『冷たいアイスの溶かし方(前編)』/猫塚◆GKWyxD2gYE




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 今年の夏は駆け足で過ぎていった。
 そのせいだろうか。
 まだ9月だというのに、今日の早朝の気温は、秋の半ばめいて涼やかだ。
 ベッドの中のぬくもりに包まれながら、まだ気持ちよさそうにウトウトとしていた相田マナが、ふとまぶたを開いた。そして、横たわったままで、視線をぼんやりと部屋に向ける。
「・・・・・・・・・・・・」
 頬を撫でる部屋の空気の涼やかさ。
 そこに、最近の菱川六花の態度が重なる。
 どこがどうとは上手く言えないのだが、マナに対する態度に素っ気なさが混じっている。
 時には冷たいと感じるほどに。
(けっきょく、何が原因なのかな・・・・・・?)
 しばらく考えていたが、ベッドのぬくもりに誘われるように、いつのまにか再び意識がまどろみに浸ってしまった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「相田センパーイ、お願いできますかーっ」
「すみませーん、あとでこっちも・・・・・・」
「いいよっ、まかせてっ」
 第34回の大貝祭を目前にして、相田マナは、当たり前のように張り切っていた。
 明るく、活力に満ちた顔つき。夏服 ―― ワンピースタイプのセーラー服 ―― の半袖から伸びる、スラリとした細い両腕は、男子顔負けのチカラ仕事を今日何回こなしただろうか。
 3年生になって生徒会長を引退した今も大貝第一中学校の大黒柱として、生徒たちの支えになっている。むろん、彼女の後を継いだ現在の生徒会長も十分に努力しているが、規格外のスペックを誇るマナとでは、まだまだ馬力に差がありすぎる。

(はあ・・・)
 と、菱川六花が心の中で小さく溜め息をついた。
 幼い時からずっとマナの女房役を務めてきた彼女は、受験を控えているため、今は勉強に集中するようにしている。・・・・・・はずなのだが。
「まかせてじゃないでしょ」
 と、後ろからマナの肩を掴んで、駆け出す直前の彼女を止める。
 結局はマナが気になって仕方がなく、今日もまた彼女のサポートをしてしまうのだった。

 マナが太陽のように笑うならば、こちらの少女は月のように微笑む表情が似合う。大人びた知性を湛える切れ長な両目と、美しく伸びた黒髪が印象的。マナとは真逆のクールな落ち着きを感じさせるイメージ。
 夏服の半袖から伸びる腕は、マナと同じぐらい細い。そして、細くてもタフな彼女の腕と違って、あくまで普通の少女並みのチカラしかない。しかし、マナをガッチリ押さえて、動きを封じている。
「両方とも、あとでわたしが誰か手の空いてる人を見つけて頼んでおくから。マナはレジーナを捜して回収したら、今日はもう終わり」
 振り返ったマナが『まだ頑張れるよ』と元気さをアピールする笑顔を浮かべるも、六花の有無を言わさぬ眼光を前に、それは苦笑いへと変わっていった。
「頑張りすぎて、去年みたいに倒れたらどうするのよ? もう」
 と、ぼやく六花。
 とりあえずマナは、今、声をかけてくれた二人の生徒にゴメンナサイという表情(カオ)で謝って、この場は引き取ってもらった。そして、あらためて六花のほうへ向き直る。
「心配かけちゃってごめんね、六花」
「とか言いつつ、どうせ明日もわたしに心配かけるんでしょ」
「そ・・・、そうならないよう気をつけるね」
 やや辛辣な六花の口調に、マナがたじたじになってしまう。しかし、すぐに調子を取り戻して明るい表情になった。
「あ、そうだ。ねえ、六花、レジーナはラケルに捜してもらおう」
「ラケルに?」

