【 スローリー・スローリー 】1




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 蓋を開けると、熱い湯気がむわっと解放された。
 一人用の土鍋には、淡い琥珀色のダシの中に鴨肉を中心とした具材がたっぷりと並べられて、食べる者の箸を待っていた。
 まずは煮こまれた白菜に箸をつけた。表面にダシのとろみが付いた白菜の葉元には、鴨肉の甘みが沁み込んでいた。その軟らかくなった肉厚の葉を咀嚼しながら、ダシの旨みで口の中を温める。
 適度な薄さに切り分けられた鴨肉。触れた箸から伝わってくるのは、上質な肉の柔らかさ。白菜の葉先と一緒に口に入れて噛みほぐすと、葉に沁みていたダシがじわっとあふれて、肉の滋味に深く絡んでくる。こうなると、舌はもう鴨肉の虜だ。ダシのしたたる鴨肉を箸で持ち上げただけで、口内に唾液が出てきてしまう。
 大きめに斜め切りされた白ネギは、煮込む前に表面を簡単に炙ったことで、ネギ本来の甘味が引き出されていた。香ばしい焦げ目の部分を噛みしめると、にじみ出た甘味が、鴨の風味に優しく上乗せされる。ダシをたっぷり含んで蕩けたネギの柔らかな歯応えも良い。
 琥珀のダシに浸った熱々の絹ごし豆腐も、また格別。レンゲで小さく切り分け、熱いダシごとすくい上げたあと、左手に持ち替えたレンゲの上で、箸を使って丁寧にカタチを崩す。そして、そのままズズッ・・・とすすってみれば、豆腐のなめらかな味わいが、鴨の脂のコクと半ば渾然となって舌の上へ流れ込んでくる。喉を通り落ちるのは、極上のスープの飲み心地だ。
 別皿のおにぎりにも手が伸びてしまう。だが、大きさは、大人のこぶし程度もある。しかも二つ。
(宴会のお鍋で、けっこうたくさん食べたあとなのに)
 ためらいつつも口へ運ぶ。せめて一つだけにしようと思っていたのに、炊き上がりの熱がまだ逃げていないお米の美味しさと、それを引き立てる絶妙な塩加減に押し切られ、結局は二つとも食べてしまった。
 さきほどの宴会で食べ、そして追加で、このミニ鴨鍋とおにぎり二つである。食べた量を考えると、女の子としては色々と心配になる。けれど、口の中も胃の中も幸せすぎて ――― 。
「ごちそうさまっ」
 リボンでサイドテールにした右髪を可愛らしく揺らして顔を上げ、にっこりと笑みを広げる。
 それを見て、この料理を作った少女の表情も、しあわせいっぱいな笑顔に染まる。まるで、食べてくれた相手の喜びをおいしくいただきましたと言わんばかりに。

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(それにしても・・・)と、山吹祈里は心の中で首を傾げた。
 ケヤキの座卓を挟んで、目の前でニコニコしている大森ゆうこの意図が全然読めない。
 そもそも、彼女がどういう人物なのか、まだよくわかっていない。
 襟足の跳ねたショートヘア。自分と同じ山吹色の浴衣。そして同年齢。でも、精神的な面で自分よりもずっと余裕を持ってそうな雰囲気。ラブちゃん並みに元気がありそう。料理がすごく上手。おいしいアメをくれる。
 ――― あと、所属は、ぴかりが丘のハピネスチャージプリキュアであるということ。大森ゆうこに関する情報は今の所これぐらいだ。正直、少ない。

 新たに誕生したプリキュア、キュアフローラたちの歓迎会として、四葉観光ホテルを貸し切って催された『全員集合お泊まりイベント』。それが『プリキュア東西対抗・捨て身の一発芸大会』へと変貌する直前、「ちょっといいかな?」と、ゆうこに声をかけられて、この和風の客室へ。
 理由もわからぬままに手料理のおもてなしを受け、その美味しさに思わず疑問を感じることを忘れてしまっていた。
 しかし、食器を下げるために彼女が部屋を出た頃から、ふつふつと「何故?」という思いが胸に湧き始めた。戻ってきた彼女に尋ねてみたものの、「まずは楽しくガールズトークしましょ」と肝心の話を逸らされてしまい、何も解らない。
 どうしよう。
 ゆうことは、まだほとんど話したことが無い。ラブたちと一緒にロビーに集合した際、アメを配りにきた彼女と簡単な自己紹介を済ませた程度だ。楽しくガールズトークをするといっても、やや内向的な性分の祈里にとって、打ち解けていない相手と二人きりで・・・というのは少しハードルが高い。上手く話題を合わせられなかったら、と想像するだけで尻込みしてしまう。
 逆にゆうこは、あっけらかんと祈里に話しかけてくる。
「獣医さんの仕事って大変?」「白詰草ってお嬢様学校なの?」「名字が山吹だから、ブッキーなんだね」「祈里ちゃんのダンス見てみたいなあ」「わたしもキルンで動物たちとお話してみたい!」「アメ食べる?」「フェレットと体が入れ替わるのって、どんな感じだった?」「祈里ちゃんって裁縫が得意なのよね」「・・・アメ食べる?」

