幸せは、赤き瞳の中に ( 第9話:起動! )




 灰色の硬い床の上に、どさりと投げ出される。身体を拘束していた蔦がほどけると同時に、頭の上から、冷たい床の感触よりさらに冷ややかな声が降って来た。
「全く情けない。あなたには失望したわ」
「申し訳……ありません」
 まだ痛みの残る腹部を庇いながら、少女がのろのろと立ち上がる。そして彼女を見下ろすノーザの映像を、すがるような目で見つめた。

「ですが、メビウス様復活の通告は、思った通り連中に大きなダメージを与えています。今なら簡単にゲージを満タンに出来る。お願いです! もう一度だけ、ダイヤを……」
「だからあなたには失望したと言っているのよ」
 ノーザはぴしゃりと少女の言葉を遮ると、まだ七分程度しか溜まっていないゲージの方に目をやった。

 少女の方を見ないまま、ノーザは淡々と語る。
 他の三人の幹部と違って、自分はダイヤを支給されてはいなかった。あのダイヤは、かつての試作品に自分で手を加えて作ったただひとつのもの。万が一、メビウス様の野望を阻むさらに強大な敵が現れたときのため、この予備のゲージと一緒に自分の部屋に隠し持っていたのだと――。

「あのダイヤを失った今、どんなに人間たちが不幸になろうが、その不幸をゲージに集めることはもう出来ない」
「そんな。じゃあ、メビウス様は……」
 少女が絶望したように呟く。が、ノーザの言葉を聞いて、その顔に僅かながら明るさが戻った。

「安心なさい。今溜まっている不幸を使って私の身体を取り戻せば、まだメビウス様復活の手立てはあるわ」
 ノーザの言葉が終わると同時に、鉢植えから蔦がするすると伸びた。ゲージの下方にあるコックを器用にひねって、不幸のエネルギーを水差しに入れる。そして自らの根元に、その中身を溢れんばかりに注いだ。
 注がれた不幸のエネルギーを、小さな木がゴクゴクと音を立てて吸収する。そして時を移さず、その枝先に人型のようなものが出現し、それが丸まって実のような形になった。

「これは“ソレワターセの実”。この実から生み出されるモンスターは、私が欲しいものを確実に奪う、強力で忠実なしもべよ。今度はこの子に働いてもらうわ」
「ソレワターセの実……」
 灰緑色の実を呆然と見つめていた少女が、ハッとしたようにノーザに目を移す。
「では、私は……」
「あら、挽回の機会が欲しいのね? ならば、ソレワターセの邪魔をする者を足止めしなさい。そのために、あなたにも素敵な贈り物をあげましょう」

 さっきまでとは打って変わって楽しそうに少女を見下ろしてから、ノーザはパチリと指を鳴らした。
 蔦が再び鉢植えの根元に不幸のエネルギーを注ぐ。小さな木はまたも勢いよくその液体を吸収したが、今度は枝先に実は現れなかった。代わりに一本の枝の先が、球状に膨れ上がる。そして別の枝から、空中にらせんを描くように新たな蔦が放たれ、膨れた枝の先からそれを目がけて、真っ黒な霧が吹きかけられた。
 固唾を飲んで見守る少女の目の前で、小さな霧が晴れる。すると、らせん状の蔦は黒々とした、薄っぺらい三角形に変化していた。

 霧を吹き出し終えて元の形に戻った枝が、その三角形の部分を切り離し、ゆっくりと少女に差し出す。
「メビウス様は、それを“カード”と呼んでおられた。ナケワメーケより強大なパワーを持ったモンスターを生み出せる、特別なアイテム。私が持っていたデータを使って、復元してあげたわ」
 ノーザの言葉を聞いて、少女が枝先にあるものに恐る恐る手を伸ばす。
「ただし」
 そこで再び、ノーザの声が飛んだ。
「その強大なパワーには代償が必要なの。当然でしょ?」
 少女が伸ばしかけた手を止める。
「どんな代償ですか?」
「それを使うと、激痛を受けるのよ。モンスターを使役している間、ずーっとね。耐えられなくて、命を縮めることもあるらしいわ」
「……」

