コーエー
横浜市に本社を構えるゲーム制作会社。現在はテクモと合併しコーエーテクモゲームス。
『信長の野望シリーズ』『三國志シリーズ』の両シリーズを代表とする、歴史シミュレーションゲーム制作の老舗として著名。
昨今は、上記のシミュレーションゲームを継承発展させた『決戦シリーズ』『三國志戦記』や、
そのノウハウをアクションに応用した、後述の
『無双シリーズ』がよく話題となる。
他にも、所謂「乙女ゲー」の先駆けである『ネオロマンスシリーズ』なども発売している。
歴史ゲームというジャンルを確立したことで知られるが、一度発売したゲームに対し追加要素を加えたゲームを発売する、
所謂「コーエー商法」でも悪名高い。
無双シリーズに関して、戦国BASARAにシステム・デザイン等を露骨にパクられたが、現在は状況を静観している。
コードギアスシリーズ
サンライズ製作、谷口悟朗監督のロボットアニメ。正式タイトルは『コードギアス 反逆のルルーシュ』。
架空の帝国に支配された日本の解放を作品の背景とする、近未来群像劇である。
TV本放送は二部構成の作品形式であり、劇場版の外伝や周辺作品のコミックス化がされているほか、
ロボット物としての側面も持つため、近時の『スーパーロボット大戦シリーズ』にも参戦した。
以上の様にBとは完全に無関係と言っていい作品なのであるが、小林が本作のファンであるらしく、
Bのアニメ化やB3製作に際して本作の後追いをしたのではないかと思われる節がある。
付記
その思い入れがあるせいか、小林は舞台版コードギアスのやり方を一方的に貶している。
その挙句、自分が批判されると相手をゴミ扱いした。
付記2
Bとは直接の関係がないため積極的に言及するのは憚られるが、
本作もB厨に匹敵する(或いは上回る)厨が続出した作品として一部では悪名高い。
当Wikiとは姉妹関係などにあるわけではないが、参考として以下に本作のアンチWikiを紹介する。
http://www10.atwiki.jp/antig/
両作品における厨房の言動が、
双子のように酷似していることだけ指摘しておけば十分であろう。
鯉沼久史
コーエーテクモゲームスに在籍するゲーム開発者。
後、同社の取締役に昇進し、現在は副社長の地位にある人物。
プロデューサー時代の代表作に、『戦国無双シリーズ』がある。
つまり、歴史上の人物ではなく同時代の人物として、バおよびB厨の最大の被害者の一人である。
3Zワゴン騒動の直後、Twitterに鯉沼久史氏のアカウントが突如出現しており、
内容としてはワゴン発言のフォローともとれる文面であった。
しかし、脱字だらけで言語崩壊が酷く、とてもまともに読めたものではなかった。
そもそも、鯉沼氏のアカウントは既に存在しているため、改めて作る必要はない。
そして、本件を訝しむ人々から、成り済ましか何かなのかと問われた途端、逃げるようにアカウント毎消滅した。
重箱の隅を突く様で恐縮だが、そのアカウント名もバのそれと酷似していたため、疑惑が残った。
高知県
四国の地方自治体の一つ。旧土佐国にあたり、長宗我部氏縁の地である。
そのため、劇場版が事実上県内唯一の映画館で上映されるなど現在Bを支援している県であり、
今後の暴走が危惧されている。
現時点では主に武将関係のみのようだが、大河ドラマに伴う龍馬ブームが去った後、
武将とは無関係の分野にまでBのコラボが進む可能性も否定出来ない。
小少将
戦国時代の姫。
但し、固有名ではなく当時の一般的人名であり、同時代の史書によると最低でも同名の人物が三名確認できる。
- 越前の戦国大名である朝倉義景の側室。
- 阿波守護である細川持隆の正室。後、畿内の有力者である三好義賢らと再婚。
- 土佐の戦国大名である長宗我部元親の側室。
この中で、活躍の地が比較的近い2.と3.の両者には同一人物説がある(但し、信憑性は乏しい)。
Bには未登場であるが、教科書たる戦国無双シリーズでは最新作4の新たなる武将の一人として登場。
