【stay by my side –あなたのとなり-】/れいん
「すきよ……」
繰り返し独り言つ。
シンと静まり返った夜の自室は特別に寒くて。
奏は毛布に包まり丸くなった。
『わたしも、奏がだいすき!』
目蓋を閉じると、想い人が笑顔で答える。
(ふふ……、響らしい……)
けれど、その“だいすき”は親友に向ける屈託ない言葉。
(分かっているわ……、大丈夫)
せっかく取り戻したのだ。もう二度と失ったりしない。
響のとなり。
――――奏の、大切な場所。
【stay by my side –あなたのとなり-】
時計の針をチラリと確認した。
まだ大丈夫。響は今頃バスケ部の助っ人中だ。
だって昼休みにバスケ部の子たちが、週末の大会に出てほしいと頼んでいた。
奏は当番活動もあったから、試合の日程は詳しく聞けなかったけれど、響の事だから、きっと引き受けたに違いない。
(当日の差し入れのお菓子、何を作ったら喜ぶかしら?)
そんな風に彼女気分で、一人ウキウキするのは許してほしい。
妄想の中で一人、楽しんでいるだけだから……。
響は甘いものが大好きだし、迷惑にはならないはずだ。
奏は袖をまくった。
今日作るのは、響の好きな、「白いクリームのケーキ」の簡単バージョン。
スイーツ部の活動はお休みだから、食べるのは響と奏の二人だけ。ホールケーキだと量が多すぎる。
(響ならホールケーキでも食べちゃいそうだけど)
白いクリームを口の周りいっぱい、ヒゲみたいにくっつけて……。
そんな風な彼女を想像したら、自然にクスリと笑みがこぼれた。
電動の泡だて器でボウルの中をかき混ぜる。
(クリームはゆるめのほうが、口当たりが良いかしら?)
トロリととける白いものを、響の赤い舌がぺろりとすくい上げるところを想像してしまって、奏はブンブンと頭を振った。
(何想像してるの、私……)
心臓がバクバク鳴って、涙が出そうだった。
恥ずかしい。
気持ちを隠している分欲求が溜まっているのか、最近変な事ばかり考えてしまう。
その舌で、自分の唇を舐めて欲しいなんて……。
「かーなーでっ!」
「きゃっ!」
突然後ろから抱き着かれ、変な悲鳴を上げてしまった。
泡だて器がボウルと擦れ、ガガっと音を立てて、クリームが手やエプロンに飛び散る。
「もー……、驚かせないでよ」
心臓が口から飛び出すのではないかと思った。
飛びつかれるのは慣れているけれど、不意打ちには対応しきれない。
奏は騒がしい鼓動を抑えるために、ふーっと深く息を吐いた。
「あのねぇ、飛び散った分のクリーム、損をするのは響なんですからねっ!」
少し怒ったように言ってから、奏は泡だて器のスイッチを切って、ボウルごと調理台の上に置いた。
エプロンのクリームは布巾でふき取って、それをゆすぐついでに、手も洗う。
「ごめんちゃいっ!」
テヘっ、と笑う響に呆れるけれど、怒る気にはなれない。
奏はため息をつきながらハンカチで手を拭いた。
不意にポンと肩に手を置かれたので顔を上げると、頬をチロリと温かな何かがかする。
「なっ!?」
「味見~! ほっぺにクリームついてたよ。奏って、あま~い!」
一旦治まりかけていた心臓のドキドキが再び活発になる。
「あああ、甘いって……」
頬も耳も、一気に熱が上がって、鏡を見なくても自分がゆでダコのように真っ赤な事は容易に想像がついた。
「もう、なにするのよっ!」
パニックになりかけな思考をどうにか落ち着かせようとして、代わりにプリプリと怒ってしまった。
「は……早いじゃない。バスケ部はどうしたの? 試合に……」
出るんでしょう?
