『安楽椅子探偵は魔法を使う 1―――発端』




1―――発端

 客間中央にあるテーブルの周りに置かれた椅子には、性別年齢のみならず、警察署長、小説家、絵描き、女優等々、それぞれ職種もまるで異なる何人かの男女が腰掛けている。
 けれど、そのような社会的位置付けからはその関連性が見出し難い彼等ではあったものの、実は三つの共通点があった。
 一つは、最近新聞を騒がせている三件の連続殺人事件に、各々何らかの形で関わっているという点。
 一つは、皆が皆、その顔に恐怖や怯えを含んだ、硬く強張った表情を浮かべているという点。
 そして最後の一つは………彼らの視線が、壁際にある暖炉の前の椅子に座った、のんびりと編み物をしている品の良い老婦人の姿に集中しているという点だった。
 かく言う私の目もまた、その一挙手一投足までも見逃さないようにと、今や瞬きすら忘れて、彼女に釘付けになっている。
 そんな緊張感に満ちたこの場の空気などどこ吹く風、という様子で、老婦人は手にしたかぎ針を脇に置くと、老眼鏡を直して編み物をまじまじと眺めた。

「あら、また編み目を飛ばしてしまったみたい……駄目ねぇ、やっぱりお話ししながらだと……一つ、二つ……ええと、ここからやり直せばいいのね……」

 そう一人ごちて、老婦人は顔を上げると、部屋の中にいる一同を見回した。そこでようやく自らが注目されていることに気が付いたのか、彼女の頬がほんのりと赤くなる。

「ああ。ごめんなさい。けどねえ、昔私の家にいたメイドに子供が産まれるっていうものだから………産着の一つも作ってあげたくて……」
「ええ?熱心に編んでいると思って見ていたら、まだ産まれてもいないんですか?その色から見たところ女の子用みたいですけど、まだ性別なんて分かりはしないでしょうに……順序が逆ではないですか、伯母さん?それともひょっとして、お年を召されましたか?」

 老婦人の甥が、場の雰囲気を和らげようとでもいうかのように、そう冗談めかして憎まれ口を叩いた。勿論、そんな軽口では重苦しい空気は何一つ変わりはしなかったけれど。
 しかし老嬢はにっこりと微笑むと、彼女の甥に優しい視線を投げかけた。

「ええ、そう思われても仕方ないかもしれないわね。けれどこの年になるとね、時間の過ぎるのが早くて………前もっていろいろ準備しておかなくてはね………。それと性別だけど、あの娘の家は代々女系でね………それにほら、あの娘の顔つき………あれの母親が身籠った時も同じように目元が険しくなったものですよ」
「伯母さん、話の続きを―――」
「そうそう、それと気が付いていないようだけれど、あなたは今とても良い事を言ったわ」

 テーブルの周りに座った人々の顔を見渡しながら、老婦人はゆっくりと、落ち着いた声で話し出した。

「『順序』。そう、なにより大事なのはそこなんですよ、皆さん。それを間違えてしまうと、さっきの編み物のように、間違えた所からやり直さなくてはならなくなる。それにね、産まれてもいない女の子用の産着を作るのに、しっかりした理由があると知らなくては、ああ、もう子供は産まれているのだ、と大多数の人は考えるでしょうね。あるいは甥の言うように、私が少し呆けてしまったのではないか、とね」
「失礼ですがご婦人、あなたが言っていることはまるで―――」
「ええそうですわ、署長さん。私は事件の順序を皆さん勘違いしている、と申しておりますの。いえ、騙されてしまっている、と言ったほうがいいでしょうね。ですから解決には至りません。間違えた所からやり直さない限りは」

 老婦人の台詞に、私は思わず息を飲んだ。そうか、三つの事件が発見された通りの順序で起こったという確証なんて何一つ無い………そう考えて順序を並び替えて話を整理すると………ええと、どこから間違えていたんだろう………私の推理が正しければ―――。
 必死に頭を回転させる私を他所に、老婦人の視線はある人物の前で止まる。

「私の言っている事、あなたならお分かりですよね?事件の順番をまあ見事に入れ替えて見せたようですけど………綺麗すぎるとね、逆に不自然なものなんですよ。上手に嘘をつきたいのなら、もっと真実を織り交ぜないといけません」

 彼女の言葉に、まるで時間でも止まってしまったかのように場が静まり返った。そして皆無言のまま一斉にその人物へと目を走らせる。

「あなたが―――犯人ね」

 老婦人が語り掛けた相手、それは―――!