上記の同一人物説に従い、近畿・四国の三好軍残党の指導者として、
そして、長宗我部元親の相棒分として鮮烈な活躍を見せ、彼の遺志を継ぎ関ヶ原・大坂を戦い抜いた。
とは言え、特に彼女に関して言及すべきことがあるとしたら、その髪型であろう。
何と、およそ戦国らしからぬピンク色のカーリーヘアであり、
無双シリーズに慣れたユーザーですら、およそ戦慄を禁じ得ない物であった。
ただし、彼女のピンクの髪・白い衣装は相方の無双元親の遂になることを前提とした根拠のあるものであり、
発売後には、その不安の相当数は波が引くように消えていったことも言及しておくべきだろう。
さて、悪い意味で話題を呼んでしまった彼女の存在に、B厨らが便乗しない筈もなく、
自分たちのことを棚に上げたうえでの妄言が頻発した。
一方、彼女の実際の姿が明らかになるにつれ、真田信之の項と類似の事態も生じた。
何と、かの半魚人と彼女を引き合わせるような内容の二次創作を作る者すら出てきたのである。
いずれにせよ、B厨の棲み分け拒否の姿勢は明確であり、その反証の一人となっている。
郷里大輔
男性声優。故人。
豪快な敵キャラ役等で定評のある声優だったが、2010年1月17日午後3時頃、東京都中野区本町の路上で、
腕や手首などから血を流して建物の隙間に俯せになって倒れている所を通行人に発見され、間も無く死亡が確認された。
遺書などによると、加齢や持病の悪化による、役者生命の限界を感じたが故の非業の死であるという。
Bには出ることはなかったが、『戦国無双シリーズ』で武田信玄役及び2と3のナレーションを務めていたために、
氏の訃報が告げられるや、B厨からは「ざまぁみろ」「死んで当然」「玄田氏を貸してやろうか?」
等と信じられない発言が飛び交ったという報告があった。
意図せざる形で、氏はB厨・腐の非人間的感性を暴露した形となったと言える。
この「郷里事変」とも言うべき事態と、先に起こった「
大谷事変」の双方から、
B信者に最低限の人間性すら認めない最強硬派のアンチが相当数誕生したと見られている。
ゴキ腐リ
空気の読めない腐女子に対する蔑称。
B腐はこのゴキ腐リが大多数を占めている。
後藤又兵衛
戦国時代の武将。戦国BASARA4より新登場が決まった。
史実では黒田家家臣であり、名は基次。又兵衛は通称だが、こちらの方が著名。
「黒田二十四騎」「黒田八虎」の双方に名を連ねる黒田家きっての歴戦の武辺者であり、
もう一つの両兵衛ともいうべき母里太兵衛(友信)と並ぶ人物として知られる。
黒田家には孝高(官兵衛)・長政の二代に仕えたが、次代当主である長政との仲は極めて険悪であり、
確執の末に「奉公構」を出され、黒田家を永久追放されてしまう。
牢人生活の後、大坂の陣が始まるや豊臣方に参陣し、大坂方の主戦力として、
真田信繁(幸村)、長宗我部盛親、毛利勝永、明石全登らと並び「大坂方五人衆」と世人に称された。
開戦後も圧倒的な戦力を誇る徳川方に対して勇戦するが、寄せ集め故に連携を欠く豊臣方の弱点が露呈し、
濃霧で陣営の足並みが乱れたところに伊達軍の猛攻を受け討死。
彼の援軍に間に合わなかったことを、幸村はひどく悔いたと言われている。
死後、幸村と並び、多くの講談でその勇武は広く語り継がれた。
B4での扱いは、そのような姿を何一つ感じさせない内容である。
容姿は、多くの肖像画に描かれたものではなく、カマキリとナマケモノのキメラのような姿であり、
閻魔帳に己の恨み辛みを記録しているという、公式の陰湿さを感じるにも程がある内容である。
それは、肖像画等に残る具足を歪めたデザインであるという点からも容易に想起出来よう。
史実の通り、又兵衛は豊臣方で伊達家と戦った武将であるため、
B3の最上義光の様な「かませ犬」扱いをするためだと思われる。
生理的嫌悪感すらあるこの醜悪な内容は、単なる外見的なものではなく、公式の悪意が垣間見えるが故であろう。