そう聞こうとして、けれど止めた。急に響の表情が陰ったからだ。
何かあったのだろうか、今までおかしなテンションだったのは、そのためだったのかもしれない。
「うん……、球技はそろそろ控えないとね……」
少しだけ寂しそうな顔をして、響はにぎにぎと細くて長い指を動かして見せた。
「あ……そっか」
ピアノだ。
中学三年生になり、響は今まで以上にレッスンが忙しくなった。
コンテストにも度々挑戦しているし、球技などで突き指なんかしたら、大変なのだろう。
しんみりとしてしまったところに、くぅ~っと音が響く。
「奏ぇ、ケーキまだぁ?」
響はクッタリと調理台の上にうな垂れている。
「え? もしかして、お腹空いてたから元気なかったの?」
「……そうだけど?」
きょとんとした表情に、「響らしい」と、ちょっとだけ安心して、奏はクスクスと笑った。
*
配られた用紙を眺め、けれども鉛筆を持つ手は止まったまま。
進路調査票が配られるのはこれが何度目だろう?
別にいつも通りに希望の高校の名を書けばいいのだけれど、気になっているのは自分の進路ではなかった。
「奏、なんて書いた?」
終業時間になり、エレンが隣の席に腰を下ろす。
「うん、アリア学園の高等部に、このまま進学しようと思ってる。聖歌先輩もいるし、製菓学校にも進学しやすいみたいだし」
「そっか。パティシエになるには製菓学校に行くんだって、音吉さんに借りた本に書いてあったわね」
アヤシイ音吉さんの本情報……。
エレンは、「知っているわ!」と、得意げな顔だ。
「エレンは?」
「私もよ! アコがメイジャーランドに帰るまではこっちにいるつもりだから、それ次第だけど、まだまだ帰る気なさそうだし」
エレンが淀みなくそう答えたので、奏はホッと胸をなで下ろした。
「響は……?」
そう問われ、エレンの方を見返す。
「……なにも言ってなかったけど」
自信なくそう答えた。
実は、響の進路について聞いたことがない。
パティシエとピアニスト。お互いの夢は知っている。
けれど進路については、響は今まで何も言っていなかったし、自分もそれを問われたことがない。
ただ、漠然と同じ高校に行くものだと、信じて疑っていなかったからだけど。
「でも、もしかして……」と最近は自信が持てなくなってきた。
「留学するのかしら」
「……え?」
エレンの言葉に目を見張る。
その可能性は否定できない。
だって、響の母は海外にいる。環境は整っているのだ。
「響のママは外国にいるんでしょう?」
「そうだけど、団先生はこちらにいらっしゃるし、それに……言葉の壁とかも……」
首をかしげるエレンに、奏は歯切れ悪く答える。
なんとか響が、「ここに残る理由」を考えるけれど、どれもいまいち説得力がない。
「でも確かに、響に言葉の壁は大きいかもね~」
自信のない意見に賛同してくれるエレンに、心の中で感謝をした。
(そうよ、響が外国語でペラペラ話すなんて、想像もつかないわ)
以前、でたらめな英語を使っていた姿を思い出す。
おそらくエレンも、響の英語の実力を知っての発言だろう。だって、苦笑いを浮かべている。
「あ、いけない、ハミィと約束してるんだった!」
チャイムの音に、エレンはビクリと驚き時計を見た。
「今日もストリートライブ?」
「ええ、奏もたまには聴きにきてよ」
「……そうね、今度ね」
返事を聞くか聞かないかのうちに、あわてて教室を出ていくエレンに手を振ると、奏も荷物を鞄につめて家庭科室に向かった。
長い廊下を歩くと、目の前で扉が開いた。
進路指導室の扉。
そこから出てきて一礼をしたのは響だった。
それだけで立ちくらみがする。
嫌な予感しかしなかった。
「あ、奏。今日のケーキは何?」
