幸せは、赤き瞳の中に(第5話:届かない声)




 しんと静まり返った薄闇の中。ラブはベッドの上にそっと半身を起こすと、隣にある寝顔を見つめた。
 閉じられた長い睫毛。小作りで均整の取れた顔立ち。額に一筋だけかかった黒髪に思わず手を伸ばしかけて、すんでのところでその手を引っ込める。今はその安らかな眠りを、少しでも邪魔したくは無かった。

 小刻みに震える身体を抱き締めた感触が、まだこの手に残っている。あまり力を入れたら、手の中で消えてしまうんじゃないかと思うほど、弱々しくて儚げだった。
 あんなに怯えたせつなを見たのは、いつ以来だろう。

(良かった。せつな、よく眠れてるみたいだね)

 掛布団が規則正しく上下するのを見ながら、確か前にもこんな距離で、せつなの寝顔を見つめたことがあったな、と記憶を辿る。
 あれは、せつなが初めて桃園家にやってきた日。まだせつなの部屋が出来ていなくて、ラブのベッドで一緒に眠った夜のことだ。

 森の中で二人、互いに全てを懸けてぶつかったあの日。
 心が通じ合ったと思った矢先に訪れた別れと、奇跡の再会。
 そしてラブは、初めてラビリンスの――せつなの置かれていた、あまりにも冷酷な現実に触れた。

――ねえ。せつなは幸せ? せつなの幸せは、なぁに?

――せつなはいつも一人で居るし、寂しいのかなぁって。

――せつなも自分の体を大切にしなきゃ、周りの人たちが心配するよ?

 友達だと思って発した数々の言葉が、せつなを傷付けていた。
 友達だと思って過ごしてきた日々が、せつなを追い詰めていた。
 それが悲しくて、悔しくて、今度こそあたしが付いてるからね、と涙をこらえてその寝顔に誓った夜。
 でも、せつなの苦しみに比べれば、自分の涙なんて、本当に取るに足らないものだったと思う。

 過去の自分の行いを悔い、せつながずっと苦しんできたことを、ラブは知っている。だから、ラブはせつながイースだった頃のことを尋ねたことは無かったし、せつなもまた、その頃のことを語ることは無かった。
 それでいいと思っていた。仲間になり、家族になったのは、今のせつな。悲しい過去を振り返るより、その分もっともっと楽しい毎日を積み上げて、未来で幸せゲットしてほしいって思ったから。
 でも今日みたいに、せつなが未だに過去の自分の影に怯え、震えているのを見ると、いつになく心が揺らいだ。
 悲しい、というのとは少し違う。なんていうか、小さな後悔の芽のようなものが、心の中にむくりと頭をもたげたような……そんな感じがした。

(せつなは、せつなだよ。それは何があっても変わらない。だけど……本当にこれで良かったのかな。せつなが、これまでどんなところで、どんな風に過ごしてきたのか。何を考えて、何を感じて来たのか、もっと知ってたら……もっとせつなのために出来ることが、あったのかな)

 ラブは、せつなの寝顔をもう一度覗き込んでから、再びベッドにそっと身体を預けた。胸の上で祈るように両手を組んで、天井を見つめる。

(今、あたしに出来ることって、何だろう……)

 淡い色彩の天井は、今は常夜灯の陰になり、ぼんやりとした闇に霞んで、ラブの目に映った。



   幸せは、赤き瞳の中に ( 第5話:届かない声 )



「せつなさん。注文しておいた新しい食器、届きましたよ」
 ホールの入り口から、給食センターの職員の声がした。
「ありがとうございます」
 テーブルクロスを畳んでいたせつなが笑顔で席を立って、その手から重そうな箱を受け取る。
 戻って来たところで、ラブはせつなに近付くと、わざとその肩にぶつかるようにして、箱の中を覗き込んだ。

「わぁ、きれいなお皿だね、せつな。グラスもこんなに沢山!」
「ラブったら。いきなりぶつかって来たら危ないじゃないの」
 もうっ、と軽く睨まれて、ラブはエヘヘ~、と頭を掻く。せつなの口元が柔らかくほころんで、その唇が、しょうがないわね、と動いた。それを見て、ラブは内心、ホッとする。
 その声も表情も、立ち居振る舞いも普段通り、いつものせつなだ――そのことを何だか嬉しく思いながら、ラブはせつなを手伝って、食器をテーブルの上に並べ始めた。