「はいよ、ご注文のカフェオレとオールドファッションドーナッツ、お待たせ、お嬢ちゃん」

 唐突に掛けられたカオルちゃんの声と、漂う香ばしい芳香によって、私―――東せつなの意識は1900年代のイギリスの片田舎から、一気にドーナツカフェ―――現実へと引き戻された。

「おっと、ゴメンよ。もしかしてオジサン、読書のお邪魔しちゃったかな?」
「いいえ、平気よ、カオルちゃん。ありがとう」
「随分と熱心に読んでたみたいだけど………よかったら何の本か、オジサンにも教えてくれるかい?」
「あ、これ?この本は―――」

 私は手にした文庫本のブックカバーを外してカオルちゃんに見せた。本の表紙には内容を象徴したような一見シュールなイラストと、作者と翻訳者の名前。そして大きく『安楽椅子探偵は魔法を使う』というタイトルの文字が。

「へえ、オジサンもこの作者の名前くらいは知ってるよ。推理小説、だよね?」
「ええそう。古典って言われるくらい昔の作品だけど………それでも今なお知名度も人気も高いのは、色褪せない名作、という証拠かしらね」

 『安楽椅子探偵は魔法を使う』は、イギリスの女流作家による、老婦人の探偵が活躍する人気シリーズの一冊だ。最も活躍するといっても、主人公の老婦人はあちこち手がかりを探して駆け回るなどという事はしない。何故なら題名にもなっている『安楽椅子探偵』とは、大雑把に言えば事務所なり自宅なりの椅子に座り、助手役や関係者達の話を聞くだけで推理していく、というスタイルの探偵の事だからである。
 この作品の主人公に限って言うと、作中の誰よりも事実を把握し、鮮やかに事件を解決していく様は、老婦人という設定も相まって、まさに題名通り、『魔法使い』と呼ぶに相応しい。
 それでいて素晴らしいのは、犯人が分かってからもう一度読み返すと、魔法どころか、本文内に置いてきちんと証拠は提示されているし、きっちりとした伏線も張られている。つまりは「フェア」なのだ。だからこそオチの部分での「やられた!」というカタルシスが際立つのだろう。無論、それは推理小説全般に言える事ではあるが。
 最も、「やられた!」といっても、その感覚は悔しいとか騙されたとかいう嫌な気持ちではなく、どちらかといえばスッキリとした爽快感に近いものだった。
 もともと私は理論立った思考は好きだったし、自分の観察力、洞察力に少しは自信もあったので、挑戦的な気持ちがミステリーを読み始めたきっかけになっていたのだが、今となっては「今回はどう驚かせてくれるのだろうか」という期待のほうがそれを上回っていた。

「これもとっても面白くてね。今精一杯頑張って推理しながら読んでるところ」
「ふうん、推理ねえ………」

 カオルちゃんは何やら難しい顔で顎に手をやると、お客さんのまばらなドーナツカフェのテーブルを見渡した。それから右手の人差し指を立てて、ニカッと白い歯を見せる。

「それじゃあ名探偵のお嬢ちゃんに、オジサンからちょっとしたミステリーを。休日の昼下がりだっていうのに、どうしてこの店にはあんまりお客さんがいないと思う?」
「え?あ、言われてみれば確かにお客さんが少ないけど………」
「正解は、ミステリーだけに、どーもお客さんにミステらリーちゃったみたいなんだよね、グハッ!」
「カオルちゃん………さすがに自虐的過ぎて笑えないわよ、その駄洒落………」

 確かに、いつものドーナツカフェなら、もっと家族連れとか恋人同士とかで賑わっていそうなものだ。日曜日で、しかも小春日和といった暖かな日差しの午後なのに、これはちょっとおかしい。
 カオルちゃんもグハハ、と笑いつつも何やら複雑な表情。

「まあたまたまだと思うんだけどね。近くに競合店が出来たわけでもないし。最もどんなドーナツ屋が出来たって、オジサンのドーナツは負けないけどさ」
「そうね。カオルちゃんのドーナツは天下一品ですもの」
「とは言うもののこう暇だとねえ………なにか知恵は拝借できないかい、名探偵殿?」

 カオルちゃんの問い掛けに、私はうーん、と握った手を口元に当てる。カオルちゃんの力になりたいのは山々だし、名探偵って言われたのもちょっぴり嬉しいから、なんとかアイディアを出してあげたいんだけど………名探偵………推理………あ、そうだわ!

