史実資料館

戦国BASARA3に付されている、史実を文章のみで解説するギャラリーモード。
戦国無双シリーズでいう「戦国事典」に相当するもの。
……のはずなのだが、ところどころ間違った知識や「BASARA史観」とでも言うべき偏見が記されており、
史実に詳しいBファンやアンチの失笑を買っている。

例:黒田官兵衛は兵站で活躍し、石田三成と得意分野が重複していた。
→史実において黒田官兵衛は軍事作戦を立案・実行する立場。軍師・参謀と言ってよく、兵站とは違う。
例:伊達政宗は右目を失ってから「独眼竜」を自称した。
→伊達政宗を「独眼竜」と称したのは、明治34年に高橋紫燕が著した『独眼竜政宗』が最初。
例:朝鮮に渡った雑賀衆の中には「さやか」という名の女性がいたことがわかっている。
→「沙也可」という字が記録に残っているのは確かだが、「サイカ(雑賀)」の訛りであるという説が有力。

ゲーム内でこのようなトンデモ史観を披露するのであれば戦国ファンタジーで済むが、
“史実”を紹介するギャラリーで誤解を招くような表記をするのは許されることではない。
「史実を作ろう」などと妄言を吐いた挙句、実際に史実を捏造するような所業をやらかす辺りが流石Bである。

史実厨

B厨・B腐がBへの批判に対する反応の一つ。
Bのキャラクターが史実と違うなどと発言した者に対して罵っている意味で言うことが多い。
これはBに限らず、無双シリーズ関連スレでもあまりにも執拗な場合、ごく稀に言われることがある。
確かにゲームである以上、史実と違う部分があるのはやむを得ないことである。
しかし、だからといってそれを指差しただけで罵るのはいかがなものか。
自分たちが歴史ゲームの一員(及びそのユーザー)としての位置づけを求める以上、
史実に対する知識や敬意は不可欠のはずであり、それを失うことはその資格を自ら放棄することに他ならない。
ましてや自称と言えども「戦国ブームの火付け役」を名乗っているのなら尚更のことである。
この発言がBファン(特にB厨・信者)の側から出た時点で、
彼らは歴史ゲームファンとして完全に破綻した存在に堕したといえるだろう。
この発言のため、一部の2ちゃんねる歴史ゲーム板住人からは、B本スレ追放論さえも提起されつつある。
B厨の主要な批判原因の一つである、「史実(=事実)」と「創作(=仮構・フィクション)」との、
恣意的な使い分けの典型例である。
なお、「〇〇厨」という呼び方自体が発言者の程度を疑われる類の悪罵なので、みだりに使用してはならない。

「史実を作ろう」

小林裕幸プロデューサーが2009年10月の太秦戦国祭りで発言した、「BASARA3のコンセプト」。
これだけでは「史実を作る」という言葉の意味がいまいち不明瞭だが、
イベント参加者やカプコンの回答によると、「(BASARA世界の)史実を作る」と捉えるべきとのこと。
だが、「史実」という語は、実際に起こった歴史上の事実を指す言葉である。
「BASARA世界の」という前提条件を省いた「史実を作ろう」という発言が一部メディアに
掲載されたことにより、アンチスレでは「史実を捏造しよう」の意味に取った者が多く、批判が噴出した。

付記
2010年8月に発売された「戦国BASARA3 武将読本」のインタビューでは、
「戦国BASARA3のコンセプトは時代を作ること」と表記されている。
史実という言葉をわざわざ避けたのは、実際に批判を受けてのことであろうと推測される。

実写版

TVドラマ版のB。
正式名称は『戦国BASARA -MOONLIGHT PARTY-』。
しかし、ゲーム関係の実写化は歓迎どころか歴史的に鬼門として名高く*1、B厨・腐からは阿鼻叫喚の声が聞こえ、
アンチはこの暴挙に失笑し、あるいは犠牲となった俳優陣に同情の意を禁じ得なかった。

発表の時点で既に暗雲は立ち込めており、主要俳優陣の目が死んでいたことが度々話題となった。
また、「コスプレ同然」と酷評された低水準の衣装も度々取り沙汰されたが、これは原作再現と素直に評価すべきだろう。

付記
監修を務める小林氏曰く、
「小さいお子さんからおじいちゃん、おばあちゃんまで、いろいろな方に観ていただきたい。」とのこと。*2
本作の放送時間は深夜なのだが。

付記2
憂慮されたことではあるが、本作の出演俳優陣に対するB厨・腐からの批判・攻撃は激化の傾向にある。
一般には「イメージが崩れる」といったものであるが、俳優陣に対して大変失礼なものが特に目立つ。
俳優陣と声優陣に対する扱いの極度の差は、彼らの狭量さを示す格好の例となっているといえる。

付記3
殺陣のシーンが多い関係もあり、舞台版同様にスーパー戦隊シリーズ、仮面ライダーシリーズ、
ウルトラシリーズ等の特撮作品で活躍したキャスト・スタッフやアーティスト*3が製作に参加しており、
B厨・B腐の被害を受けた作品のファンからは怒りの声も上がっている。