 一緒に作業をしていた職員たちが、テーブルに並べられた食器を見て集まって来た。艶やかな平皿の表面を感心したように眺めたり、グラスにこわごわ手を伸ばしたりしている。
 長い間、食事は栄養を摂取するための義務でしかなかったラビリンスでは、当然ながら、食器を選んだり、盛り付けを工夫したりということは皆無だった。料理教室で使われている食器類は、調理台や調理器具と同じく、異世界から買ってきたり、工場に特別に頼んで作ってもらったりしているのだという。
 その特注の食器の多くが犠牲となった思わぬ事件も、ようやく片付いた。これでまた、いつものように料理教室を開くことが出来るだろう。
 職員たちの様子を嬉しそうに眺めながら、食器棚に食器を仕舞い始めるせつなに、ラブがタイミングよく次々と、テーブルの上のお皿を手渡していく。

「う~ん、この白いお皿は、お料理が映えそうだね。これにハンバーグを盛り付けたら、きっとすっごく美味しそうに見えるよ~!」
「そうね。このお皿なら、付け合わせのニンジンも美味し~く食べられるんじゃない?」
「うっ……せつなのイジワル。それなら今度の付け合わせは、ニンジングラッセじゃなくて、ピーマンのソテーにしようっと」
「そ……そこは別に、変えなくていいわよ」
 ラブとせつなが交互に冷や汗をかいてから、最後は二人同時に、プッと吹き出した。そのまま、アハハ……と楽しそうに笑い合う二人に、周りの職員たちもつられて笑顔になる。

「随分と楽しそうじゃないか。何か旨いものの話でもしているのか?」
 入口の方から、ひときわ明るくて大きな声がした。それを聞いて、もう一度せつなと顔を見合わせてクスリと笑ってから、ラブがブンブンと首を横に振る。
「違うよ、ウエスター。お料理教室で、せつなにどうやってピーマン食べさせようかなぁって話」
「何言ってるのよ。ラブがちゃんとニンジンを食べるのが先でしょ?」

「ほぉ。まさか苦手なものの話とは思わなかったぞ……」
 ウエスターが少し驚いたように呟く。そして得意そうな顔で、抱えていた紙袋をテーブルの上に置いた。
「じゃあ、今度は旨いものの出番だな。今日のドーナツは、今までの最高傑作だぞ!」
「わぁ、ウエスター、ありがとう! ねえねえ、せつなぁ、どれにする?」
 ラブが真っ先に歓声を上げ、早速ガサゴソと紙袋を覗く。が、一向にせつなの声が聞こえてこないのに気付いて、不思議そうに顔を上げた。

 せつなは、さっきまでとは打って変わった厳しい顔つきで、窓の方に目をやっていた。ウエスターも別人のような険しい表情で、せつなと同じ方向を見つめている。
 それを見て、最初は不思議そうだったラブの顔が、すぐに不安そうな表情に変わった。
 ウエスターはともかく、せつなのこういう反応を、プリキュアとして一緒に戦っていた頃、ラブは何度か目にしたことがあった。他の仲間が誰も気付いていない危険を察知して、いち早く警告してくれる。そのお蔭で助かったことは、何度もあったのだが。

(きっとこれも、せつながラビリンスで身につけた能力なんだよね……)

 何だか少し悲しい気持ちで、ラブがせつなの横顔を見守る。すると次の瞬間。

「うわーっ!!」

 その場に居た全員が、一斉に両耳を押さえてしゃがみ込んだ。ラブの手からドーナツがひとつ転げ落ち、コロコロと床の上を転がって、ぱたりと倒れる。
 衝撃波を伴った、耳をつんざくような凄まじい音。頭の芯に響くようなハウリング音が、突如襲い掛かったのだ。
 これだけの大きさになると、音は強大な暴力と化す。窓ガラスにピシリと亀裂が走り、それがみるみる広がって蜘蛛の巣のようになったかと思うと、ガラスがザァっと一瞬で崩れ落ちた。

「な……何だ、あれ!」
 よろよろと立ち上がった職員の一人が、裏返った声を上げて外を指差した。
 枠だけになった窓の向こうに、のそりと立つ大きな影。その姿を、職員たちだけでなく、ラブとせつなも、そしてウエスターも、驚きのあまり声も無く見つめる。

 ビル一つ分くらいの幅の円柱がぐんと縦に伸びた、巨大な棒のような胴体。その上に乗っかっている、これまた巨大な黒い円盤のようなもの。
 何よりラブとせつな、それにウエスターを驚かせたのは、円盤の上部に見えるつり上がった赤い二つの目と、胴体の中央にある、黒っぽい色の大きなダイヤだった。

「あれって……やっぱりナケワメーケ?」
「ええ。どうやら素材は、この区画の街頭スピーカーみたいね」
 怪物に厳しい目を向けたままでラブの質問に答えたせつなが、すぐに鋭い一言を発する。
「気を付けて! また来るわ!」

