『Dreams come true』 ***承***/競作スレ3-228様




「うぅ……だ、だるい……」

 翌朝、私立アリア学園中学へと向かう通学路。
 響は眩しそうに顔の前に手を翳して空を仰ぎ見ると、そう呟いた。しっかりと睡眠は取ったはずなのに、その身体には気だるい疲労感が色濃く残り、まるで徹夜明けかのように太陽が黄色く見える。

「……おかしな夢見たからかなあ……」

 今朝方、目覚ましのアラームに起こされるまで見ていた夢の事を思い出すと、響の顔が湯気でも吹き上げそうなほどにカーッと熱を帯びる。
 あの後、響と奏は、それこそ夢中でお互いの肉体のあらゆる所を舌で確かめ合った。貪りあった、と言ってもいいほど執拗に、激しく。
 その最中、響は自分でも信じられない程にはしたない声を上げ、背を反らせ、幾度となく絶頂へと達していた。それはまた奏も同様に。
 お互いの痴態が脳裏に浮かび上がり、慌てて響はブンブンと頭を振る。

「……それにしても、なんであんな夢……」

 夢とはいえ、響の体験はあまりにもリアルなものだった。胡蝶の夢、という訳ではないが、どちらが現実なのか区別がつかなくなるほどに。
 目を閉じれば、響の肌に奏のいやらしく蠢く舌の感触がまざまざと蘇ってくる。
 響は思わずブルッと震えると、身体を淫猥な記憶から守ろうとするかのように、肩をきつく抱きしめた。

「響、おっはよ!!」
「ふぎゃぎゃぎゃぎゃっ!!!」

 唐突に背後から掛けられた明るい声に、響は髪を逆立たせ飛び上がらんばかりに驚いた。
 ……それもそのはず。声の主は今まさに響を悩ませていた淫らな夢の共演者、南野奏だったからである。

「な、何?尻尾を踏まれた猫みたいにビックリして……驚いたのはこっちの方なんだけど……?」

 響の上げた声で耳鳴りでもしたのか、耳を指で塞ぎ、顔をしかめている奏。
 さすがに驚いた理由等説明できる筈も無く、響は何とかこの場を誤魔化そうと言葉を探す。

「お、おはよう、奏。ちょ、ちょっと暑いね?」
「?暑いねって……今朝は少し肌寒いくらいよ?」
「あ、そ、そう?お、おっかしいな?」

 制服の襟をパタパタさせながらぎこちない笑顔を浮かべる響。彼女が暑さを感じてるのは、単に昨日の夢のせいで、奏に対して気まずい羞恥を感じているからなのだが。

「あ、そういえば響顔真っ赤……風邪でも引いたんじゃないの?ホラ、熱計るからおでこ出して」
「!!い、いや、大丈夫!わたしなら健康そのものだから!」

 伸ばされた奏での手から逃れるように、物凄い勢いで後ずさると、響はいっちにーとラジオ体操の真似をしだした。
 そんな彼女をポカンと見ていた奏だったが、やがて溜息混じりに言った。

「……身体はともかく、響、頭は大丈夫?」
「ひ、ヒド!九九でも暗唱しようか!?九九八十八!!ホラ!!」
「……ホラって……なんの証明にもなってないけど……」

 呆れた風にそう言う奏の顔を、響は無意識にまじまじと凝視してしまう。
 長い髪にふっくらとした頬、長い睫毛に縁どられた綺麗な瞳、そして唇に首筋、制服に包まれた肢体まで……その全てを自分は夢の中で存分に舌で堪能したのだ。そして、奏もまた響の肉体を―――……。
 卑猥な記憶がまざまざと蘇り、響の心臓は早鐘のように鼓動を刻みだす。

「?何、響。人の事ジーッと見て……何かついてる?」
「い、いや、な、何でもない!何でもないから!!」
「あ!……ふふ~ん、分かった……ちょっと待っててね」
「ちょっと待っててって、ま、まさか……だ、ダメだよ奏!!さ、さすがにこんなトコじゃあ―――」

 しどろもどろに言葉を返すばかりの響を他所に、奏は何故か訳知り顔で鞄に手を突っ込み、何やらもぞもぞとまさぐっている。
 やがて「あ!」と声を上げると、奏は握った手を響へと差し出した。
 勿体ぶるようにゆっくりと指を開くと、掌には可愛らしいピンクの包装紙に包まれたキャンディがひとつ。

「さすが響、甘いものには目ざといわねー。ほっぺたのふくらみで、私がこれ舐めてたの見抜いたんでしょ?」
「え、い、いや、べ、別にそういう訳じゃ……」
「とぼけちゃって……いいのよ、最初から響にはあげようと思ってたし。新商品なんだって……形も可愛いのよ、これ」

 ホラ、とハートの形のキャンディを乗せた舌を、響に向かって突き出す奏。
 それを見た瞬間、響の全身が湯気でも吹き上げそうなほどに紅潮した。

(こここ、この舌がわたしの全身を―――……)

 響の動揺など露知らぬ様子で、奏は見せつけるようにレロレロと舌の上でキャンディを踊らせる。

「……ん、美味し……」

 うっとりとキャンディを味わう奏の表情と台詞が夢の映像とダブって見えて、響は自分の乳首が今まさに嬲られているかのような錯覚を起こした。
 思わず胸をガードするように鞄を抱きかかえると、響は奏にクルリと背中を向ける。