付記4
武田航平氏のブログによれば視聴率は好調(そして「良い意味でも悪い意味でも評判」)だったようだが、
スタッフが何を勘違いしたのか、2012年12月には放送終了後間もないにも拘わらず、
ほぼTV版を再編集しただけの劇場版を公開するという奇行に走り、アンチに失笑をもたらした。
唯一の新要素は、TV放送時に「背景が真っ白(もしくは真っ黒)」というあり得ない光景で視聴者を失笑させた、
第1話の戦闘シーンに墨絵調の背景が追加されていることのみである*4

柴田勝家

戦国時代の武将。戦国BASARA4より新登場が決まった。
史実では織田家の重臣であり、同家の筆頭家老を務めるほどの譜代の臣であった。
織田信長が弟の信勝(信行)と対立した時は信勝の側についたが、降伏後は信長に心服し、
名実ともに筆頭家老として信長の天下布武を武で支えた。
だが、本能寺の変で信長が横死すると、大返しに成功した羽柴秀吉に家中の立場の逆転を許してしまう。
政略結婚で未亡人となったお市の方と再婚し両者の修復を図る動きはあったが、
対立は深刻化し、遂に両者は賤ヶ岳の地で直接対決に至ることとなる。
そして、勝家はこの戦に敗れ、本拠地の越前北ノ庄の地で壮絶な自刃を遂げた。
なお、お市の方も二度も落城から逃げることを潔しとせず、同地で彼に殉じた。

天下布武に王手をかけた織田家最大の重臣・武臣と言うべき猛将・豪傑であり、
その武勇を物語る「瓶割り柴田」「かかれ柴田」「鬼柴田」といった二つ名には事欠かない。
「越後の龍」上杉謙信を抑えるべく北陸方面を担当したのも、その武勇の故であろう。

にも拘らず、B4では痩身のおかっぱ頭という、従来の豪傑像を徹底的に無視した劣悪な代物である。
そして、さらに問題視されるのはその人物設定である。

織田軍の若き尖兵。かつて起こした謀反が失敗に終わり、実力はあるものの地位は低い。
現在は全てを諦めたようにただ命令に従うだけの存在で、
主君・織田信長からも、ほとんど相手にされる事はない。

上記の通り、謀反自体は史実通りだがその為に彼の業績や人格が全否定されたことはないし、
信長と比べて若者と扱われる筈も無論ない。
また、この陰鬱な性格も、無双徐庶のパクリではないかとする声もある。
その一方で、この性格の面で、小林のお気に入りであるお市とお揃いにした可能性も指摘されている。
ちなみに、スタッフコメントによると勝家の設定については
「史実では謀反という過去を乗り越え信長に認められた勝家が、もしも謀反の際に挫折から立ち直れなかったらというIFを描いた」
とのこと。
しかし、そこまでして「謀反に挫折した勝家」を描く必然性は全く見当たらない。

柴田勝家は、上記の通りお市の方と密接な関係のある人物であるため、
B浅井長政の扱いからして、いずれ登場する(捻じ込まれる)のではないかとアンチの側からは見られていた。
その予測は馬鹿馬鹿しくも的中したわけであるが、Bシリーズの共通する病理である「史実の蹂躙」
「作品の公式による私物化」「他社作品の剽窃癖」を初登場にして一身に体現していると言えよう。

島左近

戦国時代の武将。戦国BASARA4より新登場が決まった。
史実では大和国出身の人物であり、名は清興。当初は同地の大名である筒井家に仕えた。
その名の通り「筒井の右近左近」と世評も高かったが、後に筒井家を出奔したのちに石田三成に再出仕し、
この時、三成から二万石と言う高禄を受けるという高い評価を受けている。
仕官後は三成の補佐を務め、その器量は「三成に過ぎたるもの」とさえ呼ばれるほどであった。
関ヶ原の合戦では敗色濃厚の中、黒田家の猛将たちとの死闘を繰り広げた末、主君に殉じた。

この時、相手方の黒田家の将士は誰も左近の姿を覚えていなかったという。
歴戦の豪傑たちのトラウマになる程に、関ヶ原の左近の戦いは鬼気迫ったということであり、
彼の武名が偽りではなかったことを証明するものだと言える。

B4での彼の姿は、何故か主君の三成とほぼ同年代の姿になっている。
上記の通り、経歴を考えても三成よりは一回り以上年長の筈なのであるが。
それだけではなく、その人物造形には以下の如く既にパクリとの声が頻出している。

  1. その容姿・二刀流・足技を使う若手軍師と言う内容は無双陸遜(6時代)
  2. 博打を愛する享楽的な軍師という人物像は無双郭嘉
  3. 衣装等に無双凌統や無双関索*5
  4. 同様に、赤主体の装束&足技は、無双井伊直虎*6