「ナケワメーケ! ワワワワワ……」

 再びの音波攻撃に、今度は食器棚がミシミシと不気味な音を立て始めた。ウエスターが慌てて棚を押さえ、長い足を素早く伸ばしてドアを蹴り飛ばす。
「イース! ラブ! とにかくみんなを連れて逃げろ!」
「わかった。こっちよ!」
 せつなが先頭に立って、廊下に出る。職員たちを全員外に出してから、最後にラブが走り出した時。

「ホ~ホエミ~ナ~。ニッコニコ~!」
「ホホエミーナ、行け! ヤツを止めろ!」

 聞き覚えのある能天気な雄叫びと、ウエスターの凛とした声が、今飛び出したドアの向こうから聞こえた。


   ☆


 せつなとラブは、給食センターの職員たちを連れて、すぐ近くにある食糧庫を目指した。
 食糧庫なら、頑丈なシャッターが付いているから音波も遮ってくれるに違いない。おまけに広いし、何と言っても食糧なら豊富にあるので、避難場所としてはもってこいのはず――走りながら、せつながそう説明してくれる。

 周りの建物も、そのほとんどは窓ガラスが割れ、なかには壁にひびが入っているものまであった。
 何が起きたのか訳が分からず、通りをうろうろしている人。ガラスの破片が飛び散っている道端で、頭を抱えてうずくまっている人。人々は皆呆然としていて、その顔にはほとんど表情が無い。せつなが落ち着いて人々を誘導し、食糧庫へと向かう長い行列が出来た。さっきの楽しい時間を思い出して、ラブは唇を噛みしめる。

 後ろを振り返ってみると、ナケワメーケの前に、平べったい円形の身体のホホエミーナが立ちふさがっていた。どうやら給食センターのフライパンが素材らしい。その奮闘のお蔭か、耳を塞いでも防ぎきれないあの凄まじい轟音は、さっきと違って、今は時々途切れるようになってきている。だが、なかなか完全には止まないところを見ると、ホホエミーナはどうやら苦戦しているようだった。

「それにしても何なんだろう? あのナケワメーケ」
「分からない。あんな色のダイヤも、見たことがないし……」
 ラブの問いに、せつなが前を向いたまま苦い表情で答えかけた時、一人の幼い女の子が、通りをふらふらと歩いているのが目に入った。
「ここに居ては危険よ。私たちと一緒に、安全なところへ行きましょう」
 せつなが女の子の側にしゃがみ込み、目線の高さを合わせて、優しい声で語りかける。そして女の子の手を取って立ち上がらせると、その子としっかりと手を繋いだ。
 ラブが、そんなせつなの様子に、フッと頬を緩める。せつなはそんなラブの顔を照れ臭そうにチラリと眺めてから、女の子と一緒に列の先頭に立った。
「さあ、そこの角を曲がったところよ!」
 後ろに続く人たちにそう声をかけて、せつなが女の子を気遣いつつ、速足で交差点を右に曲がる。続く人々を誘導してから、自分も角を曲がろうとしたラブは、もう一度ナケワメーケの方を振り返って、そこで思わず足を止めた。

(あんなところに、誰か居る!)

 二体のモンスターが戦っているすぐ近くの陸橋の上に、小さな人影が見える。いくら途切れ途切れとはいえ、あんな近くでは轟音も物凄いだろう。もしかしたら取り残されて、動けなくなっているのかもしれない。

「ラブ~! どしたの?」
 ラブが来ないのに気付いたのだろう。曲がり角の向こうから、せつなの叫ぶ声が聞こえた。それに大声で答えようとした時、またしても音波が襲って来て、ラブは慌てて両手で耳を塞いだ。

「早く助けなきゃ!」
 思わず二、三歩走りかけて、せつなのいる方を振り返る。心配させないように一言伝えてから行きたいが、今は普通に会話するのすら難しい状況だ。それにぐずぐずしていたら、あの人がますます危険にさらされるかもしれない。

(せつななら、分かってくれるよね?)

