージに沿ったものであったなら。
 ―――つまり、あのカードが、ブッキー宛てではなく、美希宛てに書かれたものだったとしたなら、どうなるのか。 
 美希はブッキーに借りたあの本がお気に入りで、毎日のように読み返していた。そのことを知っていて、尚且つ当時彼女に想いを寄せていた人物が、あのメッセージカードを挟んだとしたなら?
 チャンスならあった筈だ。何しろ彼女達は、週替わりでお互いの家を行き来していたのだから。
 しかしタイミング悪く、メッセージカードが挟まれてすぐに、それに気が付かなかった美希によって、送り主が知らぬ間に、あの図鑑はブッキーの元に返却されてしまった。
 返却の後、ブッキーがメッセージカードを見つけてしまい、そして恐れたのだ。彼女達の関係を壊してしまう―――いや、ブッキーの想い人を奪おうとする、その存在を。
 でも、ブッキーは子供の時から優しい子だった。故に、彼女の友人の想いの込められたそのカードを破り捨てる事だけは最後まで出来なかったのだろう………かといってどうしていいかも思いつかず、幼い彼女は、机の下に図鑑ごとメッセージカードを『封印』した。それは『傷つくのも傷つけられるのも嫌』という、目を逸らすだけの狡い行為とも受け取れるけれど。
 果たして、カードを書いた少女は、美希からの返事の無い事をどう受け止めたのか。そう考えると、胸が苦しくなる。
 そうしてゆるやかに、幼き日の想いは、深く昏い記憶の海の底へと沈んでいった―――今日、美希がたまたまそれをサルベージしてしまうまでは。
 だからこそ、突然の事にブッキーは取り乱し、一人の少女の想いと、自分の後ろ暗い過去を知られてしまうのが怖くて、美希に逆上して見せたのだ。
 自業自得とはいえ、ブッキーの苦悩は如何ばかりだっただろうか………これから先も、その罪の意識を引き摺ったままで、彼女は美希と過ごしていかなければならない。
 そしてそれはブッキーだけではなく、真相を知って、それを隠すのに協力してしまった私も、だ。

「―――『子供の時には見えてたのに、今は見えなくなったり、失くした物がある』ね………」

 いつしか時が経つにつれて、この罪悪感も薄れて見えなくなっていくのだろうか………今はただそれを祈るしかない。それと、現在の『彼女』―――カードの送り主にとって、美希に対してかつて抱いていた感情が、そうであってくれているように、とも。
 私は手にしたメッセージカードを裏返した―――そこには、さっき美希に見せた時には指で隠していたもう一つのアルファベットとともに、イニシャルが並んでいる。

 『L・M』

 椅子から立ち上がった私は、苦い思いと共にメッセージカードを細かく引き裂くと、さっき食べたドーナッツの包み紙と一緒に、テーブル近くのゴミ箱へと捨てた。 
 席に戻った私の目に、カバーが風で外れたのだろうか、文庫本の表紙が飛び込んでくる。
 『安楽椅子探偵は魔法を使う』。
 美希に魔法使いって言われて、つい嬉しくて微笑んでしまったけど、使った魔法はまるで真逆ね。
 作中の老婦人探偵は、座ったままで『事件の真相を解き明かす』という魔法を使っていたけど、私のは、どんな手段を使っても『事件の真相を隠し通す』、っていう魔法だわ。
 もう一度文庫本を開こうか考えつつ、残す訳にもいかないわね、とドーナツを手に取る。すると、公園の入り口の方から、私を呼ぶ少女の声が聞こえてきた。

「せつな~!待たせちゃってごめ~ん!!」

 私はにっこりと笑って、ドーナツを探偵の手にしたルーペ代わりに目の前に翳し、その穴から待ち侘びた愛しい人の姿を覗き見る。
 それから誰にも聞こえない小さな小さな声で、一度だけ真相を口にした。

「………あなたが―――犯人ね」



―――了