「ねえカオルちゃん、新商品を作るっていうのはどう?」
「新商品?まあ名物になりそうなものなら悪くはないけど………なにか閃いたのかな?」
「ええ………せっかくだから『ミステリードーナツ』、なんていうのはどうかしら?週替わりで、味は内緒のドーナツを出すの」
「んー、『シェフの気まぐれなんとか』、みたいにかい?」
「ええそう。それでいて、普通はあり得ないような味の組み合わせをしてみたりして………ちょっと面白そうじゃない?」
「ふうむ、普通はあり得ないような味の組み合わせねえ………それでいて美味しくなきゃ意味がない………難問ではあるけど………」

 カオルちゃんは少し考え込むように腕組みをして空を見上げた。きっと今、カオルちゃんの灰色の脳細胞もフル回転しているに違いない。
 私は後押しするようにカオルちゃんに微笑みかけた。

「そこは腕の見せ所でしょ、名ドーナツ屋さん殿?」

 カオルちゃんは一瞬私の顔を見て、それから豪快に笑いだした。

「そう言われちゃったら、信頼に応えなくちゃ男がすたるってもんかな―――まあやってみるよ。ありがとう、お嬢ちゃん」

 カオルちゃんは手を振ってバンの中へと姿を消した。きっと頭に浮かんだであろう面白い組み合わせのドーナツをすぐにでも試作してみるに違いない。
 そんなカオルちゃんに心の中でエールを送り、私はちらっとカフェ近くに建てられている時計を見た―――約束の時間にはまだ余裕がある。これならこの本を読み切ってしまえそうだわ。
 もとはといえば、今日のラビリンスでの復興作業がお休みになったのが突然過ぎた。決まった休日、なんて持てるほど余裕はないし、急にお休みになる、なんてことも無くはなかったけれど、今回はなんと、今朝唐突にお休みを言い渡されてしまったのだから。
 そうなるとせっかくの休日なのに予定の組みようがなく―――それでもラブ―――桃園ラブに、ダメもとで連絡してみたら、リンクルン越しの彼女は嬉しそうに弾んだ声で言った。

「じゃあ久しぶりにせつなとデートだね!う~、幸せゲットだよー!!」

 ラブのはしゃぎ様、そしてデートと言う言葉に、私もまた心が浮き立つのを隠せなかった。アカルンでいつでも会える、とは言うものの、最近はお互い多忙を極めていたからその機会もなかなか取れなかったし。
 とはいうものの、やはり休日という事もあり、ラブにはラブの予定があって………今日中にどうしてもミユキさんと次のダンスイベントの打ち合わせを済ませなければならないというのだ。それでもなんとか午後には終わらせて飛んでいくから!というラブと待ち合わせの時間を決めて、私は一人、ここドーナツカフェで読書にいそしんでいるという次第。
 さて、とカオルちゃんの持ってきてくれたドーナツを一口齧り、カフェオレで軽く喉の奥へと流し込むと、私はしおりの挟んであったページを開いた。
 物語はいよいよクライマックス―――老婦人が指し示した犯人とはいったい誰なのか………私の推理が当たっているならば、その人物はおそらく―――!!

「ぜづな~~~!!あだしの話を聞いてよおぉ~~~!!!」

 ………残念ながら、私は再び読書を再開して1900年代のイギリスへと戻る事は出来なかった。いやそれどころか、文字の一つを読む事すらも。
 何故ならば………開いた文庫本と私の間に、泣き声とともに涙でぐしゃぐしゃになった彼女―――蒼乃美希の顔が割り込んできたから、である。



最終更新:2017年04月09日 19:19