 かつてはマナにべったりとくっついていたレジーナも、今では気まぐれに他の人にも興味を示すようになっていた。特に、からかうとムキになる真面目なラケルに対しては、いじり甲斐があるらしく、最近はよくちょっかいを仕掛けてくる。
 それはまるで、猫が新しいオモチャで遊ぶ事を覚えたような感じである。マナが忙しい時は、彼女の代わりにラケルに宿題を手伝わせたりもしている。
 ただ、ラケルのほうもストレスを爆発させるほどではなく、なんだかんだとレジーナを気にかけているあたり、
(あー、・・・うん)
 と、六花が心の中で溜め息にも似たつぶやきを洩らす。二人のじゃれあう(?)姿に、つい、自分ともう一人の姿を重ねてしまった。
(今頃どうしてるのかなぁ・・・)
 軽く昔を思い出していた六花の顔を覗きこんで、マナがたずねてくる。
「どうかしたの、六花?」
「ううん、ちょっと懐かしい気分になってただけ」
「?」
「それよりも、レジーナの事はラケルに頼むとして・・・・・・マナはこれからどうするの?」
「ふふっ、六花、少しだけ付き合ってもらってもいい?」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 そそくさとマナが立ち去って、しばらくのち ――― 。
 彼女から引き継いだ依頼について、適切な応援を手配し終えた六花が、マナに指示されていた場所へと向かった。
 体育館のステージ裏。
 蛍光灯の光に照らされたそこは、普段は壁際にパイプ椅子の収納台車が並べられている程度の殺風景なスペースだが、今は大貝祭本番に備えて、演劇部の公演やクラス演劇で使う大道具などが、あちらこちらに置かれていた。
 目の前にあるクラシック調のソファーも、その一つなのだろうか。
 マナが来るまで少し座らせてもらおうと、六花が腰を下ろす。
 座り心地は悪くない。

 体育館のほうから、数人の生徒たちが歓談している声が聞こえてくる。この時間だと、リハーサルが終わった合唱部だろうと、六花は見当をつけた。生徒会から離れても、マナと一緒にいるせいで、学校の大体の事は分かってしまう。
 いつのまにか目を閉じて、ソファーのやわらかさに身を委ねてしまっていた。朝方はめっきり涼しくなったものの、日中はまだまだ夏服で十分なほどの気温だ。このステージ裏は、のんびりとウトウトするには、ちょうど良い空間だった。
 マナ・・・、と六花のくちびるが動く。
(・・・・・・ごめんなさい)
 最近、つい素っ気ない態度を取ってしまう。
 きっかけは、文化祭の準備が始まる数日前の、ある男子の恋の告白。

 まさか自分が・・・と思いつつも、相手の真剣さに応えるカタチで、その告白に向かい合った。無論、最初から六花の返事は決まっていたけれど。
 なるべく優しい言葉を選んで断った六花へ、ショックを隠すためにバツが悪そうな笑いを浮かべる彼が投げかけてきた一言。
 ――― あ、もしかして菱川さん、好きな人いた?
 動揺。
 六花は「ええ、まあ・・・」と曖昧な答えでごまかして、その場をあとにした。
 なぜだか分からないが、好きな人と言われて、一瞬、思い浮かべてしまったのだ。
 マナの顔を。
 その事に、自分でも少し驚いていた。

 マナとは女の子同士なのに。
 どうしてだろう。

 その日から、いつもとは違った感じでマナを意識し始めて、それがバレないよう心のガードを固くして・・・・・・。自分の気持ちとは裏腹に、マナへの接し方が冷たくなっていく。


(冷たいわたしを溶かして、幸せの王子様)
 ソファーにもたれかかって、まどろみの中でつぶやく。
 幸せの王子こと相田マナを待ちわびる。童話の中のお姫様のように、胸の鼓動を微かに高鳴らせながら。