 少女の手が、ゆっくりとカードから離れる。それを見て、ノーザは大きなため息をつくと、さも残念そうな口調で言った。
「そうねぇ。あのイースですら、それを四枚も与えられたというのに、結局使いこなせなくてボロボロになったんですもの。あなたには無理な話かもしれないわね」
「あの人が!?」
「ええ、そうよ。それは元々、プリキュアを倒すためにイースに与えられたものなの。失敗して寿命を止められたけど、そうでなくても、もう使い物にはならなくなっていたみたいね」
 少女の手が今度はギュッと握られ、ブルブルと震え出した。

「出来ないのなら、もう手を引きなさい。後は私一人で何とかするわ」
「誰が……やらないなどと?」
 少女が左手で右手を掴んで、無理矢理手の震えを止める。そして今度は勢いよく、その手をカードに向けた。
「私は、メビウス様のためなら何だって耐えられる。あの人が……先代のイースが出来なかったことだって、やり遂げてみせます!」
 ノーザの口の端が、わずかに上がる。まるで少女の意志に反応したように、三角形のカードは枝先を離れ、はらりと彼女の手の中に納まった。



   幸せは、赤き瞳の中に ( 第9話:起動! )



 おびただしい瓦礫の山。人っ子一人いない、廃墟と化した街。
 足場の悪さなど物ともしないスピードで、サウラーは道なき道をひた走っていた。厳重にくるんで胸元に抱えたモノを、少しでも早く、少しでも安全な場所に運ばなければ――使命ではない自らの想いが、彼を突き動かす。

 この三日間、サウラーは執務室に籠り、ずっとラブの手がかりを探し続けていた。だからラブが無事に戻ってきたと連絡があった時には心底ホッとしたのだが、それに続く報告を聞いて、自分の顔から一切の表情が消えたのが分かった。

 ウエスターが捕えた少女が奪い去られたこと。
 E棟の地下にある“不幸のゲージ”。
 そして何より、少女の後ろにいるノーザの存在。

 少女がラビリンスの国民にとんでもない通告を行ったと聞いた時から――いや、彼女があんなにも鮮やかにラブを連れ去った時から、何か強大な者の力が働いているのではないかと疑ってはいた。
 まさかそれが、あの計り知れない力を持った、かつての最高幹部だったとは。だが、ノーザはプリキュアの技を受けて、球根の姿に戻ったはず……。

――彼女は何故、今再び現れたのか。
――彼女は少女を使って、何をしようとしているのか。

 心はまだ呆然としているのに、頭の中に幾つもの仮説が浮かび、その検証が進んでいく。
 記憶しているノーザに関するデータとの照合。選択肢の抽出。可能性の算出。やがて相手の次の一手と、自分が取るべき次の行動が、次第に明確な形を取って浮かび上がってくる。

(おそらくノーザは、最終決戦の前に自らのデータのバックアップを残したのだろう。E棟の地下にあったという植木がその媒体か……。不幸のゲージの使い道はまだ分からないが、ヤツは十中八九、自分の実体を狙ってくる!)

 ものの数秒でそう思い至るが早いか、サウラーは執務室を飛び出し、ノーザの本体である球根が保護されている施設に向かった。
 中心地から少々離れているその施設まで、夜の闇の中を駆け抜け、無事を確認したその球根を持って、元来た道を再び走る。
 ノーザ本人のバックアップだ、自分の身体の在り処は、こちらが隠してもすぐに分かってしまうだろう。それならば、標的は手元に置いて、守りを固めた方がいい。

 執務室のある新政府庁舎が見えてきた時には、もうすっかり夜が明けていた。今にもノーザが襲ってくるかもしれないという焦燥感から飛ぶように駆け戻って来たものの、まだ辺りはしんと静まり返り、不穏な気配は何も感じない。

(どうやら少し慌て過ぎたか。やはりこんな即断即決は、ウエスターならともかく僕には似合わないね)

 フン、と自嘲気味に微笑んで、庁舎の中に入る。そして執務室までの道すがら、開け放たれた会議室の中をちらりと覗いた。
 この庁舎もまた、襲撃を受けた人々のために開放されている。大会議室には多くの人が避難していたが、薄暗いその部屋はしんと静まり返って、生気というものがまるでなかった。