 ほんの少しだけためらってから、ラブは意を決して、元来た道を全速力で走り出した。

 ナケワメーケに近付くにつれ、さすがに音波の衝撃は強くなってきた。音だけでなく、物理的な圧力が、突風となってラブを押し戻そうとする。ラブは、足から力が抜けそうになるのを必死で堪え、建物の陰から陰へと移動して、じりじりと前へ進む。

 ようやく陸橋がよく見える距離まで近付いた時、ラブは、ん? と不思議そうに呟いた。
 ごしごしと目をこすって、陸橋の上に居る人物にもう一度目を凝らす。そして。
「あーっ、あなたは!」
 誰も聞いていないビルの陰で、ラブは思わず大声を上げた。

 肩の上くらいで切り揃えられた、少しくすんだライトブラウンの髪。大きな緋色の目がひときわ強い存在感を放つ、色白で端正な顔立ち……。
 間違いない。昨日、公園の奥の畑で出会った少女――あの時、せつなと睨み合ったあの少女だ。だが、今日の彼女の服装は、昨日と一昨日会った時のラビリンスの国民服とは、明らかに違っていた。
 上半身は華奢な身体にぴったりとフィットし、裾はマントのように長くて後ろに広がった形の、黒い衣装。細い手足は、同じく黒の長手袋と、黒の長靴下に覆われている。
 ラブの目に焼き付いている、親友のかつての姿とは同じでは無いものの、それをありありと思い起こさせる姿。
 と、その時ちょうど音波が途切れ、彼女の声がはっきりとラブの耳に飛び込んで来た。

「何をしている、ナケワメーケ! もっと攻撃しろ! 愚かで恩知らずな者どもを、不幸のどん底に突き落としてやれ!」

 そう、彼女はそこに取り残されているわけではなかった。左手を腰に当て、右手を前に突き出して、ナケワメーケに檄を飛ばしていたのだ。

「え……えーっ!? あの子が、ナケワメーケを!?」
 またしても誰も居ないところで大声を上げてから、ラブがハッとしたような顔つきになった。
「不幸の……どん底に……?」

 彼女の言葉に奮起したのか、ナケワメーケは再び強烈な音波を放ちながら、街の方へと歩き出そうとしていた。ホホエミーナが立ちふさがり、その丸くて平べったい身体をナケワメーケに叩き付ける。
 ゴン、という鈍い音がして、ナケワメーケがぐらりとよろけ、地響きを上げてその場に倒れた。ホホエミーナが相変わらず笑顔のままで覆いかぶさり、ナケワメーケのダイヤに手を伸ばす。
 だが、そこで予想外の出来事が起こった。ホホエミーナの手がダイヤに届いたと思った瞬間、まるで感電でもしたように、ホホエミーナが弾き飛ばされたのだ。建物の上に倒れ込んだホホエミーナが、衝撃にビリビリと身体を震わせながら、必死で立ち上がろうとする。

「ハハハ……! 何度やっても無駄だ。お前にコイツは倒せない。それどころか、お前が居るお蔭で不幸がもっと広がっている。見ろ!」
「ホ……ホエミ……ナ……」
 勝ち誇ったような少女の言葉に、ホホエミーナが目尻をカタッと下げて、悲しそうに辺りを見回す。
 二体のモンスターが戦っている周辺の建物は、そのあおりを受けて、ほとんどが全壊、半壊の状態になっていた。
 戦意を喪失したホホエミーナに、ナケワメーケが再び音波を浴びせかける。

「もうやめて!」
 自分の声さえ聞こえない騒音の中で、ラブは思わず叫んでいた。
 鋭い目でナケワメーケを見据える少女の姿が、ラブの中でいつの間にか、かつてのせつなの――イースの姿と重なっていた。同時に、昨日自分の腕の中で震えていたせつなの姿が、それと重なるように蘇って来る。

「ダメ……。このままじゃ……ダメ~!!」

 ラブはグッと拳を握ると、風圧に何度も転びそうになりながら、再び通りを走り出した。少女が立っている陸橋は、モンスターたちの戦いの現場を挟んで向こう側にある。
 路地から路地を斜めに走って、大回りをしてナケワメーケの背後に回ると、あんなにラブを悩ませていた音は嘘のように小さくなった。音は一定の方向に向けて、強く発せられているらしい。なるほど、それで少女はあんなにも平然と、立っていられるのだろう。
 どうにか少女の立つ陸橋の下までやって来ると、荒い呼吸を力づくで抑え込んで、精一杯の大声を張り上げる。

「もうやめてっ! どうしてこんなことをするの?」
「ん? ……ああ、お前か」
 少女がナケワメーケから目を離し、ラブの姿を認める。そして昨日とは打って変わった余裕の表情で、ふん、と鼻で笑った。

「どうして? そんなこと、聞いてどうする」
「だって……何か理由があるんでしょう?」
「ふん、異世界人のお前には関係ない。とっとと自分の世界へ帰るがいい」
「関係あるよっ!」
「何っ?」
 打てば響くように返って来たその言葉に、少女が初めて、怪訝そうな顔になる。が、続くラブの言葉を聞いて、その表情は次第に険しいものに変わった。

