あの海から始まる物語:episode.3
「せつなちゃん、今度夕涼みに行かない?」
こう言って、ブッキーが私を誘ったのは、6月に入ってすぐのことだった。
もちろんすぐにOKしたけど、誤解しないで。断る理由なんてないからよ。
別に、ブッキーから誘われて、嬉しかったとかじゃないんだから。
やだ。私、どして自分に言い訳してるのよ……。
けど、よくよく聞いてみると、どうも2人っきりじゃなくて、4人でってことらしいの。
なあんだ……。
あれ?どして?何ガッカリしてるの私……。
一体何だろう、このヘンな気持ち。
ともかく、4人で夕涼み。夕涼みってどういうもの?何をするのかしら。
初めてのことをするのって、何だかとっても楽しみね。
約束の日、私とラブはお母さんに浴衣を着せてもらい、美希とブッキーが来るのを待っていた。
隣に座るラブを、私はそっと盗み見る。
最近、ラブは少し雰囲気が変わった。何だかとても綺麗になってきた気がする。
こんな風にラブを変えたのは、美希なの?
ラブと美希は、いわゆる「恋人同士」っていう関係らしい。
もともと綺麗な美希も、近頃さらに美しさを増している様だけど……。
そういえば、ブッキーも最近すごく綺麗になってきたような気がする。
もしかして、ラブと美希みたいに、誰か特別な人ができたのかしら……。
まさか!ブッキーに限ってそんなこと!
私は思わず、首を左右に強く降る。
「どしたのせつな?」
「な、何でもないわ!」
ピンポーン。玄関のチャイムが鳴る。
「「今晩はー」」
玄関には、浴衣を着た美希とブッキーの姿があった。
美希のは蒼いので、ブッキーのは黄色。すごく似合ってて可愛い。
「ピンクの浴衣、可愛いわよラブ」
「ありがと!美希たんも素敵だよっ」
いちゃつく2人を見ながら考える。私も何か言おうか。どう言ったらブッキーは喜ぶのかしら。
「せつなちゃんも、その浴衣とっても似合ってるね」
にっこりと私に微笑みかけるブッキー。か、可愛い……。
「……ありがと」
やだ、何だか照れる。ちょっとぶっきらぼうな答え方だったかしら。
誉め言葉を探していたのに、ブッキーに先を越されてしまい、何も言えなくなってしまった。
合流した私たちは、いよいよ黄昏時の夕闇の中へと歩き出す。
皆の行く方へ何となくついて行きながら、急に行き先が気になった私。
誰とはなしに聞いてみることにした。
「ねぇ、どこに向かってるの?」
いいからいいから、と美希。来ればわかるって、とラブ。
「きっとせつなちゃんも気に入るわよ」
ブッキーまで。教えてくれないなんて意地悪ね。
まあ、いいわ。行けばわかるんだから、おとなしく歩くことにしよう。
薄暗いながらも見えていた景色が、少しずつ夕闇に沈んでいく。
ラブが、持っていた懐中電灯を点けた。
「せつな、この辺からアスファルトじゃなくなるから気をつけて。もう少しだからね」
本当ね。少し歩きにくい。でも、もう少しだから精一杯頑張るわ。
せせらぎの音が聞こえてくる。どうやら川が近いようだ。
「さあ、着いた。消すよ」
ラブが明かりを消した。
暗闇になかなか眼が慣れない。しばらくすると、いくつもの淡い緑色の光が、ぼんやりと動くのが見えた。
――――綺麗。
それが、眼の前の光たちに最初に抱いた想い。
けれど、光は意思を持ったもののようにあちらこちらへ動き廻り、私はひどく焦る。
「み、みんな!この光は何?何なの?」
「これはホタルっていう虫なの」
ブッキーが説明してくれた。
「暗闇の中で発光しながらお互いに交信して、交尾の相手を探すと言われているの」
「じゃあ光りながら恋人を探してるんだねっ!うわあ~ロマンティック!」
そう言いながら、ラブは美希の腕にしな垂れかかる。
暗くてあまり見えないが、美希の頬は緩みっぱなしに違いない。
眼のやり場に困り、思わずブッキーの姿を探す。
少し離れた場所で、何やら腕を伸ばしているブッキーの姿が眼に入った。
彼女は何をしているのだろう?
何か呟きながら、空中を飛んでいるホタルとか言う虫に近づいていく。
「ホ、ホ、ホータル来い……」
次の瞬間、ホタルがブッキーの指先にそっと止まった。
「すごいわブッキー!キルンも使ってないのに」
「ホントね。わたしもびっくり」
驚いた私に、にこにこと穏やかに笑いかけるブッキー。
指先に止まっていたホタルは、いつのまにか彼女の頭上を飾るリボンに移動していた。
黄色のリボンが、緑色の光によって黄緑色に彩られ、薄闇に浮かび上がっては消え落ちる。
発光する虫たちの光に照らし出される、ブッキーの柔和な微笑。
まるで一幅の絵のようなその光景に、私はしばらく見とれてしまっていて。
そして、ようやく気づく。
自分の心の動きが意味するものに。
何故、クリスマスのあの夜、ブッキーをひとりぼっちに出来なかったのか。
何故、ブッキーのことばかり考えてしまうのか。
あの日。合宿先の部屋で一緒にダンスを躍り、笑い合ったあの時から、きっとすべては始まったんだ。
始めから、ずっとずっとそうだったんだ。
無意識に言葉が口をついて出るのを、私は意識の端っこで聞いていた。
「私も、見つけちゃったみたい……」
「え?何を?」
ぽかん、とした表情の彼女に、何も答えない代わりにきつい抱擁を与える。
その衝撃で、リボンに止まっていたホタルが慌てて飛び出していく。
「……せつなちゃん?」
彼女の髪から立ちのぼる、むせ返るようなシャンプーの甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「お願いブッキー……逃げないで。しばらくこのままでいさせて……」
「逃げたりなんか……するもんですか」
ささやくように答えるブッキーの声は、少しうわずって震えている。
柔らかくて温かい彼女の身体を、全身の皮膚で感じとる。
ああ……。おかしいわ。どうしてかしら。夕涼みって、なんだかとっても熱いの。
でも、もう少しだけこうしていたい。あともう少しだけ……。
「せつな、ブッキー、どこー?」
「ホタルも見れたし、もう帰らない?真っ暗だからアカルンでお願い」
ラブと美希に急かされ、慌ててブッキーを放す。
「はーい、ここよ!今行くから」
恥ずかしそうにうつむいた彼女の手をとって、優しく握る。
「行こ?」
「……うん」
少し汗ばんだお互いの手のひら。
最初は怖ず怖ずと、弱々しく繋がれていた手に、次第に力がこもる。
ラブたちの声のする方へ歩くうちに、私の手と彼女の手はいつしか、強くしっかりと繋がれていた。
今ようやく、互いを見つけ合うことができた私たち。
もう、迷わない。
最終更新:2013年02月12日 14:19