Over The Rose/一六◆6/pMjwqUTk




「卒業証書、授与」
 校長先生が舞台中央の演台に立つと同時に、オーケストラ部が音楽を奏で始める。
 名前を呼ばれて一人ずつ前に進み出る三年生は皆、少し緊張気味な、でもどこか誇らしげな表情で、卒業証書を受け取っていく。

「春野はるか」
「はいっ」
 ひときわ大きく元気な声がした。はるかが、ぴんと背筋を伸ばして壇に上がる。その歩き方は、一年生の時にきららに仕込まれた通りのもので、他の生徒たちと比べても、実に颯爽として美しい。
 作法通り、左手と右手を順に出して卒業証書を受け取り、うやうやしく礼をする。そこまでは良かったのだが――。
「卒業、おめでとう」
「ありがとうございまぁす!」
 校長先生の祝福の言葉に答えた講堂中に響き渡るような声が、生徒たちのさざ波のような笑いを誘った。

「全く……春野らしいぜ」
 藍原ゆうきが額に片手を当てて、苦笑いで呟く。
 壇上のはるかはと言えば、周囲の反応に気付いてさすがに頬を赤らめたが、すぐに客席の方を向くと、にっこりと満面の笑顔を見せた。

「春野さんって、やっぱり素敵よね。舞台の上に、パッと花が咲いたみたい」
 元演劇部部長の古屋りこが、ゆいに囁く。ゆいは、うん、と頷いて、壇を下りてくる親友の姿を見つめた。

 三年前、はるかと出会った日のことを思い出す。あの時ははるかの方が緊張気味で、とっても嬉しそうだったけど、ちょっと自信なさげでもあった。

(そう。あの日にはるかちゃんは、初めてプリキュアになったんだよね……)

 ルームメイトとして、そして大切な友達として、ずっと一緒の時間を過ごしてきた日々。
 プリキュアとしての活躍を見続けてきた一年が終わってもなお、ゆいのスケッチブックには、はるかの姿が溢れていた。
 そんな風にずっと近くに居たからこそ、はるかがずっと頑張ってきたことを誰よりも知っていたし、はるかのありのままの気持ちを――悔しかったり、緊張していたり、悲しかったり、そういう気持ちの揺らぎのようなものも、人より敏感に感じられることが多かった気がする。
 そしてここ何日か、ゆいは、はるかの笑顔に何だかいつもと違う微かなくすみのようなものがあるのを感じて、気にかけていた。

 どうかした? と尋ねても、何でもないよ、と笑顔で返されるだけ。そもそも、そんな答え方をするのがはるからしくない。
 また何か大変なことに巻き込まれているのか、とも思ったが、入学したばかりの頃ならともかく、今になってはるかが自分にそんなことで隠し事をするとも思えない。

(ひょっとして……はるかちゃんの夢に関すること?)

 だとしたら、自分に出来ることは決まっている。はるかを励まし、もっともっとはるかの力になること。そのために何をしたらいいのか――何日も考え続けて、ようやく辿り着いたひとつの答え。今日は、それを実行する日だ。

(はるかちゃん。わたし、頑張るからね)

 ゆいは卒業証書と一緒に、手の中にある物を、想いを込めてそっと握りしめた。



   Over The Rose



「わぁ……素敵!」
 花が大好きな小森花恵が、大人しい彼女には珍しく、クラスメイトの中で真っ先に歓声を上げる。目の前に広がるのは、緑あふれる広大なローズガーデンだ。

 卒業証書に添えて、校長先生から手渡された白い封筒。その中には一枚のタイルと、矢印で道順が書かれた学園の地図が入っていた。
 それを見るなり、はるかが嬉しそうに微笑んで、クラス全員を引き連れ、先頭に立って歩き出したのだ。

 学園の外れの森を抜け、崖の下に作られた、まるで秘密基地の入り口のような隠し扉をくぐると、現れたのは薄暗い地下通路。ぽつんぽつんと灯る燈火を頼りに歩いた先に、急に開けた景色。
 こんな場所があったなんて……と皆が驚く中、またまたはるかが意気揚々と、先に立って歩き出す。その行く手には、大きな風車と赤い屋根が特徴的な、一軒の建物があった。

