ハミィの夢/一六◆6/pMjwqUTk




 明け方に見る夢は正夢だ、って響が言ってたニャ。
 眠ってるのに、夢を見た時間なんてどうしてわかるニャ? それに、夢にはおかしなところが沢山あるし、怖い夢を見ることだってあるから、本当のことになったら大変だニャ――そう答えたけど……。
 でも――もしこの夢が、本当に叶うようなことがあったなら――。



 辺りの景色が不意に揺らぎ、そして白んだ。
 見えているモノの輪郭がぼやけると同時に、くるりと世界が反転する。
 ゆっくりと目を開けたハミィは、至近距離からこちらを覗き込んでいる響と目が合って、パチパチと瞬きをした。 

「おはよう、響。何してるニャ?」
「おはよう、ハミィ。ねえ。今、夢見てたでしょ。どんな夢?」
 目覚めた早々、いきなりキラキラした目で迫られて、ハミィの瞬きが速くなる。
「なんで突然、そんなこと訊くニャ?」
「だってハミィ、寝ながら百面相でもしてるみたいに、表情がコロコロ変わるんだもん。ニヤニヤしてると思ったら、急に慌てたみたいな顔になったり、かと思ったら口がへの字に曲がったり、また嬉しそうな顔になったり。どんな夢を見たらあんな表情になるのか、も~気になって気になって……。ねえ! どんな夢だったの?」
「え、えーっとぉ……忘れたニャ!」
 ハミィがそう言って、寝床にしているバスケットの中から、ぴょんと外に躍り出る。だが、それで引き下がる響では無かった。

「嘘だね」
「へ……?」
「忘れたなんて嘘でしょ」
「う、嘘なんて、ついてないニャ」
「はっはっは。隠しても無駄なのだよ、ハミィ君。ハミィは嘘をつくと、やたら瞬きが多くなるんだから!」
 響が名探偵よろしく、ビシッと人差し指を立ててみせる。
「隠されると、余計気になるんだよ~。たかが夢じゃん。教えてよ。ね?」
「だから、忘れたって言ってるニャ」
「ハミィが起きるのを、ずっと待ってたのに~」
「響の方こそ、たかが夢にそんなにこだわるなんて、おかしいニャ!」
「ハミィの頑固者!」
「響の方が頑固ニャ!」
「あーもぉ、あったま来た!」
 ついに響がワシャワシャと髪をかき乱してから、ふんっ!と鼻息荒く腰に手を当てた。
「教えてくれるまで、朝ご飯作らないから!」
「え~っ! それはひどいニャ。横暴だニャ!」
「教えてくれたら作ってあげる」
「そんな横暴には屈しないニャ。ぜーったいに教えないニャ!」
「あーっ! やっぱり忘れてないんじゃない!」
 ついには、おでことおでこをくっつけ合うようにして睨み合う二人。と、そこへ、ピンポーン、とチャイムの音がした。
「響~? 今日は“調べの館”で、朝からピアノの練習するんじゃなかったの?」
 玄関の扉の向こうから、奏の声が聞こえてきた。


   ☆


「もう。夢のことくらいでそんなにムキになるなんて、二人ともどうかしてるわよ」
 “調べの館”の石の階段に座って、奏が呆れたようにため息をつく。
 ぶぅっとむくれる響の傍らでは、ハミィが満面の笑みで、朝ご飯代わりのカップケーキを頬張っていた。
「だってぇ。奏もあの寝顔見たら絶対、どんな夢か知りたいと思うって。すっごく面白い夢だったに違いないんだから!」
「はいはい。もう夢の話はいいから、響は練習、練習」
「はぁい」
 奏に追い立てられて、響が渋々ピアノの前に座る。