相変わらずの笑顔で駆け寄ってくる響が、少し信じられない。
「ここで、なにしてたの?」
「なにって、留学の相談……」
プツンと、どこかで糸が切れる音がした。
「なにそれ……」
分かっている。
ここでキレるのは、おかしいことくらい。
響の夢はピアニストだし、そのための、努力の姿も見てきた。
応援だってしてるし、協力できることがあれば、何でもしたいと思っている。
けれど……。
「なんで勝手に決めるの?」
「……え?」
分かっている。
それは響の夢だから。
なのに、この身勝手な感情は一体どこから湧き上がって来るのか。
何も相談してもらえなかったことが、寂しいのか、悔しいのか……。
ドロドロと気持ち悪い何かが、胸の奥でぐるぐると暴れだして抑えきれなかった。
「どうして、私を置いて行くの!」
鼻がツンッと詰まって、目から涙が零れたのが分かる。
響が困った顔をして、オロオロしているのが分かる。
分かるけれど……。
(どうにもできない)
奏は逃げ出すようにその場所から走り出した。
*
足が速いのは響の方。
追いつかれないと言う事は、追いかけてこなかったと言う事だ。
(そうだよね……)
走る速度を緩め、奏はとぼとぼと歩き始めた。
響はきっと驚いたに違いない。
ヒステリックに文句を言われ、むしろ被害者なのは彼女の方だ。
進路のことだって、別に秘密にしていたわけではないのだろう。
ただ単に、怖くて確認できずにいたのは自分だ。
(私……何やってるんだろう)
何も、望まないつもりだったのに。
響の隣にさえいられれば、それだけで良かったのに。
――――けれど、それすらも永遠の物ではなかった。
時が過ぎれば、自分たちは成長してしまう。
それぞれに、この場所から旅立っていかなければならないのだ。
この先どうしたらよいのか。
ようやく辿りついた、「調べの舘」に、途方に暮れながら足を踏み入れる。
建物の中の空気は少しひんやりとして、それだけで神聖な場所のように思えた。
その力で、醜いドロドロとした自分勝手の欲求も、浄化してくれたらいいのにと思う。
「おそいっ!」
そう声がして、俯き加減に歩いていた奏は顔を上げた。
「……何で?」
声の方を見れば、響……。
グランドピアノの前で、椅子に腰かけながら足をぶらぶらさせて、少し不機嫌そう。
「奏の行きそうなトコくらい分かるよ」
どうやら、先回りされてしまったらしい。
響はピョンとそこから飛び降り、階段を上ってきた。
「でも、なんで怒ったのか……泣いたのかが、分からないの」
「……それは」
怒ったような、困ったような顔をして、響はこちらを見ている。
けれど、問いかけに答える勇気は無かった。
奏は口を結んで、下を向く。
(言ってしまえば、響をもっと困らせちゃう……)
二度と、響を手放さないために、隠し通そうと決めた感情なのだ。だから、そう簡単に口を割ることはできない。
「言って。私達、親友でしょ?」
引く気のない響は尚も強腰で、奏の方へにじり寄ってくる。
“親友”って、残酷な言葉だ。
その信頼を、裏切ることを赦さない。
じわじわと再び目元に水分が溜まってきた。
(もう……くるしいよ)
自分の気持ちを言ってしまいたい。
(たすけてよ、響……)
そうして……、楽になりたい。
頑張って隠し通しても、結局は離れる運命にあるのなら、もう……。
投げやりな感情が、ギュウギュウと自制心を押しつぶした。
「……すき……なの。私、響の事が好きなの!」
投げ捨てる様にそう言って、勇気を振り絞って響の顔を見る。
響は一瞬だけキョトンとしてから、笑顔。
「わたしも、奏がだいすきだよ!」
(……ああ)
フッと気が遠くなる。
伝わっていないのだとすぐに分かった。
