幸せは、赤き瞳の中に ( 第10話:炎の記憶(前編) )




 焼け付くような痛みが右腕に絡みつき、じわじわとその範囲を広げていく。
 痛みをこらえようと力を入れ過ぎた身体は強張って、まるで自分の身体では無いかのようだ。
 それでもモンスターのコントロールを緩めるわけにはいかない。
 痛みに耐え、痛みを代償として得た力で、必ず……必ずメビウス様のために――!

 歯を食いしばって立ち上がった少女は、自分の方へ向かって飛ぶように駆けて来る人物に気付き、大きく目を見開いた。
 その顔に、何とも複雑な表情が浮かぶ。
 赤い瞳は挑むような光を宿しているのに、口元は苛立たし気に“への字”に引き結ばれている。その癖、口の端から漏れる息づかいは、まるで何かに怯えるように震えていて――。
 が、それも束の間のこと。少女は何かを振り払うように乱暴に頭を振ると、眼下に立つ巨大なしもべに向かって、茨の巻き付いた右手をさっと突き付けた。

「何をしている。邪魔者を近付けるな! すぐに息の根を止めてしまえ!」
 いつになく激しい少女の檄に、苦し気な呻き声で答えるナキサケーベ。対峙していたホホエミーナを地面に叩きつけ、自分の脇を走り抜けようとする小さな影に向かって、腕を振り回してタイヤ弾の集中砲火を浴びせる。

 小さな影の――せつなのスピードが、ぐんと上がった。砲弾の雨を物ともせず、体に掠らせもせずに、少女の立つビル目がけて一直線に駆けて行く。
 今度は行く手を遮るように、彼女の目の前に砲弾が飛び込んで来る。その瞬間、戦闘服の裾がひらりとはためいた。

「ハッ!」

 短い気合いと共に、砲弾が蹴り返される。続いてもうひとつ。さらにもうひとつ。それらはまさに車輪のように高速で回転しながら、ナキサケーベの横腹を襲う。
 行く手を阻んだ五つの砲弾を全て蹴り返したところで、ついに巨体がバランスを崩した。

「ニッコニコ~!」

 跳ね起きたホホエミーナが、相変わらず笑顔のままでその胴体を組み敷く。それを横目で見ながら華麗に着地したせつなは、何事も無かったかのように、さらに足を速めた。

「凄ぇ……」
「俺たちの戦闘服でも、あんな戦い方出来るんだな」
 警察組織の建物の前、盾を構えて立つ若者たちが、口々に感嘆の声を上げる。その時、今朝ラブを手伝ったあの少年が、仲間たちを見回して声を張り上げた。
「気を抜かないで! せつなさんに負けないように、俺たちは全力でみんなを守ろう!」
「おうっ!!」
 途端にきりりと引き締まった顔になって、若者たちが声を揃える。
 腕組みをして一部始終を眺めていたウエスターは、ちらりと彼らの方を振り返ってニヤリと笑った。そしてすぐに真剣な表情に戻ると、とぉっ! と一息でホホエミーナの肩の上に飛び乗る。

「せつな……頑張って!」
 若い警官たちから少し離れた場所。消防用のホースを構える老人の隣で、ラブは見る見る小さくなっていく後ろ姿を見つめながら、胸の前でそっと両手を組み合わせた。



   幸せは、赤き瞳の中に ( 第10話:炎の記憶(前編) )



 灰色のコンクリートが剥き出しの、殺風景なビル。近付いてみると、そこは既にナケワメーケの攻撃で廃ビルとなった建物だった。
 割れた窓ガラスが散乱する地面に立って、せつなが少女の居る屋上を見上げる。そして戦闘服の性能を試すように、その場で二度三度と軽く飛び跳ねてから、数歩後ろへ下がり、大きく息を吸った。

 助走を付けた大ジャンプで一気に屋上まで跳び上がり、少女の前に降り立つ。右手はおろか、既に胸の辺りまで茨が巻き付いた状態の少女は、せつなを見るとフッと身体の力を抜き、わずかに腰を落として身構えた。

「今度は曲がりなりにも戦闘服を着て来たというわけね。しかし、元幹部ともあろう人が、警察組織のおさがりなんて……」
 フン、と鼻で笑おうとしたところで、少女の口から小さな呻き声が漏れる。また少し茨が伸びて、少女の身体に絡み付いたのだ。

「あ……あなたの魂胆は分かっている。召喚者である私を倒して、ナキサケーベの動きを……止めようと言うんでしょう? そうは行かない!」
「確かにあの怪物を野放しには出来ない。でも、それはみんなが頑張ってくれているわ」
 せつなが低い声で言葉を繋ぐ。
「私はあなたを止めるために来たの。あなたを……助けたい」
「冗談はよせ!」
 少女がひときわ高い声で叫ぶ。それが合図だったかのように、二人は同時に空中高く跳び上がった。