「ごちそうさまニャ!」
 カップケーキを平らげたハミィが、ハニャ? と首を傾げた。
 聞こえてくるのは流れるような美しいピアノの音色。だが、いつもならすぐに響の連弾の相手をするか、すぐそばで練習を見守るはずの奏が、ハミィの隣に座ったまま、ニコニコとこちらを眺めているのだ。
「奏~。今日は響と一緒にピアノ弾かないニャ?」
「その前に、ハミィに聞きたいことがあって」
「何ニャ?」
 いつものお気楽な調子で聞き返したハミィに、奏は一層優し気な笑顔を近付けて、こう囁いた。

「ねぇ、ハミィ。響には内緒にするから、わたしにだけこっそり教えて?」
「な……何の話ニャ?」
「勿論、夢の話よ。何か、響に聞かれたくないような夢なんでしょ? ってことは、響が出てきたの?」
「違うニャ」
「ひょっとして、響と喧嘩した夢? あ、それとも響がゴリラになって追いかけてきたとか? ううん、そんなんじゃなくて、意外にも夢の中では、響が病弱で色白の美少女だったとか。それとも……もしかして、響が……キャ~っ!!」

「奏……なに妄想してるニャ?」
 ハミィが呆れた声でツッコむが、完全に自分の世界に入ってしまった奏には聞こえない。仕方なく、ハミィは奏の膝の上に飛び乗った。
「とにかく~! どんな夢かは忘れちゃったんだニャ。もしかしたら、夢なんか見てないのかもしれないニャ」
「ホントに~?」
「ほ、本当ニャ」
「わたしの目を見て言える?」
「……言えるニャ」
「ふぅん」
 奏がすっと目を細め、真上からハミィの顔を覗き込む。

「じーーっ」
「ハ、ハミィは、ホントに……」
「じーーーーっ」
「夢なんか……見てな……」
「じーーーーーーっ」
「あーっ! フェアリートーンが居ないニャ。急いで呼んで来るニャ!」
「あ、逃げた。待ちなさい!」

 奏の膝の上から飛び降り、階段を一目散に駆けあがるハミィ。その後ろから、奏の足音が追いかけてくる。
 二人が“調べの館”を飛び出した、その時。
「あれ、ハミィ。それに奏も。何してるの?」
 館の前の広場で二人を出迎えたのは、アコとその腕に抱かれたピーちゃんだった。


   ☆


「全く……。奏も、響のことをとやかく言えないと思うんだけど?」
「だって! 響があんなに知りたがっているんだもの、気になるじゃない」
 “調べの館”の前の広場。いつもながらアコにバッサリと切り捨てられて、奏がバツが悪そうに目をそらせる。それを見て、ピーちゃんがアコに同意するように、ピー! と一声鳴いた。
「ほら。響は一人で練習してるんでしょ? 放っておいていいの?」
「いっけない!」
 奏がこれ幸いと、館の中に姿を消す。それを見届けて、ハミィはハァっとため息をついた。

「助かったニャ~。アコ、ありがとニャ!」
「どういたしまして」
 アコは、遺跡のように見える石のひとつに腰かけて、ピーちゃんの頭を撫でている。
「夢のことで怒ったり追いかけたり。ホント子供よね~」
「全くニャ!」
「それにしても、響と奏が二人ともそんなに知りたがる夢なんて……」
 元気よく頷いたハミィは、そう呟きながらこちらにチラチラと何度も目をやるアコの様子に、再びハニャ? と首を傾げた。

「ねぇ、ハミィ」
「何ニャ?」
「わたしは、二人みたいに無理に聞き出そうなんてしないから」
「ありがとニャ」
「でもね」
 アコは、ハミィから目をそらし、珍しく足をぶらぶらさせながら言った。
「でも、もし……もしね、ハミィがわたしになら話せるって言うんだったら、聞いてもいいよ? 夢の話」
 ハミィがガクッと前のめりになって、そのまま草の上にうつぶせに倒れ込む。