 ――― 祈里のことについて妙に詳しい。
 どうして知ってるんだろう、という気持ちになりながらも、ゆうこのマイペースな調子にぐいぐい押されて会話を続けてしまう。ちょっと強引だなと感じつつも、全く嫌な気分にならないのは、ゆうこの雰囲気のせいだろうか。
 この子と仲良くなりたい。自然とそう思ってしまう。
 最初はたどたどしかった祈里の口も、次第におしゃべりに弾み始める。
 ・・・・・・だんだんと、ゆうこの情報源が見えてきた。
 会話の切れ目を突いて、今度は祈里のほうから話しかけてみる。
「あの、ゆうこさん・・・」
「ごめんね、守秘義務で依頼人の名は明かせないの」
 ちょっと真面目な顔つきになったゆうこが、先回りして答えてきた。
 依頼人、か・・・。軽く握った右手のこぶし、その人差し指の部分をあごの下に触れさせ、祈里が数秒ほど考えてから、もう一度口を開いた。
「報酬は、ドーナツ10個ぐらい?」
 ゆうこの表情がたじろいだ。でも、嘘をついてでもごまかそうという気はないらしく、素直に認める。前払い報酬で8個。お土産として持って帰って、皆で分けて食べたそうだ。
「カオルちゃんのドーナツのおいしさは風の便りに聞いてて、ずっと食べてみたいと思っていたの。
あの味・・・、遠路はるばる四つ葉町まで行った甲斐があったわぁ・・・・・・」
 ドーナツの味を思い出して、うっとりとした表情になるゆうこ。祈里のまなざしに、あたたかい微笑みが混じる。見ているだけでしあわせな気分になるような、そんな顔だったから。
(そっか。作るほうだけじゃなくて、食べるほうも大好きなんだ、ゆうこさんは)
 祈里が静かに両目を閉じる。
 依頼人が見えてしまえば ――― 依頼の内容もわかってしまう。余計な心配をさせてしまった三人の名前を心の中で順番に呼んで、ごめんなさいと謝る。

 ラブたちといる時、後ろめたい気持ちが原因で、気分を沈ませてしまうことが何度もあった。そのたびに三人の誰かから気遣いの言葉をかけられ、自分は「心配しないで」と笑顔で返して。
 そして、それが重なっていく毎日。
 ラブも美希もせつなも、無理に踏み込んでこないだけで、ちゃんと見守ってくれている。
 けれど、自分の心はひそやかに三人から距離を取ろうとする。
 大好きなみんなだからこそ、彼女たちにバレてしまうのがこわい。

「だいじょうぶだよ。祈里ちゃんが無理なら、何も訊かないわ。・・・そう依頼されてるしね」
 祈里の頬に、そっと触れてきた手の平。
 閉じていた目を開くと、ゆうこの柔らかな表情と、まっすぐに自分を視るまなざし。瞳の奥底に優しい心が見えてくるような、そんな視線だ。母性的な包容力を感じさえする。
 あらためてゆうこに対し、『あたたかい』という印象を抱いた。
 ・・・だからだろうか。
 胸の深くに隠した罪悪感が、わずかだけれども、ぬくもりでほぐされて ――― 。

 ――― いっそ、ここで全部話しちゃおうか。

 この件に関しては、学校の礼拝堂で懺悔するのもこわくて出来なかったぐらいなのに。
(ゆうこさんのそばにいると、不思議と気持ちが落ち着く)
 祈里のくちびるが、自然に動こうとした。
 しかし、口を開きかけた瞬間、いきなり壁がビリビリと震えた。そのせいで告白の言葉が、驚きの悲鳴に変わってしまう。
「きゃっ、何っ!?」
 ついでに天井や床も震える。地震とは明らかに違う揺れ。例えるなら、近くで爆弾が炸裂したような感じだ。
 続いて、離れた大宴会場から大きな拍手が聞こえてくる。「ギャーっ!」という悲鳴も聞こえてくる。もっともそちらは、どっと噴き上がった多くの笑い声に呑まれて一瞬で消えたが。
 少しでも安心したくて、ゆうこのほうを見る。
 さすがの彼女もやや顔を引きつらせていたが、祈里の視線を感じると、すぐに表情を余裕のある微笑みに切り替えた。
「いくら捨て身の一発芸だからって、みんな、ホテルを壊したりしないって・・・思いたいよね?」
 ゆうこの自信なさそうな口調のせいで、全然安心できない。



最終更新:2015年03月02日 23:35