「旅立ちの理由」/たれまさ




 夢の中で私たちは恋人だった。

 二人きりの空間で壁を背に肩を寄せ合い、お互いの体温を感じながら相手にだけ聞こえる程の大きさで愛の言葉を囁く。
 自信なく燻っていた感情は、口にしたことで小薪に灯された火のごとく、瞬く間に熱を帯びて燃え上がる。
 私はラブの名前を繰り返し呼びながらその潤んだ瞳に引き付けられ、存在を確かめるように甘い口づけを幾度となく交わす。

 せめて目が覚めるまではこのまま―――

 ラビリンスに生まれ育った私にとって自分の意志で決められることは少なかった。すべてはメビウスの管理体制の下、日々の行動や将来の相手、寿命までも決められていた。
 そのせいか私は恋愛感情を異性に抱いたことがない。当時の私はメビウス様がお決めになられた相手と生涯を暮らすことが絶対だと思っていたから。

 でもラブと生活するようになって気付いてしまった。人を好きになることを管理などできるはずもないことを。
 好きになるきっかけや理由などどこにでも存在し得るものなのだと。たとえその相手が同性だったとしても。

 どうしてこんな報われない恋心を抱いてしまったのだろう
 叶うわけがない。でも気付いてほしい…。
 伝えたい。だけど嫌われたくない…。
 報われないと分かっていても気持ちは消えたりなどしない。そうして私は夢の中でラブと愛を語るようになった。



「で、その新作のドーナツがなんか色々すごいらしいんだよ!」
「すごいって味のこと?」
「そう! “今までにないインパクト! これを食べたら他のドーナツは食べられないよ~ ぐはっ!”ってカオルちゃん言ってたし。だからぁちょっとだけ今日寄ってこーよ」
「もぅ、しょうがないわねラブは。一度気になったらすぐそうなんだから」
「えへへ~やったね! せつな大好き!!」
「フフ…私もよ、ラブ。ドーナツ楽しみね!」

 学校の帰り道での会話は貴重な二人だけの時間、今日は美希もブッキーも用事があって集まれないから公園に寄る予定はなかったのだけど
 私は先ほどのラブの一言が頭から離れず胸を躍らせていた。

   せつな大好き!!
  …せつな大好き!!
  …大好き!!
  …大好き!!

 幸せ気分を味わいながら商店街のガラスに映る自分の姿を見つけ、ハッと我に返る。
 そこにあったのは見たこともないくらい緩みきった表情、最近は自分の心を抑えるのが下手になったのかもしれない。
(大好き、ね)
 私はラブが好きだ。
 だけど

 前々から思っていた。
 ラブが私に向けてくる”好き”と私がラブに対して想う”好き”は違っている。
 一緒に住むようになるまでは気のせいだと思っていた。私には恋愛経験がないから。ラブには命を救われるほどの恩があるから。
 ずっとラブのことばかり考えていたからそれが恋のように感じてしまったのだろう。一時の気の迷いなのだからそのうち普通に戻るはず…。

 そう思っていたのに日を追っても気持ちは膨らむばかり。
 特にここ数日、あの夢を見るようになってからというもの、食事の準備をするラブを後ろから抱きしめたくなる衝動に駆られたり、ドライヤーで髪を乾かす仕草にドキドキしたりと、徐々に冷静さを失ってきているようだった。
 もしラブにこの気持ちを伝えたらどうなるだろう… 不快感? 軽蔑される? もしかしたら桃園家に居られなくなるかも…
 美希やブッキーに相談しようとも考えた。だけどやっぱり同じ。今の4人の関係が崩れるのが怖い。皆が私から離れていくのが怖い。
 一人で考えこむのは悪いクセだと分かっているが、この気持ちは誰にも知られる訳には行かなかった。



「で? どうだったの新作のドーナツは」
「それが聞いてよお母さん! 新作って言うから期待して行ったのに、カオルちゃんってば ”激辛タバスコ&納豆餃子味” とかとんでもない物作っちゃっててさ~」
「あっはっは! 確かにそんなの食べたら他のドーナツ食べれなくなっちゃうな~」
「お父さん笑い事じゃないよぉ、それ店に来てたウエスターさんが知らずに食べちゃって大騒ぎだったんだから」
「あ、でもドーナツだったらラブとせっちゃんのためにニンジンやピーマンを刻んで入れてみるのはありかも♪」
「ええーーっっ!! お母さんそれだけはご勘弁を~!! ねえせつなぁ… せつな?」

 大げさに懇願するラブを余所に、昨夜の夢で見た口づけを思い出してラブの唇をまじまじと見ていた私は急に話を振られて少し動揺した。

「え? あ、お母さん。私ピーマンの克服精一杯頑張ります!」
「うわぁ~ん! せつなの裏切り者ー!!」
 ラブも頑張ってニンジン克服しなきゃね! と笑顔で返しながら私は心の中でフッとため息をつく。

 大丈夫、ラブへの想いは知られていない。お父さんやお母さんを悲しませるわけにはいかないもの。でも自分の心に嘘をつき続けるのもやがて限界が来るかもしれない…
 ふとラブを想う悩みに比べたらピーマンが苦手なことなんて小さな問題だと自分で可笑しくなってくる。

 メビウス体制の崩壊後、ウエスターとサウラーは私にラビリンスに帰ってきてもらいたい旨を伝えてきた。ただ私の意志を尊重し、このまま桃園家に残るのが希望ならそれもありだと考えてくれた。
 こちらに残るのが良いか、ラビリンスに戻るのが良いか、決断する時期は迫っている。
 心が耐え切れずにラブへ想いを伝えてしまう。そうなってしまう前にいっそ…


 おやすみを告げて夜一人になると抑え込んでいる気持ちを少し解放できる。そんな気持ちでベッドに横になるものだから決まってラブとの夢を見た。

「せつな…、愛してる。」
「私もよラブ、貴女を愛してる。」

 夢の中で私たちはいつも通り恋人だった。
 現実での不安定な感情を満たすように抑えていた言葉を囁き、私はまたラブの潤んだ瞳に吸い込まれそうになりながら情熱的な口づけを交わす。
 いつも通りだったはずの夢は次第にエスカレートして行き、いつもより少し大人っぽく佇むラブに狂おしいほどの愛情を込めて抱きつく。
 昂った感情のコントロールなどどうしたらよいかも分からず、ただ身体の求めるままに私は現実感のない一線を越えてしまう。

 いつか大人になった時、私たちはどういう関係でいるのだろう… もし許されるならその時この恋心を打ち明けられるだろうか…。
 だったら、それまでは誰にも聞かれないようにしよう。
 この感情が抑えられなくなって、愛しい名前を叫んでも大丈夫なくらい遠くで。



 抜けるような青空の下、旅立ちを決めた私は感謝と告白の言葉を胸に秘めてクローバーの丘から街を見下ろす。
 ラビリンスの復興とともに自分の成長を誓い、私はその言葉を片方だけ口にして四つ葉町を後にした。
最終更新:2016年03月13日 01:45