奏の、「好き」と、響の、「好き」は、意味が違うのだ。
そのまま、誤魔化してしまう事も出来ただろう。
そのまま、自分の告白は流して、元の生活に戻ることも。
けれど、ようやく胸につかえていた言葉を吐き出したのだ。
ここまで来て、そんな「まやかし」の関係に落ち着き直すのも、なんだか腹立たしかった。
奏は両手で響の頬をグイッと掴み、彼女が声を発する部分を自分の唇で塞いだ。
目に溜まっていた物が、頬にこぼれたけれど、そんなことはどうでも良かった。
響は拒むこともせずにじっとしている。
おそらく驚きすぎて、動けないのだろう。
そっと唇を離して響の表情を窺うと、やはり彼女はビックリした様子を隠さなかった。
「私の“好き”はね、こういう意味なの」
響が持ってくれている感情と、「違う」という事、それを主張するように奏は言い放つ。
「気持ち悪いよね……ごめん……」
黙ったままの響にそう詫びたけれど、自分はどこかスッキリしていて、あまり後悔はなかった。
「……ウソ」
響は少し俯いて、震えた声でそう呟いた。
傷つけてしまった。その点においては、ちょっと後味が悪い。
「噓じゃないの。ごめんね響」
「……本当に、本当なの?」
「本当よ……キャっ!」
どうして、そうなったのかが分からなかった。
それは一瞬の出来事だった。
ありえない力で体が圧迫された。
よく、頭を打たなかったものだと自分に感心してしまう。
だって、いきなりに抱き着かれたのだ。
あまりの勢いだったので、奏は後ろに倒れてしまった。
「痛ったぁ……もう、ちょっと響、何をするのよ!」
「だぁってぇ……」
こんな仕打ち、あんまりだ。
そう思って、響の顔を睨みつけたのに、響は頬を赤く染めて、にへらぁっと笑っていた。
予想していたのと、違う反応だ。
ドキドキと、鼓動が早まる。
けれど、激しく脈を打っていたのは胸の右側。
奏を押しつぶしていた、響の心臓。
触れ合う部分、全部が熱っぽくて、どうしたらいいのか分からない。
「ね、本当?」
「し、しつこいわね。ほんとうよ! 本当に……す」
全て言い終える前に、唇を塞がれた。
「……わたしのも、こういう好きなんだよ、奏」
爆発しそうなくらい鼓動が加速しているのに、どうしてだか、とても気持ちが良かった。
「奏って本当にあまい。それに、なんだか良いニオイ」
そう言って響は、奏の胸元に顔を埋めた。
*
「え、高校? アリア学園の高等部に行くけど……」
晴れて恋人同士になったものの……。
気になっていたことを問うと、響は不思議そうな顔をして、そう答えた。
「……だって、留学の相談したんでしょ? 進路指導室で」
だから、あんなことになったと言うのに。
我が耳を疑って、奏は響に詰め寄る。
「ああ、もっと先の話だよ~。まだまだ留学できるほどの実力もないしね」
「な……、そうだったの?」
一瞬、ほっと胸をなで下ろした。けれど、よくよく考えたら、響はいずれ海外に行くつもりなのだし、問題は何も解決していない。
「でさ、どこにする?」
「え?」
「“え?”じゃないよ~、留学先だよ、りゅ、う、が、く、さ、きっ!」
どこにするもなにも……。
響のこの近所に旅行先を決めるような気安さは、一体何なのだろう。
「やっぱりさぁ、お菓子も、ピアノもとなると……フランスかな?」
お気楽な響には、呆れてしまう。けれど、彼女の夢の隣に、当然のように自分が居ることが嬉しい。
「留学もいいけど……、先ずは受験勉強ね!」
「ぐっ……」
「その次に……フランス語かな」
「うぅ……」
ああここは、とても幸せだなと思う。
(ずっと、ずっと、そばにいて……)
それは、響のとなり。
奏の大切な場所。
最終更新:2015年05月21日 21:17