「はぁっ!」
 少女の胸元を目がけて伸びる、せつなの右ストレート。続いて左フック。着地と同時に、今度は身を翻して左からの蹴り。
 それらを少女は、全て身をよじっただけの動きでかわす。
「そんな攻撃、私にはお見通し。目を瞑ったって避けられ……」
「たぁっ!」
 少女の言葉が終わらぬうちに、今度はせつなが少女の足元を狙う。バックステップでそれを避けてから、少女は今度こそ、フン、と鼻で笑った。

「一年半前と、呆れるほど変わらないのね、あなたの動き。いや、あの頃より今の方が、少し鈍っているかしら」
「一年半前って……」
「あなたが“ネクスト”だった時の最終戦よ。あの時の動きは全て、この目に焼き付いている。私はあれを超えることを目指して訓練を積んで来たの。だから……今日は実戦で試させてもらう!」
「……」
 じっと少女を見つめていたせつなが、彼女の言葉を聞いて、苦し気に目を伏せる。が、すぐに顔を上げると、さっきより静かな眼差しを少女に向けた。

「あいにくだけど、私はあなたと勝負するつもりは無いわ」
「何っ?」
「言ったでしょう? 私はあなたを止めたいって!」
 言うが早いか地を蹴ったせつなが、今度は低い角度で飛び出し、少女に肉薄した。その予想以上のスピードに、咄嗟に跳び退って攻撃をかわした瞬間、少女は愕然とする。
 いつの間にか、逃げ場のない屋上の隅に追い詰められていた。こんなことになるまで気付かないなんて、普通ならあり得ない。
 考える隙を与えない、ほんの数手の攻撃。まるでこちらの反応を読んでいたかのような、最短距離での誘導。その意図を全く読み取らせない、あまりにも自然な動き――。

 少女が悔し気に顔をしかめ、次の瞬間、さっと身を翻す。眉間を狙って放たれる、鋭い突き。さっきの少女とそっくりな動きでそれを避けてから、せつなは茨が巻き付いた彼女の右手――涙を流すひとつ目のマークが浮かんだ右手の甲を、グイッと掴んだ。

「クッ!」
 途端に小さな暗紫色の稲妻が走り、衝撃がせつなを襲う。それに耐えてさらにギュッと彼女の手を握りながら、せつなは目の前の赤い瞳を覗き込んだ。

「何をする……離せっ!」
「このままカードを使い続けたら、あなたのダメージは計り知れない。そのことは知っているの?」
「無論、覚悟の上だ」
「代償は容赦なく要求される。メビウス復活なんて言ってるけど、その前に下手をしたらあなたは……」
「うるさいっ。お前の知ったことか! ……うぅっ!」

 少女が再び、今度ははっきりとした呻き声を上げた。
 茨が一巻き、また一巻きと、彼女の胴に絡みつく。それと同時にナキサケーベが、自分を押さえつけているホホエミーナを跳ね飛ばそうと暴れ出す。
 が、そこで急にナキサケーベの動きが弱まった。痛みに耐えかねたのか、少女の身体がずるずると床に崩れ落ちたのだ。
 せつなは、自分の方が苦痛に耐えているような表情で、もう一度少女の手をギュッと握りしめた。

「腹立たしいのはよく分かる。だから、ごめんなさい。でも、あなたを助けるには、これしかないの」
 呟くようにそう言ってから、その目をビルの階下に移す。
「ウエスター!」
 せつなの鋭い一声に、大男は神妙な面持ちで、しっかりと頷いた。



 ホホエミーナが懸命に押さえつけていた、怪物の手ごたえが弱まった。巨大な相棒の肩の上からそっと覗き込んだウエスターは、思わずほおっと息を吐く。
 ナキサケーベの真ん中に貼り付いている、涙を流すひとつ目のマーク。それがいつの間にか、黒々とした靄のようなもので覆われているのだ。
「ウエスター!」
 時を移さず、頭上から響くせつなの声。

(あいつが痛みに耐えられないと、燃料切れを起こすというわけか。よし、ならばここで、一気にケリを付ける!)