「 ――― 大変お待たせいたしました。六花お嬢さま」

 ――― いきなり来たっ。
 飛び起きんばかりの勢いで、六花が目を覚ます。
 完全に油断していた。無防備な寝顔を見られたのでは?と思うと、ちょっと恥ずかしい。
(それにしても、マナ・・・・・・、何なの?)
 黒い燕尾服に白いブラウス、黒い蝶ネクタイ、そして、やはり黒色のスリムなスラックスの組み合わせ。深々と優雅な一礼をしている彼女が右手に持っているのは、黒のシルクハット。
 マジシャン ――― のつもりらしい。
 軽く面食らっている六花の前で体を起こし、「では」と勿体付けて左手をシルクハットの内側へ。
 バッ、と取りだされ、宙に放たれたのは数枚の白いハンカチ。
『バサバサバサバサ・・・ッ』
 と、何羽ものハトが一斉に羽ばたく音がシルクハットの中から聞こえてくる。
 やはり面食らったままの六花が、視線を動かして、放物線を描いて落下していく白いハンカチを追う。
 マナが再びシルクハットの内側に左手を差し入れて、何やら操作すると、ハトの羽ばたく音は消えた。そして、数枚のハンカチが床に落ちる。
「・・・・・・えーと、さすがに学校の中でハトを飛ばすのはマズイかなーって思って・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
 マナが床のハンカチを拾い、シルクハットの中へ戻す。そのシルクハットをソファーの端に置いて、六花の右隣へ腰を下ろす。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「えっ・・・、マナ、手品、あれで終わり?」
「う、・・・うん、急な思い付きだったから。 ――― あはは、なんか、滑っちゃったね」
 バツが悪そうに苦笑するマナ。
 この衣装とシルクハットは、大貝祭でマジックショーをする事になったクラスから借りてきた。
 少しでも六花の雰囲気をなごませたいと考えてのコトだったが・・・・・・。
「ねえ、六花」
 あえて隣を見ずに、マナが口を開いた。
「何かあったの? ・・・・・・あたしが原因かな?」
 最近の態度の事を問われていると察した六花が、それに対して答えようとした瞬間、今さらながらに気付いてしまう。
 マナのパートナー妖精・シャルルは、家でお店のお手伝い。
 ラケルは、レジーナを捜しに。
 だから、この状況 ――― マナと二人っきり。
「マナには関係ないでしょっ」
 ・・・・・・まただ。マナを意識しすぎた。
 気持ちとは裏腹の、冷たい拒絶。
 言ってから五秒もしないうちに、心が後悔で溢れかえる。

「そっか」
 と、マナがうつむいた。
 質問に否定を返されたからではない。
 今、六花が声の調子や態度の中に見せた、むき出しの感情。それが『答え』を教えてくれた。女の子同士だからこそ直感的に分かってしまう、相手の本当の気持ち。
(うーん、でも、万が一、あたしの思い違いだったら困るし、どうしよう)
 ちなみに、思い違いじゃなかったとしても悩む所だ。
(六花と・・・・・・)
 そっと左腕を動かして、六花のひざの上に置かれた彼女の右手の甲へ、手の平を乗せる。
 一瞬、六花はハダカでも見られたみたいに慌てふためいてみせたものの、少し落ち着くと、そのマナの左手の甲の上に、自分の左手を重ねてきた。
 マナのほうは見ない。顔をそらしたまま、静かに次の彼女の言葉を待っている。

 体育館のほうから、女子の笑い声が響いてくる。リハーサルの終わったはずの合唱部だが、まだまだ帰る気配が無い。この時間帯なら、体育館のステージ裏は、六花と二人で静かに話すのに最適だと当たりをつけていたのだが。