「アコ~。アコまでそんなこと言うニャ?」
「だから、無理には聞かないって言ってるでしょ? もし話せるんだったら、って言ってるじゃない」
 顔を赤らめてそっぽを向くアコに、ハミィは涙目でブンブンと首を横に振った。
「だからぁ、ハミィは夢なんか見てないんだニャ! もしかしたら、忘れちゃったのかもしれないんだニャ……って、あれ? どっちだったかニャ」
「え……言いたくないんじゃなくて、夢を見てないの?」
「そ、そうニャ」
 眼鏡越しに大きな瞳で覗き込まれ、ハミィが慌てて、今度は首を縦に振る。
「それってホント?」
「しつこいニャ!」
「そんな、一度聞いただけで怒ることないじゃない」
 アコが、まだ少しムッとした表情ながら、しぶしぶといった様子で頷いた。
「わかった。なら、仕方ないね」
「良かったニャ。アコは話が早いニャ~」
 ハミィが今度こそ、ホッと胸をなでおろす。ところがその時、第三の声がすぐ近くから聞こえた。

「ピー!」
 ピーちゃんがアコの膝の上から飛び降りて、まるで抗議するかのように、羽を広げたのだ。
「ダメだよ、ピーちゃん。ハミィは夢なんか見てないんだって」
「ピーィ! ピーィ! ピーィ!」
 たしなめるようなアコの話も聞かず、まるで駄々っ子のように羽をバタバタさせるピーちゃん。
「ごめんニャ、ピーちゃん。話したくても、話せないんだニャ」
「ピーーーーー!」

 不意に、ピーちゃんがパッと上空へと飛び上がった。
 太陽を背にしているせいか、ピーちゃんの姿がヤケに黒々として見えて――。
 そしてハミィとアコの目の前で、その翼が突然、体の百倍ほどの大きさになった。続いて大きな鉤爪のついた巨大な足が伸びてくる。
「ピーーー! ピピピピピ、ピーーーーー!」
 最後に首がぐぅっと長く伸びると――。

「ギィヤァァァァ~!」

「嘘……。ピーちゃん、またノイズになっちゃったの?」
 口をあんぐりと開けて固まっているハミィの隣で、アコが呆然と呟く。
「何? どうしたのっ!?」
「アコ、ハミィ、大丈夫!?」
 物音を聞きつけたのか、響と奏も館の中から飛び出してきた。が、あまりのことに、揃って声も無く立ち尽くす。
 時が止まったような一瞬の後、舞い降りたノイズの鉤爪が、ゆっくりとハミィの喉元に迫って来て――。
「ピーちゃん! やめるニャ。苦しいニャ!」
 巨大な足の下で、ハミィがバタバタと身悶える。

「ハミィ!」
「ハミィ!」
「ハミィ!」



   ☆   ☆   ☆



「ハミィ! ハミィったら、ねえ、起きて!」
「ムニャムニャ……苦しいニャ。助けてニャ……」
「ハミィ! 起きてってば!」

 外界の音が聞こえてくると同時に、辺りの景色が不意に揺らいだ。
 喉元を締め付ける絶望的な圧力が、体を揺さぶる優しい手の温もりに変わる。
 飛び起きたハミィは、こちらを心配そうに覗き込んでいるエレンと目が合って、パチパチと瞬きをした。

「セイレーン……」
「おはよう、ハミィ。随分うなされていたけど、大丈夫? 何か怖い夢でも見たの?」
「うわぁぁぁ、夢の話は、もういいニャ~!」
 慌てた拍子にバスケットが大きく揺れて、ハミィの体がコロンと床の上に転がり出る。
 ここは“調べの館”の離れにあるエレンの部屋。そして、今ではここはハミィの部屋でもあった。