付記
B又兵衛の担当声優は三木眞一郎氏である。
ここから、『コードギアス』から『ガンダムOO』に声優の人選先を乗り換えたのではないかと言われている。
小早川隆景
戦国時代の武将。
安芸の戦国大名である毛利家当主・元就の三男であり、小早川家の養子となって家督を継いだ。
小早川家は瀬戸内の水軍の有力者であり、彼は毛利家の水軍の責任者として活躍し、
厳島合戦の勝利に貢献するなど、弱小大名であった毛利家の抬頭の一翼を担った。
戦国時代を代表する謀将・元就は子に恵まれたが、中でも彼は父の才知を色濃く引き継いでおり、
元就や元就の嫡子・隆元の急死後も兄の吉川元春と共に、その智謀で毛利を力強く支えた(所謂「両川体制」)。
中央で織田家の勢力が伸長するや、毛利家は織田家の羽柴秀吉指揮下の軍勢と交戦することになる。
織田家の猛攻の前に毛利家は苦戦を続ける中、本能寺の変で織田信長が横死に至るという転機が訪れる。
この時、隆景は秀吉との和睦を担い、秀吉の中国大返しを間接的に支援した。
この功績から豊臣政権下で大きな発言権を持つこととなり、豊臣政権の西国諸侯討伐でも活躍し、
秀吉の甥の秀秋を養子に迎えるなど、五大老の一員として豊臣政権の中で重きをなした。
また、豊臣の軍師である黒田官兵衛の知遇を得たのもこの時期である。
死去に際して、毛利家当主・輝元の器量の乏しさを憂慮しており、
安易な積極主義が毛利に害を与える危険性を指摘していた。
この憂慮は、関ヶ原の敗戦という形で残念ながら現実となってしまった。
Bには未登場であるが、教科書たる戦国無双シリーズでは最新作4の新たなる武将の一人として登場。
兄二人に先んじての登場であり、敵役である両兵衛の二人との争いと友誼が描かれた。
その容姿は歴ゲー外部などではFFシリーズのホープに似ていると言われたが、
実際には父の無双元就が『銀河英雄伝説』のヤン提督モチーフの人物として描かれていることを考えれば、
彼の養子に当たるユリアンをベースにしていると見るべきであろう。
彼に対するB厨の対応は大きく二つに割れた。
一つは、所謂クレクレ厨と呼ばれる代物である。
B元就が、公然と味方殺しを行う冷血(嗤)な知将(嗤)であるというのに、
慈悲深い人物として描かれる無双隆景が人物描写面で整合するとでも思っているらしい。
もう一つは、さらに噴飯ものの内容である。
驚くべきことに、「ヘタレとして描いたBの方が、より史実に忠実である」というのである。
当然ながら、これは隆景と彼の養子の秀秋の区別が全くついていないための発言であり、
無学にも程がある内容であった。
或いは無節操なクレクレ、或いは根本的無知。
彼一人の存在への反応一つとっても、B厨のあらゆる方面での水準の低さが顕在化している。
小早川秀秋
安土桃山時代の武将。戦国BASARA3にはNPCとして登場する。
史実では、豊臣秀吉の妻・ねねの実兄の子であり、秀吉夫妻の甥にあたる。
秀吉の養子を経て当時の五大老の一人・小早川隆景の養子となり、小早川姓を名乗るようになった。
関ヶ原の合戦では西軍に味方していたものの、西軍の中心人物である石田三成との不和から東軍に寝返り。
小早川家の大軍勢を動かせる立場にあった彼の裏切りは、東軍の勝利を決定づけた。
だが、豊臣の一門である彼の裏切りは、秀次事件以降の豊臣家の内部崩壊を満天下に晒すという、
致命的なまでに深刻な政治的意義を持たざるを得なかった。
そのため、関ヶ原合戦直後から「小早川秀秋=古今無比の裏切者」というイメージが一般に浸透しており、
最近では彼の事績が再評価されつつあるものの、その悪評を拭えずにいるのが現状である。
戦国BASARA3では、優柔不断・食いしん坊・小心な少年として登場。
鍋を背負った姿は、兜の形と合わせるとカブトムシのようであり、常に周囲を苛つかせる名人という設定である。
ゲーム本編では、石田三成や毛利元就が無抵抗の秀秋を殴りつけるシーンがあり、