 声もしない。動く者もいない。
 そう早い時間でもないというのに、人々は寝具にくるまったりうずくまったりした姿勢のまま、ただ時が過ぎるのを待っている。

(これが、あの通告がもたらした結果というわけか。やはりあの世界の連中と比べると、僕らはこんなにも弱く、脆いのだな)

 無表情の下で、苦々しい思いをかみ殺す。その時、何かが動く気配を感じて、サウラーは部屋の中に目を凝らした。

 薄闇の中、ゆっくりと起き上がる人の姿が見える。自分が使った寝具をきちんと畳み、サウラーのいる入り口に向かって歩いて来る人物。その顔を見て、サウラーの頬がわずかにほころんだ。
「あなたは、あの畑の……。ここに避難していたんですか」
 彼は、サウラーたちが試験的に作った野菜畑の管理人。時々、野菜作りのための情報を得るために、ここへやって来る老人だった。

 老人がサウラーに会釈を返し、そのまま廊下に出て行こうとする。
「どこへ行くんです?」
「朝だから、顔を洗うだけです」
 当たり前のようにそう答えながら、老人は洗面所の方へ歩き出す。
 しわがれてはいるが、落ち着き払った声。動きは遅いが、しっかりとした足取り。その姿は、何をするでもなくただ死んだような目をしている人々と比べて、とても力強くサウラーの目に映り――気が付くと、その後ろ姿に向かってもう一度呼びかけていた。

「あなたも、あの通達を聞いたんですよね?」
「通達……ああ、メビウス様が復活するという、あれですか」
 老人はサウラーを振り返って、思いのほかあっさりとした調子で答えた。
「でも、あなたは普段と同じように生活できているんですね」
 老人がいぶかし気な視線をサウラーに向ける。それを見て、サウラーは薄暗い部屋の中を指し示した。
「ほら、他のみんなはあの有り様だ。それなのに、何故あなただけが?」
 今度は老人の答えが返ってくるまでに、少しばかり時間がかかった。

「私はもう長く生きてきた。だからそう思うだけかもしれんが……」
 ようやく口を開いた老人が、目をしょぼつかせながら言葉を続ける。
「もう一度管理されようが、制裁を受けようが、ほんの少し前に戻るだけでしょう。むしろ……」
「むしろ?」
 真剣な表情で聞いていたサウラーが、老人の言葉が途切れたのに気付いて、怪訝そうに先を促す。そこで初めて老人の顔に、しまった、というような戸惑いの表情が浮かんだが、彼は促されるままに、絞り出すような声で言った。
「むしろ……制裁してくれた方が、楽なくらいで」
「それは一体、どういう……」
 そう言いかけた時、サウラーは通信機の着信に気付いて、失礼、と言いながらそれを耳に当てた。

 途端にウエスターの怒鳴り声が飛び込んで来て、思わず顔をしかめる。しかし、すぐにサウラーの表情が引き締まった。
 あの少女が再び現れた。それもナキサケーベを引き連れて――ウエスターはそう告げたのだ。
「わかった。僕もすぐに現場に向かう」
 早口でそう答えて着信を切り、何か思考を巡らせながら歩き出すサウラー。が、そこでふと何か思い付いた様子で、老人の方を振り返った。
「そうか、あなたなら……。申し訳ないが、僕と一緒に来て手伝ってくれませんか。お願いします」
 その真剣な表情に押されたように、老人がためらいながらも小さく頷く。
「ありがとう。早速相談があります。こちらへ」
 しんと静まり返った庁舎の廊下に、二人の足音だけが響いた。



   ☆



 顔の中央に貼り付いている、涙を流す一つ目のマーク。言葉を発せず、ただ苦し気な呻き声を上げるだけの哀しきモンスター。
 巨大なタイヤで出来た両手両足と、四角いメタリックな身体を持つそれは、どうやら乗り捨てられた車が素体のようだった。
 怪物の後ろに見えるビルの上に、あの時の自分と同じ、腕に暗紫色の茨を巻き付けた少女が立っている。その姿を苦し気な表情で見つめるせつなの肩を、ポン、と叩く者がいた。