「あたし、あなたにこんなことして欲しくない!」
「……何を言ってる」
「人を怖がらせたり、傷付けたりしてしまったら、結局は自分が傷付くことになるんだよ。あたしはあなたに、悲しい顔して欲しくないの。だから、こんなこともうやめて!」
 今まで悠然とラブを見下ろしていた少女が、ギリッと奥歯を噛みしめる。そして矢のような速さで陸橋の上から飛び降りると、ぐいっとラブの胸倉を掴んだ。

「お前、正気か? お前に私の何が分かると言うんだ」
「わ……分からないよ。でも……あなたはあたしを……助けてくれたじゃない。ほら、初めて会ったとき」
 息苦しそうに、それでも必死で言葉を押し出すラブをじろりと睨んでから、少女がラブから手を離す。
「あれは助けたんじゃない。お前がぶつかって来ただけだ」
「でも、転ばないように受け止めてくれた」
「だから、それはたまたまだっ」
 穏やかなラブの言葉に、思わず食ってかかってから、少女は珍しいものでも見るようにラブの顔を見つめて――もう一度、ふん、と小さく笑った。

「どうしても私を止めたいと言うのなら、一緒に来い。私がすることを、見届ければいい」
「え……」
「ふん、やっぱり私が恐ろしいか」
「そんなこと無いよ!」
 突拍子もない提案に戸惑ったラブが、少女の挑発めいた言葉に、再び勢いよく反論する。それを見て、少女が今度はニヤリと笑った。
「お前には、一切危害を与えないと約束する。ただし、来るのはお前だけだ。
私が目的を達する前に、お前が私を止められれば、何でも言うことを聞く。止められなければ、もうこの世界にお前の居る場所は無い。尻尾を巻いて自分の世界に帰るがいい。何も出来なかった、無力感という名の不幸をお土産にな」
 ラブが、真剣な眼差しで少女の顔を見つめてから、こくん、と頷く。
「必ず止めてみせるよ、あなたのこと」
 きっぱりと言い放ってから、ラブは何かに呼ばれた様に後ろを振り向いて、あっ、と声にならない声を上げた。
 ナケワメーケとホホエミーナが戦っているその向こう側、ナケワメーケの轟音の只中に、驚きのあまり瞳を極限まで見開いた、せつなの姿があった。

「ふぅん、お仲間が来たようね」
 少女がせつなに気付いて、ニヤリと小さく笑う。
「どうする? 引き返すなら、今のうちだぞ?」
「ううん。でも……お願い、せつなと話をさせて」
「それはダメだ。ヤツはラビリンスの国民だ。こちらに来させるわけにはいかない」
「話をするだけだよ。行くのはあたし一人でいい」
「ふん、そんな手に乗るか。ヤツはメビウス様を裏切った元幹部。信用できるはずがない」
「……そう」
 ラブは、少女の顔を少しの間見つめてから、くるりとせつなの方を向くと、ありったけの声で叫んだ。

「せつな、ゴメン! 心配かけて、本当にごめんなさい! あたし、どうしても行かなくちゃいけないの。必ず帰って来るから……必ずみんなで、幸せゲットしてみせるから。だから、待ってて!」

 せつなが子供のようにイヤイヤと首を振りながら、何かを必死で叫んでいる。その言葉は、ナケワメーケの音波に邪魔されて、ラブの耳には届かない。
 だが、ラブはそんなせつなをじっと見つめた。耳ではなく、目にせつなの思いを刻み付けようとでもするように、大きく目を見開いて、見つめ続けた。

「愚かなことを。この状況で、声など届くはずがない」
 ラブの大声に一瞬キョトンとしてから、少女が苦々しそうに吐き捨てる。ラブは、そんな少女にチラリと目をやって、小さく微笑んだ。
 そしてそっと目を閉じてから、もう一度せつなを見つめると、思いを込めて、最後にこう叫んだ。

「せつなぁ~! 大好きだよ~!!」

「ふん、下らない。ナケワメーケ! 戻れ!」
 少女が呆れたようにため息をついて、ナケワメーケに指示を出す。
 ナケワメーケの身体が鈍く光ったかと思うと、その直後、高脚付きのスピーカーが地響きを立てて地面に倒れ、少女の手にはナケワメーケに付いていたダイヤがあった。

「ラブっ!」
 せつながこちらに向かって脱兎のごとく駆け寄る。が、それと同時に少女がラブの腕をぐいっと引いた。
 次の瞬間、少女とラブの姿は忽然と消え失せて、せつなはようやく静けさを取り戻した街に、一人呆然と立ち尽くした。


~終~



最終更新:2016年06月13日 18:25