いくら低評価されやすい人物とはいえ、実在した人物をここまで愚弄するのはあまりに惨いとの声も多い。
付記
なお、「食いしん坊」「周囲をいらつかせる」という性格設定は、
プロデューサー・小林裕幸氏にこそ当てはまるという感想がアンチから漏れつつある。
付記2
彼の「食いしん坊」設定と「背中に鍋を背負ったデザイン」は、『真・三國無双5 公式設定資料集』にある、
許褚の没案との類似が指摘されている。
また、顔つき等がセガの格闘ゲーム『ファイティングバイパーズ』に登場したサンマンに酷似している事から、
サンマンのパクリキャラではないかとの疑惑も同様に持ち上がっている。
付記3
今更言うべきではないのかもしれないが、B3本編内で秀秋を苛めた毛利元就と小早川秀秋は、
史実では養祖父・養孫の関係にある。
秀秋少年が何故小早川姓を名乗るに至ったかに関する重い来歴など、B公式には配慮の外であるらしい。
なお、元就と秀秋の養父である隆景との関係自体がBでは曖昧であるうえ、秀吉と秀秋との関係も不明である。
もし、両者の間に関係があるのであれば、神にも等しい主君の一門を殴るB三成は天使(笑)どころか、
正真正銘の堕天使=逆臣であり、何の罪もない養孫に暴行を加えるB元就は単なる畜生である。
無関係なのであれば秀秋の裏切りには何の意味もなくなってしまう。
如何にB公式が歴史に対する表層的な理解しかしていないのかを象徴する一幕と言える。
なお、B秀秋は戦国無双3の毛利輝元にヒントを得て、
「元就の孫」ポジションのキャラが欲しいがために作られたキャラなのではないかという見方があり、
付言するなら、元就の養孫でありながら虐待を受けているのは、無双の輝元に対する当て付けだと言う意見もある。
『宴』では本人のシナリオにて「西軍総大将と勘違いされる」という描写が見られるため、その可能性は高い。
小林裕幸
戦国BASARAシリーズのプロデューサー。アンチにとって最も忌むべき一人。
痛絵馬問題を容認する発言をするなど、その不見識を問う声は多いだけでなく、
「輿」と「櫓」を間違えるなど、基本的な常識さえも危うい人物と思われる。
さらに、イベント等でゲストで来た声優よりも目立とうとするなどKYの塊である。
余談ながら、BASARAファンからすら、「小林さえ降りてくれれば」と嘆く声が聞かれているらしい。
付記
カプコンの「2011年3月期 第2四半期 決算説明会」において、稲船敬二氏の退任に伴い、
''CS開発統括 戦略執行部長''に昇進することが決まった。
参考資料として、以下のIRのP.13~14を参照のこと。
※ なお、稲船氏の元の役職は、「開発統括本部長 兼 CS開発統括 兼 コンテンツ統括」である。
この報を受け、アンチスレのみならず、バの悪行を知る各所のゲーム関係のスレでは、
今後のカプコンへの不安から、古参ゲーマーが葬式状態になっていた。
付記2
辞職した稲船氏の役職である三職は分割され、開発統括本部長の後任には一井克彦氏が当たり、
上記のCS開発統括の地位はあくまで吸収・続投の形であるという見解が現在では有力になっている。
付記3
以前、「クソゲーオブザイヤー(KOTY)」の派生スレッドの一つとして、「糞クリエイターオブザイヤー(KCOY)」
というスレがゲハ板に設けられたのであるが、ここで小林氏の名前が挙がるや否や、
いきなり他の有力候補を押しのけ、殿堂入りペースの独走態勢を築くという壮絶な展開となった。
この件は、ゲーム業界を代表する外道としての氏の悪名が轟いていることを示したわけであるが、
その直後から、明らかに不審な書き込みがKCOYスレやバアンチスレに定期的に出現するようになった。
その内容や時期からして、関係者、あるいは本人による工作が疑われている。
付記4
以前から不審がられていたが、
はちま起稿特定騒動を承け、やはりというかこの度
繋がっていることが判明した。
小林ブログ