「今だ! ホホエミーナ、ヤツのひとつ目を撃ち抜け!」
「ホ……ホエミーナ!」
 いつになく厳しいウエスターの指令に、ホホエミーナが少し戸惑ったような雄叫びを上げる。が、すぐさまその丸っこい腕を硬い棒状に変化させると、勢いよくナキサケーベのひとつ目に叩き付けた。
 ゴン、と鈍い音が響く。だが、ひとつ目には何の変化もない。
 今度は腕を錐状に変化させるホホエミーナ。だが、鋭い錐も硬い表面に弾かれて、やはりひとつ目には傷ひとつ付かない。
 いつもと違う眉をキリリと上げた決死の表情で、何度も何度も攻撃を繰り返すホホエミーナ。それでも一向に埒が明かない様子に、ついにウエスターがしびれを切らした。

「よし! 今度は俺がやる」
 言葉と同時に、ホホエミーナの肩から急降下ダイブを試みる。固く握りしめた拳からナキサケーベに激突し、あのダイヤを打ち砕いた時のように、全ての力を拳に込める。
 今度はナキサケーベの身体に変化が生まれる――だが、それは表面のわずかなくぼみだけだった。ひとつ目はのっぺりと怪物の身体の中央に貼り付いていて、ひびのひとつも入っていない。

(もしかしたら、この目はコイツのコアではないんじゃないのか?)

 ウエスターの脳裏に、そんな疑問が浮かんだ。
 彼はこのモンスターのことをよくは知らない。四つ葉町でたった数回、イースが戦っているところを、それもモニター越しに見ていただけだ。
 だが知識はなくとも、拳は確かにそんな違和感を訴えている。

(ならば……ならばどうすればいい? どうすればコイツを倒せる?)

 少女の呪縛を解くためには、このモンスターのコアを打ち砕くしかない。それなのに……。
 脳味噌が沸騰するような焦燥感に、真っ白になるほど拳を握り締めた、その時。

「ウオォォォォォ!」

 再び苦しそうな呻き声を上げたナキサケーベが、まるで子供でもあしらうように片手でホホエミーナを払いのけ、跳ね起きた。
 さっきまでの弱々しさが嘘のような俊敏な動き。だが、その後の動きは明らかにおかしかった。苦しげにじたばたとその場でのたうち回りながら、無茶苦茶に砲弾を発射し始めたのだ。

 咄嗟に空中高く飛び上がるウエスター。暴れ回る怪物に、強烈なかかと落としをお見舞いする。その一撃で、ナキサケーベの身体はコンクリートを割り、ずぶりと地面にめり込んで止まった。
 だが一瞬の後、さすがのウエスターも唖然とする出来事が起こった。
 さらに大きな呻き声が聞こえたかと思うと、巨大なひとつ目が鮮やかな赤に染まったのだ。瓦礫を盛大に跳ね飛ばして穴から抜け出た怪物が、再び狂ったように砲撃を始める。
「何だ……何が起きた!」
 自分を庇うように跳んできたホホエミーナに捕まって、瓦礫の雨を逃れたウエスターが、いつになく慌てた声で叫ぶ。が、その直後、ナキサケーベのひとつ目の奥にあるものを見つけて、その瞳が戦士の鋭い光を発した。



 せつなに右手を掴まれ、肩を押さえられた少女は、立ち上がろうと懸命にもがいていた。せつなもまた、何とか少女を押さえ込もうとしながら懸命に言葉を紡ぐ。
「あなたはノーザに、いいように利用されているだけよ」
「私とノーザさんには、同じ目的がある。だから、私が任務を果たすのは当然だ」
「そんなことをしても、あなたが欲しいものは手に入らないわ。かつての私がそうだったように」
「一緒にするな! 私が欲しいのは、メビウス様の復活だけだ!」

 憎々しげに睨み付けてくる、自分によく似た赤い瞳。それを見ていると、何とも苦く虚しい感情が、せつなの胸に湧き上がった。

(こんなことをいくら言っても、この子は納得なんてしない。それは私が一番よく知っているじゃない。だったら、やっぱり力づくでしか……。)

 せつなの視線が、ちらりと眼下の戦場の方へと流れる。その一瞬の隙をついて、少女はせつなの手を振り払い、立ち上がった。

「うっ……」
 途端に茨が活動を再開し、彼女の左手の上腕部に絡みつく。ふらりとよろめきかけた少女は、膝頭を握りしめてそれを堪えると、階下に向かって震える声を絞り出した。
「そ……そんなヤツ、は……早く蹴散らせ! ノーザさんの……邪魔をする者を……うわぁぁぁっ!」
 ついに少女が大きな悲鳴を上げる。何とか体勢を立て直したものの、両手を膝の上に置き、ハァハァと肩で息をし始めた。
 時折、喉の奥でくぐもった叫び声を上げるものの、それ以上はなかなか言葉が出て来ない。目を見開き、歯を食いしばって、痛みに耐えるのが精一杯なのだろう。

「ウオォォォォォ!」

 再びナキサケーベの呻き声が響いた。だがさっきまでとは違って、その声は途切れ途切れだ。
 その代わりのように、砲弾が撃ち出される音がひっきりなしに響く。そして着弾の音も、一方向ではなく四方八方から聞こえてくる。

(ひょっとして、制御できなくなっているんじゃ……)