「寮母の白金です。お待ちしていましたよ」
 扉を開けると、三年間ですっかり聞き慣れた、そして何故かいつも唐突に聞こえてくる声。建物の中はガランとした石造りの一部屋で、白金さんが、中央でゆっくりと回る水車の隣に立って、新しい卒業生を出迎えた。

 それぞれがタイルに自分の夢を書き込んで、それを壁の空いている場所に貼り付ける。
 先輩たちのものに比べると、まだその場所に馴染んでいないのか、何だか壁から浮き上がっているように見えてしまうタイルたち。でもそこに書き込まれた文字は、先輩たちに負けずとも劣らない、想いの籠った力強い筆致だ。

――町の平和を守る警察官になりたい。

――小児科医になって、病気で苦しむ子供たちを助けたい。

――世界で戦えるテニスプレイヤーになる。

――人々に感動を届ける俳優になりたい。

 目をキラキラさせて仲間たちの夢を眺めていたはるかは、自分の持っているタイルに目を留めて、改めて四方の壁を見回した。
「えーっと……わたしは、どこにしようかなぁ」

「春野の夢は、やっぱり『プリンセスになること』なんだろ?」
 ゆうきが、はるかを見つけてそう声をかけてきた。
 一瞬、またからかわれるかと身構えたはるかが、気を取り直して自分のタイルに目をやり、ゆっくりと首を横に振る。
「ううん。少し、変わったよ」
「どう変わったんだよ」
「わたしだけのプリンセスを……ずっと目指し続けたい」
「へぇ。なんかそれ、ちょっとカッコイイじゃん」
「え?」
 ゆうきの予想外の言葉に、はるかが驚いて顔を上げる。が、次の問いかけに、その瞳が少し揺らいだ。

「今までも、色々頑張って来たもんな。高校に行ったら、まず何に挑戦するんだ?」
「それは……まだ、ちゃんと決めてないんだよね」
 そう言って頭を掻くはるかに、今度はゆうきが一瞬、意外そうな顔をする。
「ふぅん。俺はてっきり、もう何か目標決めて突っ走ってるのかと思ったぜ。お前、こうと決めたら猪突猛進だからなぁ」
「ちょっと! 人をイノシシみたいに言わないでくれる?」
 はるかが、ぶぅっとむくれるのを見て、ゆうきがアハハ……と笑う。その顔を見て、はるかは彼女にしては大人しく、声を出さずに笑った。

「皆さん、お客様をお連れしました」
 扉の方から、再び白金さんの声がした。全員が部屋の入り口に注目する中、近付いて来るカツカツという軽快な靴音。
 はるかが小さく、あっ……と呟いたのとほぼ同時に、靴音の主が姿を現した。途端に、わーっという歓声が部屋にこだまする。
「みんな、久しぶり~。卒業、おめでとうっ!」
 颯爽とした足取りで部屋に入って来たのは、今はフランスにいるはずの、きららだった。

「きらら……ちゃん?」
「はるはる!」
 呆然と立ち尽くすはるかに、きららが勢いよく抱き着く。そして二年前と変わらず、ニヒヒ、と悪戯っぽく笑って見せた。
「やだなぁ、どしたの? 幽霊でも見たような顔して」
「だって……だって、まさか今日会えるなんて、思ってなかったんだもん!」

 嬉しさと驚きをそのまま顔に描いたように、頬を真っ赤にしているはるかの頭を、きららが自分も頬を染めながら、ぽんぽん、と優しく叩く。
「卒業式には必ず来いって手紙を貰ってさ。だからスケジュール、頑張って調整したんだよ」
「相変わらず、忙しいんだね」
「仕事は、こっちに居た時の方が忙しかったよ。でも、ボアンヌ・ブランドの教育プログラムが厳しくってさぁ。ま、ガンガン鍛えられるのは、嫌いじゃないけどね」

 わずかに目を伏せてから、そう言って不敵に笑って見せるきららに、はるかが嬉しそうに呟く。
「そっか。きららちゃん、夢に向かってずっと頑張ってるんだ」
「そうそう、夢って言えばさ」
 そう言いながら、きららは手に持っていた鞄の中を探ると、取り出したものを掌に載せて、はるかに差し出した。
「それって……!」
 きららの手の上にあるもの――それは、今はるかが持っているのと同じ、つやつやとした一枚のタイルだった。