もとは戦国BASARAシリーズ公式サイト内に設置されていた「開発ブログ」。
設置された個所からして、書き込まれる内容も当然BASARAシリーズの開発に関わるものと思われたが、
実際には小林裕幸プロデューサーによるグルメ(笑)スイーツ(笑)日記に堕し、名目上の開発ブログと化していた。
そのせいか、2010年2月1日のシリーズ公式サイトリニューアルに伴い、「小林Pブログ」とタイトルを改めた。
ブログを開くと小林の顔写真が目に入るようになっており、小林の目立ちたがりな性格がよく表れている。
ファンが求めるような情報は掲載されていないので、ファンが読むのは時間の浪費にしかならないが、
基本的な小林の生態および日本語の崩壊ぶりはここから窺い知ることが出来るので、アンチスレ住民は一読を推奨する。
まさに「広報? 何それおいしいの?」状態である。
コバヤス
B3徳川家康に対するアンチによる蔑称。由来は小林+家康。
「アレを『家康』と呼ぶのは史実、及び他作品の家康に対して無礼である」という意見及び、
「小林PがB3の家康を自らのメアリー・スーとして生み出したのではないか」との疑惑からこう呼ばれる。
なお、この用語はアンチのみならず、ファンの側から用いられることさえある。
それ程、B3家康のキャラメイキングは悲惨だということである。
小牧長久手の戦い
天正十二年(1584年)に勃発した、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間の合戦。
本能寺の変で織田信長・信忠親子が横死したのち、当然ながら織田家中は後継者争いに揺れた。
明智光秀討伐に大きな功績を挙げた秀吉はその発言権を高め、信忠の子・三法師を擁立。
遂には織田家臣中の最大実力者である柴田勝家を賤ヶ岳の地で破り、後継者としての地位を確立した。
しかし、信長の次男・信雄はそれを不満に思い、彼と同盟を結んだ徳川家康も共同歩調を取ることとなる。
両陣営間の対立は激化し、勢力圏の境に当たる尾張国で遂に合戦が勃発した。
それが、この戦である。
合戦自体は膠着状態こそあったものの、終始徳川方優勢で進んでおり、
特に池田恒興・森長可の両将を中心とした別働隊による中入り(迂回作戦)が破られて以降、
戦況は一気に徳川方に傾いた。
しかし、家康の同盟先である信雄が不利を感じて単独講和に出るという挙に出たため、
合戦の大義名分を失った家康もまた講和に至ることとなった。
直接対決では秀吉の敗北であったが、政治的には勝利し、豊臣政権樹立の大きな一歩となった戦いである。
しかし、実力で勝つことが出来なかったことが、家康の名望を高め、間接的に豊臣政権を呪縛することともなった。
天下人候補同士の間の直接対決という戦国時代でも有数の重要な合戦であり、
B4にも登場することは別に問題ではない。
しかし、その地名が三河・小牧長久手となっているのは大問題であろう。
何故ならば、上記の通りにこの戦の中心的な舞台となった小牧山・長久手砦・犬山城・楽田城などは、全て尾張国に所在するからである。
Bは人名・地名は一応あっていると言われたことがあるが、それすらも通用しない水準に公式の程度は劣化している。
付記
単純ミスの類かもしれないが、ここでもまた、教科書たる『戦国無双』シリーズの影響を指摘されている。
同作においても本合戦があるのだが、その中で中入りを再現するために三河・岡崎城がステージ内に存在しており、
ここから小牧長久手の戦いを三河国で起こった合戦だったと公式は勘違いしたのではないかと言うのである。
井伊直虎と言う謎の人選があったことを考えてみても、容易に却下できない指摘であると言える。
付記2
何度も繰り返すが、本作のプロデューサーである小林は愛知県=尾張・三河の出身である。
故郷を離れて年月が経っているのかもしれないが、自分の故郷のことすら碌に知らないというのは問題ではないか。
最終更新:2014年09月19日 02:52