My Will, Our Will




〈許…ん〉
 その声は突然、頭の中に響いた。
〈許さ…ぞ!〉
「!」
 あゆみは飛び起きた。だが何も見えない。不愉快な甘さの香りが充満している。頭の中の靄を払おうと振ってみたが、頭痛が増しただけだった。
(そうだ。
 オドレンさんとウタエンさんに閉じ込められたんだ)
 あのふたりは何か企んでいる。みんなに知らせなければ。
 体が重い。あゆみはゆっくりとあたりを見まわした。光が漏れている場所がある。言うことを聞かない体を引きずって近づいてみると、そこはどうやら扉だった。隙間から外の光が差し込んでいるのだった。幅はほんの数ミリというころか。叩こうにも体が動かない。力が入らないまま押してみたが、扉はびくともしなかった。
(さっきの声は)
 怒りを帯びた恐ろしい声。あれは何だったのだろう。
 キュアエコーとなってから、人の強い気持ちが飛び込んでくるようになった。それは怒りであったり、悲しみであったりと様々だったが、あそこまで強い怒りは初めてだった。
〈春…カーニバ…は古来……受け…がれてきたもの。儂はそれと……換えにこ…ハ…モニ……国を外…から守っ……た。それ…蔑ろにす……はどう……つもりだ、人間…も!!〉
 あゆみは息苦しさを感じた。それはこの不快な匂いのせいだけではない。この声の持ち主が発する激しい怒りがあゆみの呼吸を奪ったのだ。
 とぎれとぎれの言葉の中からその意味を想像してみた。どうやら声の主は、「春のカーニバル」を楽しみにしていたのだが、それに不満を持っているのだ。
 あゆみは扉に体を押し付けた。この隙間から入ってくるわずかな風がこの部屋の匂いを薄めてくれるのではないかと思った。考えなければ。
「春のカーニバル」を台無しにしたのは誰だ。これははっきりしている。オドレンとウタエンだ。彼らが何をしようとしたのかはわからないが、招待した相手を閉じ込めておくことが「カーニバル」の本来の姿であるはずがない。
〈…!!〉
 一瞬、呼吸が止まったかと思った。その怒りの強さに喘いだあゆみの口の中にまた甘い匂いが飛び込んできた。あゆみは朦朧とし始めた意識を取り戻そうと唇をかんだ。この怒りを放っておけば恐ろしいことが起こる。
(待って!
 お願い! 待ってください!!)
〈なんだ〉
(…届いた)
 あゆみの声が届いたらしい。
〈何者だ。
 なぜ姿を隠している。儂から隠れようとはいい度胸だ〉
(私の名前は、坂上あゆみ。
 あなたの声が聞こえたので――)
〈人間か。
 人間風情が儂と話をしようなどと、笑止千万。
 己の不遜を思い知るがいい!〉
(やめて!!)

「グレル!」
 城を出て走り回る妖精たち。エンエンの悲鳴に足を止めると、城のはるか遠くに、遠近感を失わせる巨大な影があった。
「ドラゴン…」
 頭が空転する。泥棒の次は怪獣か。ハルモニアでは一体、何が起こっているのだ。
〈滅びよ、人間ども!〉
 その声自体が破滅をもたらす災いだった。
 ドラゴンが声とともに発した息は、まるで壁が迫ってくるかのような勢いでやってくる。
「みんな、捕まるんだ」
「手をつないで!」
 グレルとエンエンが叫ぶ。他の妖精たちは慌てふためいていたが、そう言われてある者は柱に抱き付き、届かない者はお互いに手をつなぎあった。そこはやはり、プリキュアとともに戦いを経験したふたりにしかない余裕だったのかもしれない。
「来るぞ!」
 それは嵐のようだった。妖精たちの体は枯葉のように翻弄されたが、その小さな体は逆に荒れ狂う風に逆らわず、うまく力を逃がしていた。
 だが、その嵐は石で造られた頑丈な建物をも崩してしまう。
「あ!」
「こっちだ!」
 妖精たちが必死に手を伸ばす。その手が奇跡的につながった。歯を食いしばる妖精たち。それはまるで折り紙で作ったリボンのようだったが、激しい嵐の中でその飾りを見ることができる者は誰もいなかった。
 やがて、何時間も続いたかと思われる嵐が収まった。どうやら、飛ばされてしまった妖精はいないようだった。エンエンはほっと息をついた。
 だが、城の様子は惨憺たるものだった。高い塔は倒れ、頑強だった塀は崩れ落ちている。プリキュアは、ほかの妖精たちは一体どうなったのだろう。
「あれ…なんだ?」
 何かが光っている。瓦礫の隙間から金色の光が漏れていた。グレルとエンエンはゆっくりと近づいた。
「掘ってみるぞ」
「危ないよ」
「誰かが埋まってるかもしれないだろ」
「でも、その光…あれ、どこかで見たような」