 やれやれ、とため息をつきながら、エレンがハミィを助け起こす。
「ホントに大丈夫? ハミィ」
「大丈夫ニャ! うーんとぉ、どんな夢かは忘れちゃったし~、ひょっとしたら、夢なんか見てないのかもしれないんだニャ!」
「何それ……。よく分からないけど、大丈夫なら、良かったわ」
 エレンはそう微笑むと、きらりとその金色の瞳を輝かせた。
「さあ! 今日は記念すべきストリート・ライブの初日よ。わたしの心のビートは、もう止められないわ!」


   ☆


 時計塔が建つ広場の一角に、町の人にも手伝ってもらって、小さなアンプとマイクを設置する。石の階段に座ったエレンは、ケースの中から大事そうにギターを取り出して、弦の調子を確認するように、ボロロン、と弾き鳴らした。
 その肩に、ハミィがニャプ! と勢いをつけて飛び乗る。
「セイレーン、頑張ってニャ!」
「ええ。任せなさい!」
 少し緊張気味だったエレンの表情が、その一言で、フッと柔らかくなった。



 昨日の夢――正確には、夢の中で見た夢を思い出す。
 それは、ハミィとエレン――セイレーンが、まだメイジャーランドで暮らしていた頃の夢。

 草原で、二人で歌の練習をしていると、一匹のチョウが飛んできた。そしてひらひらとしばらくさまよってから、あろうことか、セイレーンの尻尾の先にとまったのだ。
 羽を休めているチョウの様子に、身動きが出来なくなったセイレーンが呟く。
「困ったわ。これじゃ練習できない……」
「いい事思いついたニャ。セイレーン、チョウチョさんに、子守歌を歌ってあげるニャ。それなら歌の練習にもなるし、チョウチョさんも喜ぶニャ」
 なるほど、と頷いたセイレーンは、優しい声で歌い始めた。

 幼い頃の現実は、ここでチョウがひらひらと飛んで行って幕を閉じたのだが、夢の中では少し違った。
 チョウは、いったんひらひらと舞い上がってから、今度はハミィの尻尾にとまったのだ。
「ウフフ。今度はハミィの番ね」
「あわわ……ハミィは、セイレーンみたいには歌えないニャ」
 緊張でガチガチになったハミィの背中を、セイレーンが優しく叩く。
「じゃ、じゃあ、セイレーンも一緒に歌ってニャ」
「もう、しょうがないわね」
 二人の密やかな歌声が、メイジャーランドの風に乗って流れていく。
 その歌に誘われたように、草原のあちらこちらから沢山のチョウが現れて、まるで歌に合わせるかのように、二人の周りをひらひらと舞い踊った。

 それは、心臓がドキドキするほど嬉しくて、ワクワクと秘密めいた、二人だけの時間で――。
 夢の中で目が覚めた時、何だか宝箱の中に居たみたいだと、ハミィは思ったのだった。



――明け方に見る夢は、正夢って言うの。でもね。正夢は、人に話したら叶わないんだって。

 以前、響に言われたことを思い出す。
 ハミィは、夢の中でゆらゆらと揺れていた尻尾にそっくりな、豊かな黒髪にそっと頬ずりした。

(これからまたセイレーンと一緒に、いっぱいいっぱい歌うニャ。そうしたら、きっともーっとドキドキしたり、もーっとワクワクする、あの宝箱みたいな時間がきっと訪れるニャ。
だから、あの夢はきっと、これから正夢になるんだニャ。それまでは、ハミィの心に大事に仕舞って、誰にも言わないニャ!)

「おーい、エレン! みんなで聴きに来たよ~」
 響の声が聞こえてきた。奏、アコ、それにピーちゃんと一緒だ。和音や聖歌、王子隊の面々も、続々と広場に集まって来る。
「よぉし。ハミィ、行くわよ!」
「ニャプ!」
 エレンが左足で拍子を取りながら、伸びやかな歌声を響かせる。その隣で、メロディに耳を澄ませ、全身でリズムに乗りながら、ハミィの瞳が、幸せそうに輝いた。


~終~
最終更新:2016年02月28日 16:37