「……ウエスター」
「危ないから下がっていろ。こいつを倒して、ヤツの目を覚まさせてやる!」
 せつなとラブの前に進み出たウエスターが、薄水色のダイヤを構える。
「ホホエミーナ! 我に力を!」
 叫びと共に、昨日少女にナケワメーケにされた街頭スピーカーが、今度はホホエミーナになって立ち上がる。
「ウオォォォ~!」
 新たな呻き声を上げて襲い掛かる怪物――ナキサケーベを、ホホエミーナはその太くて長い腕でしっかりと受け止めた。だが。

「ソ~レワタ~セ~!」
 今度は呻き声ではないはっきりとした雄叫びが、まるでウエスターを嘲るように別の方角から響く。
 暗緑色の蔦が人型になったような、ナキサケーベより遥かに大きな身体。そして蔦の裂け目から覗く、邪悪に光る赤いひとつ目。
「え……まさかあの子、ソレワターセも一緒に呼び出しちゃったの!?」
「違う。きっとノーザの仕業だわ」
 驚くラブにかぶりを振って、せつなが低い声で呟いた、その時。
「さすが、お見通しねぇ」
 不意に聞き慣れた声がしたかと思うと、ソレワターセの後ろの空間が、一瞬だけぐにゃりと歪んだ。

「久しぶりね、イース。それにウエスター君」
 巨大なソレワターセの後ろに、さらに大きなノーザのホログラムが出現する。
 その声は、まるで天から降って来るよう。視界一杯に広がる半透明な姿は、かつての主の姿すら思い起こさせる。
 ウエスターはグッと奥歯を噛みしめてから、自分を励ますように、巨大な映像に向かって声を張り上げた。

「出たな、ノーザ!」
「あら。もう“ノーザさん”とは呼んでくれないのかしら」
 からかうような口調でそう言うと同時に、ノーザの右手がさっと上がる。
「さぁ、ソレワターセ。プリキュアが加勢などしないうちに、私が欲しいものを奪いなさい」

「そうはさせん! ホホエミーナ!」
「くっ……そいつを止めろ!」
 ウエスターと少女の叫びがほぼ同時に響いた。くるりと向きを変えてソレワターセに飛びかかろうとするホホエミーナと、それを後ろから羽交い絞めにするナキサケーベ。
 身動きが取れなくなった相棒を見るが早いか、ウエスターが単身、ソレワターセに挑みかかる。が、今度はナケワメーケの時のようなわけにはいかなかった。
 スピードが違う。パワーが違う。おまけにサイズが違い過ぎる。ウエスターはたちまち防戦一方に追い込まれ、荒い息をつき始める。

 二つの戦況を楽しそうに見つめていたノーザが、ラブとせつなの方に目をやって、ニヤリとほくそ笑む。
「ただ見ているだけで変身しないなんて、あなたたちも薄情ねぇ。それとも、本当はもう変身出来ないのかしら。だったら勝負は決まったも同然ね」
 悔しそうに睨み返すだけで、何も言えない二人。すると二人のすぐ後ろから、新たな声が聞こえた。
「さあ、それはどうですかね」

「ホホエミーナ! 我に力を!」
 新たな薄水色のダイヤが、瓦礫の山に突き刺さる。
「ホ~ホエミ~ナ~! ニッコニコ~!」
 ゴツゴツしたゴーレムのような姿の怪物が立ち上がり、その場にそぐわぬ明るい雄叫びを上げた。それと共に周りの瓦礫が次々に吸収されて、その体が見る見るうちに大きくなる。
 やがてソレワターセと同じくらいの大きさに成長したところで、ホホエミーナは太い両手を広げ、目の前の怪物に掴みかかった。

「サウラー!」
「どうやら間に合ったようだね」
 サウラーがせつなの隣に並んで、口元だけで小さく微笑む。その姿を、ノーザが忌々し気に見下ろした。
「あら、あなたも私に逆らうのね? サウラー君。でも、そんな間の抜けた物を作って、ソレワターセに敵うと思ってるの?」
 ノーザの言葉を証明するように、ソレワターセがホホエミーナを捕えて地面に叩き付けた。灰緑色の腕を槍のように真っ直ぐ伸ばし、とどめを刺そうと身構える。
 だが、サウラーは慌てる様子もなく、いつもの皮肉めいた口調でノーザに叫び返した。
「お生憎様。僕は一人ではないんでね」