「俺が掘り出す前に思い出せよな」
 グレルはその小さな山によじ登ると瓦礫を取り除き始めた。他の妖精も手伝い、バケツリレーのようにしてよけていく。
「あ、わかった!」
「何の光だよ――あ!」
「フーちゃん!」
「あゆみ! うわっとっと」
 がれきの中から金色の光に包まれたあゆみが姿を現した。丸い光は自ら瓦礫を押しのけていく。グレルは慌てて飛び降りた。
「あゆみ!
 あゆみ!!」
「…。
 グレル、エンエン。
 無事だったのね」
「こっちのセリフだ!
 どこほっつき歩いてたんだよ。妖精に心配かけんじゃねぇよ!」
 あまりの剣幕に目を丸くしていたあゆみだが、グレルの目じりが濡れていることに気づいて頬を緩めた。
「ごめんなさい。
 ありがとう」
「何言ってるんだよ。こっちも大変だったんだぞ!」
「そうだ。
 ウタエンさんとオドレンさんは?」
「あいつら、泥棒だったんだよ。プリキュアの変身アイテムを盗んで」
「グレル、今はそれよりドラゴンの方が」
「ドラゴン?」
 あゆみはエンエンの視線をたどって振り向いた。そして理解した。そのドラゴンが、あの怒りの声の主だった。
 ゆっくりと立ち上がる。その動きにつれてあゆみの体から金色の光がこぼれた。
「あのドラゴンは、このハルモニア王国の守り神。
 毎年行われる『春のカーニバル』が邪魔されたことで怒っているの」
「そんなことで?!」
 小さな妖精があゆみのもとにかけよった。
「言い伝えでは、あのドラゴンは昔のハルモニア王国を滅ぼしかけたことがあるルモ」
 どうやらハルモニア王国の妖精らしかった。その恐ろしさを知っているのか、声が震えている。
「ドラゴンの大好きな歌とダンスを毎年捧げることで、ハルモニアの守り神になることを約束したのよ。
 それを裏切られた、と思っているの」
「まったく肝っ玉の小せぇやつだな」
「でも、約束を破られたら怒るのも当然だよ」
「話を聞いてもらわなくちゃ。
 グレル、エンエン、お願い」
「おっ、やっとキュアエコーのお出ましだな!」
「行こう!」
(フーちゃんも、お願いね)
 あゆみは、フーちゃんが姿を変えた胸元のキュアデコルに手を当てた。
 それには多くのエネルギーを必要とした。そのためキュアデコルになってから眠り続けていたフーちゃんは、あゆみが閉じ込められていた部屋が崩れたときにその危機を察知して目覚め、金色の光であゆみを守った。その一瞬、それまで切れ切れにしか聞こえなかったドラゴンの声がはっきり聞こえた。ドラゴンの激しい怒り、深い悲しみと絶望が伝わってきた。
 できるだろうか。いや、やらなければ。
 ハルモニア王国の妖精たちは震えながらも祈りをささげていた。それは、崩れ落ちた建物を透かして見えるハルモニアの人々たちもそうだ。彼らにはドラゴンを裏切るつもりなどなかった。逃げ出そうともせずに、膝まづき、許しを請おうとしている。
(その気持ちを届けるのが、私の役目。
 キュアエコーの力はそのためにある!)
 手を伸ばす。右手にグレル、左手にエンエン。
 フーちゃんのキュアデコルから滲み出す光が金色のトライアングルを形作る。
 それが破裂した。
「思いよ届け!
 キュアエコー!」

「え?」
「あれ、なに?」
 お城のテラスに集まっていたプリキュアの視線が空に向かった。
「泥棒とドラゴンの他にまだ誰かいるの?!」
 キュアフローラがパニックを起こして叫ぶ。
「あの光は、敵ではないようです」
「プリキュアっぽいよね」
 キュアマーメイドとキュアトゥウィンクルが言った。
 白いドレス、淡いクリーム色の髪。
「キュアエコーではありませんか?」
「あゆみちゃん!」
 キュアビューティが指をさす。キュアハッピーの目が輝いた。
「あゆみちゃんもカーニバルに来てたんだ」
 キュアピースが言うと、キュアマーチとキュアサニーがキュアハッピーを睨んだ。
「え」
「せやから、あゆみも誘おて言うたやろ!」
「だって、招待状を見たらすぐにでも行きたくなっちゃって…ごめんなさい」
 キュアマーメイドとキュアトゥウィンクルが振り向いた。
「キュアエコーは何をしようとしているのですか?」
「キュアエコーは、思いを届けるプリキュア。
 きっとドラゴンを説得しようとしてるんだと思う」
 キュアハートが答えると、キュアフローラが力んだ。
「私も行く」
「いえ、様子を見ましょう。
 大勢で行くと、ドラゴンを刺激することになるかもしれない」
 キュアマーメイドに止められ、キュアフローラは不満そうだった。
「任せていいのかな」
 キュアトゥウィンクルの問いに、すべてのプリキュアが頷いた。