 マナは、仕方がないとあきらめて、
「ねえ、六花・・・」
 と、六花の反応を窺いながら続けた。
「もし、あたしが男の子だったら ――― あたしは、どんな女の子を好きになってたと思う?」
 それは、六花の心を波立たせる質問。
 マナが「う~~ん・・・」と軽く考え込んで、言葉を付け加える。
「もう少し具体的に言うと、『誰を』・・・・・・かな」
 感情のざわめきを抑えた声で、六花はあっさりと答えた。
「そりゃあ、まこぴーに決まってるでしょ」
「・・・あはは、まこぴーは、まあ、好きだけど。他にいないかな? その・・・・・・」
 六花の肩にぐりぐりと自分の肩をくっつけながら、マナは、ちょっと期待するみたいな表情をしてみせる。だが、六花は冷淡ともいえる態度を崩さなかった。
「じゃあ、ありすは? 結婚すれば総理大臣どころか、世界の頂点に君臨できるわよ」
「別に世界の頂点は狙ってないんだけど・・・・・・、えーっと・・・・・・」
「そういえば、マナって随分とレジーナに甘いわよね?」
「うーん、そうかなぁ・・・。でも、それは恋愛感情的なモノじゃないよ? 本当に」
「亜久里ちゃんはどう? 年下だけど、しっかりしてて頼りになるわよ」
「ウンウン、亜久里ちゃんは、しっかり者で頼れそうだけど・・・・・・、そうじゃなくってぇ」
「あっ」
 何かに大切なコトに気付いたような六花の反応に、今度こそ・・・と、マナの瞳が輝く。
 六花はマナのほうを向いて、にっこりと笑った。
「やっぱりマナのパートナーといえば、シャルルよね」

 がくんっ、と一瞬両肩を落としたマナだが、すぐに含みのある笑みを浮かべて、六花へ顔を近づける。虚を衝かれた六花は逃げられない。
 吐いた息が相手のくちびるに届く距離。
 マナの左手に重ねた自分の手の平が汗ばむのを感じる。
「六花ぁ・・・、誰か一番大事な人の名前を言い忘れてないかなぁ~?」
 と、ゆっくりした口調でマナが言ってくる。
 くちびるが、彼女の温かい吐息で撫でられた気がした。
 六花がとっさにとぼけて「アイちゃん」と言おうとすると、右手の上に置かれたマナの手の平が、
 ――― グッ、
 と、柔らかな圧力を加えてきた。こころなしか、顔の距離も微かに縮まったような・・・・・・。
「・・・り~~っか?」
 と、ささやくみたいな声が耳たぶをくすぐった。
「マ・・・マナは、それを聞いてどうするのよ?」
「んー、どうしよう・・・。あたしも、それはまだよく分からないんだけど・・・・・・」

(ひ、卑怯よっ・・・!)

 マナの曖昧な態度に、心の中で抗議の声を上げる六花。
 もしここで正直に言っても、下手をすれば六花の玉砕で終わってしまう。
 答えられない。
 でも、マナは聞きたがるのをやめてくれない。
「・・・・・・あたしが好きになると思う人の名前を・・・・・・言ってみて、六花」
 敏感な耳の内側。
 マナがしゃべるたび、生温かい息で撫でまわされて、こそばゆい。
 あともう少しで、ゾクッ ――― と来る、その一歩手前の感覚。
 いつのまにか瞑ってしまっていた両目を、うっすらと開いて、
「知らないっ・・・」
 と、弱々しい声で突っぱねる。
 ふふっ、と笑うマナ。さらに顔を近づけて、六花のうなじの匂いをスンスンと子犬みたく嗅ぎ始める。
「六花、いいニオイする・・・」
「やっ、ちょっと・・・」
 身体をよじって逃げようとする。・・・・・・けれど、できなかった。
 スンスンと嗅いでくるマナの鼻先が、時折、ちょんっ・・・ちょんっ・・・と、うなじに当たっている。こんな事が妙に嬉しくてたまらない。
(あっ・・・)
 ――― どうしよう、わたし。マナのこと、すごく・・・。

 くんっ、とマナの顔が小さく上向いて、再び六花の耳もとにくちびるを寄せてきた。
 本当にギリギリの ――― 触れるか触れないかぐらいの距離。
「ところで、いいニオイの六花さん、あたしが好きになりそうな女の子に心当たりは?」
「んっっ!」
 六花の背に、びくん・・・と小さな電流が走った。
 今、柔らかな感触が耳の縁をなぞったような気がする。
 マナの手を、ぎゅっ、と掴む。
「どうしたの、六花? ・・・・・・もしかして、今、かすった?」
「平気よ。女の子同士でしょ? こんなの、ただの・・・・・・スキンシップ、だし」
 自分の顔が熱くなっているのが分かる。
 こうしてマナのそばにいるだけで、心臓が ――― 苦しい。
(苦しいだけなら逃げ出せばいいんだけど・・・・・・) 
 六花にとって初めてだった。
 しあわせが胸に収まりきれないために覚える息苦しさ。
 そして、そんな鼓動の切なさ。
(もっと苦しくなってもいいから・・・・・・)
 ――― マナと、ずっとくっついていたい。