 階下の様子に目をやって、せつなの表情が険しくなる。
 ナキサケーベはホホエミーナを跳ね除けて、のたうつように暴れながら、砲弾を発射し続けていた。さっきせつなを襲った時のように狙いを定めているとはとても思えない、滅茶苦茶な撃ち方で。それを見るや否や、せつなはもう一度少女に駆け寄った。

「もうやめて! これ以上は危険よ」
「邪魔を……するな」
「聞いて!」
 せつなが少女の細い肩を掴んで、目を合わせる。
「こうなってはもう、コントロールは効かない。私もそうだったから知っているわ。だからお願い、これ以上は……」
「……じゃない」
 必死で説得しようとするせつなに、少女がくぐもった声で何事かを呟いた。
「え……」
「同じ……じゃない。あな……たと……私はっ!」
 切れ切れにそう叫んだ少女が、懸命に身体をよじってせつなの手を外す。そして苦しそうに息をしながら、鋭い目でせつなを睨み付けた。

「私は……幹部だったあなたとは……違う。まだ……メビウス様からのご命令を……一度も頂いていない。まだメビウス様に……一度も……お会いしていない」
 少女の額から汗が滴り落ちて、ぽたぽたと地面を濡らす。
「これから……だった。全ては……これから。だから……たとえほんの一瞬でも、それを取り戻すと……決めたのだ!」

 言葉と同時に、少女が右手の拳をギュッと固く握り込む。五本の指の根元に食い込んだ細い茨が、さらに掌にも食い込んで、ポタリ、と鮮血がしたたり落ちた。
「今の私が……捧げられるのは、この……痛みだけ。ならば……捧げられる限り、捧げ尽す!」
 驚くせつなに薄っすらと笑って見せてから、少女が両腕を前に突き出す。そしてあろうことか茨に巻き取られた右腕に、左腕のまだ無傷の部分を、ギュッと押しつけた。

「うっ……」
 少女の口から、もう何度目かの呻き声が漏れる。左手を覆う黒い長手袋が、茨の棘であっという間にズタズタになる。
「何をするのっ!」
 慌てて止めようとしたせつなが、さっきまでとは比べ物にならない力で突き飛ばされる。少女はガクガクと身体を震わせながら、なおも両腕を硬く結び合わせ、まるでナキサケーベのような咆哮を上げた。

「うわぁぁぁぁぁ~!」

 すぐさま起き上がったせつなが、少女を見て驚きに目を見開く。
 叫び声を上げる少女の身体から、何かが立ち昇っている。赤黒い靄のようにも、気のようにも見えるもの。それが濃くなるにつれて、彼女を拘束している茨もまた、血のような赤に染まっていく。
 新たな傷を追いかけるように、赤い茨が彼女の左腕を覆う。そして茨は少女の身体に巻き付いたまま、次第に炎のような、赤い光を放ち始めた。

「やめて! もうやめて! そんなことをしたら、本当にあなたは……」
「メビウス様のためなら……どうなろうが……構わない……」
 まるで炎に包まれたように見える少女に向かって、せつなが震える声で叫ぶ。
 切れ切れに言葉を返した少女の目から、汗とも涙ともつかないものがポタリと落ちて――声にならない言葉が、その唇から紡がれた。

――たとえ……この命が尽きても……!

 せつなの瞳が大きく見開かれ、少女を包み込んだ赤黒い炎を映す。
 あの時の――最後にナキサケーベを召喚した時の、ドームを吹き荒ぶ風の音が聞こえた気がした。

 自分を心配してくれたラブの優しさから頑なに目を背けて、任務のことだけを考えようとしていた、あの時の自分。
 ボロボロになったドームも、逃げ惑う人々も目に入らず、ただがむしゃらに痛みに耐え、「プリキュアを倒せ」と叫び続けていた、あの時の自分。

 あの時自分を突き動かしていたものもまた、胸の奥に暗く燃え盛る、赤黒い炎ではなかったか?
 今、自分の心の奥を見つめるのが怖いのは、まだ胸の奥に、あの時の炎がくすぶっているかもしれないと、恐れているのではないのか?

(同じじゃない……ですって? いいえ、あなたには……あなたの中には、私と同じ炎がある)

 せつなの瞳が、哀しみに揺れる。その目の前で、まるでスローモーションのように、少女がゆっくりと崩れ落ちる。
 せつなは彼女を受け止めると、黙ってその身体を抱き締めた。
 赤黒い靄が、少女と一緒にせつなの身体を包む。
 赤い茨の鋭い棘が、少女と一緒にせつなの身体を傷付ける。
 それでも決してその身体を離すまいとするように、せつなは少女を、固く固く抱き締める。
 やがて、赤黒い炎が大きく燃え盛って、二人の身体を包み込んだ時――。

「国民番号ES-4039781。前へ出なさい」
 不意に、かつて聞き慣れた無機質な声が聞こえて来て、せつなは驚いて顔を上げた。


~終~