『安楽椅子探偵は魔法を使う 2―――事件』




2―――事件


「………うぐっ………ひっく………」

 テーブルを挟んで私の前に座った美希は、ようやく落ち着いてきた様子で、カップに入ったミルクティーをズズッと啜った。泣きじゃくったせいで目は真っ赤で瞼も腫れてるし、これじゃあモデルだって言ったって誰も信じてくれないわね………。
 完璧を自称していて、いつもなら私達の中でも大人っぽく振舞っている美希だというのに、今はそんな自信も余裕も跡形もなく消し飛んでいて、私の目に映るのは、年相応以下のちっぽけな女の子に過ぎなかった。
 名探偵でなくとも、美希のことをよく知っている人間なら、何故彼女が取り乱して泣きじゃくっていたか、大方の予想はつく。
 だからこそ、逆に聞き出しづらくもあり………。
 私はまず一度大きく深呼吸をした。大袈裟でも何でもなく、気分は今や地雷原に向けて恐る恐る一歩を踏み出そうとする兵士、といったところ。

「―――その………ブッキーと、喧嘩でも………した?」

 出来るだけさりげなく話を切り出したつもりだったけれど、ブッキー―――山吹祈里の名前を聞いた途端、美希の目が再びウルウルと潤みだした。こ、これは………まともに話を聞けるようになるまで、まだしばらく時間がかかるんじゃないかしら………。
 けど、どうやら意外にも地雷はギリギリ不発弾だったらしい。美希は大泣きするのを必死の様子で堪え、嗚咽交じりにたどたどしくも話し出した。聞き取りにくかったりする部分もあったのだが、大まかに彼女の話を整理してみるとこんな感じだ。

 ―――時を遡り、今日の午前中。場所は山吹動物病院、ブッキーの自室。

「ごめんね、美希ちゃん。本当は今日は診察お休みなんだけど……」
「いいってば。気にしないでよ、ブッキー」

 申し訳なさそうにするブッキーに続き、どことなく嬉しそうに美希は彼女の部屋へと足を踏み入れた。
 今日は二人で久しぶりにショッピングや映画を楽しむ筈で――――まあ私とラブと同じく、いわゆるデートの予定だったのだそうだ。あ………そう言われて見たら、確かに今日の美希、服装にしてもお洒落にしても気合入ってるわ………まあ今となってはそれが余計不憫さを際立たせてるんだけどね………ビシッと決めていたであろうメイクなんか涙で流れ落ちてほぼ見る影もないし。
 さて、それなのに何故揃ってブッキーの部屋に来たのかというと。

「本当にごめんなさい………突然ラッキーの調子が悪くなったって電話があったみたいで………」
「もう………別にブッキーに責任があるわけじゃないし………それにしても、大した事ないといいんだけどね、ラッキー」

 ラッキーというのは近所に住むタケシくんという少年が飼っている中型犬の名前である。この山吹動物病院がかかりつけであり、何かあるとここに連れてくるのだ。
 私も彼等とは面識はあり…………というか、それ以外にも過去には色々とあったのだが、ここでは割愛。

「うん、平気とは思うんだけど………ラッキー大きいし、お父さんが診察するにもお母さんと私が手伝わないと………」
「分かってるわよ。診察が終わったら、予定通り楽しみましょう、ね?」

 美希は落ち込み気味のブッキーの鼻の頭を子犬を慰めるように人差し指でつつくと、くるりと彼女に背を向けた。

「それにね、あたしちょっぴり嬉しいのよ。最近外で会う事が多かったから、ブッキーの部屋に来るのも久々だし………ホラ、覚えてる?小学生の頃はまるで持ち回りみたいに、お休みの日はあたし、ブッキー、それにラブの家に毎週代わる代わる集まってよく遊んだわよね」

 見渡す風景が子供の時見たものと変わってないか確かめるように、美希は窓を開けると、外の空気を大きく吸い込む、
 そう昔の事でもないのだから、そこからの景色はそれほど変わっている筈はない。けれど、多少身長が伸びたからか、幼い時より遠くまで眺められるような気がして、美希は心に懐かしさ混じりの寂しさを感じた。
 小学校を出て以来、美希はこの時期になると、三人が離れ離れになる事になった小学校の時の卒業式を思い出して、感傷的になる事があるという。