「卒業生しか入れない秘密の場所に、あたしを来させるなんておかしいなぁって思ってたの。そしたらさっき、白金さんにこれ、貰ってさ。『あなたは既に、ここで夢を誓った仲間ですから』だって」
 思い切り目を細くして白金さんの口真似をするきららに、部屋にいる同級生たちが笑いさざめく。もっとも、その言葉の意味がわかった者は、ほとんど居なかったけれど。
「そうなんだ! じゃあ、手紙って白金さんから?」
「ううん、それは……」
 はるかの問いに、きららが再び口を開きかけた時、また新たな声が入口の方から聞こえてきて、二人はパッと顔を輝かせた。

「皆さん、卒業おめでとう。はるか、ゆい、久しぶり。あら、きららの方が早かったのね」
 昨年卒業したみなみが、良く通る声で部屋のみんなに挨拶してから、実に嬉しそうな笑みを浮かべて部屋に入って来る。
「うわぁ……みなみさんにも会えるなんて!」
「久しぶり~! やっぱりみなみんも、手紙を貰ったの?」
 目を潤ませるはるかと、笑顔で問いかけるきらら。だが、やって来たのはみなみだけではなかった。

「うーん、やっぱりここは素敵だねぇ。在学中に知っていたら、イベントのひとつも企画したんだけどなぁ」
「ダメよ、せいらさん。ここは、在校生には秘密の場所ですもの」
 みなみと一緒に生徒会の役員だった、東せいらと西峰あやか。
「オーッホッホッホ。卒業式にこの一条らんこのワンマンショーを企画するなんて、なかなか先が読める子たちじゃないの。さぁ、ステージはどこっ?」
 今ではテレビのリポーターだけでなく、自主的に街頭コンサートを開いて世間へのアピールを怠らない――そしてどうやらまた何か勘違いしているらしい、二年先輩の一条らんこ。
 そのほか、はるかたちと共にこの学園での時間を過ごした先輩たちが、続々と集まって来たのだ。

「え……ええーっ!? 先輩たちが、こんなにー!?」
 驚きのあまり、テンション高く慌てふためくはるか。そんな彼女にニコリと笑って見せたのは、さっきからずっと黙っていた、ゆいだった。

「実は、わたしが手紙を書こうって提案したの」
「え、ゆいちゃんが!?」
「うん。みんなで手分けしてね」
「みんな、って……」
 ぐるりと周りを見回すはるかに、同級生たちが悪戯っぽく微笑む。
「ごめんね。はるかちゃんには秘密にしてたの。まずはひとつ目のサプライズ、ってことで」
「え? ひとつ目、って……?」

 何が何だか分からないという様子で、はるかがそう問い返した時、入口の方からまたしても新たな声が、ゆったりと響いてきた。
「あんな心に響くお手紙を頂いたら、来ないわけにはいかないわね」
「望月先生!!」
 今度ははるかとゆいが同時に叫んで、声の主の方に駆け寄る。現れたノーブル学園理事長・望月ゆめは、生徒たちを見回して「おめでとう」と一言述べてから、白金さんと一緒に部屋の隅にひっそりと立った。

 ゆいが、部屋中を埋め尽くした人たちを改めて見回す。
 同級生に先輩、先生たち。ゆいに向かって無言で頷く、顔、顔、顔。その眼差しに小さく頷き返してから、ゆいは改めてはるかに向き直った。
「あのね、はるかちゃん。今日ここで、みんなで叶えたい夢があるの」
「叶えたい……夢?」
「私たちがここを巣立って、夢に向かって新しい一歩を踏み出す姿を、もう一人の仲間にも見てもらいたい。もう一度、一緒に夢を誓い合いたい、っていう夢」

「え……?」
「ゆいゆい、それって……」
「まさか……!」
 驚きに目を見開く、はるか、きらら、みなみ。
 そんな三人の目をじっと見つめ返し、ゆいはいつになく真剣な顔で、はっきりとこう言い切った。
「うん。みんなで、トワちゃんを呼びたいの」

「……トワちゃん……を?」
 信じられない、という顔で呟くはるかに、ゆいがもう一度、うん、と頷く。
「はるかちゃんだって、トワちゃんに会いたいでしょう?」
「そりゃあ会いたいし、いつかきっと会えるって思ってるけど、でも……」
「でもさ、ゆいゆい。どうやってトワっちを呼ぶつもりなの?」
 いつになく歯切れが悪いはるかにチラリと目をやってから、きららがゆいに問いかける。ゆいはほんの少し口ごもってから、思い切ったように、こう口にした。