「え? サウラー、それってどういう……うわっ!」
 怪訝そうに問いかけたラブが、驚いたように手で顔を覆う。突然、温かな空気が頬を撫で、視界が真っ白になったのだ。辺りにはもうもうと湯気が立ち込め、その向こうでソレワターセがよろよろと後ずさるのが、ぼんやりと見えた。さっきまでとは打って変わって、その体は萎れ、腕はへなへなと力なく垂れ下がっている。

「何だ。何があった! ……あっ」
 珍しく慌てたような声を出したノーザが、湯気の向こうに目をやって、驚いたように息を呑む。
 そこには一人の老人の姿があった。少々へっぴり腰ながら、その両手はしっかりと消防用のホースを握り締めている。彼の隣にはぐらぐらと沸く大鍋があり、ホースはそこに繋がっていた。

「なるほど、植物は高温に弱く、熱湯をかければ枯れるほどのダメージを受ける。植物から生まれたソレワターセも例外ではない、か。あなたの知識に助けられました」
「ええい、ただの人間の癖に、小癪な真似を!」
 サウラーの言葉を聞いて、ノーザが恐ろしい形相で老人を睨む。その視線はそのまま少女へと向けられた。
「何をしている。邪魔者を排除するのはあなたの仕事よ。早くそいつらを片付けなさい!」

「おっと。お前の相手は、俺たちだ」
 ソレワターセの方へ向かおうとするナキサケーベを、今度はウエスターのホホエミーナが体当たりで止める。
「ウォォォ~!!」
 苦し気な雄叫びを上げたナキサケーベが、今度は短い腕をブンブンと振り回す。するとそこから、タイヤ型の砲弾が次々と飛び出した。

「みんなが危ない!」
 ラブが思わず声を上げる。ナキサケーベとホホエミーナが戦っているすぐ後ろには、さっきまでラブたちが居た警察組織の建物があるのだ。ラブの声が聞こえたかのように、ホホエミーナが体を投げ出すようにして砲撃を受け止めようとするが、とても全部は止めきれない。
 やがて、弾のひとつが建物の近くに着弾して盛大な土煙を上げた。それを見て、せつなが素早く身を翻し、建物に向かって走り出す。そして、既に昨日までの襲撃によって壊されていた頑丈そうな門の残骸を見つけると、その一端を引き上げて下に潜り込んだ。

「せつな!」
「何をする気だっ?」
 ラブに続いてサウラーが、ここへ来て初めて焦りの声を上げる。
「この建物の中には、避難してきた人たちがたくさん居るの。傷付けるわけにはいかない」
「よせ! 今の君に、砲弾を止められると思うのか!」
「やってみなきゃ……分からないでしょう? 私も……やらなきゃならないことを、全力で……やるだけよ!」

 せつなが渾身の力で門を押し上げ、大きな盾の代わりにする。その真ん中に、一発の砲弾が命中した。着弾の勢いに押されながらも、せつなは歯を食いしばって門を支え、後ろの建物を守ろうとする。

「……せつなっ!」
 あっけに取られて一部始終を見ていたラブが、ハッと我に返ってせつなの元へ駆け出そうとする。その肩を、誰かの手ががっしりと押さえた。
「ここは僕に……僕たちに任せて下さい」



 耳をつんざくような爆発音が、絶え間なく響く。強烈な硝煙の臭いと、全身の筋肉がしびれるような衝撃――。
 せつなは、盾にした門の残骸を必死で支え続けていた。
 彼女が立っているのは、避難者が居る会議室の前方に当たる場所。この重い盾を持って、動き回って砲弾を止めることは出来ないが、ここならば少なくとも彼らの居る部屋への被弾を防ぐ助けにはなるだろう。

(だけど……)

 門を支えている掌が、さっきからヒリヒリと痛んでいる。度重なる着弾で、門が次第に熱を帯びてきているのだ。これ以上温度が上がれば、せつなには支えきれない。そもそも門が、盾としての役に立たなくなってしまうかもしれない。

(そうなる前に、何か……何か手は無いの!?)

 唇を噛みしめて、何か妙案はないかと思考を巡らせる。
 その時、ひときわ大きく苦しそうな雄叫びと共に、今までとは比べ物にならない数の砲弾が打ち出される音が響いた。

(駄目……そんな数は防ぎきれない!)