「きっと、成長して目にする世界が広がった分、逆に見えなくなったり、失くしちゃってるものもある気がするのよ。それが何なのかはうまく言えないんだけど………子供の時にしか分からなかった、何か」

 窓から吹き込む風になびく髪を軽く押さえる美希。その瞳は今や外の風景ではなく、今はもう思い出せなくなりかけている幼き頃の情景を見ていた。
 時間が経つのも忘れて、三人で日が暮れるまで夢中で遊んでいた、懐かしい日々を。

「あ、あははは……ご、ごめんなさい、なんかしんみりしちゃった!!あ、そ、そうだ!ブッキー、何も外でデートしなくても、こうやって部屋にいるだけで、嬉しい事だってあるじゃない!ね………何か、分かるかしら?」

 美希は過去を振り切るかのように、長く美しい髪を優雅にたなびかせ、クルリと華麗な動きで背後へと振り返った。彼女の両腕はというと、まるで舞踏会の相手を待ちわびるように、ブッキーへと大きく広げられている。

「ふふっ、それはね………周りの人の目を気にしないで、あなたと思う存分キ―――………って、え、えぇ!!?」

 しかし、美希の台詞は残念な事に途中から驚きの声へと変わってしまった。何故なら、いつの間にか彼女の想い人は室内からその姿を消していたからである。
 そしてなんと、代わりに彼女の眼前に立っていた人物はといえば―――。

「うーん、難しいなあ………なぞなぞ?ヒントちょーだい。おねーちゃん!」
「たたた、タケシくん!?い、いつからそこに!?って、ていうかブッキーは!?」

 そう、そこにいたのは、昔どころか今でも絶賛小学生中の少年、ラッキーの飼い主であるところのタケシくんだったのだ。
 タケシくんはキョトンとした不思議そうな顔をして、辺りをキョロキョロと見回す美希を見つめていた。

「えっと、祈里お姉ちゃんなら、僕が呼びに来たから今病院の方に行ったよ。さっきお姉ちゃんにもそう言ってったのに………聞こえてなかったの?」
「え?い、いつの間に?………ま、まるで気が付かなかったわ………」

 どうやら追憶の世界に浸りきっていた美希には、生憎と今起こっていた出来事は何一つ届いていなかったらしい。
 あたしとした事が………と、頬を赤く染め、額に手をやり反省モードの美希。そんな彼女の服の裾を、タケシくんはせがむようにツンツンと引っ張る。

「ね~、それよりさっきのなぞなぞの答え教えてよ~!」
「い、いや、そ、それはその………ご、ゴホン、そ、それよりタケシくん、女の子の部屋に男の子があんまり長居するものじゃないわ。マナーってものがあるでしょ………それにホラ、君は飼い主なんだから、ラッキーの傍にいなきゃダメ!」

 決まりが悪そうに一つ咳ばらいをして、美希は腰に手をやり、タケシくんにたしなめるようにそう言った。それから、出てった出てった、と彼の背中をグイグイ押して部屋の外へと追いやる。
 バタン!と背中でドアを閉じ、美希はそのまま疲れ切ったようにズルズルとその場にへたり込む。それから大きく、はああぁぁぁぁ、と溜息………それは、さっき折角格好良く言った台詞が、ブッキーの耳に全く届いていなかったから落ち込んで………という訳ではない。
 美希は、自分の抱いた漠然とした不安を、ブッキーに話す事で打ち消したかったのだ。彼女が「見えなくなったり、失くしたりなんかしてないよ」と言ってくれたなら、それだけできっと、心は晴れたはずだから―――例えそれが嘘だと分かっていても。
 ………ひがむ訳ではないが、私から言わせたら、そんな幸せな過去を共有していたというだけで充分に羨ましいとは思うのだけど、ね。

「………きっと、タケシくん位の歳ならまだ見えてたのよね………」

 ふと美希の口からそんな言葉が漏れた。
 もう少し大人になったなら、今こうして感じてることも、綺麗に忘れてしまうのかも知れない………その想像に震えた肩を、美希は両手できつく抱いた。