「わたしたちみんなの夢の力を合わせて、ホープキングダムに届けられないかな、って」
「なるほど。ホープキングダムとこの世界は、元々、夢の力で繋がったんだもんね」
「でも、キーの力が無ければ別の世界との行き来は出来ない。ミス・シャムールが、そう言っていたわ」
 きららの言葉を、みなみが残念そうに否定する。するとゆいが、あの……と小さな声で言いながら、手に持ったものを差し出した。
「キーなら、ここに。ホープキングダムの力は、もう残っていないと思いますけど」

「ゆいちゃん、それって……?」
 はるかが、怪訝そうな顔でゆいの掌を覗き込んでから、すぐに驚きの表情になる。
 パッと見ただけでは、ゆいが何を持っているのかすぐには分からないほど、それは薄くて小さくて、しかも透明な物だった。だが、目を凝らしてよく見ると、その形が浮かび上がって見えてくる。
「これって……もしかして、あの時の!」
「そう。グランプリンセスのキーが消えて、はるかちゃんたちにドレスアップキーが戻ってきたときね。気が付いたら、わたしのところにはこれが戻って来てたんだ」

 それは、ディスピアがこの世界に攻めて来て、ゆいたちノーブル学園の生徒や先生たちが、絶望の檻に囚われた時のこと。
 プリキュアたちの激闘のさなか、砕け散ったプリンセス・ロッドの欠片が、ゆいたちの中に飛び込み、その力に背中を押されて、皆は檻を破り絶望から抜け出すことが出来た。そして欠片はそれぞれが持つ夢と結びついて、光り輝くキーとなり、キュアフローラたちがグランプリンセスになる大きな後押しとなったのだ。

「僕も持っています」
「私も。あの時とは色も違うし、金色に輝くことも、もう無いみたいだけど」
「それでも、みなみたちが守ってくれた、あたしの夢の結晶。今では大切なお守りさ」
「だから、みんなの夢の力を合わせて、もう一度奇跡を起こそうぜ」
 あっけにとられるはるかたち三人に、周囲の仲間たちが次々にキーを差し出す。

「ごめんね。隠すつもりは無かったんだけど、ドレスアップキーを返したはるかちゃんたちに、どうしても言えなくて……」
「ううん。わたし、嬉しいよ。夢のキーがこんなに沢山、ここにあったなんて!」
 すまなそうに俯くゆいのキーを持った右手を、はるかが両手で掴む。すると、今度はゆいが左手で、はるかの手を包んだ。

「はるかちゃんたちが守ってくれた夢だもの。大切に育てて、絶対に叶えるんだって、今日、みんなで誓い合いたいの。誰一人、欠けることなく」
「ゆいちゃん……」
 はるかの潤んだ瞳が、キラキラと輝く。その瞳で周りの一人一人をじっと見つめてから、はるかは大きく頷いた。
「わかった。みんなで、トワちゃんを呼ぼう!」



   ☆



 人数が多くなって手狭になった建物から、全員が一旦外に出る。広々と見えたローズガーデンは、あっという間に人で埋め尽くされた。
 まだ柔らかい薔薇の若葉の上に広がる空――トワイライトの呪縛を解かれたトワを連れて、はるかたちがホープキングダムから帰還した時に落ちてきた海辺の方角に向かって、はるかが右手を高々と挙げる。
 みなみときらら、そしてキーを持たない生徒たちがそれに倣い、ゆいたちはそれぞれのキーを掲げて、じっと目を閉じた。

「じゃあ、行くよっ」

「はぁぁぁぁぁ~っ!!!!」

 全員の気合いのこもった声が、辺りに響き渡る。

 一分。二分。三分。――何事も起こらない。
「もう一度、お願いします!」
 今度はゆいの掛け声で、全員が息を整え、もう一度右手を挙げる。
 再び辺りを包む、想いを込めた叫び。それに耳を傾けながら、望月先生は自分のキーを握り締め、祈るように両手を組み合わせた。

 同じことを、何度繰り返しただろう。

「ハァ……ハァ……あ……紅城トワ~! 声はわたしの商売道具のひとつなのよ? それをここまで叫ばせるなんて、いい度胸じゃないの。いい加減、姿を現しなさいよっ!」
 一条らんこが、片膝を付いて肩で息をしながら、空に向かって悪態をつく。
「な……何よ。もうへばるなんて、らしくないじゃん。最近、鍛え方が足りないんじゃないの?」
 きららも荒い息を吐きながら、掠れた声で挑発する。