教科書たる『戦国無双』シリーズが続報を全く表面化していないためか、
今度は『真・三國無双』シリーズの方をメインにパクリを始めたというのが正直な感ではある。
無双左近はその容姿をB片倉にパクられ、B左近はその内実を無双全般からパクる。
B公式は左近に何かの恨みでもあるのだろうか。

島津豊久

戦国時代の武将。
戦国時代の島津家当主である貴久は子弟に恵まれ、長兄の義久以下、次子の義弘、三子の歳久、
異母末弟の家久の四人がそれぞれ個性・才覚豊かであり、義久率いる島津家の九州制覇の大きな一因となった。
この末弟の家久の子が豊久であり、若年より、軍略に秀でる父の名を辱めない勇者であった。

九州制覇が豊臣秀吉の九州征伐に阻まれるや、島津は本領安堵を確約した後、豊臣軍に降伏。
直後、父の家久は急死してしまい、豊久は伯父の義弘の元に引き取られる形となった。
異母の甥とは言え、両者の仲は実の父子のようであったと伝えられている。

関ヶ原の合戦において、島津は西軍に消極的ながら参加することとなり、
豊久は伯父の義弘と共に関ヶ原本戦に臨むが、連携を欠く西軍は東軍に敗北。
このため、島津軍は敵中突破による決死の撤退戦に挑むこととなる。
ここでの島津軍は、「捨て奸」と呼ばれる徹底的な時間稼ぎを行っており、
これが功を奏した結果、半壊状態ながらも義弘ら本隊は薩摩本国への撤退に成功した。
だが、豊久はこの策のために徳川の猛将・井伊直政に一矢報いるも討たれることとなった。

戦後、この苛烈な抵抗もあり、島津家は徳川家から本領安堵をどうにか勝ち取ることが出来た。
豊久は、己を盾にして島津家を守り抜いたと言えるであろう。

『戦国無双2』で伯父の島津義弘が武将として初登場して以来、史実と同じく、
一般武将ではあるが義弘の補佐役として作中で印象的な活躍を続けており、『采配のゆくえ』でも連続登場。
そして、『4』では待望の昇格となった。
作中では、体育会系の熱血青年といった感のある、ほぼ従来通りの描写の延長にある、活発な姿を見せている。

そういうわけでBには未登場なのであるが、この手の武将の乞食であるB厨共が黙っているはずもなく、
「B島津との方が合っている」といった図々しい発言があった。
当然ながら、島津の関係者は彼一人ではないため、三兄弟以下他の人物を出すことは幾らでも可能である。
B厨の無知や恥知らずはここでも変わることは無い。

付記
漫画家の平野耕太氏の作品に『ドリフターズ』があり、当作の主人公の一人がこの豊久である。
作中でも氏一流の演出が光り、極めて高い評価と人気を得ているのであるが、
無双豊久の登場に関して、本作の存在とその影響が指摘される場合がある。
先に言及した『2』『采配』の双方の作品は、『ドリフターズ』以前のものである他、
人物描写もかなり異なるため、その線は弱いと見るべきであろう。

付記2
上記作品のドリフ豊久を、Bに出してほしいというB厨の発言も存在している。
底なしの恥知らずというべきであろうし、権利関係の問題は回避不能であろう。

白石市

宮城県白石市のこと。片倉小十郎(片倉景綱)が治めた地として有名。
白石市観光協会が率先して戦国BASARAと全面的にタイアップを展開しており、
痛バス・痛タクシー、コラボ食品、看板・記念乗車券など、BASARA小十郎の姿が随所に見られる。
宮城県は全体的にBアンチに優しくない場所となりつつあるが、白石市はまさにその筆頭をいく存在である。

戦国BASARA3から導入されたシステム。
…というが、単に演出が無駄に派手になっただけの、無双シリーズにおける「拠点」のことであり、
B3の作風の薄さを示すものの一例と言える。
また、そもそも一本道のステージが原則のB3とは、システム的に噛み合わない面が強い。
更に、攻略時の効果である攻撃・防御強化のエフェクトが、無双シリーズの物と全く同じだったため、
その面でも批判を受けた*7

陣形合体

B4で追加された新システム。
その内容は、先に立てられた「組体操」の項目を参照のこと。
最終更新:2014年08月27日 05:48

*1 CAPCOMもかつて『ストリートファイター』シリーズを二度ハリウッド映画化しているが、いずれも興行的には失敗している。また、2012年には『逆転裁判』を実写映画化しているが、こちらも興行的には失敗している。

*2 うつけこと「宴」が発売した時も、「小さいお子さんから~」と同じことを発言している。

*3 武田航平氏、GACKT氏、徳山秀典氏、長澤奈央女史、岩永洋昭氏、有末麻祐子女史、アベユーイチ氏等

*4 ちなみに、スタッフロールでは本職の墨絵職人の名前がクレジットされている。予算を掛けるべき部分が他にあったのでは…

*5 両者は、ともに強力な足技使いであることも共通している。

*6 両作のPVにおいて、足技のモーションの類似性が指摘されている

*7 攻撃力強化が赤系の明滅、防御力強化が緑系の明滅である。