「………欲張りなのかしら、あたし………」

 そう呟いて何とはなしに視線を床へと落とした美希は、ブッキーの机の下、立っていたなら決して気が付かなかったであろう奥の方に、一冊の本が落ちていることに気が付いた。
 ブッキーにしては珍しいミスだ。几帳面とか潔癖症とまではいかないまでも、彼女はだらしなかったり、物を大事にしなかったりするような女の子では決してなかったから。
 美希もまたそれを不思議に思いつつも、手を伸ばしてその本を机の下から引っ張り出す。

「あ!もしかしたらこの本………」

 落ちていたのは少し大きめの動物図鑑。シマウマやライオン、象やキリンのイラストが描かれた表紙を見た美希の口からは、思わず嬉しそうな声が漏れた。ふふ、と笑みをこぼし、ぺージを何気なくパラパラと捲っていく。
 と、美希はあるページに一枚のカードが挟まれているのに気が付いた。

「何?これ………?」

 何の変哲もない、一枚の水色のメッセージカード。しかし、その表面に書かれた文字を見た瞬間、美希の全身に雷の様に衝撃が走った。
 そして―――、一拍遅れて美希の背後で、ガシャン、という陶器が割れる音。

「美希ちゃん………それ………」

 動揺したのは美希一人ではなかった。
 美希の為に持ってきたのであろう、カップに入った紅茶や皿に乗っていたケーキを手にしたトレイごと床に落として、ブッキーは蒼白な顔で呆然と立ち尽くしていた。

「あ、あの、ブッキー、こ、このカードって………そ、その………い、一体、だ、誰から―――?」
「………!!」

 美希の問い掛けに、ブッキーはハッと我に返った。
 途端に、その小さな肩がブルブルと震えだす。俯き気味のブッキーの顔は前髪で隠れているが、固く結ばれたその口と、同じく固く握りしめられたその拳から見るに、彼女がただ悲しんでるという訳ではなく、何かに傷つき、怒りを堪えてもいるのだろう、というのは美希にも察しがついた。

「…………出てって、美希ちゃん………」
「え、出てけって………ブッキー―――」
「出てってーーーーーーッ!!!」

 その理由を問いただそうとした美希だったが、いつもは大人しいブッキーからは想像も出来ない、有無を言わせぬ強い口調に逆らうことは出来なかった。
 美希に出来たのは、ノロノロと立ち上がり、彼女の横を言葉も無くただ通り抜け、そのまま山吹家を後にするという、ただそれだけだったのである。
 そして途方に暮れて町を彷徨っているうちに、たまたま立ち寄ったこのドーナツカフェで私を見つけ、駆け寄った、という。

「ぶええぇええええぇ~~~っ!!」

 美希はここまで話した後、まるで許容量を超えてなお水を堰き止めていた堤防が、一気に決壊するかのようにして号泣し出し、テーブルへと突っ伏した………ここまでよく堪えたわね……え、偉いわ、美希。褒めてあげる。
 さて、と温くなってしまったカフェオレを口に運びつつ、私は考えを巡らせる。
 美希の相談を受けた以上、彼女の力になってあげたいのは山々ではあるけど………仮に私が仲裁に立った所で、事が丸く収まる確証はない。むしろ、下手に余計な首を突っ込んでは、ややこしい事になっていまう可能性の方が大きいかも。
 そうなると、この事件―――って言っていいか分からないけど―――を解決するためには何をするべきなのか。
 まあどう考えても一番重要なのはブッキーの怒りを解く事よね………だとしたら、何がブッキーの逆鱗に触れてしまったのか、それを知らなくてはいけないんだけど………その為に必要な鍵が、どう考えても不足している。

「………せめてそのメッセージカードっていうのが手元にあればね………」

 私の声に反応して、美希はグズつきながらテーブルから上体を起こすと、傍らに置いてあったバッグを漁りだし、一枚のカードを取り出した。

「え!?そ、それ、も、持ってきちゃってたの………?」
「ぐず………づい………がえじぞびれちゃって………」

 ほ、本当に偉いわ、美希!大手柄よ!頭でも撫でてあげたいくらい!
 私は美希の差し出してきた一枚のメッセージカードを指で挟み、そこに書いてある文に目を走らせる。 

「………ふぅん………成程、ね………」

 カードの表面にはシンプルに、たった一行だけ記されていた。

『あなたのことが、好き』



最終更新:2017年04月09日 19:19