「も、もう一度……」
 何十回目かの号令をかけようとしたゆいの体が、ぐらりと揺らいだ。
「ゆいちゃん!」
 はるかが素早くゆいを支える。その拍子に、ゆいの手からキーがするりと滑り落ち、はるかは慌ててそれを拾い上げた。うっかり目を離したら、そのまま草の陰に見失ってしまいそうな小さなキーは、手に取ると、驚くほどの熱を伝えてきた。

「やっぱり、こんなことしても無駄なのかな……」
「そもそもが、全く別の世界なんだものね……」
 周囲から、遠慮がちな囁きが聞こえ始める。
「はるかちゃん、ごめん。やっぱりわたしたちのキーじゃ、ホープキングダムには……」
 ゆいが震える声で、そう言いかけた時。
「諦めるのは、まだ早い!」
 凛とした声が、辺りに響いた。

 縦ロールの金髪に、ゴシック風の青い衣装。それに似合わぬ黒と黄色の縞のマフラーと、カラフルなアイメイクが中性的な顔立ちを彩っている。
「シャット! あなた、どうしてここに?」
 みなみの問いかけに答えたのは、意外なことに、望月先生とその隣に立つ白金さんだった。
「この方は、このローズガーデンの管理をして下さっているの。薔薇がお好きということでね」
「ええ。確か、お好きなのは紅い薔薇」
「よっ、余計なことは言わぬのみ!」
 慌てるシャットに、白金さんがわずかに口の端を上げてみせる。ふん、と赤い顔でそっぽを向いてから、シャットは改めて、ゆいの方に向き直った。

「ディスダークを打ち破ったお前たちが、絶望以下の不安に負けてどうする!」
「……不安?」
 ゆいを支えていたはるかが、ハッとした顔で問いかける。
「お前たちは、果たして夢の力がホープキングダムまで届くものかと、心に不安を抱いている。それを仲間に知られたくなくて、キーのせいにしているのみ。
不安は心に潜んで夢の力を弱らせ、絶望を引き寄せる。夢の力を届けたければ、そんなことで力を無駄にするな。まずは信じてとことんやってみるのみ! 元ディスダークの私が言うのだから、間違いはない」

「そっか……そういうことだったんだ」
 はるかはそう呟くと、言うだけ言って去っていこうとするシャットに向かって、声を振り絞った。
「ありがとう、シャット!」
「なっ……礼など要らぬ。私は言いたいことを言ったのみ」
「ううん。お蔭でわたし、もやもやが吹き飛んだ。最近ずっと心が晴れなかった理由が、やっとわかったよ」

「はるか……ちゃん?」
 それこそ不安そうな顔をして自分を見ているゆいに、はるかは実に明るい口調で、あっけらかんとこう言ってのけた。
「わたしね、ゆいちゃん。卒業してこの場所を離れるのが、不安だったの。ううん、今でも不安なんだ。想像していたより、ずっと」

「はるか!」
「何言いだすの? はるはる!」
「みなみさんも、きららちゃんも、それぞれの場所で頑張ってるのに、情けないですよね。だから、トワちゃんに会うのも、ちょっとだけ怖かったんです」
 驚くみなみときららにも、はるかはエヘヘ……と明るく笑う。そして、今まで必死で右手を伸ばしていた空を見上げると、少し懐かしそうな表情で、こう語り出した。

「わたしの憧れだったノーブル学園は、入ってみたらやっぱりすっごく素敵なところで、みんな素敵な人ばっかりで……。だから、わたしなんかがここに居ていいのかなって、最初の頃、よくそう思ってたんだ」
 辺りはいつしか、しんと静まり返っていた。疲れ切ってへたり込んでいた級友たちが、顔を上げて、はるかの声に耳を傾けている。
「でも、わたしはここで、自分の夢を認めてもらった。沢山の人たちに出会って、夢へ向かって走り続ける力を貰った。それがあんまり嬉しくて、居心地が良かったから、だから……いつの間にか不安になっちゃったんだよね、外の世界に出て行くのが。それで最近、何だかずっと心が晴れなかったんだ。自分のことなのに、ちっとも気が付かなかった。ううん、気付こうとしてなかったんだ」
 はるかがそう言って、もう一度ニコリと笑う。その顔は少し寂しそうだったが、このところ感じていたくすみのようなものはどこにも無いと、ゆいは思った。
「自分の気持ちに、ちゃんと気付かなきゃ……。不安を心に潜ませるんじゃなくて、ちゃんと認めて、向き合って乗り越えなきゃ、羽ばたいていけないよね」