 せつなは全身を盾に預けるようにして支えながら、思わずギュッと目をつぶった。

 着弾音が、少し遠くから聞こえた気がした。最悪の予測が外れ、弾がこちらまで届かなかったのか――そう思いながら恐る恐る目を開けて、せつなの目がそのまま驚きに見開かれる。

 目の前に、いつの間にか銀色の長い壁が出来ていた。いや、それはただの壁では無かった。
 二十人、いや三十人は居るだろうか。揃いの警察組織の戦闘服に身を固めた若者たちが、やはり警察組織の大きな盾を手に、ずらりと一列に並んでナキサケーベの砲撃を防いでいたのだ。
 ぽかんと口を開けるせつなを、一人の若者が振り返る。それは、今朝ラブが作ったおじやの鍋を運び、配膳を手伝ってくれたあの少年だった。

「せつなさん、ありがとう。僕たちもやらなきゃならないことを、全力でやってみます」
 少年が、相変わらずぼそぼそとした口調でそう言って、ニッと照れ臭そうに笑う。その時ナキサケーベの新たな呻き声が聞こえて、その顔がきりりと引き締まった。
「みんな、少しでも隙間を空けると危険だわ!」
 せつなが門の残骸を放り出して、少年たちに向かって声を張り上げる。訓練は積んでいるが、こんな実戦経験など無い若者たち――そう思った瞬間、自然に体が動いたのだ。
「盾を少し斜めにして、隣の人の盾と半分ずつ重ね合わせるの。そうすれば、隙間は完全になくなるし、盾の強度も倍になる」
 少し低めのよく通る声が、若者たちに的確な指示を出す。やがて建物の前面全体を守る、頑丈な防御壁が出来上がった。

 せつなと若者たちの様子を眺めていたラブが、ゆっくりと笑顔になる。そして勢いよく走り出すと、ホースを構える老人の元へ駆けつけ、その手を取った。
「おじいさん、手伝うよ!」
「い、いや、これは……」
「ううん、手伝わせて。お願い!」
「あ、ああ……それなら、頼む」
 老人がラブの勢いに押されたように、こくんと頷く。その戸惑ったような顔にもう一度ニコリと笑いかけてから、ラブは老人と一緒にホースを支え、ぴたりとその先をソレワターセに向けた。



 少女が操るナキサケーベと、ウエスターのホホエミーナ、そしてナキサケーベの砲弾を防ぐ盾を担うせつなと警察組織の若者たち。
 ノーザが檄を飛ばすソレワターセと、サウラーのホホエミーナ、そしてラブと老人による援護射撃。
 一進一退の攻防を、幾つかの建物に潜むラビリンスの避難者たちは、固唾を飲んで見守っていた。

「思い出すな……。プリキュアの戦いを見た、あの日のことを」
「あの時も、私たちを助けてくれたのよね」
「でも、メビウス様が復活すれば、それもすべて終わりだ」
「それはそうかもしれないが……」
「でも、あの人たちは今、私たちを守るために戦ってくれている」

「私たちは、守られているだけ? それだけで何も出来ないの?」

 いくつもの力のない呟きが重なって、やがて一人の若い女性がそう言って人々の顔を見回す。すると、最初はバツが悪そうに顔を見合わせていた人たちの間から、少しずつ声が上がり始めた。

「砲撃を防ぐ工夫なら……僕たちにも出来るかもしれないな」
「確かにその方が、みんなも戦いやすいはずね」
「よし、ここにバリケードを築こう」
「じゃあ俺は、会議室の隅に片付けた机と椅子を持ってくる」
「私はあのおじいさんを手伝って、お湯を調達してきます」

 にわかに活気づいた雰囲気に押されるように、うずくまっていた人たちが、一人また一人と立ち上がる。
 戦いの様子を目の当たりにして、久しぶりに声を出し、言葉を交わす。そして何かをしようと駆け出していく。
 それは、せつなもラブも、ウエスターもサウラーも、勿論ノーザも少女もまだ気付いていない、ラビリンスに起こった静かな、しかし確実な変化だった。



「うっ……な、何をしている。そんなヤツ……うっ……さっさと倒せ!」
 暗紫色の茨が、一巻き、また一巻きと、少女の二の腕に絡み付き、締め付けていく。苦痛に耐えながらモンスターに檄を飛ばし続ける少女がふらりとよろめいて、ついにガクリと膝をついた。