「あ!わ、わたし今朝助っ人で、ヤールギュレシュ部の朝練に参加しなきゃいけないんだった!!ご、ゴメン奏、先行くね!!」
「え?うちの学校にトルコ国技でもあるオイルレスリングの部活なんてあったの!?―――って響、キャンディは―――」

 奏の言葉も終わらぬうちに、響は脱兎のごとく学校へと駆け出していた。


 その後も、響は奏を避けて避けて避けまくった。休み時間になれば一番に教室から机や椅子をハードルのように飛び越えながら駆け出し、次の授業ギリギリに匍匐前進で戻り、授業中も奏の視線を遮るように、わざとらしくあらゆる教科書をバリケード代わりに机上に並べ、お昼休みはといえば犬笛……もとい、口笛で和音を呼びつけ、その背に飛び乗りさっそうと走り去り……といった具合に。
 奏も、最初のうちは避けられている事で響を怒り半ばに問いただそうとしていたものの、午後の授業の開始時にはもはや呆れ果てて諦めたのか、あるいは次はどうやって逃げ隠れするのか見てみたくなったのか、取り立てて響に接触しようとはしなくなっていた。

「『わが背子が かく恋いふれこそ ぬばたまの 夢に見えつつ 寝ねらえずけれ』」

 そして迎えた五時限目の授業は「古文」。
 先生が教科書を朗々と読み上げるのを、クラス一同真剣な面持ちで聞いて―――前言撤回、響だけは未だ悶々と頭を抱えて―――いた。

(うー、何であんな夢見たのよ、わたしー!!)

 響の苦悩など知る由もなく、先生は今読んだ文章の説明を始める。

「―――万葉集巻の四から。これもまた、夢を詠んだ―――」
「ゆゆゆ、夢ぇっ!!?」
「!ど、どうしたの、北条さん、急に……何か質問?」

 唐突に大声で叫んだ響に、先生は困惑しな
がらも尋ねた。響は「しまった!」とばかりに一度口を押さえたものの、あはは、と頭を掻きつつ立ち上がる。

「い、いやあの……夢をテーマにしてるなんて、珍しいなあ、と……はは……」
「え?これは前回の続きで―――」
「せんせーい、響は前の授業でぐっすりおネンネしてたので、覚えてないみたいでーす」

 今朝から避けられてるお返しとばかりに、奏は手を挙げて高らかに言った。途端に教室内がドッと沸き立つ。
 顔を真っ赤にして俯いてしまった響に、やれやれ、と苦笑いを漏らす先生。

「じゃあおさらいがてら、ちょっと前にやったのにも触れておくわね―――『いかばかり 思ひけめかも しきたへの 枕片去る 夢に見え来し』―――同じく夢を詠ったものね。内容も似ているのよ―――『あなたが夢に出てきたのは、あなたが私を想ってくれているからでしょうか』―――という恋の歌」

 その解説に、俯いていた響がピクリと反応する。

(ち、ちょ―――じゃあ、わたしの夢に奏が出てきたのも、わたしを想ってて、あ、あんな事したいって願ってるからなの!?)

 そう考えてしまい、ちらちらと奏の横顔を盗み見る響。
 けれど、先生はその響の考えを否定するかのように注釈を付け加えた。

「当時は『相手の想いが夢に現れる』という考えもあったみたいだけど、テレパシーが有るわけでもないのですから、この考えはちょっと非科学的すぎるわね」
「え!?じゃ、じゃあ先生は、何が原因でそういう夢を見るんだと思いますか!?」
「北条さん、その話ももう前回したのよ?」

 響の質問に先生は口元を押さえてクスクスと笑う。

「―――先生は勿論専門外なので、フロイトに代表されるような夢の解析の話なんてできないのだけど、私の体験談で言うと、『その日有った事』や『過去にあった印象の強い事』なんかが夢に出てきやすいように思うわ」

 ……当然ながら根が純情な少女である響は夢に出てきたような体験はした覚えがないし、する予定もない。興味がない、とまでは言わないまでも。

「そうそう、先生の親なんかね、テレビを点けたまま寝ちゃったら、地震のシーンのある映画をやってて、そのまま地震の夢を見たんですって。その後『そっちは大丈夫!?』って寝ぼけて電話してきて、大変だったんだから」

 これもまた以前にもした話だったろうが、それでも教室のあちこちで忍び笑いが漏れ聞こえる。
 響だけは真剣に聞いてはいるものの、テレビを点けて寝ていたわけでもなく、心当たりが浮かばない。

「でも、同じ万葉集にある歌に、一つの答えがある気がするわね―――『思ひつつ 寝ればかもとな ぬばたまの 一夜も落ちず夢にし見ゆる』―――」   

 先生は澄んだ声で暗唱すると、分かりましたか?と言わんばかりに響を見る。
 ……無論、響には何が何やらさっぱりだったのだが。

「―――『妻を想いながら寝たからだろうか、一夜も欠かさないで妻の夢を見る』っていう……さっきとは逆ね」  

 先生のその解説を聞いて、響の顔が引きつり、頬を一筋の冷や汗が伝う……。

(え……逆って……す、するとまさか……い、いや、いくら何でもそれは……)

 必死に考えを逸らそうとする響に、先生はこの上なく優しく微笑んだ。
 最もその発言は、響にとっては処刑宣告よりもある意味衝撃的で残酷ではあったのだけれど。

「自分の想い人が夢に出る―――要するに、『その人の願望を反映するのが夢』っていう事」



競3-45
最終更新:2016年03月15日 23:20