「はるか」
 みなみがはるかの右手を取って、その手に自分の手を重ねる。
「私だって、不安はしょっちゅうよ。そして、それを認められるようになったのは、あなたのお蔭だわ」

「はるはるだけじゃないよ」
 きららがパチリと片目をつぶって、みなみの手に、さらに自分の手を重ねる。
「あたしは、不安とか緊張なんて、毎日のことだけどさ。それなのにちっとも慣れないし、自分が力入り過ぎてることに気が付かないことも、よくあるんだよね。ほら、みんなに心配かけたことも、何度かあったじゃない?」

「良かった……」
 三人の手の上に自分の手を重ねながら、ゆいが少しよろめいてから、自分の足でしっかりと立つ。
「このところ、はるかちゃんが元気が無いみたいで、ちょっとだけ心配してたんだ。でも、今の顔見たら、安心した。わたしも一緒に、不安を乗り越えるね」

 四人が重ねた手をもう一度、空に向かって突き上げる。
「みんなと過ごしたこの場所を離れて、新しい生活を始めるのは不安だけど、夢への希望をもって、みんなで前に進みたい。だから、この大切な場所の空と海に、みんなで夢を誓いたい。トワちゃんも一緒に!」

「よし、もう一度やろう」
「絶対に届けようよ、紅城さんに」
「ああ。俺たちの仲間に、住む世界なんか関係ないぜ」
 四人を取り巻く仲間たちも口々にそう言いながら、もう一度キーを掲げる。

「じゃあ、行くよっ」
「せーのっ!!!!」

 ローズガーデンに、再びみんなの叫びが響き渡る。
 もっとも、第一声は最初の頃ほど長くは続かず、すぐに途切れた。それでももう一度、さらにもう一度と、全員がありったけの想いを込める。
 だが、さすがにその声も途切れ途切れになって、はるかがもう一度号令をかけようとした時、少年のような声が、はるかの耳を打った。

「続けるんだね! あんたたちの夢の力、ホープキングダムに届いてるんだね!」

「え……今の声って、ロック!?」
 はるかが驚いた声で叫んで、キョロキョロと辺りを見回す。すると、シャットが身に着けているマフラーが、風も無いのにバタバタとせわしなく動いた。
「ボクのことはどうでもいいんだね。今、アイツの声が聞こえたんだ。アイツとあの猫型妖精が、夢の力をキャッチして、今、城に向かってるんだね!」

「アイツって……」
「そうか、クロロだ! ロックとクロロも、切っても切れない絆で結ばれているんだもんね」
「ふん、ただの腐れ縁なんだね」
 パッと顔を輝かせたきららに、マフラー……いや、ロックは何だか照れ臭そうな声で答える。
「よぉし。みんな、もう一回行くよっ!」

「はぁぁぁぁぁぁぁ~~~!!!」

 はるかが、みなみが、きららが、ゆいが、そしてノーブル学園の三年生全員と、そこに集まった卒業生や先生が、もう一度空に向かって精一杯の想いを込める。

 どのくらいそうしていただろう。数秒間だったのかもしれないし、もっとずっと長い時間だったのかもしれない。
 突如、さっきまで皆が居た建物――夢のタイルが貼り巡らされたあの建物が、ほんの一瞬、燦然たる輝きを放った。そして光がおさまった後、ガチャリ、という音がして、扉がゆっくりと開いた。
 全員が固唾を飲んで見守る中、一人の人物が、建物の中から姿を現す。

 内側にゆったりとカールした、セミロングの赤い髪。同じく赤い瞳は涙に潤んで、色白の頬も、ほんのりと赤く染まっている。
「皆さん……ごきげんよう」
 震える声でそう挨拶するが早いか、彼女は、転がるように駆けて来た四人の少女にもみくちゃにされ、子供のように声を上げて泣き出した。
 次の瞬間、地響きのような拍手と歓声が、ローズガーデンを包んだ。