「ああ……」
 老人が喉の奥から小さな悲鳴を吐き出して、少女から目を背ける。心配そうにその顔に目をやったラブは、その向こうに見えるせつなの様子に気付いて、さらに心配そうに眉根を寄せた。

 せつなの右手が、小刻みに震えている。拳を固く握り締め、片時も目を離さずに、苦しむ少女の姿を見つめている。
 しばらくその様子を眺めてから、ラブもグッと唇を引き結んだ。

 ホースを老人に任せ、せつなの元に駆け寄る。そして握られた拳に右手でそっと触れると、ラブはせつなの目を覗き込むようにして言った。
「せつな。あの子のところに行こう!」
「……え?」
「あの子を止めようよ」
「ラブ……何を言っているの?」
 驚いた――そして少し怒っているような表情で、せつながラブの顔を見つめる。ラブもせつなの顔を見つめ返して、さらに言葉を続けた。
「あの子を助けよう。ね? せつなは、そうしたいんでしょう?」

「無茶言うな。ここは俺に任せておけ!」
 決め手を欠いて苦戦しているホホエミーナに目をやったまま、ウエスターがいつになく鋭い声を出す。それを聞いて、せつなは小さく、そして少し哀しそうに微笑んだ。
「ウエスターの言う通りよ、ラブ。今の私たちに、戦う力はない。ナキサケーベやソレワターセを浄化することも出来ない。だったら、私たちは私たちがやらなきゃならないことを……」
「違う。違うよ、せつな」
 今度はラブの顔が、哀しそうに歪んだ。

「ねえ、せつな。やらなきゃならないことは、本当にやりたいことに繋がってなくちゃいけないんだよ」
「本当に……やりたいこと?」
 掠れた声で聞き返すせつなに、ラブは、うん、と頷いて見せる。
「避難しているラビリンスの人たちを守りたい――それもせつなの、本当にやりたいことだったんだよね。だから警察の人たちが、その想いに応えてくれたんだと思うんだ」
 そう言って、ラブは固く握られたせつなの拳を、両手で優しく包み込む。
「本当は、あの子が苦しむところを見ていられないんでしょう? あの子を助けたいんでしょう? だったら助けようよ! あたしはせつなを、応援するよ」
 ラブを映すせつなの赤い瞳が、ゆらゆらと揺れる。その揺れが収まってから、せつなはラブに向かって、ニコリと笑ってみせた。

「ありがとう、ラブ。ウエスター、私一人で行かせて」
「えっ? しかし、お前が行ったら……」
「大丈夫。私も……私の力を、信じてみたい」
 驚いたような、困ったような顔でせつなとラブの顔を交互に見ていたウエスターが、せつなの言葉を聞いて、そうか、と小さく呟く。

 その時、盾を持った警官たちの列から一人の若者が飛び出して、建物の中に走り込んだ。ほどなくして出て来ると、今度は一目散にせつなの元へと駆け寄る。その顔を見て、せつなが、あっ、と声を上げた。
「あなたは、ひょっとして昨日の……。ごめんなさい、いきなりあんな酷いことをして」
 それは、昨日少女があの通達を行った時、怒りに駆られたせつなに戦闘服を奪われた、あの若者だった。

「いいえ。元はと言えば、俺が油断していたのがいけないんです」
 若者が少し照れ臭そうな顔でかぶりを振りながら、抱えていた物をせつなに差し出す。
「これ、うちの隊の予備の戦闘服です。せつなさんには物足りないと思いますが、良かったら使って下さい」
 せつなは、昨日とは別の理由で手を震わせながら、戦闘服を受け取って、それを大事そうに胸に抱いた。

 戦闘服が、再び旗のように勇ましく空中に翻る。イースであった頃に着慣れていたものとは、性能面でかなり劣る代物。しかし、そこに込められたあたたかな想いが、せつなに大きな勇気をくれる。
 するりと袖を通してから、せつなは目を閉じ、静かに気を集中させる。そしてパッと目を見開くと、強い光を帯びた目でラブを見つめた。

「行って来るわね」

 言うが早いか、飛ぶように駆けるせつな。その髪が一瞬銀色に輝いたように、ラブの目に映った。


~終~



最終更新:2017年01月15日 12:22