 ・・・・・・マナも六花と同じ気持ちだった。
 くちびるを、今度は意図的に耳の縁へ ――― そっと触れ添わせるように。
 こらえ気味の声を上げて、六花が身体を震わせる。予想以上にくすぐったかったみたいだ。
 綺麗な耳の輪郭をなぞり上げたくちびるを少しだけ離して、マナがいたずらっぽくささやいてみせる。
「これも・・・、ただスキンシップだよね? 六花」
 ――― じゃあ、こんなこともしちゃおう。
「・・・ちゅっ」
 マナのくちびるが、六花の耳たぶで小さな音を鳴らした。
 湿った、甘い響き。
 紛れもなくキスの音。
「あっ・・・」
 と、六花が声をこぼしてしまう。
 夏服に包まれた少女の身体は、緊張のあまり硬直。
 六花が抵抗できないのを分かった上で、マナのくちびるが、また甘ったるい音を鳴らした。
「ちゅっ・・・」
 耳たぶで弾ける、柔らかな感触。決して強い刺激ではないのに、なぜか身体の奥で、ビクッ、と痙攣が走る。たまらなくなった六花が、上擦った声を洩らして小さく身悶える。
「う・・・、あぁ・・・、駄目よ、マナ」
「どうして? ただのスキンシップなんでしょ?」
 そう言ったくちびるが、六花の耳の内側へ優しく触れる。ちゅっ、と甘く吸いつく音。
「あっ・・・あっ、だめ、マナぁ・・・」
 ぞくっ ――― ぞくっ ――― 。
 くすぐったさと同時に突き上げてきたのは、甘美な悦びに体の一部を溶かされる感覚。
 初めての体験に、六花の心が翻弄される。

「・・・・・・・・・・・・」
 耳からくちびるを離したマナが、六花の両手に挟まれていた左手を静かに抜いた。
(六花、ふふっ、とろけちゃってカワイイなぁ)

 ――― だって、ただのスキンシップなんかじゃないものね、本当は。

 六花はまだ、耳に残る甘やかなこそばゆさに酔っているようだ。
 彼女のくちびる ――― 女の子にとって特別な意味を持つ場所へ、優しく左手の人差し指を添わせた。
 その動作に数秒遅れて、六花が、びくっ、と身体を震わせる。
「六花、今度はこっちでスキンシップしてみる?」
「えっ・・・」
 マナの言葉に、目を丸くする六花。彼女の顔が、瞬く間に恥じらいの色で埋め尽くされる。
「駄目よ、さすがにここは・・・」
「ふーん? あたしは別に嫌じゃないけど。・・・・・・六花には無理なんだ」
「無理とかじゃなくて・・・・・・」
 六花の戸惑いに関係なく、胸では心臓の音が高鳴っている。本当に好きな相手にキスを迫られたら、誰だってそうなってしまう。
 マナは、そんな六花の様子を愉しみながら、彼女のくちびるを指先でなぞっていく。
「・・・・・・っっ!」
 あえぎを押し殺した六花のあごが、クッ、と上がった。こそばゆさを堪える表情や仕草がすごく可愛い。
 幼少の頃から連れ添ってきた親友が、初めて覗かせる一面に、マナの胸がキュウッとなる。
「フフッ、六花はどこまで頑張れるのかな~?」
 なめらかなくちびるを、こしょこしょ・・・とくすぐって声を上げさせようとしたが、六花は悩ましげな顔のまま押し黙って抵抗。両ひざの上で、ギュッとコブシを握って我慢を続ける。
(六花っ・・・)
 半分冗談のつもりだったのに、本気でキスしたくなってきた。
 今の六花なら・・・・・・あと、もう一押しといったところか。