   ☆



 ローズガーデンが、一年で一番美しい季節を迎えた。様々な色や形の薔薇たちが一斉に咲き誇り、その個性を競い合うかのように、五月の風に吹かれて優美に揺れる。
 その風に乗って、微かに少女たちの笑い声が聞こえてきた。運動部のものらしい、勇ましい掛け声も聞こえてくる。

 そう、ここは夢を叶えるために若者たちが集う、ノーブル学園。だが、この場所へやって来る生徒は一人も居ない。
 薔薇は、穏やかな日差しを全身に浴びて、ただ美しく、静かにそこに在り続ける。

 不意に、ガーデンの外れにある小さな建物が、一瞬、内側から光を放ち、中から一人の少女が現れた。
 満開のガーデンを目にして嬉しそうに微笑むその面差しは、この学園の生徒だった頃より少し大人びて、薔薇にも全く引けを取らない優雅な気品を湛えている。

「久しぶりね、シャット。それにロック。お元気でした?」
 いつの間に現れたのか、扉の外からうやうやしく手を差し伸べた人物に、彼女は微笑みかける。が、その手は取らず、ぴょん、と身軽に建物の外に躍り出ると、そのままの勢いで、短い階段を駆け下りた。

「全く。一国の王女ともあろうお方が、お転婆が過ぎるのみ……」
「ふん。あんまり口うるさいことを言ってると、また王女に嫌われるんだね」
「う、うるさい!」
 いつもながらの二人の掛け合いを、少女は――トワは、愛おしげに目を細めて見守る。
 その様子に我知らず頬を赤らめてから、シャットが我に返った様子で、ぶっきらぼうに言った。

「さぁ、ひと目に付かないうちに、早くヤツらの元に向かうのみ」
「学園長が認めて下さっているんですもの、大丈夫です。それに、ここには私たちと白金さん以外、誰も来ませんわ」
「ああ。アンダー・ザ・ローズ――秘密の場所。卒業生たちの間で、ここはそう呼ばれてるんだね」
 ロックが風にはためきながら、少し得意げに、ここにまつわる古い慣用句を口にする。
「そうでしたわね。でも……」
 トワがわずかに首を傾げた。
「私には、あまりそのような感じはしませんわ。むしろ、沢山のお友達や先輩方の夢が、薔薇たちに見守られて、この場所でキラキラ輝いているような……そんな気がしますわ」



 ホープキングダムとこの世界とが、再び繋がったあの日――。
 微かに届いた異世界からの夢の光を追って、“炎の城”に飛び込んだトワが見たものは、夢の輝きが壁一面をキラキラと覆う光景だった。
 そして、初めて足を踏み入れたその場所から、何かに導かれるように外へ出たトワを迎えてくれた、あたたかくて眩いばかりの、沢山の笑顔。

 アンダー・ザ・ローズ――この場所でのことは他言無用。それもまた、自分と仲間たちとの夢に向き合う、真摯な想いなのだろう。
 卒業後の人生にどんなことが待っていても、自分の心に、誰にも犯されない夢の砦をしっかりと持って前に進むための。

 でも、トワがここで得たものは、それとは少し違うような気がした。
 夢は薔薇の下にあるのではなく、この空と海を臨む白日の下に晒されて、キラキラと輝いている。
 自分の夢を認められて、仲間たちの夢も認めて、それをみんなで守って、応援する。
 時には不安や絶望までもこの空の下にさらけ出し、みんなでそれを認めて、乗り越えていく。
 それが、この学園でトワが目にした、夢を追う仲間たちの姿だった。
 そしてそんな姿が、強く、優しく、美しいものに、トワには思えた――。



「では、そろそろ行きますわ」
「気を付けて行くのみ」
「キュアフローラたちに、よろしくなんだね」

 今日は、とある町の美術館で、コンクール入選作の展示会がある。そこに出品されるゆいの絵を、はるかとみなみと一緒に見に行くことになっているのだ。
 ゆいの夢の輝きを目にし、はるかやみなみと、また夢を語り合うことで、もしかしたらホープキングダムの夢の灯火を守りたいという自分の夢にも、何かヒントが貰えるかもしれない。

 シャットとロックに見送られ、トワがローズガーデンを歩き出す。
 色とりどりに咲き誇る薔薇の上を、穏やかな風が吹き抜けて、その豊かな香りを、トワに届けた。


~終~