(よしっ!)
 ソファーから腰を浮かせたマナが、六花の前に立ち、そして覆いかぶさるように、ぐいっ、と上半身を前のめりに。
 ほっそりした六花の両肩の、すぐ外側 ――― ソファーの背もたれの部分をがっしりと両手で掴む。これ以上距離を詰められるコトを恐れた六花が、両ひざをそろえて、固く閉じようとする。しかし、遅い。それを読んで、マナの左脚は、六花の両太ももの間を割って深く入っていた。
「やっっ、・・・こらっ、マナっ!」
 ひどく焦った表情で、六花がマナを見上げてくる。逃げ場をふさがれたという心理的な圧迫感によって、いつもの冷静さを完全に無くしている。
 その痛々しいまでに無防備になった幼なじみの姿を目にして、
(あー、しまった・・・かも)
 と、マナが後悔。
 今、この状況で強引に行動に出たら、六花は泣き出してしまうかもしれない。
(仕方ない、キスは後回しってことで)
 それよりも・・・・・・。
「ねえ六花、あたしの質問に、まだ答える気になれない?」
「心当たりは、その・・・あるかも・・・・・・だけど」
「あるんだったら教えてよ、六花」
「それは・・・・・・」
 マナのまなざしから逃げるように視線を逸らした。
 六花の乙女心が揺れる。
(マナ・・・・・・、冗談なんかじゃなく、本当にわたしのこと・・・・・・)
 黒い燕尾服にスラックスという、マナの正装めいた姿のせいか、・・・・・・なんというか、まるでプロポーズに対する返事を聞かれているような気がしてきた。

 ――― どうしよう。マナにキスされちゃったら。

 答えを口にした途端、くちびるを奪われてしまいそうで少しこわい。
 でも、マナを愛しく想う気持ちが、どんどん自分の胸の中で高まっていく。
 心の準備は、まだ全然だけど・・・・・・。
 恥じらいで赤くなった顔をうつむけていた六花が、チラッと視線を上げた。
「答えてあげてもいいけど・・・・・・、マナは、その子と付き合うの?」
 うーん、と苦笑するマナが歯切れ悪く答えた。
「実はまだちょっと・・・、迷ってるっていうか・・・」
「・・・えっ?」
「ほら、大切な相手だけど、女の子同士なわけだし」
「・・・・・・・・・・・・」

 六花がグッと声をこらえて下を向いた。
(何よ、それ・・・・・・)
 マナへの感情が心の中でグツグツと滾ってくる。
(マナってばホント煮えっっっっ切らないっっっっ!!! 
 迷う必要ある!? もう女の子同士でもいいじゃない! わたしなんて、マナとならファーストキスどころか、その先まで進んじゃってもいいかなって覚悟決めかけてたのに!)

 胸の内に激情を一気に吐き出し終えると、スーッと頭は冷えた。
 しかし、心はまだ熱いままだ。
 こうなったら ――― 絶対にマナをわたしのものに・・・・・・ッッッ!!

 そう思ったら、自然に両手が動いていた。
 ソファーの背もたれを掴んでいたマナの右手を、ぐいっと下へ押し下げ、強引に自分の左胸をさわらせた。
 死ぬほど恥ずかしいのに ――― かつてない高揚感で胸がうずく。
「ね・・・ねえ、マナの好きにしていいよ・・・」
 恥ずかしさを精一杯こらえて、誘うような色香を乗せた微笑を浮かべてみたつもり。
 ・・・・・・残念な事に、マナの目には、ぎこちなく引き攣った笑顔としか見えないが。
 唐突すぎて、マナが困惑の笑みを顔に広げた。
(な・・・なんだか六花、無理してるなぁ・・・・・・)
 でも、まあ、この誘いを蹴ったら、それはそれで六花に恥をかかせてしまいそうなので、せっかくだからというカンジで触らせてもらうことにする。
「じゃあ、六花・・・、ちょっとだけね」



競4-23
最終更新:2017年03月12日 23:09